「あいつについての考察」
実に不可思議であり、おそらく俺が思う以上にろくでもない理由なのだろうが。
流石にああも言われては、いい加減下手な鈍感系主人公の真似事などできまい。
おそらく、本当に、あいつは俺に対し自称恋愛感情を持っているのだろう。
悪意マシマシ、面倒な感情でギトギトな売れないラーメンみたいな恋愛だ。
そもそも恋愛と言っていいのか?とすら思えるが、奴が言うには恋愛らしい。
やっぱりあいつは狂人だ。
「おや、また悩み事かな?」
「先輩」
昼休み時間に図書館で図書委員の仕事をしていると、やはり先輩は現れた。
やはり悩みを持つ時は、図書館に行ってみるのが一番いい。
毎回先輩が現れるので、遠慮なしに相談することができる。
「まあ、はい。恋愛について悩んでいました」
「へぇ、恋愛」
ふとマナ先輩を見てみれば、その手には一冊の本が握られている。
文庫本くらいの大きさだが、タイトルを見るに学園ラブコメのラノベっぽい。
「奇遇だね。私も今恋愛について学んでいたところだ」
「二次元の恋愛と三次元の恋愛は違うと思いますよ?」
「そりゃ知ってるよ。けど、現実の恋愛なんて殆どの場合参考にならないじゃん」
「まあ、たしかに」
恋愛指南書みたいなのを以前に一度だけ読んだことがあるが、俺には間違いなく不可能なことばかりが書かれていて、全く参考にはならなかった。灰色の青春を送る男に、女性を気遣う方法やデータでのマナー云々を説かれても馬に念仏だ。
「だから、初歩的なことならこういうのにヒントが隠されている場合も多いんじゃないか、って思ってね。このラノベのタイトルは全部読み込んだから、さながら今の私は恋愛検定8級の恋愛マスターさ」
「漢字検定だと、8級は小学三年生相当の難易度らしいですよ」
俺の言葉を華麗に聞き流し、マナ先輩は俺と向かい合うように椅子に座る。
返しにきた本を設置されていたパソコンで確認した後、先輩は口火を開く。
「で、どうしたんだい?恋人と別れたくでもなった?」
「いや別に、そんなことで悩んじゃいませんよ」
そんなこと前からずっと思ってるし。
「なら、他に好きな人ができちゃったとか?」
「そんなことでも悩んではいません」
そもそも、好きな人ができたところで何かあるわけでもないし。
「それじゃあ一体何に悩んでるの?」
そう聞かれると若干返答に困ってしまう。
困ってしまうが、多分一言にまとめるとこうなる。
「恋愛ってなんなんだろうな、と」
「ワオ。ちょっと哲学的だね」
「いや、なんというか。あいつから俺に向けられる感情が、恋愛感情かどうか分からないんです」
「どういうことだい?」
どういうこと、と言われてもまた返答に困ってしまう。
言葉にして出すのはとても難しい。
「『道連れ』か『恋愛』か、の違いが分からなくて……」
「待って、どうして恋愛に道連れなんて言葉が絡んでくるの!?」
しまった、自殺云々についてはこの人に教えてなかった。
「すいません、『依存』と『恋愛』って言う方が正しいですね」
「あ、ああ……なるほど。彼女さんがヤンデレってこと?」
「うーん。ヤンデレ、というより……恋愛感情を勘違いしてるかも?って感じですね」
「余計ややこしくなったな」
「すいません、どうにも説明しづらくて」
俺自身でも、感じた違和感を言葉にするにはそれなりの時間を要する。
こんなんだからあいつに脚本担当を取られたのだろう。
もっと語彙力を身に着けたいが、幾ら本を読み漁っても大して成果はない。
まあ、才能の限界なのだろうな、多分。
「ゆっくりでいいから、言ってみな?私が力になれるかは分からないけど、精一杯胸を貸すよ」
「ありがとうございます、マナ先輩」
「いいよいいよ。かわいい後輩からの頼みだ。頼りがいのある姿を見せようじゃないか」
お人好しな先輩が胸を張る姿に、頭に巣くっていた靄が少し晴れる。
やっぱりこの人と話をしていると、とても気が楽になる。
「じゃあ、簡単に事情を説明するんですけど」
「うん」
「あいつにとっての俺って存在は多分、母さんなんですよ」
「うん?」
今日の会話で確信した。
あいつは本気で自殺しようとしているし、本気で俺に恋してると思ってる。
何を思ってそんな考えに至ったかは分からないが、俺は似たような感情を抱いたことが一度だけある。結局それは果たせなかったが、どうか、どうかと願ってしまった想いがある。
「自分を見てほしかったんだと思うんです。演じてる自分や、誰かの代わりの自分じゃなくて」
「う、うん?うん」
「俺、母さんと父が離婚してしばらくの間、父の代わりになろうとしたことがあるんです」
「えーっと、なんか前に言ってたね」
「はい。俺は演じることに関しては天才なので、暫くの間は問題なく父を演じることができたんです。天才なので」
「二回も言わなくていいよ?」
「大事なことなので」
残念ながら、これに関しては俺が唯一自慢できることなので何度も主張する。
先輩は大天才だが、俺も母さんに何度も演技を褒められた天才なのだと。
「父の口調を真似したし、父の身振りを演じたし、家事も俺が全部やりました」
「な、なるほど。すっごいね。けど、なんでそんなことしたの?」
「母さんは優しいけど、弱い人だったんです。だから俺が父の代わりを演じてあげないと、壊れてしまう。そう思って、父の代わりをし続けたんです」
実際、暫くの間は上手く行っていったのだ。
母さんは以前より目に見えて明るくなったし、俺もそんな母さんを見て喜んだ。
何度も助けられてばかりだった俺が、ようやく母さんを助ける側になれたのだ、と。
だから、それで満足しておくべきだったんだ。
変な欲なんて出すから、俺はいつも失敗する。
「けど、ある日思ってしまったんです」
「えっと、何を?」
「母さんが笑顔を向けてるのは、俺じゃなくて父にではないか?と。天才すぎるのも考え物です。母さんはいつも、俺を俺としてではなく、父として見るようになってしまった」
「頻繁に挟まる天才アピールが若干うざいね」
そこは愛嬌と思って見逃してほしい。
「こういうこといえるの先輩だけなんですよ。許してください」
「まあ他の人に言ったらドン引きだろうしね!うんうん、先輩としての役目かなこれは」
流石マナ先輩だ、おだてればすぐ機嫌を治してくれる。
まあ、実際こんなこと話せるのはマナ先輩くらいなので、嘘は言ってないが。
「だから、時折隙を見せてしまったんです。父としてのそれではなく、母さんの息子としての俺を。愚かしくも、自分のありのままを」
あの時の俺をぶん殴りたい。
一度壇上に上がったならば、最後までキャラを演じ切るのが本物の演者だ。
それすらできず中の人間を晒してしまう演者など、三流以下でしかない。
「それですべてが壊れてしまった。母さんは俺を父として見なくなり、父が己の元を去ったのだ、と認識してしまった。そして……そのままこの世を去ってしまった。役を羽織るのなら、最後までそれを貫き通すべきだった」
「……な、なるほど」
「あいつも同じなんです。学校ではいつも仮面を被り、自分の本性を見せないようにしている」
それがダメなことだと言う人間もいるだろうが、ではそれをしなくなればどうなるか。
返ってくるのはきっと、『失望した』やら『こんな人とは思わなかった』やらの、本当の自分を否定してくるような言葉だけだろう。
素の自分を晒すより、より良い自分を演じた方が人に好かれるに決まってる。
どの時代でも、大なり小なり誰でもやってる。人に好かれるために、素の自分を隠す。それは決して、悪いことではないはずだ。だからそれに関しては、俺は何も言うつもりはない。
「けど、それだけじゃ人は生きていけない。いつかきっと限界が来る。だから、普通の人は特定の相手にだけは、己を晒せるようにしてるんです。大体の人は、家族を。今の俺にとっては、先輩がそれに当たります」
「え。私、君にとって家族と同じ立ち位置なの?」
「いえ、別にそんなことありませんが」
「そっかぁ」
そんなこと思うのは、あまりにおこがましいだろう。
「けど、あいつには家族はもういない」
「ああ、たしかそうだったね」
「だから、あいつはずっと、どこに行っても仮面を被ったままだった」
そんなもの、疲れるに決まってる。
天才の俺とて、二年かそこらで限界が来てしまったのだ。
あんなに演技が下手くそそうな女が、長年それをやれば擦り切れるのが当然だ。
「だから、俺の前では本性を隠そうとしてないのかなと思いました。自分の本性を曝け出しても問題ない誰かの役を、俺にしてほしかったんじゃないかと。いなくなった母の代わりになる存在に」
「それ、君である必要あるの?」
「そこはまだちょっとよく分かりませんけど。あいつ曰く、『希望とか一切持ってない、死んだ魚みたいな目をしてるから巻き込んでもいい』らしいですね」
「何それ」
まあ、ここまで長ったらしくあいつへの現段階での考察を吐き出し。
結局最後に残った結論は。
「もしそうだとすれば、それは恋ではないと思うんです」
「たしかにそうかもしれないね。だって要は、消去法なんでしょ?君を選んだの」
「まあ、おそらくは」
考えれば考えるほど、これは恋ではない。
いなくなった家族の代わりを、俺に努めさせようとしているだけだ。
だとするなら、最悪の人選ミスであると言わざる得ない。
「俺に『誰かの代わり』は務まりません。どっちも不幸になるだけで終わりますよ、きっと」
「うんうん。早くあの子と別れた方がいいと思うな、私は」
「ですよね。こんなこと、さっさとやめるべきですよね」
「そうだよ。早めに別れて、別の出会いを探す方がいい」
やはり先輩もそう思うらしい。
よし、これで吹っ切れた。
「ありがとうございます、先輩。俺ちょっとあいつに物申してきます!」
「うん、行ってらっしゃい!結果は報告してね!」
ちょうど昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったので、カウンターから立ち上がり、なんか妙にウキウキしてる先輩に手を振り、いざ行かんと廊下を走り。
「おうこら。何堂々と廊下を走ってんのよあんた」
「うげっ」
しまった、と制止してくる女の声に振り向く。
そういやあいつ風紀委員だったな、と今更ながらに思い出す。
「今日から部活動が再開するってのに、初っ端から指導で遅れたいの?」
顔も見たくない、なんていうような相手ではないが、あんまり顔を合せたくない相手だ。色々と負い目があり、劣等感もあり、不気味さがある。
けれどおそらく誰よりも顔を合わせ、誰よりも見知った存在。
「幼馴染が一日に二回も遅刻してるとこなんて見たくないんだけど」
「……すまん」
学校の治安を守る風紀委員にして、我らが演劇部の脚本家にして、俺の幼馴染でもある彼女が額に青筋を浮かべながら、俺を見下していた。