第37話 選ばせるひと
夜の空気はやわらかかった。
昼のざわめきが嘘みたいに、静かで、穏やかだった。
ユリウスは外にいた。
教会の敷地の外。
境界線の、ほんの少し向こう。
意味は分かっている。
ここにいれば、“制限”の外にいられる。
そして――
「来たんだ」
声がした。
振り向くとセラフィナが立っていた。
最初からそこにいたみたいに自然に。
「……ああ」
ユリウスは短く答える。
それで十分だった。
セラフィナは少しだけ近づく。
距離が、迷いなく縮まる。
「怒られた?」
軽い調子。
責めない。
ただ聞いた。
「……まあな」
ユリウスは肩をすくめる。
「外出るなってさ」
「そっか」
セラフィナは頷く。
驚きもしない。
「正しいね」
あっさりと言った。
ユリウスが顔をしかめる。
「……そう思うのか」
「うん」
即答。
「だって、危ないし」
あまりにも普通の理由。
それが逆に、少しだけ引っかかる。
「……じゃあ、なんで来た」
ユリウスが聞く。
少しだけ強く。
セラフィナは少しだけ目を細めた。
それから、優しく言った。
「来ちゃだめ?」
問い返す。
責めない形で。
ユリウスは言葉に詰まる。
「……そういうわけじゃねえ」
「でしょ?」
小さく笑う。
勝ちでも負けでもない。
ただ、自然に流す。
「ねえ」
少しだけ声のトーンが落ちる。
落ち着いた、静かな響き。
「どうするの?」
短い問い。
ユリウスは黙る。
「戻る?それとも…」
一歩だけ近づく。
距離がかなり近い。
「こっちにいる?」
選択を提示する。
強制しない。
だが、逃げ道は残さない。
ユリウスは視線を逸らす。
考える。
教会の中。
あの空気。
切り離される感覚。
そして、ここ。
目の前の存在。
ちゃんと話せる。
ズレない。
理解できる。
答えはほとんど出ていた。
「……少しだけ」
小さく言う。
「ここにいる」
それは、逃げではないつもりだった。
選択のつもりだった。
セラフィナはやわらかく微笑んだ。
「うん」
それだけを言う。
肯定する。
何も求めない。
それ以上も、それ以下もない。
「それでいいと思うよ」
静かな声。
ユリウスの肩の力がほんの少しだけ抜けた。
「……お前はさ」
ふと、口を開く。
「なんでそんなに落ち着いてんだ」
素直な疑問。
セラフィナは少しだけ考える。
それから、答えた。
「決めてるから」
「何を」
「言ったでしょ」
軽く言う。
「残すもの」
ユリウスは黙る。
「私はね」
少しだけ視線を落とす。
それから、ゆっくり上げた。
「ちゃんと綺麗なものだけ、残したいの」
穏やかな言葉。
優しい響き。
だが、どこか冷たい。
「……汚いのは?」
ユリウスが聞く。
セラフィナは少しだけ笑った。
「残さない」
迷いなく。
即答。
ユリウスは言葉を失った。
それは、あまりにもはっきりしている。
「でもね」
すぐに続ける。
「無理に消すわけじゃないよ」
優しく言う。
「ただ、選ぶだけ」
ユリウスはそれを聞いた。
理解はできない。
だが、否定もできない。
「……俺は」
言いかける。
自分が、どっちなのか。
「――」
言葉が出ない。
セラフィナはそれを見ている。
じっと、静かに。
そして、そっと言った。
「ユリウスは、大丈夫だよ」
やわらかく、確信を持って。
「ちゃんと残るほう」
その一言で、胸の奥が少しだけ軽くなる。
安心する。
理由もなく。
ただ、そう言われたから。
それで十分だった。
「……そっか」
小さく呟く。
それ以上は聞かない。
聞く必要もない。
答えは、もうもらっているから。
夜は静かに続く。
何も壊れていないように見える場所で。
ただ、少しずつ、確実に、選別が進んでいた。




