19話 まだ見ぬ未来へⅡ
やがて港の騒ぎは、少しずつ静まっていった。
ツキシマたちの制圧により、反発派の者たちは次々と取り押さえられていく。あるいは形勢の不利を悟って、群衆の隙間を散り縫うように散りに逃げていった。
先ほどまで荒れていた港の空気が、ゆっくりと落ち着きを取り戻していく。
怒号も足音も遠ざかり、張り詰めていた空気が、ゆっくりとほどけていく。
そのときだった。
一歩、前へ出たのはサクラだった。ツキシマがはっとして制止しようとする。
「姫様――」
だがサクラは静かに首を振った。
ゆっくりと前へ進み、まだ残っている反発派の者たちへ視線を向ける。その瞳は、驚くほど澄んでいた。
「……私は、海を渡ります」
港に、凛とした声が響く。
「女が国を出るなど前代未聞だと、そう言う者もいるでしょう。ですが――だからこそ、私が行くのです」
サクラの背筋はまっすぐだった。潮風に髪を泳がせながらも、その姿は微塵も乱れない。
「この海の向こうには、まだ知らぬ国がある。まだ出会ったことのない人々がいる」
彼女は港を見渡した。
町民も、船員も、港にいる全員がその言葉に耳を傾けている。
「確かに、未知とは恐ろしいものです。ですが、互いを知らぬまま恐れるより、互いを知り、手を取り合う道を私は選びたい。それが……、ヒノモトの未来に繋がると信じているからです」
そしてサクラは、反発派の者たちへ向き直った。その瞳には怒りはない。ただ、揺るがない決意だけがあった。
サクラは振り返り、毅然とした声で言う。
「……さあ、出航の準備を!」
その一言で、止まっていた港の時間が再び動き出した。
***
捕らえた一派は港近くの倉へ移された。
取り調べと同時に、身元の確認が進められる。名簿と照合し、持ち物を改め、着衣や所持金の出所を調べていく。すると浮かび上がった事実は、一派の人間たちに浪人でも農民でもない人間が混ざっていた。
「その顔、見た事あるぞ! あの問屋の帳場を預かってる男だ!」
「顔を隠していると思ったら……、そっちの男は大黒屋の番頭だろう」
「お前たち、もしや……」
それらをひとつひとつ突き合わせていくうちに、疑いは確信へと変わっていく。
彼らの半数は、藩の流通を長年取り仕切ってきた問屋衆の関係者だった。
米、塩、織物、薬種。いずれも藩内での売買を仲介し、利を積み重ねてきた家々の者たち。中には帳場を預かる番頭の名もあり、取引記録には不自然な空白がいくつも見つかった。
さらに調べを進めると、密かに外国商人と私的な取引を行っていた形跡も確認された。正規の交易が始まれば露見するはずの帳簿の改竄、未申告の品の流れ。藩が直に海外と結べば、仲介の役目は縮小し、不正は白日の下に晒される。それを恐れての暴動だったのだ。
表向きは開国反対を掲げていたが、実のところ彼らが気にしていたのは、国ではなく己の利だった。
港での騒ぎは、思想の衝突というよりも、時代の転換点で足場を失いかけたものたちの悪あがきだった。長年、独り占めしてきた利を手放したくない。ただそれだけの理由で起こされた騒動だったのだ。
その事実はすべて記録にまとめられ、藩主のもとへ報告書が届けられる。
一連の騒ぎは、ひとまずの決着を見た。
ただ……。
「リューベンハイトの商人も、関わっている可能性があるのね……」
思わず漏れた呟きは、思いのほか重く胸に沈んだ。もしそれが事実であるなら、これは決して他人事では済まない。
帰国したら、厳しく取り締まらねばならない。ヒノモトの交流をこれからも末永く続けていくためにも。そう心に定め、気を私は気を引き締めた。
そして――大幅に遅れはしたものの、いよいよ出航の時刻が迫っていた。
「……よおし、船を出すぞ!」
船上から水夫の声が響く。
帆綱がきしみ、帆布がばさりと大きく鳴った。白い帆が初夏の風を受けて、ゆっくりと膨らみ始める。
「いよいよ出航ね」
私が呟くと、隣に立つサクラが強張った表情で頷いた。
「はい」
帆が風を孕み、船体がゆるやかに軋む。
岸壁に繋がれていた綱が解かれ、白い波が静かに広がった。ゆっくりと、船は港を離れていく。
「緊張してる?」
少しだけ意地悪に問うと、サクラは小さく息を吐き、正直に頷いた。
「……はい。でも」
その視線は、もう足元ではなく、はるかな水平線へと向けられている。
「私、決めましたから。この国の未来のために、外の世界へ行くって」
港が、ゆっくりと遠ざかっていく。人々の姿は小さな点になり、太鼓の音も、やがて潮騒に溶けていく。
それでも、あの地に根を張る想いだけは、確かにここへ繋がっている。
「ヒノモトは、まだ開国したばかりです」
潮風に吹かれながら、サクラは続ける。
薄紅の衣がはためき、その横顔には迷いよりも光が宿っていた。
「でも、新しい文化を受け入れられる国にしたい。そして――女性でも、志があれば社会で活躍できる場所を作りたいんです」
一瞬、言葉を探すように瞼を伏せ、やがてまっすぐに前を見据える。
「新しいヒノモトの未来を、誰でもない私の手で」
その横顔は、もはや守られるだけの姫ではない。時代を切り拓こうとする者の顔だった。
風が帆を大きく膨らませた。船はゆっくりと速度を上げ、海原へと進み出す。
私は溜めていた息を吐きだした。
――さあ、新しい時代の幕開けよ!
きらめく波の向こうに、
まだ見ぬ未来が、まぶしいほどの光を放っている気がした。
いよいよ明日、2章最終回!
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