第41話 手紙の書き方
机の上には便箋が置かれている。
昨夜、渡されたものだ。
書こうと何度かペンを持ったが結局何も書けなかった。椅子に腰を掛けたまま、真っ白なそれを眺める。
街に着いた事を書くか。
谷で起きた事を書くか。
それとも別の事を書くか。
考えているうちに、どれも違う気がしてくる。
「……分かんねぇな」
小さく呟いた時だった。
コン、コン。
扉が叩かれる。
「起きてる?」
聞き慣れた声だった。
「あぁ、起きてるよ」
椅子から立ち上がり、扉を開くとエアルが立っていた。廊下へ差し込む朝の光を背に、小さく手を振っている。
「おはよう」
「おはよ」
挨拶を交わすと少し気が緩む。
「朝はまだだよね?一緒にどうかな」
「あー、そうだな」
返事をした所で、エアルの視線が部屋の奥へ向く。
机の上には広げたままの便箋と転がるペン。
「あー……」
察したらしい。
「まだだった?」
「まだだったな」
誤魔化せる状態でもないので素直に答える。
そうすると少し考え込んだ後、
「やっぱり外、行こっか」
と当たり前のように言う。
「気分転換に?」
「うん。部屋にいても変わらなそうだし」
それは否定出来なかった。
昨夜から何も進んでいない。
「今日は中央区に行こうと思ってるんだ」
「中央区?なんでだ」
「前に聞いたパン屋があってね。朝のうちに行くと焼きたてらしくて…一緒にどうかな、って」
声色だけで楽しみにしているのが分かる。
何度机に視線を向けても、便箋に変わりはない。
今更座り直した所で書ける気もしなかった。
「……分かった」
「じゃあ行こっ」
◇
宿を出ると、朝の空気はまだ少し冷たかった。
昨日までの遠征が嘘のように、街はいつも通り動いている。店先では掃除を始める者がいて、荷車を引く商人や職人達が朝の通りを行き交っていた。
誰も異変の事なんて知らないみたいだった。
「静かだな」
思わず呟く。
「静か?」
「昨日のアレと比べると」
そう言うと、隣で小さく頷いた。
「それはそうだよ」
確かにそうだった。
谷の底と平和な街を比べる方がおかしい。
「それにしても、初めて会った時は、こうして一緒にご飯食べに行くなんて思わなかったな〜」
しばらく歩いているとエアルから話を振られる。
「急にどうしたんだ?」
「森の中で急に出てきた時は、びっくりしたし」
「それはお互い様だろ」
むしろこちらの台詞だった。
歌声が聞こえて、その音を辿って行った先にいたのは――楽しそうに歌う彼女だった。
あの時は今みたいに一緒に朝飯を食べるなんて思っていなかった。
「確かに。今考えると驚いちゃうよね」
「だな」
通りを歩きながら、自然と昔の話になる。
どれもそこまで昔ではない。
それなのに妙に懐かしく感じた。
「キミ、最初は中央区なんて来ないと思ってた」
「用事なかったからな」
「今もあんまり無いよね」
「否定出来ない」
隣から小さく笑う声が返ってくる。
中央区が近付き、景色も少しずつ変わり始めた。
整った石畳。
落ち着いた色の建物。
朝から店を開く商人達。
漂う焼き菓子や珈琲の香り。
「なんか新鮮だな」
「キミはあんまり中央区来ないもんね」
そう話しているうちに、エアルが足を止めた。
「あ、あそこだよ」
視線の先には、通りの角地にある店の前に列が出来ていた。焼きたての香りがこちらまで流れてくる。
「人気なんだな」
「そうみたい」
一緒に列へ並ぶと窓からは中の様子が見える。焼き上がったパンが運ばれる度に店内が賑わい、甘い匂いと香ばしい匂いが流れてきた。
順番待ちだが、不思議と悪くない時間だった。
◇
話していると、順番が回ってくるまで、それほど時間を長く感じなかった。
店内に入ると、焼きたての香りをより強く感じる。
棚には様々な種類のパンが並んでいた。
丸い形や細長い形のもの。
果実を使った甘そうなもの。
香草が練り込まれたもの。
「多いな」
思わず呟く。
「ね」
隣でも迷っているらしい。
「おすすめとかあるのか?」
「知らない」
「聞いた店じゃなかったのか」
「聞いただけだもん」
言われてみればその通りだった。
結局、二人とも気になった物をいくつか選ぶ。
店を出る頃には紙袋が少し温かくなっていた。
「どこで食べよっか?」
辺りを見回す視線の先に小さな広場が見えた。
噴水近くの長椅子も、朝だからか人も少ない。
「あそこでいいんじゃないか」
「賛成」
長椅子に隣り合って座る。
紙袋を開くと焼きたての香りがまた広がった。
「いただきます」
一口食べた途端、エアルの目が輝いた。
丸い形に上からクッキー生地と砂糖のかかった甘い匂いのするパンを口いっぱいに頬張っている。
「おいふぃ」
「そんなにか?」
食べながらの感想に今度は自分も食べてみる。
切られたバゲットにバターと魚の卵をペースト状にしたものが塗られている。外は少し固く、中は柔らかい。ピリッとした味が癖になりそうだった。
「……確かに美味いな」
「でしょ」
お互いにとても満足そうだった。
しばらくの間、黙って食べる。
街を眺めながら食べるパンは思ったより悪くない。
「そういえば」
いくつ目かのパンを持ったエアルから声が掛かる。
「森で会った時も一緒に朝ご飯食べたよね」
「あー……」
思い出す。
確か干し肉を使ったサンドだった気がする。
「今と差が酷いな」
「そんな事ない。人生で一番美味しかった」
「一番って、大げさだな」
「本当だよ」
少しだけ肩を竦めると鐘の音が響いてくる。
せっかくの楽しい時間に水を差された気分だ。
「最初の頃は街に行くのも嫌そうにしてたよね」
「嫌いな鐘のある場所って感じだったからな」
「今は?」
聞かれて少し考える。
ギルド。
宿。
街。
以前なら考えもしなかったものが頭に浮かぶ。
「……どうなんだろうな」
「悩んでるね」
「そう、かもな」
楽しそうな視線とぶつかる。
「でもエアルだってかなり変わっただろ」
「わたし?」
「森で会った時はもっと距離あったな」
一瞬だけ言葉に詰まる。
「……そうだっけ」
「そうだったぞ」
少なくとも、今みたいに気軽に部屋を訪ねて来たりはしなかっただろう。
パンを持ったまま少し黙り込んだ。
「うーん……まぁ」
やがて小さく息を吐いた。
「今の方が楽しいからいいんじゃないかな」
そう言ってパンを齧る。
レイも残りを食べながら空を見上げた。
雲の少ない、穏やかな朝だった。
「そういえば手紙はどうするの?」
今度は本当に思い出したように言う。
ようやく本題が戻ってくる。
「まだ考え中」
「だと思った」
まったく驚いた様子はない。
「エアルならなんて書く?」
「わたし?」
少し考え込む。
「うーん……」
そして困ったように眉を下げた。
「分かんない」
「何だよそれ」
「だって普段そんなの書かないもん」
それはそうだった。
「教会への報告とかなら書くんだけどね」
「それは手紙なのか?」
「一応?」
微妙なラインだった。
そんなやり取りがおかしくて少し口元が緩む。
「でもさ」
パンを片手に持ったまま続ける。
「別になにか凄い事を書かなきゃいけない訳じゃないと思うよ」
「そうか?」
「うん。無事だ、とか、ご飯ちゃんと食べてるとか」
「それだけ?」
「心配してる人なら、それだけで嬉しいんじゃないかな」
言いながら少しだけ視線を逸らした。
「まぁ、わたしはあんまり書かないから分かんないけど」
「説得力無いな」
「うぅ、否定できない」
気付けば紙袋の中も空になっていた。
「どうする?」
「少し歩いてから戻るか」
「そうしよっか」
二人は立ち上がる。
気が付けば日も高くなっていた。
◇
それからは特に目的も決めずただ街を歩いた。
中央区の奥へ進む訳でもなく、他の区域に行く訳でもない。店先を眺めながら気になった物があれば足を止める。
楽器を並べた店。
色鮮やかな布を吊るした店。
窓越しに本が並ぶ書店。
普段なら立ち寄らないような場所ばかりだった。
「キミは本を読む事ある?」
本が並ぶ店先で聞かれる。
「師匠の家にあった本は読まされたな」
「読まされた?」
「そう」
思い出しただけで嫌になる。
魔法や魔術、森で生きる為の知識。
必要だからと散々読まされた記憶がある。
「それ勉強じゃない?」
「今思えば、そうだったかもな」
そんな話をしながら再び歩き出す。
特別な話は何もない。
気になった屋台で食べ、通りを歩く人を眺める。
話題も次々変わっていく。
たまに訪れる沈黙も不思議と嫌いじゃない。
気が付けば通りを行き交う人の数も少なく見えた。
「そろそろ戻る?」
空を見上げながら聞かれる。
「そうだな」
二人で宿への道を歩くと、中央区の空気が少しずつ遠ざかり、見慣れた西区の景色に変わっていく。
鍛冶場から響く金属音。
荷車の軋む音。
通りを行き交う冒険者達。
もう見慣れた街並み。
宿に着く頃には夕暮れが近づいていた。
「じゃあ、わたしは部屋に戻るからまたご飯の時に」
入口で振り返る。
「手紙、頑張ってね」
「善処する」
「信用できないなぁ」
そう言って手を振ると、そのまま階段を上がっていった。その姿を見送ると、受付でランプを借りて自分の部屋に戻る。
◇
部屋の中は朝と何も変わっていなかった。
机と椅子。
荷物。
そして便箋。
相変わらず真っ白なまま置かれている。
椅子へ腰を下ろす。
窓の外は赤く染まり始めていた。
通りからは人の声や食事時の賑わいも聞こえる。
少し前なら煩いと思っていたが、今は不思議と気にならない。
机に視線を落とす。
無事だった事。
街に着いた事。
今日歩いた通り。
朝のパン屋。
なんでもない会話。
思い返せば書ける事はいくらでもあった。
「……まぁ」
小さく息を吐く。
何を書けば喜ばれるのかは分からない。
それでも、書ける事はいくつも浮かんでいた。
ペンを取り、便箋を引き寄せた。
白い紙に最初の一文字を書いた。
少し考え、また続きを書いた。
静かな部屋に紙を擦る音だけが落ちる。
書きたい事は、思っていたより多いらしかった。




