合間の休息
アストゥートの率いる第二陣の狩猟は順調であり、狼を主にした獲物を次々に狩っていく。彼の指揮の元、弓兵を主軸にした部隊の統率は取れており、負傷者の数も少なかった。斥候として森に入る重装の兵士が何名かが途中で引き戻るのみで、増えすぎた獣達を倒していく。
馬上から降りないアストゥートではあるが、兵の取りこぼした大物を確実に仕留めていた。彼の持ち合わせる戦う力、機動力も筋力も、判断力すら将たる才覚があると、観覧席から見つめていたプルデンテにはよく分かった。
大物を手にした槍で確実に仕留めることで、アストゥートも動じる様子のない馬も返り血を浴びる。顔や鎧、馬具すら赤に染まり始めていると遠くからも分かった。
腕の中で静かにしているファビオラを見れば、少し眠いのか覚束ないながらも手で目を擦り始めている。彼女には、血に塗れた父親の姿ははっきりと見えていないのかもしれない。
隣に座るテオドラへと顔ごと向ける。殺生など目にしたことがないはずの彼女は時折瞬きをするだけで、アストゥートの勇姿から目をそらさない。恐れよりも、その堂々とした佇まいと必殺の動きを焼き付けようとしているようだった。
「大方の狼共は狩り取ったようだが」
「これで獣害が多少は落ち着けばよい。この平原まで足を伸ばし、村落の赤子を含めた一家を食い殺した群れとは限らんが、血の匂いから同種が仲間の死を感じ取るはずだ。もう人の生活圏には立ち入らなくなるだろう」
「そうだな、狼は頭がいい。問題は熊だ」
「熊も頭がよいぞ。貴殿のような熊肉すら食らう大男を目の前にすれば、一目散に逃げ出すだろう」
バジーレ辺境伯と領軍の幹部である軍人達が言葉を交わしている。
耳を傾けつつ、真剣な眼差しのテオドラを見つめる。目の乾きを感じたのか、瞬きが多くなった彼女。小さく声を漏らすと、突然プルデンテへと顔を向けた。
「おとうさまがかえってきます」
そう告げると、テオドラはホッと息を吐いて表情を緩める。少し眠そうに目尻も下がる彼女の頭にプルデンテは左手で触れると、綺麗に結われた髪型を崩さないように撫でる。
「お父様が戻っていらしたら昼食にしましょう」
彼女は流し目でアストゥートのいる方角に目を向けた。途端に金色の瞳と視線が合い、ずっと見られていたのだと理解した上で口元を緩めた。
遂に眠ってしまったファビオラは、シエナと侍女達がバジーレ家の陣幕内に用意したベビーベッドに寝かせる。彼女達が見守ることになり、プルデンテはテオドラと手を繋いで狩猟祭の会場を護衛騎士隊に囲まれながら歩き進む。
祭りに参加をする人混みの中、調理された肉を運び、美味しいと顔を綻ばせて食べる人々が往来する合間。鎧を身に着けた騎士に守られて進む彼女達、特にプルデンテは無数の視線を受けていた。バジーレ領内だけでなく王国で灰色の髪と瞳を持つ高貴な女性など彼女のみ。
以前は地味で無能とされた王女だった。しかし、威圧感のあるバジーレ辺境伯に怒気を露わに挑みかかったという家内でのことが広まっているため、民衆達は歩き進む彼女の姿を好奇の眼差しで追っていく。
「立ち退くように通達しますか?」
「いえ、皆様は狩猟祭を楽しまれています。私が歩くからと退去を命じるべきではありません」
はっきりと淀みなく告げる。娘のテオドラと手を繋ぎ、余所見せずに前を向くプルデンテの姿を、人々は目に焼き付けていた。
「あの色味の方はアストゥート様の奥方ではないか」
「役立たずで地味な灰色の王女など言われていたが、品のいい美人じゃないか。お貴族様は理想が高すぎる」
喧騒の中でプルデンテのことを話す声が届いた。蔑みを感じる文言ではあったが、彼女は気にしない。個人の感想など些末なこと。
だから、気が早まると手を引くテオドラを抑えるように、落ち着いた足取りで歩き進む。
「あれがプルデンテ・グラツィアーニか・・・ハッ、姉とは違って見窄らしい女が一丁前に守られていやがる」
見世物でもある狩られた獣の調理場を過ぎ去るとき、吐き捨てるような言い方での蔑みの言葉が聞こえた。様々な声が重なる公衆の場なれど、だからこそ言うべきことではないはずの言葉。
プルデンテに対する悪感情を露わにすれば、誰の耳に届くか分からない。にも拘わらず、躊躇いなく言い放った者は誰なのか。
護衛の騎士達の顔が強張った。視線の動きから、発言者を見つけようとしていた。彼らの様子と共に同じく発言者を見つけるべく、プルデンテは流し目で辺りに視線を向ける。
(まだ皆様に見られてはいるけれど、彼らの表情から察することは・・・)
一人の背の高い男の姿が視界に入った。肩幅が広く、筋肉質だとも身を包むマント越しでも分かる体躯の男は、その一瞥の最中に口元を引き締めた。プルデンテに視線を向けられたことで、浮かべていた表情を変えたと分かった。彼は顔立ちは整っているものの、軽薄な雰囲気である。赤茶色の緩いウェーブの髪に茶色の瞳。男はすぐさまマントのフードを目深に被ることで目元を隠したが、彼女はその顔をしっかりと脳裏に刻んだ。
「発言者を発見いたしました」
「対処はいたしません。今はただの一個人の感想です。ただ、顔は覚えました。何かしら不穏な動きさえなければ、彼のことはそのままに」
「・・・畏まりました」
側まで身を寄せた女性の護衛騎士に告げると、足を止めることなく狩場から戻ったアストゥートの元に向かう。
成果は大狼を二頭と同じ群れと思しき狼を二十匹以上。部隊に立ち向かってきた獣達を狩って運び込んだアストゥートは、戦士の休憩所として建てられた陣幕の中にいた。従者の一人に血の槍を手渡し、鎧の胴部の金具を外して引き下ろして、次はガントレットを引き抜くと膝当て肩当ても順々に外す。
その姿を目にしながら近付いていたプルデンテだが、気持ちを抑えきれなかったテオドラが駆け出した。手を離されないため、幼子とは思えない力強さで引かれながら駆け足でアストゥートの元に辿り着く。
「プル、テオドラ。観覧席から降りてきたのか。護衛騎士達に連れられたようだが、そうだとしてもここは貴女達にとって」
「おとうさまはつよいきしですね!へいしのみなさまにめーれーしながらオオカミをたおしてました!見ていたからテオドラにはわかりましたよ!」
「そうか、君に強いと分かってもらえて嬉しい・・・プル、急いで来たのですか?呼吸が整っていないようだが」
プルデンテにとって走るという行為は幼児のとき以来だった。家族で高原の避暑地にて過ごしたときに、洞窟があるからと冒険に向かった一番目の姉ディニタを止めるために走った。ただ、石に足元を取られて盛大に転び、膝から血が出るほどの痛みに泣き続けたという醜態を晒した以来は走るという行為は止めた。
だからこそ、元気のいい四歳の愛娘の駆け足にやっとの思いでついていった。走る時の呼吸の仕方が分からず、突然の運動に心臓は早く脈打ち、どくどくと音を立てて血液を全身に送っている。
「そ、うですね・・・少し早足に、なってしまいました」
この程度のことでアストゥートがテオドラを叱るなどしないが、喜ぶ彼女の心に陰りを作らず、同様の気持ちを持つことで詳細は話さない。
荒い呼吸を整えるべく深呼吸を繰り返しながら、表情を引き攣らせてつつも口元に笑みを浮かべた。見かねたアストゥートが従者に声をかけることで、柔らかなタオルを差し出された。優しい配慮を受け取ると、テオドラと握り合っていた手をゆっくりとした動作で離す。
プルデンテと手が離れたことで、彼女は飛び付くようにアストゥートに身を寄せる。その光景を、肌に滲んだ汗を拭いながら目に映した。
「テオドラ、まだ防具を着けている。肌を傷付ける可能性があるし、獣の返り血も付いているから不衛生だ。もう少し離れなさい」
「テオドラはわーってこえをだしたくて、すごいともいいたいんです!わるいオオカミたちをつきさしてたおして、おとうさまほんとにすごいです!テオドラはおとうさまのでしになりたい!つよいケモノからみんなをまもるつよいきしになりたい。だから、おしえてください!つるぎとかやりとか、たたかいかたをおしえてください!」
「君には・・・いや、そうだな。俺が教えたほうがまだ安全か。分かった、城に戻ったら剣術でも槍術でも教えてやろう。幼い頃からの訓練は大切だからな。君がバジーレの守り手になることは確実だ。戦う力があったほうがいい」
「けんじゅつもそーじゅつももりゅてもやります!だからくんれんおねがいします!」
「守り手というのは立場や役割なんだが、成長すれば意味も分かるか」
鎖帷子を脱ぎ、上半身は黒い肌着姿となったアストゥート。タオルで汚れや汗のあった手を拭くと、テオドラの頭にその大きな手を載せた。撫でるために左右に動かせば、彼女の頭は揺れて嬉々とした声を上げる。
父親である彼の許可を得たこと、何より自らが戦闘訓練の教官となることを約束してくれたことを喜んでいた。
親子の交流だと、自身の子供時代を思い出して胸を熱くさせながら、プルデンテは目を細めて眺める。
「プル」
目が合ったことでアストゥートから名前を呼ばれた。テオドラの頭を撫でていた手が、プルデンテへと差し出される。彼女も手を差し出して近付けば、その手は掴まれて、すぐに手首から前腕、二の腕まで撫で上げられた。肩を掴まれて引き寄せられる。肌着が薄い生地だからこそ、彼の筋肉質な胸板の弾力を触れた頬がしっかりと感じた。
「あ!テオドラもだっこ!だっこしてください!」
抱き寄せられたプルデンテを目にしたことで、高揚しているテオドラがアストゥートに両手を向けて跳ねていた。視界の端に映っていた彼女の姿を捉えるべく、プルデンテが顔ごと視線を向ければ、身を寄せる彼が僅かに屈み、前腕にテオドラを載せて持ち上げた。しっかりと膝の下に手を回しているため、テオドラの体勢は安定している。
それでも、僅かでも不安な気持ちからプルデンテは彼女の背中を支えるように手を回した。
「おとうさまはおじいさまよりヒョロヒョロですけどちからもちです!」
「奴と、いや・・・いいか、テオドラ。俺は戦士としては標準の体型をしている。君の祖父ほど幅がなくとも、君くらいは簡単に持ち上げられるんだ」
「たかーい!テオドラもおとうさまとおなじくらい、ううん!おとうさまよりおっきくなってお姫さまをだっこします!」
「話を聞きなさい・・・はぁ、まったく」
呆れを含んだ声。しかし、その表情は緩んでいて、心は穏やかだと分かる。普段は無表情であるために、今は高揚感から顔に出るほど感情が溢れているようだった。
夫の娘に対する愛情を間近で見たプルデンテの頬も緩んだが、その頬に顔を近付けたアストゥートの唇がかすった。
「第三陣は西の森から潜行します。獲物達を引き付けるべく、深部まで侵入する予定です。俺の出番も終わり、以降は第四陣、第五陣と続きますから今日はもう休みましょうか・・・貴女を抱き締めて休みたい」
「・・・ええ、勿論」
感触と囁き声に昂ぶってしまったが、しっかりと抑えたプルデンテ。アストゥートは一旦テオドラを降ろすと、即座に着替えを終えて、軍服でもない白いシャツと黒いズボンの軽装となる。再び「だっこ」とせがむテオドラを抱き上げると、プルデンテの腰に手を回した。
彼女はアストゥートのエスコートを受けながら休憩所をあとにする。その家族で寄り添う姿は会場を闊歩する者、すれ違う者達の注目となっていた。
バジーレ家の陣幕に辿り着き、昼食を取って、昼寝から目覚めたファビオラの遊び相手となって二時間ほど。侍女達と乳母の協力で、夕食であるしっかりと毒味された兎肉の料理を一家で食べた。
「おにく、ちょっとつめたくてヤです。そとでみんなアツアツのおにくたべているのに、テオドラはいつもつめたいやつ・・・」
不満を漏らすテオドラには、なぜ毒味がいるのかという説明は早い。笑顔と開催中の狩猟祭の話題で乗り切った。
準備された湯で身を清めれば、喧騒は聞こえるものの、すでに日は落ちかけている。橙色に世界が染まる最中、プルデンテは陣幕内に作られた寝室で娘達を眠りへと誘った。
「ままぁ」
ファビオラは抱き上げて温もりを与えながら、子守唄を囁いた。心地良さに彼女はすぐさま目を閉ざし、ベビーベッドに寝かせば乳母が見守ってくれる。
テオドラは、まだ狩猟の最中だと興奮冷めやらなかった。だが、お気に入りの騎士王と呼ばれる君主の絵本を読み上げれば、すぐに食い付いた。ベッドに身を預ける彼女に物語を語りつつ、その腹をブランケット越しから優しく叩けば、物語の終わりには健やかな寝息を立てていた。
「では、あとは私達にお任せください」
「ええ、お願いします」
侍女達と警護となる六人もの女性騎士達に娘達を託すと、プルデンテはシエナの先導を受けて陣幕内の更に奥、厚手の布が何枚も垂れ下がって塞がれていた部屋に足を進めた。
「アストゥート様はすでにいらっしゃいます」
「ええ、分かりました。案内をありがとうございます、シエナ」
会釈をすれば、シエナは慈愛に満ちた微笑みを浮かべて敬礼する。頭を戻した彼女は足音を立てずに立ち去り、プルデンテは最後の布地を捲り上げて、更に足を進めた。
「プル・・・」
そうすれば、すぐさま彼女の体は抱き締められた。聞き慣れた声。胸の奥から脈打つ心臓の早さ、熱くなっている体。
心地良さから口元を緩めた彼女は、顎を上げる。金色の瞳が見えたと思えば、薄く開いていた唇に、温もりと柔らかな感触を得てすぐ、食むように動いて吸い付かれた。




