1 魔力なしのアイツ
暖かな風が頬を撫でる。空は雲一つなく、この様子だと今日は一日中晴れだろう。出発の日にちょうどいい天候だ。
ついにこの日がやって来たというのに前日までの高揚感がまるで嘘のようで、穏やかな心で時間を待っていられる。
「マルスラン」
名を呼ばれ振り返る。母上はこちらに目を合わせて嫋やかに微笑んだ。
「貴方が立派に成長したこと、母としてとても誇らしいわ。……けれど寂しくなりますね」
今日から父上と母上が卒業したという学園へ入学する。この家を継ぐ為にもより良い知識が必要だからだ。
「休暇には必ず戻ってまいりますので」
「ええ、身体に気をつけて」
そこまで言うと母上はふと視線を下げてため息を吐く。
「……それにしても……。兄が出発する日だというのに朝早くからまたミストラル家へ……。あの子は本当に……」
「まぁ、母様そう言わんと」
責める言葉は静かで、けれど刺すように冷たい。母上の隣にいるダグラスも思わず苦笑いをしている。
「貴方も何も思わないわけではないでしょう?」
……なんでこんなことになるのを分かりきってるのに来ないんだ愚弟は。
前の自分ならここで母上に同調していたのだろう。別れの場で空気を悪くする必要はない。
必要はないが──
「なら……私の代わりに母上からお伝えください。別れの言葉を」
笑顔を作れば一瞬、母上の瞳が揺れた。
「……私が?」
「ええ。父上にも……では、もう時間なので行ってまいります。ダグラスも伝言頼んだぞ」
「うん。マルス兄さんも達者でな〜」
返事を待たずに歩き出し、待っていた乗合馬車へ向かう。母上の声は追ってこなかった。
……余計なことを言ったか。
変わってしまったのは、周囲か。それとも自分か。
どちらにせよ、その事実が妙に腹立たしかった。
◇
馬車に揺られ数刻、雑草生える道を抜けた先には煉瓦と石で造られた街路と数々の建物。それらを更に通り抜ければこの街で一番大きな建物があった。
馬車を降り、息を吸う。周りを見れば同い歳くらいの奴らが同じ場所へと向かっていく。
「ここが……」
国立ムネリア学園。貴族、平民問わず実力が認められれば入学でき、有名な卒業生を輩出した名誉ある学園である
ここへ入学できたことに何とも言えない感情が沸き上がってくる。
──始まるんだ。新しい生活が。
ここには蘊蓄垂れる愚弟がいなければあの騒がしい奴らもいない。
正直なところ俺がここに入学できるなんて思ってもいなかった。今まで周りにいた個性ある奴らのせいで自分の事を見誤っていたらしい。
ここでなら今までの狂った常識が元通りになるかもしれない。そう思いながら学園生活への第一歩を──
ビリリリリリリリリ!!!!
踏み出せなかった。
突如けたたましい鐘の音が鳴り響き、周りの生徒も何事かと騒ぎ出す。
「不審者だ!」
どんどん先にある校門に人が集まっていく。その中心部には目立つ銀色。
…………銀髪?
やけに見覚えがある色だ。いや、しかし珍しいといえど銀髪なんて他にいないわけじゃない。きっと気のせいだ。
「ちょっと待ってくれよ!おっかしいな〜」
微かに声が聞こえたがきっと幻聴だ。あんな気が抜けそうな声のやつなんていくらでもいる。
「うーん…………あ、マルスじゃねぇか!おーい!」
「だーーーー!!!!もう!!」
いくら事実に目を逸らそうとしても名を呼ばれてしまえばもう脚が動き出していた。
────俺には同い歳の顔馴染みがいる。そいつは愚弟の婚約者の兄。兄妹揃って厄介な奴らで妹が疫病神ならばそいつは怪物。しかし致命的な欠点もある。だからここに奴がいるわけないんだ。
人混みを掻き分けそいつの目の前に立つ。
「リアム!なんでここにいる!」
リアム•ミストラル。有名な魔法学校には似つかわしくない魔力なしの男がそこにいた。
「なんだ、オレの方が先に着いてたのかよ。てっきりお前のことだから朝一で行ったのかと思ったぜ」
喜ばしげに口角を上げるリアムだが俺から見れば場違いだ。
「お前、ここがどこかわかってんのか!?遊びに来てんじゃねぇよ」
ここは魔術を学ぶ場だ。魔力のないコイツが入れるわけがない。……というかそんな話一度もしてない!
しかしそう告げると不思議そうに目を瞬かせ一枚の紙を見せてきた。
「そんなわけないだろ」
見せられた学生証は自分の持っているものと全く同じで奴の名前がしっかりと書かれていた。
「は?」
「推薦枠だったんだ、俺」
「…………は?」
理解が追いつかない。他に人がいなければきっと膝から崩れ落ちていただろう。
そういえばコイツの妹が、数日前に何か言いたげにしていた気がする。あれはもしかして入学を知っていたからだろうか。誰だよコイツを入学させようとか言った輩は。
「しかし、学生証があるのになぜ警報が……」
《人間たち〜!》
リアムの学生証を見ながら一人の教員が呟いた時、脳を揺さぶるような声が響いた。その場を離れれば赤や黄色の葉を巻き込みながら現れたのは翅の生えたガキだった。
《警報は誤作動!だからさっさと中に入ってね〜》
そいつが周囲の人間を建物の中へと促すように手を叩けば、野次馬は校門を通り過ぎて行き、残ったのはガキとリアムと俺くらいだった。
自分の腰ぐらいの高さしかないガキはリアムに近づくと一枚の学生証を渡す。
《はい。キミの学生証、新しいの渡すから騒がしくしたのは許してネ!》
「あぁ、そうだったのか」
舌を出しながらという茶目っ気でもアピールしているつもりなのか、しかしリアムは気にしていないようで学生証を受け取ればガキは楽しげに笑う。
《この場は学園長たるこのボクが上手く収めてあげるからさ、この学園、是非とも楽しませてくれよ》
そう伝えると鮮やかな色の葉を踊らせながら姿を消した。
「ほーら!嘘じゃないだろ?」
「はぁ……」
「?」
得意気に学生証を見せるがそれを渡しにきた相手が相手で何かを言う気も失せる。
やっぱり特別ってことなのか。コイツはいつもそうだ。魔法を使えないのに公爵令嬢の護衛に選ばれていたり、というか特別枠は公爵からの口添えか?
「早速、学園長がわざわざお出ましとは流石だな」
「ラッキーってこと?」
「まじでなんでお前この学園に選ばれたんだよ」
「それは────」
「リアム・ミストラル」
その言葉を遮ったのは眼鏡を掛けた気難しそうな男だった。教師なのだろうか後から来る生徒の様子を見ながら小声で告げる。
「君は特別教室の生徒だ」
「特別教室って?」
リアムは首を傾げるが俺は聞いたことがある。やっぱりそういうことか。
「拒否するなら入学は辞退という形となる」
その声音には、わずかな試すような響きが含まれていた。そのせいだろうかリアムは顔を傾けてその目をじっと見つめる。相手を見極める時のリアムの癖だ。
「……特別教室っすよね。了解です」
やがて笑ってそう返答すれぼ教師の眉が僅かに動き一つの建物を指差した。
「式が始まる。二人とも速やかに講堂へ向かいなさい」
◇
入学式では学園長の挨拶で本当にあのガキが出てきて派手な挨拶をしていたことは印象的だったが他は新入生の挨拶だったりクラスの教員の紹介などなんというか思ったよりも普通だった。
今日は一年の寮の部屋割りの都合でここで帰宅可能らしい。俺は寮生なのであてがわれた部屋で荷下ろしをしなくてはならないが……。
━━今、俺たちは古びた廊下を歩いている。
ついてくる俺を不審に思ったのかリアムは首を傾げた。
「マルス。なんでついてくんの?寮生活になったんだろ?説明に行けよ」
「うるせぇ」
壮大な建物だと階段の場所すらなかなか見当たらない。陽の光は徐々に薄れ、廊下には独特の匂いが漂っている。
一体どこに隔離されてるんだ特別教室は。
「お前知らないんだろ。噂じゃ特別教室ってのは問題児の集まりだ。だからどんな奴らが集まってるのか顔ぐらい覚えておいたほうがいいと思ったんだよ」
「もしかして俺のこと心配してる?」
まさか
「ありえねぇ〜〜」
なんでお前を心配するんだよ。なんなら自分の心配しとるわ。
「────あの……、私急いでて」
ふと、小さな声が聞こえた。少し先に男グループに女が一人。見たところ揉めているようだ。
「悪い、先行くわ」
既にリアムは動いていた。その足取りには躊躇いのかけらもない。
……相変わらずお節介なやつ。
「こんなところに来るなんてもしかして特別教室の新入生じゃない?」
その言葉に女の肩が小さく震える。
「あっ、ほんとにそうなんだ〜キミみたいな可愛い子が」
ジロジロと品定めする姿に呆れる。いろんな奴がいるとは知っていたがこんな品位がねぇ奴もいるとは。
「じゃあ、キミって──」
意地の悪い笑みを浮かべながら、男が手を伸ばした瞬間────
「すんませーん!」
男と立っていた場所を入れ替わってリアムは自然な流れで女の前に立った。
「え……?」
「いや〜、特別教室の場所わかんなかったから一緒に行きたくてさ。わかる?」
女は戸惑ったようにリアムを見上げる。また似たような奴らに絡まれたと思っているのだろうか、握ったスカートが皺くちゃになっている。
「…………はい……」
「じゃあ一緒に行こー!」
リアムは女の背中を押し、男達を置いて先へ行く。
「ちょ、待て──」
「まだなんか用かよ?代わりに俺が聞くが?」
男の一人の肩を掴み、睨みつければ途端に尻すぼみになって去っていく。平均よりも高い身長と鍛えた体躯は威圧感を出すには十分だったようだ。
「マルス〜悪いな」
「あ?なんのことだ」
「あの……」
リアムの後ろにいた女は深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございました……。本当に助かりました」
そう言って頭を上げると重たそうな前髪の隙間から覗いたのは、柘榴のような紅い瞳で━━━━
「無事でよかった愛らしい人。俺の名前はマルスラン・アビスだ。よかったら覚えておいてくれ」
気づけば俺は、自分でも引くほど滑らかな動作で片膝をつき、彼女の手を取っていた。
「なにやってんの?」
「あ????」
直後、思考の麻痺が解け、猛烈な寒気が背筋を駆け上がる。
何やってんだ俺は!?
呆れたようにこちらを見つめるリアム。自分でも何が起こったのか全く理解できず自身の手を見つめる。少女も顔を真っ赤にして慌てて手を引き抜いていた。
「えっと、その……ヴェール・ランピリスと申します。大変ご迷惑をお掛けしました。」
そう言うと彼女は、焦ったように慌てて前髪を直し、目元を完全に隠してしまった。
こちらの異常な行動について追求されたくないのか、あるいは自分のせいだと察せられたくないのか、視線をあちこちに泳がせながら曖昧にへらりと笑ってみせる。作り笑いすら引きつってしまうほど、あからさまに挙動不審だ。
「おい……」
「あ!特別教室!特別教室に行かないといけませんよね!多分こちらです!」
「お、行こうぜマルス」
「いや!先に聞くことあるだろ!!」
「まぁまぁ、あんな必死に隠してるじゃん。隠したいことの一つや二つあるから。知らないフリするのが良い男だと思うぜ」
「自分は何にもなかったからそんなこと言えるんだろうなぁ……!」
恨みがましい視線を向けるがリアムにはなんのことやらでランピリス嬢と先を歩き出す。
二人の話を聞いていればランピリス嬢は男爵家の一人娘で婚約者がいるらしい。婚約者を連れず一人でフラフラ歩いているからあんなことになる、と言おうとしたのが表情で悟られたのかリアムから鳩尾を狙われた。
プレートに特別クラスと書かれた教室の前につくと当然だが中には人の気配がある。しかしなんだか物々しい。
「たのもー!」
そんなの関係ないと言わんばかりに教室の扉を開けて声を響かせる。
中には制服を着崩した明らかに同年齢には見えないクラスメイト。それに見た限りだが女生徒が一人もいない。ランピリス嬢を自分の後ろに下げる。
「なんだぁお前」
「今日から同じクラスのリアムだよ」
そう名乗れば途端に相手は驚いたように目を見開く。だがその表情はすぐに崩れ、愉快そうに手を打った。
「おい、聞いたか!この碌でもないクラスに新入生だとよ!」
「今年は三人かぁ」
俺は違う。と言いたいところだがパッと見そう思われても仕方がないだろう。
「ん?その言いようだと先輩っすか?教室間違えてるっすよ」
「いーや!特別教室のやつはらいねぇよ」
「いない?」
「成績が悪いから俺らが助けに来てやってんのに逃げんの」
教室には人が十人いるかいないか。サボってる奴もいるのだろう。
「それがわかったんならここの上下関係、わかるだろ?」
男が一人、愉しむようにリアムの前へ歩み寄る。その視線は値踏みでもするかのように、頭の先から足元まで動いた。
「上下関係?」
「ここは貴族同士のお遊びの場じゃない。親の階級は関係なく実力社会だ!」
まずいぞ。
「それって先輩の方が偉いってことすか?」
「ははっ、そうかもしれねぇな!もし、お願いを聞いて欲しいのならそれなりの態度を示してくれないとなぁ!」
その綺麗な顔なら何人かは聞いてくれそうだなと男はリアムの肩を叩く。
俺は教室内にいた生徒の顔を覚えたので面倒なことになる前に早々と帰ろうとした。
しかしこういう判断はリアムの方が早いのだ。
「分かった!」
元気な返事と共に、肩を叩かれた男が壁に叩きつけられる。
教室内は一瞬、静かになった。
リアムは近くにある椅子を片手で持ち上げると肩に乗せて楽しげに笑う。
「わかりやすいじゃねぇか。なら、全員勝負しよう!実力で決定権を得る!そしたら今日からこのクラスのトップは俺だ!」
今まで黙って見ていた生徒も立ち上がりリアムへと向かっていく。ノリが良いのか、はたまた短気なのか、どちらにしろ愚かではある。
「リ、リアム様……?」
「外出ろ。ランピリス嬢」
震えるランピリス嬢の両肩に手を添えると廊下へと押し出す。
「ちょっと待っててくれよな。すぐ終わるからさ」
「無視しろ。悪影響だ」
ランピリス嬢が何かを言う前にさっさと教室の扉を閉めた。
「あの……」
「終わったらアイツが出てくるからそれまで大人しく待ってろ」
「は、はい」
ランピリス嬢の隣に立ち、激しい騒音を背中にこれからの学園生活を考えてもう一度ため息を吐いた。




