プルデンテの立場
幼児の言葉遣いって文にすると難しいよねっていう。
夜になり、入浴を終えたプルデンテは寝室にてアストゥートを出迎えた。体を包む温もりを心地良く思いながら、ベッドへと足を進める。
「テオドラは?」
「先程、お部屋に行きましたら眠っていました。本日は抱っこしながら城塞内をお散歩したのです。様々なものに反応して、声を上げて暴れるほどでしたので、あの子も疲れてしまったのかと思います」
「感情が乏しいなど言う者もいるが、ただ単に何に好奇心を抱くかの違いでしょうね。あの子が元気だと分かると嬉しいものだ」
「明日はお時間ありましたら、どうかあの子のお話相手になってくださいませ」
「勿論、顔を合わせなければ父親だと忘れ去られそうだ」
ベッドの縁に腰を下ろせば、彼女の肩を抱いていた骨ばった手が腰に流れ落ちるように移動した。彼へとしっかりと巻き付けられて、引き寄せられる。プルデンテは、ガウンの合わせから見える胸筋に頬を寄せることで、実際に逞しいという感触を得る。
「貴方に抱き上げられたときのお顔を見るに、きちんとお父様だと認識していると思いますわ」
「あれは知らなかったものを目にして興味を抱いたといった様子だが・・・まあ、怖がられてはいないことを喜ぶべきでしょうね」
二人は見つめ合いながらも言葉を交わしていた。見上げる彼女の顔を、アストゥートは決して目をそらさずに、瞬きも少なく見下ろしていた。
「怖がられるはずがありません。アストゥートは人目を奪う美男子ですもの。恐れを抱く要素はありませんわ」
「・・・貴女から見て美しいと感じられるなら、この父に似た容貌も捨てたものではなかったな」
「バジーレ辺境伯とアストゥートはあまり似ていないと思いますが・・・そうですね、それは内面と私の心象によるものでしょう。似てはいらっしゃいます。ただ、私が美しいと思うのはアストゥートだけです」
「プル・・・」
恥ずかしさを得たのか、珍しくはにかんだ彼は、プルデンテの顔に近付くとその額にキスを落とした。こそばゆくも優しい触れ方に、彼女は嬉しさから小さく笑みを零す。
アストゥートの力が加わったことで、拒否の気持ちはないプルデンテはベッドに背中を預けた。覆い被さる彼の顔を見上げながら、その頬に右手で触れて撫で下ろす。
「この様なときに話すべきではないが」
「・・・はい、何でしょう?」
熱い息を漏らしたあとで、アストゥートは小さな声で言葉を漏らした。彼女は視線を合わせながら続きを待つ。
「父が、領都の守備部隊の指揮を任せていた部隊長を、領内の鉱山町の守備隊に左遷しました。どうやら、その男が貴女のことを父に吹聴していたようです。俺の部隊にいる諜報員の報告では、その部隊長は貴女に対して偏向意識があり、以前からある噂に推測を交えて父に吹き込んでいたそうだ」
「まあ・・・」
彼の手がプルデンテの頬を包み、すぐに撫で下ろされて、首筋から肩まで動く。彼女の華奢な肩は骨ばった手に掴まれると、親指がネグリジェの布地の上から肌をなぞる。
「名目上は、バジーレ家内の不和を招く危険思想による更迭だそうですが、父の考えなど俺にはよく分からない。恥をかかされたから処分をした可能性もあります。あいつはプライドが高いで、自分の半分程度の年齢、しかも女性に圧倒されたというのは恥となる。しかし、貴女は降嫁はしても王家の血を持つ姫君という認識のままだ。貴女の激昂で不義の子という妄言も頭から吹き飛んでいるでしょう。あれでも王家に対する忠誠心はあるので、姫たる貴女に害を加えることはできずに部下に怒りをぶつけた。そう言った可能性もあります」
「そうですね・・・バジーレ辺境伯のお考えは私にも察せません。城塞にいらっしゃれば、離れた場所から私が抱くテオドラを眺めています。王家の色を持つあの子に不満を抱いているのかと思いましたが、あれ以降は言葉を交わすこともありませんもの。もし考えを改めてくださったとしても、異様ですので近付けませんわ」
「辺境伯が盗み見など品性のない」
吐き捨てるように言うアストゥートに、プルデンテは小さく笑みを漏らした。
「盗み見ではありませんわ、堂々と上階の窓からこちらを眺めています。何かしら思うことがあるのでしょうが、何も言わずであれば、私は気に留めません。私の生まれに対する噂話も、吹聴していた方が処罰を受けたことも、過ぎたことを言及するつもりはありません。私はテオドラの母であり、貴方の妻。自分の務めを果たすまでです」
「務めか・・・」
肩を撫でていた手が、ネグリジェの前ボタンに触れた。視界に映るアストゥートの金色の瞳は、妖しい光を湛えている。
「俺と肌を合わせるのは務めだからですか?」
「いいえ、これは妻の喜びですわ。貴方に愛していただけるのですもの」
思うことで心臓が高鳴り、体温も上がって体は熱くなった。顔も朱に染まっているだろうと見えずとも自覚しながら、プルデンテは彼の体に手を伸ばす。
「お望みのままに、私を愛してくださいませ」
「・・・貴女がいない一週間は短くとも苦痛だった。こうして触れられることができてると、苦しみは消え失せる」
ボタンは全て外されて、体の前面が露わになる。彼女の柔らかな体をアストゥートは抱き締めた。
耳元に感じる息遣いと重なった体から、彼はプルデンテの香りと温もり、柔らかさをただ感じているだけだと分かった。
「・・・まだテオドラが赤子だが、もう次の子が欲しいな」
「次こそは男の子で」
「そういうことは考えなくていいのです。俺はただ、貴女との子供を何人も欲しているだけだ。俺達が愛し合った証は多ければ多いほどいい」
「まあ・・・」
頬にキスを受けたプルデンテは、流し目を向けることでアストゥートと目が合った。細めた金色の瞳の目には熱に浮かされているようで、求められていると理解する。
「アストゥート・・・」
僅かに頭を寄せれば彼の顔が動き、唇が重なる。次第に深くなるキスに、彼女の思考も溶けていく。
アストゥートと愛を交わし、テオドラの成長を見守ること三年。バジーレ家では、プルデンテの立場は確固としたものとなった。義父のバジーレ辺境伯とは口を出さず、関わりもない。彼は頻繁に領内の巡回をすることで城塞を空ける。息子の家族に興味はあるようだが、やはり遠くから眺めているだけだった。
家内の者達の見方も変わっていた。物怖じせずに義父に挑んだことで、プルデンテという元王女は見直された。余計で余分なことはしない大人しい気質。影を薄くして夫のアストゥートの後ろに控えて立てる性分。ただ、納得のできない事柄には自ら声を上げて、解決まで詰めるという真面目な性格。何より、彼女は女性が絶えなかったという噂のあったアストゥートの寵愛を一身に受けている。次期辺境伯から信頼と愛情を受けた貴婦人である。
これこそが、今のバジーレ家でのプルデンテの評価。悪感情を抱き、蔑ろにしていた騎士や兵士、使用人達も彼女に対する非礼を詫びた。今では彼女自身を認めて仕えている。
態度を変えなかった者達は、居場所を失ったためかバジーレ家から去って行った。全ての人に認められる人間などいないと理解しているプルデンテは、ただ人が合わなかったとして彼らを見送るに留まる。
彼女は、納得することで自身を取り巻く環境を受け入れていた。
娘のテオドラもバジーレ家の令嬢として受け入れられている。成長により顔立ちもプルデンテ、彼女よりもなぜか一番目の姉ディニタに似ているが、煌めく銀の髪と澄んだ青い瞳を持つテオドラは美しく成長すると約束された王家の姫君そのものだった。
バジーレ家由来の要素は少ない。だが、相変わらず感情が乏しく、ほぼ無表情であることが、幼い頃のアストゥートを彷彿させるらしい。長年勤めている老齢の使用人達から教えられ、だからこそ受け入れられているのだとプルデンテは理解した。
まだ歩みが覚束ないながらも、好奇心に触発されてどこでも行ってしまいそうな彼女を、見守りながら感慨深く思う。
「おかしゃま、あの人がつるぎをふりゅましてるの、あれはなんでしょ?」
「兵士の詰所と訓練所ですよ。あちらで戦いのお勉強をしていらっしゃるから、皆様は強いのです」
「テオドラもつるぎをふりゅまします!つおくなります!」
「貴女にはまだ早いわ」
珍しく感情を露わにしたテオドラが、詰所に駆け込もうとした。急いで女性の護衛騎士が引き止めて抱き上げる。感情が乏しいはずであるのに、今回ばかりは不満だと唸り声を上げ、騎士の首や胸を押して暴れる。思わずプルデンテは苦笑した。
「もう少し大きくなってからですよ。バジーレ家の子女、そうですね・・・このお家の子供として、先生から戦いのお勉強をすることになります。それまでは危ないからいけませんよ。もう少しお姉さんになってから・・・」
腹を締め付けないゆったりとしたエンパイアラインのドレスを身に着けた彼女は、そっと腹部を撫でながら、不満だと手足をバタつかせるテオドラを宥めるために告げる。
「お嬢様がこれほどまでに感情を見せるなんて、元気が有り余っていらっしゃる」
「乳児の頃から騎士の方々、飾られている武器防具に興味を持っていました。目の輝きが他と違いますから、生まれつき戦士というものに惹かれる子なのでしょう」
「優美な若奥様のお子様としてはあまりに元気ですわ」
護衛騎士から告げられた想像だにしなかった発言に、プルデンテは首を傾げた。テオドラの身に流れる二つの血筋を考えれば、予想は付いていたからだ。
「まあ、そうかしら?グラツィアーニ王家は元々武の家系です。ディニタお姉様は槍の名手、スプレンディドお姉様も剣術を嗜んでいらっしゃいました。私も対人戦闘こそしたことはありませんが、護身術を少々。テオドラはその王家の気質に加えて、王国東の守護であるバジーレ家の令嬢。武道に興味を持つのは必然だと思いますわ」
「つまりはハイブリッド・・・」
「うぅー!おろしぇー!」
抱き上げる腕から逃げ出そうとテオドラは藻掻き、唸り声を上げる。荒ぶる彼女を窘めるために、プルデンテはその背中に手を添えて優しく叩いた。
「こちらの騎士の方は貴女を危険から離してくれたのですよ。イヤイヤはいけません。貴女を守るお仕事を邪魔してはいけません」
「ヤですー!おろしぇー!」
「っ、と・・・私にも子がいますが、息子よりも遥かに力強いですわ。お嬢様は身体能力が高いと思われます」
「では、戦士になれる素養があるのですね・・・テオドラ、戦う方々はみだりに暴れません。イヤイヤしません。戦うのは弱い人を守るためです。だから、イヤイヤはいけません。イヤイヤする子は戦いのお勉強ができませんよ?」
「え・・・ヤ、ヤです!おべんきょします!」
テオドラの背中を撫でることで、吹き上がっていた感情を落ち着かせようとする。
母親の温もりと優しい声が響いたのか、彼女は落ち着いた。ただ、やはり不満は拭えないようで眉間に皺を寄せている。
「聞き分けもよろしいかと思います。果ては一軍を率いる将になられるかと」
「まだまだこれからですわ。どのような未来を目指すのか、楽しみね」
テオドラを抱き上る護衛騎士と並び歩いて通路を進む。今はバジーレ軍の関連施設がある別館にいた。昼食が近いことから生活範囲である本館に移動しようと、中庭を縦断する外の通路に出ようとする。
外に至る扉は先行く従者が開き、その瞬間に冷たい風が吹き込んだ。すぐさま後ろに控えていたシエナが身を寄せると、プルデンテの体を包むようにショールをかける。
「ありがとう、シエナ」
「身を冷やしてはいけません」
「ええ、そうですね」
彼女に微笑みを向けると、従者の開く扉から外に出る。並び歩く騎士の腕の中で、ただ瞬きをして見つめてくるテオドラ。心が凪いでいるプルデンテは笑いかける。
城塞に戻れば、代理として領主の仕事を終えたアストゥートと家族三人で夕食を取った。厳しく躾けたわけではないが、テオドラは食事のマナーに気を使えている。プルデンテは我が子は天才だと内心で喜びながら、量を少なくしてもらった夕食を平らげた。
食後はアストゥートにエスコートを受けて、自室にてお茶を嗜む。
「日に日に食事の量が減っていて心配に思っています」
「仕方ありませんわ。今回はどうにも食欲が沸かないのですもの。本日は、あの程度ならば吐き気を堪えつつ完食できました。喜ばしいことです」
「何か食べやすくて栄養価の高い食品があればいいのだが・・・」
「食べやすくとも匂いが受け付けない可能性がありますわ」
表情が乏しいアストゥートは、プルデンテに関しては例外となる。心配と顔を曇らせて、彼女の手に自身の手を重ねると、労わるように肌を撫でた。
彼の愛情を感じることでプルデンテの表情は緩んだ。しかし、沸き上がっていた吐き気に、座っていたソファの背もたれに深く身を預ける。
手に触れていた彼は身を寄せて、彼女の肩に腕を回した。自身に寄りかからせようとしたようだが、連打と扉が叩かれたことで動きが止まる。
「ひつれいします、はいります」
返答をする前に扉は開き、辿々しくも愛らしい声が聞こえた。
プルデンテは落ちかけていた視線を上げれば、ネグリジェ姿のテオドラが足早に近付いてきた。彼女の顔が曇っていることを心配に思えば。
「おかしゃま、からだいたいですか?」
テオドラは泣きそうな顔になる。普段の彼女ではあり得ない感情露わな様子に、幼い心に負荷をかけていると罪悪感を得た。親として、我が子を悲しませるべきではないと反省もする。
「体が痛いわけではありませんよ」
「そうでしか?」
「ええ・・・」
一旦、テオドラから顔をそらして、肩を抱くアストゥートに向ける。彼が頷くことで話すべきだと決心した。
再び彼女へと顔を戻せば、不思議そうに首を傾げている。
「私のお腹の中に貴女の弟か妹がいます。まだお腹の中で無事に育ってくれるとは決まっていないので、教えることができませんでした」
「おなかのなか、赤ちゃんいるんでしか?」
「ええ、いますよ」
「プルが無事に赤子を産めるために、君は困らせないようにしないといけない」
まだ三歳のテオドラには、アストゥートの言葉は正確に理解できないだろう。それでも、彼女は表情を張り詰めさせると、しっかりと頷いた。
「テオドラ、おかしゃまをまもります」
「違う、そうじゃない。君はただ大人しくしていればいいだけだ」
「でも!わるい人きたらおかしゃまをまもらないと!赤ちゃんいますから、赤ちゃん・・・」
自身の言葉にテオドラの表情は緩んだ。嬉しそうに微笑むと、ソファに座るプルデンテの右隣に腰を落として、小さく膨らんでいる腹部を覗き込んで見る。
「おとーとがいいです!いっしょにたたかいましゅ!」
「まだその段階じゃない。無事に生まれることを願うんだ」
「おいのりでしか?しますよ!せーどーでおいのりします!」
愛しいアストゥートと大切なテオドラに囲まれ、二人の言葉に耳を傾けながら、プルデンテは嬉しさから微笑みを浮かべた。




