31.過重労働(2)
体調を崩した子が出てしまった。その子のことはもちろん心配だけど、私たちにはやらなければならない仕事がある。
家主に簡単に挨拶を済ませ、私は屋根へと上がった。体には疲れが溜まっている。でも、やるしかない。だけど無理をすれば、今度は自分が倒れてしまう。そうなれば、きっと誰かに迷惑がかかる。
だからこそ、自分の体調を最優先にしよう。無理を重ねるより、一度深呼吸することの方が大事だ。限界が来る前に一息ついて、外の空気を吸う。それだけで救われる時もある。それを、ちゃんと守ろう。
今ここで必要なのは、体調を崩さずに、最後まで仕事をやり遂げること。簡単じゃない。でも、だからこそ意味がある。やりきらなければ。
私は煙突のフックにしっかりと縄を結びつけ、口元に布を巻いて備える。そして、慎重に煙突の中へと体を滑り込ませた。
中は、生暖かい空気で満ちていた。しかも、ついさっき使われたばかりのようだ。煤と熱が混じり合った、重く、息苦しい空間。
これは――油断すれば、すぐに意識を持っていかれる。
自分の感覚に細心の注意を払いながら、私は思いを強くする。絶対に、無理をしない。倒れる前に、必ず休む。
そうでなければ、この仕事はやり遂げられない。そう、これは「がんばること」より、「折れずに続けること」のほうが、何倍も難しくて、何倍も大事なのだから。
強い決意をすると、ブラシで内壁を擦っていく。仕事は始まったばかりだ。
◇
疲労の溜まった体で行う煙突掃除は、想像以上にきつかった。手にはもうほとんど力が入らないし、こういう時に限って、煤はひどく頑固にこびりついている。
でも、煤が残れば火事の原因になる。適当に済ませるわけにはいかない。私は、腕に残ったわずかな力を振り絞って、黙々とブラシを動かし続けた。
しかも、これは使用直後の煙突だ。空気の質は最悪だった。むわっとした熱気が内部にこもり、ただでさえ疲労の溜まった体にじわじわと響いてくる。
体力が削られていくのを、嫌でも実感する。息をするたびに、肺が悲鳴を上げそうだった。煙突内に充満した煤のカスが、喉の奥にまとわりついてくる。深く息を吸うのは危険だ。だから、どれだけ呼吸が苦しくても、浅く、慎重に空気を取り込むしかない。
けれど、その呼吸の浅さが、さらに体から力を奪っていく。腕が震え、手元が頼りなくなる。この状態では、まともに掃除などできない。無理に続ければ、いつか意識が飛ぶ。
だからこそ、私は手を止める決断をした。
慎重に煙突の外へ這い出て、屋根の上に腰を下ろす。すぐに口元の布を外し、肺の奥まで空気を吸い込んだ。冷たい風が肌を撫でる。それだけで、少しだけ意識がはっきりする。
焦っても、いい仕事はできない。体を壊せば、もっと迷惑をかけてしまう。
自分にそう言い聞かせて、しっかりと休憩を取る。焦燥感を抑えるのは難しい。でも、倒れてしまっては本末転倒だ。
肩で息をしながら、遠くの空を見上げた。今日の空は晴れていて、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
休憩のあとは、再び煙突へと戻る。作業と休憩を何度も繰り返し、時間をかけて、ようやく一本の煙突を掃除し終えた。
体中が痛む。手も足も重い。でも、私はしっかりと最後までやり遂げた。ふぅ、と大きく息を吐き、力を振り絞って煙突の中から這い出る。
汚れた手のひらを見つめながら、私は静かに思った。あと二、三本か……大丈夫、まだやれる。
残る作業といえば、周囲の子たちの様子を見て回ること。煙突掃除は危険な作業だ。何か異変があっても、すぐに気づけるようにしておきたい。
私は屋根の上から周囲を見渡した。煙突に入って作業をしている子もいれば、屋根の縁で休んでいる子もいる。みんな疲れているけど、ぐったりしている様子はない。ひとまず、大丈夫そうだと胸を撫で下ろした。
けれど、そのとき――一本の煙突が視界に留まった。
あそこは、ずいぶん前に作業を始めたはずの家だ。にもかかわらず、フックにはまだ縄が括りつけられている。しかも、その後に掃除を始めた別の煙突には縄がついていない。
……違和感。
目には見えない不穏な空気が、背筋をひやりと撫でた。まるで、絵の中でただ一色だけ色が違っているような、小さな違い。けれど、それが確かな危機の兆しに思えた。
まさか……まだ、掃除が終わってない? でも、時間的にはもう終わっていてもおかしくない……。
悪い予感が、胸をきゅっと締めつけた。
次の瞬間には、私は屋根の上を駆け出していた。風を切って走り、瓦の上を滑らないように注意しながら進む。屋根と屋根の間にある隙間を、息を合わせて跳び越える。
その子がもし中で倒れていたら――そう思うと、足が止まらなかった。
ようやく問題の煙突に辿り着き、私はすぐに縄を引っ張った。――重い。確かな手応えがある。これは、誰かがまだ中にいる感触だ。
胸がざわめいた。思わず、煙突の中に向かって声を張り上げる。
「中にいるんですか!? まだ作業中ですか!? 返事をしてください!」
しかし、返ってくる声はない。重たい沈黙だけが、私の言葉の余韻と共に煙突の中へと吸い込まれていった。
やっぱり……中で、気を失っている? その考えが頭をよぎった瞬間、体が勝手に動いていた。
私は素早く自分の縄をフックに括りつけ、口元を布で覆いながら煙突の中へと身を滑り込ませる。
この瞬間の私は、まるで炎の中に飛び込むような気持ちだった。迷っている時間なんてない。助けなきゃ、取り返しがつかなくなる。
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