第10話 旅人たちの夜
夕暮れの風が草原に吹いて、頬をゆっくりと撫でる。
空はもう茜色に染まり始めていた。
大きな木柵で囲まれた村、ウェール。
門の近くでは荷馬車が数台停まり、人々が慌ただしく荷物を運んでいる。
「……なんか、思ったよりも人がいるんだな」
商人らしき男達の、日が暮れる前に荷卸しを終わらせろという怒鳴り声が聞こえてくる。遠くからは子供達の笑い声。馬は草を喰みながら嘶き、動く馬車と水車の車輪はそれぞれ違う音を出して回ったりと、様々な音が混ざり合っていた。
「ここは中継村だからね」
隣を歩くエアルが説明する。
「南の方から街へ向かう商人さんとか、冒険者も結構通るし、ここで泊まる事も多いんだよ」
「へぇ……」
門の近くに辿り着くと、門番の男がこちらに気が付く。
「お、エアルちゃんじゃねぇか」
「こんばんは!」
どうやら顔見知りらしい。
男は安心したように笑った後、レイへ視線を向ける。
「そっちの兄ちゃんは?」
「あー……旅人、みたいな?」
「なんで疑問形なんだ?」
「迷子だったところを拾ったんです」
「言い方」
くすくす笑いながら門番に説明していた。
正面の男もつられて笑いながら、門を通してくれる。
「今日は泊まりか?」
「はい。調査報告もしたいので」
「なら村長んとこ寄っとけ。酒場の親父にも伝えとく」
「ありがとうございます」
二人は村の中へ足を踏み入れる。
途端に、増えた人の気配に自然と周囲を見回す。
木造の家々。干された洗濯物を取り込む女性。
忙しそうに動く男達と、露店から漂う焼き物の匂い。
やっぱり森とは全然違うな、そんな事を考えながら歩いていると、チラチラと視線を感じた。
「なんか見られてる気がする。変じゃないよな?」
「特に変じゃないよ?冒険者は大体そんな感じだし」
うんうん、と頷きながら
「でもキミ、目立つからなぁ」
「そうか?」
「そうだよ?だから」
背伸びをしたエアルから手が伸びてくる。
コートのフードを軽く摘まみパタパタと動かされる。
「これ、被っといた方がいいかも」
「でも被る方がおかしくないか?」
「うーん、変というか……目立つからなんだよね」
「???」
「……自覚ないんだ」
呆れたように言いながら、ぽすっとフードを被せられると、視界が少し暗くなった。
「これならちょっとはマシかな?」
「そんな変わるか?」
「変わるの!」
妙に真剣な顔だったので、戸惑いながらも素直に従う事にしたら、心なしか視線は減った気がする。
その後、村長に報告を済ませたエアルと一緒に紹介された宿兼酒場へ向かって歩く。
◇
見えてきたのは木造の二階建てだった。一階は酒場になっているらしく、外からでも賑やかな声が聞こえてくる。
木製の扉を開けた瞬間。
「おぉぉぉい!酒追加だ酒ー!」
「だから飲み過ぎだって!この前もテメェはーー」
「うるせぇ!今回は儲かったんだよ!!」
騒がしい声と熱気が一気に押し寄せてきた。
レイは思わず立ち止まる。
「うるさいな…」
「夜は何処もこんな感じだよ」
慣れてるらしく、迷いのない足取りに着いていく。
店の中では商人や冒険者らしき男達が机を囲み、酒を片手に盛り上がっていた。奥では大柄な店主が豪快に笑っている。
「お、この前の嬢ちゃんか!」
「こんばんは、店主さん」
「調査帰りか?」
「うん。今日も泊まりたいんだけど空いてますか?」
「おう、二部屋空いてるぞ」
そう言いながら、店主の視線がこちらへ向く。フードで顔は半分程隠れているはずだが、店主はエアルにスッと近寄って来て小声で喋りかける。
「……彼氏か?」
「っ!?」
よく聞こえなかったが、いきなり咳き込み始める。
近くの客達も、なんだなんだ?とこちらを見ている。
「ち、違いますよ!?」
「本当か?コレ、なんじゃないのか?」
ニヤニヤ笑う店主がわざとらしく小指を立てて見せる。
「本当に違うんです!!」
顔を真っ赤にしながら否定している。
思わず横で首を傾げた。
「急に叫んでどうしたんだ?」
「キミは黙ってて!?」
周囲の冒険者達が冷やかし始め、ある事ない事構わず噂を広めようとする。その様子を見ていた店主の奥さんが、楽しそうに笑う。当の本人は恥ずかしいのか耳まで真っ赤にしていた。
「仲良さそうじゃないか!部屋は一つにするかい?」
「だから違いますってぇ……!」
「「ははは!!」」
騒がしい。よく分からないけれど、不思議とこの騒がしさが嫌ではなかった。レイは店の中をぼんやり見回す。
あちらこちらにお酒の匂い。次々と運ばれてくる料理の湯気。止むことのない熱気と笑い声。前に師匠と訪れた村では聞くことの無かった、森では存在しない音ばかりだ。
「とりあえず飯は食うか!?」
店主が机をばんばん叩く。
「今日はシチューと焼き肉だぞ!」
「食う」
即答すると、もう機嫌が戻ったのか隣から笑い声。
「キミ、ほんと食べ物好きだよね」
「腹も減ったし、エアルだって食べるの好きだろ?」
「それはそうなんだけど……」
二人は空いていた席へ腰を下ろして待つ。
しばらくすると料理が運ばれてきた。
湯気の立つシチューにはごろごろとした肉と野菜が浮かび、焼かれて出てきた分厚い肉からはスパイスの香りが立ち昇る。一緒に出てきたパンは少し硬めだったがシチューに浸して食べる分にはちょうど良さそうだ。
「美味そうだな…」
「ふふっ」
エアルはそんな様子を楽しそうに見ていた。
周囲ではまだ賑やかな声が続いている。
その時だった。
カァァン……。
低く、小さな鐘の音が響く。
その音に思わず手が止まり、僅かに眉を顰める。
「……どうしたの?」
「いや、何でもない」
村の鐘。森でも聞こえた街の鐘ほどじゃない。
でも、少しだけ耳障りだった。
周囲の人達は誰も気にしていない。
むしろ安心したように笑い合っている。
その温度差を感じながら、ぼんやりと眺めていた。
「おかわりいるかー!?」と店主の声。
「いる」
気が付けば、考え事よりも食欲が勝っていた。
◇
食事を終えた後はそれぞれ案内された部屋に向かい、
「じゃあ、また明日の朝」
「あぁ」
階段を上がると、言葉を交わしてそこで別れる。
部屋の扉を閉めると、酒場の喧騒が少し遠く感じた。
「静かだな……」
一人の空間でぽつりと呟く。
森の静けさとは違う。外や階下からはまだ人の話し声が聞こえていたし、馬の鳴き声や荷車の音も微かに届いてくる。音が多いはずなのになぜか落ち着けていた。
荷物を下ろし、椅子へ腰掛ける。
小さな部屋には簡素な机と椅子、ベッドだけ。
ランプの貸し出しもあるが、今回は借りなかった。
それでも不思議と悪くない。
窓の外へ視線を向けて、ぼんやりと眺める。
片手にコーヒーがない事が少し、寂しかった。
初めての村。見知らぬ人達とその生活。
森の外には色々なものがあるとは知っていた。
「……面白かったな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
思い返せば、この数日だけでも初めてばかりだった。
楽しそうに笑う少女の顔がふと頭を過ぎる。
少しだけ思い出して笑い、立ち上がる。
明日はあの街へ向かう。
まだ見た事はない場所。
どんな景色が待っているのか。
そんな事を考えながらベッドに横になっていると、いつの間にか意識が薄れていた。
ーー最近はもう、夢を見る事もない。
◇
翌朝。
目を覚ますと村はもう動き始めていた。
荷馬車に積み込みをして出発の準備をしている商人と近くで待機する冒険者達。水汲みや畑仕事に精を出す村人達。何処からか香ってくるパンを焼く匂い。
窓から入ってくる朝の空気は少し冷たい。
身体を起こしながら軽く息を吐く。
「ん……?」
何となく違和感があった。
昨夜は久しぶりにしっかり眠れたはずだ。
身体も重くないが、どこか感覚が鈍い気がする。
意識を向ければ、ちゃんと魔力は流れている。
問題はない。ただ、少しだけ回復が遅い気がした。
「……気のせいか」
初めての環境で感覚が鈍っているだけだろう、と深く考えるのをやめ、肩を回しながら立ち上がる。近づく出発の時間に向けて身体をほぐしていく。
◇
「んー……」
宿を出たレイは、小さく伸びをする。
その隣で、エアルが笑った。
「ちゃんと眠れた?」
「まぁまぁ」
「キミ、夜遅くまで下見てたでしょ」
「珍しかったからな。でもしっかり休めた」
人の営み。
知らない景色。
知らない音。
それらを眺めているだけで、どこか楽しい気分がしていた。今までなら夜更かしを咎める側だったのに不思議だな、なんて思った。
二人はまだ焼きたてで柔らかい小麦の香りがするパンを幾つか入った袋を片手に、街の方へ続く道に向かう。村の外に出る頃には、明るくなり始めて太陽も顔を出す所だった。広くなった道には馬車も通っていて、エアルが話しかけると、街の近くまで向かう馬車に乗せてもらう事になった。
しばらく進んでいると、街道を道なりに歩いている人も増えていた。エアルに聞くとオレ達より早く出発した人達や他の街道から合流した人達らしい。
「街って、あとどれくらい?」
「夕方前には着くと思うよ」
「遠いなぁ……」
「この丘からなら少しは見えるんじゃないかな?」
エアルが前を向いたまま言う。
「ほら、あそこ」
その先。丘を下った地平線の向こう側。遥か彼方に微かな小さな影が見え始めていた。おそらく外と街を隔てる大きな城壁と巨大な門。高さが違うのか、壁の奥にもう一つ壁がある様に見える。そして多くの建物と一際目立つ、空へ向かって伸びる塔。
「あれが……街?」
「うん」
エアルが笑う。
「キミが行きたがってた場所」
レイは少しだけ目を細めた。
鐘の音がする世界。
人が生きる世界。
まだ知らない景色の先へ向かって、二人は歩き出す。




