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やがて霧に還る  作者: いづくにか
ノクス編
31/75

第31話 向けられない刃

 夜は静かだった。


 風もなく、音もない。


 教会の庭をレオンは歩いていた。


 いつも通りのはずの場所。


 だが、足取りは重い。



「……くそ」


 小さく吐き捨てる。


 分かりやすい敵ならいい。


 殴ればいい。


 殺せば終わる。


 だが今は違う。


 何も掴めない。


 何も壊せない。


 それが一番厄介だった。




 足が止まった。


 気配が近い。


「……誰だ」


 低く言う。



 闇の中、一つの影が揺れる。


 ゆっくりと近づいてくる。


 足音は、ある。


 だが、妙に軽い。


「……ノア?」


 レオンが眉をひそめる。



 月明かりの下、ノアが立っていた。


 姿はいつも通り。


 服も、立ち方も変わらない。


 だが、何かが違う。



「……こんな時間に何してる」


 レオンが聞く。


 警戒は解かない。


 ノアは答えない。


 少し遅れて、顔を上げた。


 目が合う。


 その瞬間、違和感が確信に変わった。


 ――焦点が合っていない。



「……ノア」


 レオンがもう一度呼ぶ。


 低く。


 今度ははっきりと。



 ノアが口を開く。


「……いた」


 小さく呟く。


 安堵のような、それでいて、何かを見つけたような声。



「……やっと」


 ゆっくりと歩き出し、距離を詰める。


「……お前、止まれ」


 レオンが言う。


 だが、ノアは止まらない。


「……やらないと」


 同じ言葉を繰り返す。


「……なにをだ」


 レオンの声が低くなる。


 ノアは答えない。


 ただ、歩いてくる。



 距離が縮まる。


 五歩。


 三歩。


 一歩。


 そのとき、ノアの手が動く。


 懐に入る。



 ――刃。


 短いナイフ。


 反射で、レオンの身体が動いた。


「っ!」


 振り下ろされる。


 速くはない。


 だが、迷いがない。


 一直線。


 殺意だけがそこにある。



 レオンが腕でノアの手を弾いた。


 軌道がずれ、ナイフが空を切った。


「……っ、何してんだてめえ!」


 叫ぶ。


 ノアは止まらない。


 すぐに次の動きに入る。


 踏み込む。


 距離を詰める。


 もう一度、振る。


「……!」


 レオンが掴む。


 手首を。


 強く。


 止める。


「……やめろ!」


 力で押さえ込む。


 ノアの腕が止まる。


 だが、身体は前に出る。


 止まらない。



「……どけ」


 低く言う。


 感情が乗っていない声。


「……邪魔するな」


 レオンの背筋が冷える。


 知っている声じゃない。


 ノアの声のはずなのに、中身がない。



「……誰をやるつもりだ」


 レオンが睨む。


 問いかける。


 ノアの目が揺れる。


 一瞬だけ。




 答えない。


 答えられない。


 空白。



 その代わりに、ナイフを握る手に、力が入った。


「……やらないと」


 もう一度。


 同じ言葉。


 それだけが残っている。


「……くそが」


 レオンが舌打ちする。


 理解する。


 これはもう会話が通じる状態じゃない。


 力で止めるしかない。



「……エリアス呼ぶぞ」


 低く言う。


 ノアの反応を見るために。


 わずかに、ノアの目が動く。



 その瞬間。


 わずかに、ほんの一瞬だけ、戻った。


「……え」


 声が漏れる。


 自分の手を見る。


 ナイフ。


 レオンに向けられている。


「……俺、何……」


 混乱。



 だが、長くは続かない。


 すぐに消える。


 再び、焦点がぼやける。


「……やらないと」


 戻る。


 完全に。


「……っ!」


 レオンが強く腕をひねると、音を立てナイフが落ちた。


 そのまま、身体を押さえつける。


 膝をつかせる。


「……動くな!」


 怒鳴る。


 ノアは抵抗する。


 力は強くない。


 だが、止まらない。


 無駄に動き続ける。


「……くそ、エリアス……!」


 レオンが叫ぶ。


 声が夜に響いた。




 数秒後。


 足音。


 エリアスが現れた。


 状況を見て、一瞬で理解する。


「……ノア」


 静かに呼ぶ。


 ノアの動きが、わずかに止まる。


 名前に反応する。


 だが、それだけ。



「……抑えてください」


 短く言う。


 レオンが力を強める。


 エリアスは近づく。


 目の前に立ち、まっすぐにノアを見た。


「……ノア」


 もう一度。


 今度は、少しだけ強く。


「あなたは、誰を殺そうとしているのですか」



 沈黙。


 ノアの呼吸が荒い。


 目が揺れる。



 口が開く。


「……」


 言葉が出ない。


 何も。



 空白。


 完全な。



 その瞬間、エリアスは理解した。


 一瞬、目を閉じる。


 そして、開いた。


「……そうですか」


 静かに言う。


 すべてを受け入れるように。



「理由だけが残っている…対象が消えている」


 レオンが顔をしかめる。


「……何言ってんだ」


 エリアスは答える。


 落ち着いた声で。


「止めなければなりません」


 迷いはない。



「……どうやってだ」


 レオンが低く聞く。


 エリアスは一瞬だけ沈黙する。


 それから、答える。


「……分かりません」


 はっきりと。


 その言葉は、重く落ちる。


 教会の中で、初めての“完全な無力”だった。





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