1. 騎士、禁忌の魔女と対面す
森の魔女が捕まった。
300歳を超える、人喰いと噂の魔女だ。
第四騎士団二番隊隊長のセドリック・オーウェンは、我知らず呼吸をひそめていた。
湿った地下の空気が肺に満ちるのを感じながら、牢の中央に佇む魔女へ視線を向ける。
冷たい鉄檻の中で、ただひとつ鮮やかに色を放つのは彼女の長く伸びた髪。緩く波打つ赤毛は、松明の火が揺れるたび、その気配を吸い取るかのように紅を深めて艶を増す。
草色のローブの袖口にはセドリックが目にしたことのない文様が刺繍されていて、檻越しにも随分と古めかしい仕立てに見えた。首筋や指先など、衣服の隙間から覗く肌は透き通るように白く、薄暗い地下では否応なく目についてしまう。
「──ねえ」
静寂を割るように、魔女が呟く。
赤毛を揺らしながらゆっくりと振り返ったその瞳は、深い森の奥を思わせる翠色だった。
「私、いつまでここにいなければならないのかしら」
「今入ってきたばかりだろ」
セドリックは短く答えた。
拒絶したのと同然の声音を出したつもりだったが、魔女はまったく意に介さなかったらしい。どこか優雅に息をつき、再び口を開く。
「ここ、息苦しいわ。私、森で生きてきたから緑がないと耐えられないの。お花でも摘んできてくれない?」
そう語る声は鈴の音のように澄んでいた。
ひとつ小首を傾げるだけで、赤い髪が彼岸花の花びらのように静かに揺れる。
まるで世間話でもしているかのような魔女の様子に、セドリックの方が混乱してしまう。思わず、現実を確かめるように周囲へ視線を巡らせた。
硬い石壁。鼻腔をつく鉄錆と土気のにおい。
黒い鉄格子で閉ざされた牢の中には木組みの寝台がひとつ置かれているばかりで、明かりとなるのはセドリックが佇む側に置かれた松明のみ。
生命らしきものは湿った石壁に張りつく暗緑の苔くらいだ。
そんな空間の中で、魔女だけが場違いなほど澄ました顔をしていた。
「……無理だ。あんた、植物を使って魔術を扱うんだろ。草1本だって与えられない」
「ふうん。こんなものまでさせておいて、ね」
魔女は手首に嵌められた腕輪を指先で軽く弾いた。きん、と短く金属音が響く。
王国が造り出した魔封じの腕輪である。
魔術師用の拘束具が《魔女》にどれほど効果があるのかは定かではない。それでも彼女は顔をしかめて腕輪を見つめたあと、ひとつ肩をすくめてみせた。
「私の魔力を封じてなお草花ひとつくれないのね。王国の騎士様がこんなに勇敢だなんて、知らなかったわ」
「ああ、大層勇敢だよ。なんせ俺以外に、あんたの監視に手を挙げるやつはいなかったくらいだ」
セドリックはそう皮肉を返しながら、わずかに視線を逸らした。
恐怖しているつもりはない。
だが、魔女という存在への染みついた警戒心は簡単には剥がれなかった。
魔術師と魔女は似て非なるもの──
この世界で生きる者ならば、誰でも知っている理だ。
魔術師と呼ばれるのは、術式を使い魔術を操る者たちだ。
王国には、セドリックが所属する騎士団と対を成すように魔術師団が置かれている。魔術師とは、その程度には社会に組み込まれた存在だった。
だが、目の前の女はまったく異なる。
精神を操るだとか、心を支配するだとか、魂に触れてくるだとか。
どこまでが真実でどこからが噂なのかもわからない──だからこそ恐れられ、排除されてきた禁忌の存在。
すなわち、《魔女》。
セドリックの所属する第四騎士団は王都防衛の要であり、治安維持も管轄している。要は地下牢も職分だ。
だが、精強揃いと名高い隊長格でさえ「《魔女》の責任は捕らえた魔術師団が持つべきだ」と尻込みした。
そんな中で、ただひとりセドリックだけが手を挙げた。
魔女は不思議そうに瞳を瞬かせて、セドリックの顔をまじまじと見つめた。
「あなたは、自分から手を挙げたの? 私のこと、怖くないの?」
「……」
向けられた瞳は澄んでいて、敵意も毒気も見当たらない。
どうにも、彼女に見つめられるのは落ち着かなかった。
セドリックとて、魔女という存在を恐れていないわけではない。
誰かがやらなければならないのに、誰もやりたがらない役目。
であれば自分がやればいい──そんな思いがセドリックに手を挙げさせた。
殊勝な覚悟があったわけでも、強い意地があったわけでもない。ただ、そうするのが一番手っ取り早かったというだけの話である。
そして、それを魔女にべらべらと語る意味も義理もまた、ない。
セドリックは短く答えた。
「さあな」
「ふうん」
魔女はそれから少し間を置いて、ふうん、ともう一度繰り返した。どこかあどけない表情だった。
「……あんた、とても300歳には見えないが、それも魔術か?」
彼女の妙に抜けた雰囲気につられて、半ば無意識のうちに馬鹿げた質問をしてしまう。
魔女はつんと顔を背けた。
「あら。私、ぴちぴちの20歳よ」
「……なるほど。確かに語彙はひと昔前だな」
「えっ!?」
信じられない、とでも言うように魔女は勢いよくセドリックを振り返った。
やはりどこか間が抜けている。人喰いの《魔女》など、もっと禍々しい存在を想像していたのに目の前にいるのはただ息をしている無防備な女でしかない──そう思ってしまう自分に、セドリックはわずかに苛立った。
不意に、地下の空気が変わった。
外気が流れてくるのを感じ取ったセドリックは、足音が聞こえてくるよりさきに剣の柄へと指を寄せた。
やがて揃った足音が湿った廊下に満ちていく。
頼りない松明の明かりが揺れ、影がひとつ、ふたつと近づいてくる。
その先頭に立つ男を見た瞬間、セドリックの背筋が反射的に伸びた。
王国魔術師団師団長──アーノルド・クレイヴン。
壮年らしい深い皺を刻む無骨な顔。
魔術師には似つかわしくない広い肩幅は、深紺の厚いローブ越しでもその体躯の強さを主張する。
彼の後ろには、同じローブを身に着けた魔術師ふたりが続いていた。足取りには一糸の乱れもなく、まるで軍勢のように空気を圧している。
師団長が直々に地下牢まで訪れるなど異例中の異例だ。
セドリックは形式通りに敬礼したが、動揺を隠しきれていたかは自信がなかった。
クレイヴンは一度セドリックに視線を寄越し、すぐに牢の奥の魔女へ薄灰の瞳を向けた。
「《魔女》リコリスだな」
低く静かな声が地下牢に満ちる。威圧するような口調ではないのに、聞いているだけで胃の底が重くなる響きだった。
呼びかけに、魔女──リコリスはゆっくりと顔を向けた。さきほどまでのあどけなさは失せ、翠の双眸には深い森のような静けさだけが宿る。
その様子にセドリックの肌が微かに粟立った。
魔女と師団長。この場においてどちらがより化け物なのか、判断がつかない。
「ついてきてもらおう」
クレイヴンがただ一言そう告げただけで、背後の魔術師が鉄檻の鍵を回す。金属の軋む音が地下牢に反響し、松明の炎が呼応するように一瞬だけ揺らいだ。
リコリスはまるで森を散歩するかのような静かな足取りで牢から歩み出ると、セドリックを一瞥もせずに師団長の後に続く。
すれ違うその一瞬、微かに掠めた彼女の気配に、喉奥がひりつくような心地がした。
赤い髪が廊下の闇へと溶けていく。
黙って見送るセドリックのまぶたの裏に、どうしてか、その光景が焼きついて離れなかった。




