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エンドステート ーシミュレーション台湾有事ー  作者: 益子侑也
第三章 グレーゾーン

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4.刺客

同時刻

東京都千代田区永田町 保守自由党本部


 双葉は、署名と捺印の押された推薦書二十枚と立候補届出を入れた封筒を携え、白山官房副長官と共に椅子に座っていた。

 いつも並んでいる会議用テーブルと椅子は撤去されて、広々としている。厳粛な空気の中、中央に演台、国旗と党旗が配置され、その右側には幹事長以下党役員、左隣には総裁選管理委員が二列で並ぶ。そちらを向くように、五つのテーブルが等間隔で並べられ、10時の立候補届出の受付開始と同時に到着した各陣営の選挙責任者と推薦人代表者が座った。

 他陣営の推薦人代表者が中堅以上の議員だった。その気迫で、双葉は落ち着かなかった。自身の手が、じんわりと汗ばんでいるのを感じた。選対事務局長等の実務を務めるケースの多い選挙責任者に若手を据えるのは慣例のようなものだったが、選対本部長である推薦人代表ともなれば、どの陣営も背中を預けられるベテランを置く。

 室内は試験前のように静まり返り、試験開始の合図を待つように皆が手持ち無沙汰にしていた。双葉は座面が落ち着かず、姿勢を変えるたびに、椅子がギィっと小さな軋みを立てる。

 そんな室内に動揺が走ったのは、立候補届出締切の10時10分まで残り二分という時だった。

 念の為に用意されていた二つのテーブルのうちの一つに、二人の国会議員が座ったのだった。滑り込むような時間にも関わらず落ち着いた表情は、このタイミングを狙っていたかのように見えた。

各陣営や選管の国会議員、室内の隅にベルトローテーションで設けられた記者席が騒ついた。

「まさか、島尻先生が出るのか」

 一時、出馬意欲の取沙汰されていた当選七回で無派閥の衆議院議員、島尻美希。その名前が、室内のあちこちで口の端にのぼった。

「かなり早い段階で、推薦人が揃う目処が立たなかったはずじゃ」

 双葉の耳元で、白山官房副長官が囁いた。

「そのはずなのに。どこが推薦人を」

 双葉は、胸の中で気味の悪さがじんわり広がる感覚を覚えた。

 どこかの派閥が、何らかの思惑で、推薦人を無派閥の島尻議員に貸したのだと直感的に思った。双葉の頭の中で、様々な想像が駆け巡る。

 自力で推薦人を確保できず、土壇場で出馬に漕ぎ着けた候補者が決選投票に残る可能性は限りなく低い。島尻自身もそれは理解した上で、将来を見据えて出馬自体に意味を見出しているはずだ。そんな彼女に親切心だけで推薦人を貸すほど政界は甘くない。

 とはいっても、無任所大臣の経験しかなく、そこまで知名度が高いわけでもない、無派閥の島尻議員に見返りを期待するのは無理がある。つまり、推薦人を貸した者の思惑は、候補者の頭数を増やすこと以外に考えられない。

 候補者を増やすことに、何のメリットが?――

 候補者が一人か二人しかいないのなら、無投票や第一回投票での過半数獲得、要するに勝ち抜けを阻止する戦術も成り立つ。しかし、今回はもともと三つ巴が予測されており、決選投票は確実だった。

 他陣営や記者たちも、同じような推測を語り、疑問を交わし合っていた。

 白山官房副長官が、届出に来た島尻陣営の二人について「どの派閥にも属していない」と、小声で言った。

「ですよね。もともと島尻先生に近い二人だし」

 双葉も同意した。

「ええ。あの二人を入れて十人前後は確保していたようですから、残り半分が借りた推薦人でしょう」

 そう言った白山官房副長官の視線が、島尻陣営のテーブルにそっと置かれた封筒に注がれた。

 双葉の視線も、同じものに吸い寄せられた。

 中身を見たいーー

 どのみち届出直後に公表されることはわかっているが、胸の奥が疼いた。時間が早く進むことを祈ったが、その二分は非常に長かった。

 演台横のモニターが映すデジタル時計が、〈10:10〉と表示された。

 選挙管理委員長が立ち上がり、室内はすっと静まり返った。空気がピンと張り詰める。一礼して、演台に進む。

「10時10分となりましたので、ただいまをもって総裁選挙立候補届出の受付を締め切ります。これより、届出順を決定するためのくじ引きを行い、その順に立候補届出及び候補者推薦書を受理します。なお、くじ引き順は総裁選実施規定に基づき、受付順となります」


 保自党本部の正面玄関で、RawLensの市原は深く息を吸い込んだ。

 宮古島の長期取材から東京へ戻ったのも束の間、無数の思惑の渦巻く総裁選へ放り込まれた形だ。

「先ほど、立候補届出が締め切られ、候補者が出揃いました。候補者は届出順に、幹事長の新座氏、現総裁の芝浦氏、元女性活躍担当大臣の島尻氏、政調会長の小山氏の四名です。当初は三つ巴の戦いになると見られていましたが、直前で島尻氏が推薦人二十名を確保したことでーー」

「今回の総裁選は現職の総裁が立候補する中、幹事長と政調会長の二人が出馬する異例の事態となっています。党内からはーー」

 視線を横に向けると、在京キー局の政治部記者たちがカメラに向かって、淡々と解説をしていた。

「総理のところは、選対本部長が現職の副長官だぞ。陣営に人がいなんじゃないか」

「芝浦陣営は昨日の選対会議に、代理含めて三十人だぞ。勝てたって、求心力低下は確実だな。衆院選は厳しいんじゃないか」

「芝浦・新座・小山の三陣営とも、議員票も世論調査も横並びだ。結局、派閥の力学で決するよ」

「島尻先生のところの推薦人の半分は、長池派だぞ。長池先生と島尻先生の接点って、選挙区が隣県ってくらいだろ。親父さんの代に、何かあったか?」

「新座幹事長の推薦人に、吾妻議員がいたけど何でだ? 芝浦派だろ」

「吾妻議員がつくと、友好団体の票がかなり新座幹事長に流れるんじゃないか」

 全国紙の政治部記者たちは、推薦人名簿を照らしながら推測に耽っていた。

 政治部記者たちの知識と経験に裏付けられた言葉が、市原の耳にも容赦なく飛び込んで来る。

 市原は胸の中で小さく溜息をついた。

 分業するだけの人的余裕のないRawLensで、市原は大手で言うところの政治部、社会部、経済部、文化部と幅広くカバーしなければならなかった。もともとはフリーの政治ジャーナリストが出演する予定だったところ、そのジャーナリストが入院して代役が回ってきたのだ。政治一本の政治部記者の中で、政局を語るのは気が引けた。

「ボーッとしてないで! 先輩、回しますよ!」

 江平がビデオカメラを右手で構えてカウントすると、左手でキューサインを出した。

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