第33話 続いてしまうもの
街は変わらなかった。
少なくとも、見える範囲では。
人は歩いている。
店は開いている。
声が交わされ、金が動き、日常が続いている。
それは、あまりにも普通だった。
ユリウスは通りを歩いていた。
ゆっくりと周囲を見ながら。
教会の中とは違う。
空気は軽い。
言葉も、途切れない。
それでも――
「……おかしいな」
小さく呟く。
違和感は、消えていなかった。
ただ、形が違う。
「昨日さ、その人に会って――」
通りの端で、二人の男が話している。
「へえ、どんな人だった?」
「ええと……」
言葉が止まる。
数秒。
考える。
「……いや、なんか、普通の人で」
曖昧な答え。
「……顔とか、覚えてないのか?」
「覚えてるはずなんだけどな」
笑う。
軽く。
「まあ、いいや」
それで終わる。
違和感は、その場で処理される。
深く掘られない。
問題にならない。
成立してしまう。
ユリウスは足を止めた。
その光景を見ている。
教会の中と同じだ。
規模が小さいだけで、本質は変わらない。
それでも誰も気にしていない。
気づいていない。
あるいは、気づいても“どうでもいい”として流している。
それが逆に気持ち悪い。
「……なあ」
近くの店主に声をかけた。
「最近、変なことないか」
店主は顔を上げる。
「変なこと?」
「なんかこう……忘れるとか」
「ああ」
すぐに頷く。
「あるな」
あっさりと。
「最近ちょっと多いかもな」
笑う。
「歳のせいかもしれんが」
冗談めかして言う。
「……気にならないのか」
ユリウスが聞く。
少しだけ強く。
店主は首をかしげる。
「まあ、困るほどじゃないしな」
「そのうち思い出すだろ」
軽い。
あまりにも。
「……」
ユリウスは何も言えない。
違う。
それは、思い出しているんじゃない。
最初から“そこにない”んだ。
だが、それを言っても意味はない。
この街では、それが問題にならない。
問題として成立していない。
ユリウスは店を離れた。
歩く。
足が止まらない。
落ち着かない。
胸の奥がざわつく。
視線が揺れる。
人を見る。
誰も普通だ。
それなのに、どこかが欠けている。
そのとき、
「……ユリウス」
声がした。
少し離れた場所にセラフィナが立っていた。
穏やかな表情。
変わらない輪郭。
「……また会ったな」
「うん」
自然に頷く。
「偶然ってことにしておく?」
軽く笑う。
冗談みたいに。
ユリウスは少しだけ息を吐いた。
肩の力が抜ける。
それだけで、分かる。
ここだけ、ちゃんとしている。
「……街も、変だ」
ユリウスが言う。
セラフィナは少しだけ視線を巡らせて、周囲を見た。
「うん」
短く答える。
「でも、まだ軽いね」
落ち着いた声。
「軽い?」
「教会の中ほどじゃない」
当たり前みたいに言う。
「だから、みんな気にしてない」
ユリウスは黙る。
その通りだと思う。
「……広がってるのか」
「うん」
即答。
迷いがない。
「でもね」
少しだけ近づく。
「全部が同じ速さじゃない」
柔らかい声。
「濃いところから薄いところへ、ゆっくり広がる」
ユリウスは眉をひそめる。
「……じゃあ、そのうち全部」
「そうなるかもね」
あっさりと言う。
軽く。
重くない。
それが逆に怖い。
ユリウスは言葉を失った。
街を見る。
人を見る。
日常を見る。
壊れているのに、続いている。
それが、何よりも異常だった。
「……嫌だな」
ぽつりと呟く。
本音だった。
セラフィナは少しだけ笑う。
「そうだね」
否定しない。
「でも」
一歩近づく。
距離が縮まる。
「全部が壊れる前に、できることもあるよ」
ユリウスが顔を上げる。
「……なんだ」
セラフィナは答えない。
少しだけ考える。
それから、優しく言った。
「ちゃんと、残したいものを決めること」
静かな声。
「全部守ろうとすると、たぶん無理だから」
ユリウスはその言葉を聞く。
理解はしきれない。
だが、何かが刺さる。
「……お前は、何残すんだ」
思わず聞いてしまった。
セラフィナは少しだけ止まった。
ほんの一瞬。
それから、微笑んだ。
「秘密」
軽く言った。
冗談みたいに。
それ以上は言わない。
ユリウスはそれを見ていた。
違和感はある。
だが、嫌じゃない。
むしろ、安心する。
ここだけは、ちゃんと繋がっている。
そう思ってしまう。
街は動き続けている。
何も変わらないように見えるまま。
少しずつ、確実に壊れながら。




