1)「私を愛さなくてもいい」と旦那様が言いました
わたし、マーガレット=キャンベルがマーガレット=ハワードとなった夜のことでした。
旦那様が、彼自身の瞳のようにこっくりとした黄金色のお酒の入ったグラスを傾けながら、言いました。
「貴女は、私を愛さなくてもいいからね」と。
とても穏やかな表情で。
自身の髪色に似た淡い色のミルクティーをいただいていたわたしは、「はい」と応えました。
何故ならわたしは知っていたのです。旦那様には想い人がいることを。それは社交界では大層有名な噂だと、旦那様の妹のシャルが教えてくれました。貴族の結婚には往々にあることで、わたしが恥じたり遠慮したりする必要はなく、胸を張って振舞えばいいことも。
◇◇◇
シャルとはこの結婚が決まる前から仲が良く、義姉妹になれることをとても喜んでくれました。だからこそ、この結婚について、そしてわたしの気持ちについて心配もしてくれました。彼女は恋愛小説の熱烈な読者で、真実の愛を模索中なのです。
わたしと旦那様の結婚が両家にどのような利があるのか、わたしには分かりませんでした。お父様に「マーガレットが幸せになるであろう婚姻だからお受けした」と言われて、わたしはマーガレット=ハワードとなりました。旦那様とは、シャルと一緒に何度かお話をしたことがよくあったので、愛や恋はなくとも、彼となら穏やかに暮らせそうだと思ったものです。それがきっと感情だけで結ばれるわけでない貴族の結婚の中でも、幸せなものなのと。
「わたくしはメイがお姉さまになってくれて、本当にうれしいわ。でも、もしも愛のない結婚が嫌になって逃げ出したくなったら、わたくしが必ずおてつだいしますので、おっしゃってね」とわたしの両手を握ってくれた小さな手はとても頼もしく、「シャルと姉妹になれるなんて、わたしはとっても幸運だわ」と返したのでした。
きっと旦那様の「愛さなくてもいい」という言葉も、成程真実好きなお方でない妻に愛されても困るといったことなのでしょう。
シャルが貸してくれた恋愛小説にも書いてありました。関心のない人間に寄せられる好意は、迷惑以外の何ものでないと。
シャルは、『他に想い人がいるのに家のために結婚をした殿方に虐げられながらも、自分の幸せを模索して最終的にハッピーエンドを迎える』小説をいくつも貸してくれました。
「結婚当日に"お前を愛することはない"などと失礼なことを言ったり、奥方に不当な扱いをするようことは、お兄さまはもちろん、ハワード家の誰一人しないわ。ただ、その本の主人公たちはそれぞれ、自分のしあわせをみつけていくの。その部分をメイには読んでほしくて」と、結婚後のわたしの幸せまで気遣ってくれる未来の義妹の気持ちが本当に嬉しくて、「絶対に幸せになるわ」と決意したのでした。
◇◇◇
という感動の姉妹物語まで繰り広げたわたしは、知っているのです。
愛のない結婚の中でも、自分の幸せを見つけられることを。幸い旦那様は、小説のように埃っぽい屋根裏部屋ではなく、清潔に整えられた正妻の部屋を用意してくれました。お食事も食堂で温かいコース料理を美味しくいただきましたし、食後のお茶も雑巾のしぼり汁ではなく、温かく美味しいミルクティーをいただいています。
旦那様に想い人がいるくらい、どうってことはないのです。
「わたしは、わたしの幸せを見つけますわ。旦那様もどうか、ご自身(と想い人)の幸せを考えてくださいませね」
そう言って微笑んだわたしの頬を、旦那様がそっと包みました。
「ああ、二人で幸せになろう」
そういった旦那様の笑みが幸せそうで、彼にそんな表情をさせるのが自分ではないことが少しだけ、寂しいと感じたのでした。