第4話 ―死に損ない狂騒曲― ㉓
「お~い、何も起きないんですけど~? 手向けとやらはどうした~? 」
ナツメが、リオネルの頬をぴしゃぴしゃと叩く。
――刹那。
リオネルの上体が、後ろに倒れ込んだように見えた。
ほぼ同時に、無意識に、ナツメはわずか半歩だけ身を引いていた。
顔面があった場所を、颶風が薙ぎ抜ける。
それは、ボクシングのアッパーカットのような軌道で放たれたリオネルの踵。
すでにナツメは正面にいない。リオネルの右手側に回り込んでいる。
――だが、息つく暇などない。
リオネルが踊り子のごとく旋回し、天を衝いた踵をそのまま墜落させた。
紙一重。
バックステップで回避するナツメ。
しかし、リオネルの踵落としは予備動作にすぎなかった。
本命は、足を振り下ろす遠心力を乗せた右拳の直突き。
予想を超えて伸びた拳が、ナツメの脇腹を抉る。
(チッ! アバラを二本か三本持っていかれた。やるじゃねえか……)
瞬時に己のダメージを分析するナツメ。
体をひねって急所こそ避けたものの、ダメージは浅くない。
「おいおい、スカートを履いてその足技は『はしたない』ってやつだぜ」
ナツメの苦し紛れの挑発に、リオネルはスカートの裾をつまんでおどけてみせる。
「これはこれは、『ごめんあそばせ』とでも言うべきかな」
そして、ふと冷静な口調で言った。
「原理は分からぬが、魔道に頼らない打撃ならば、効果はあるようだな」
「ズリぃぞ。さっきの口上じゃ、武闘家だとは少しも言ってなかったじゃないか?」
「かつて東方諸島を流離っていたころ、見よう見まねで覚えたつまらぬ技だ。
――宴会芸まで名乗りに含めるような痴者には、なりたくないのでな」
「あはは、違いない」
余裕ぶって笑ってはみせたが、ナツメは困惑していた。
どこからどう見ても華奢な肢体――にもかかわらず、リオネルが操るオリビアの筋力は、ナツメを遙かに凌駕している。
(肉体のリミッターを外してやがるな。痛みだって感じていないんだろうよ……)
とはいえ、格闘の技術そのものはナツメの方がずっと上だ。
その気になれば、やりようはいくらでもある。目を潰してもいい。関節を破壊するという手もある。もっとえげつない手段で動きを止めることもできるだろう。
だが、それではオリビアの体に後遺症が残ってしまう。
ナツメにとって、それは勝利とは呼べない結末だった。
一方、リオネルもまた攻めあぐねていた。
彼は、ナツメを “凄腕の魔道士” だと誤解している。だから、
(手の内をある程度引き出すまでは、迂闊には動けぬ……)のである。
しかし、時間をかければ不利になるのはリオネルの側。
この新大陸では孤立無援であるし、何より魔道警察を敵に回しているのがまずい。
リオネルは深く重心を落とし、前傾姿勢を取る。
「随分とやる気じゃないか。焦ってんのか?」とナツメが舌戦を挑むも――
「時間稼ぎが見え見えだよ、レディ。無粋な連中がやって来る前にカタをつけよう」
言うが早いか、リオネルは地を這うような低いタックルを仕掛けてきた。
(打撃を捨ててきやがった! 良い判断だよチクショウがッ!)
セオリーに従うなら、ナツメの取るべき対応は二択だ。
タックルを「切って寝技に持ち込む」か、あるいは「膝で迎撃する」か……
だが相手は、規格外の膂力を持ち、さらには呼吸すら必要としない人外である。
組みつかれたら分が悪いと判断したナツメは、リオネルを飛び越えるようにして回避するが――
これが悪手だった。
リオネルは獣じみた反射速度で振り返り、問うた。
「なぜ魔道を使わない? 反撃してこない?」
ナツメは何も答えない。
「……まさか、オリビアの肉体を気遣っているのか?」
百戦錬磨の魔人は見逃さなかった。
その言葉に探偵が、ほんの一瞬ではあったが眉を曇らせたことを。
嘲りの笑みを浮かべ、ノーガードで歩み寄る。
(ヤロウ、考えやがったな!)
距離を取ろうと足を使うナツメ。
しかし敵は両腕を広げて進路を塞ぎ、じわりじわりと追い詰めてくる。
(こ、こいつは……思ったよりタチが悪ぃぞ、オイ!?)
ナツメはとうとう、逃げ場のない壁際に追い詰められてしまった。
リオネルが、ゆっくりと腕を伸ばす。
ナツメの得意技に「相手の勢いを利用した投げ」があるが、今の状況ではそれを使うことすら叶わない。掴まれ、そのまま地面に引き倒される。
リオネルはそのまま馬乗りになり、ナツメの首へ手をかけた。




