17.月と太陽1
あっという間に三曲目まで踊り終えてから、ユーグリークとエルマは一度フロアから壁際に移動してきた。
ファントマジット一家のいる所まで戻ってくると、祖母が飲み物を用意してくれている。
エルマはすぐに喉を潤したが、ユーグリークは受け取ったままため息を吐く。
「ずっとエルマと二人だけで踊っていられればいいのにな」
エルマは苦笑した。
ユーグリークと一緒に踊ることは、時が経つのを忘れてしまうほど楽しいが、さすがに一晩中となると疲れてしまうだろう。
けれど彼が口にしているのは、規則のことだ。
舞踏会は社交の場の一つであり、同じ相手とだけでなく、交流を広げることもまた重要とされている。
女性は同じ男性と、四回連続して踊ってはいけない。
エルマは三曲ユーグリークと踊ったから、次の一曲は別の誰かを相手に選ぶ必要がある、ということだ。
「この人、と決めた方がいるご令嬢には邪魔なルールかもしれないけれど、そう悪いものばかりではありませんよ。別の人と接することで、既にもう決めたと思った方の異なる側面が見えることもあるもの。恋している間は苦しみも幸せになるものだけど、情熱だけで結婚はできないでしょう?」
浮かない顔の若者二人に微笑みかけてきたのは、先代魔法伯夫人だ。
「それに、正直好きではないけれど、断れる相手でもない――そういう方といつまでも踊らずに済むこともあります」
ユーグリークとエルマは顔を見合わせてから、恐る恐るファントマジット邸の老婦人を見やる。
「その……お祖母さまは、そんな風に社交界を乗りこなしてきた、と……?」
「あら、わたくしは踊りたくない方とは踊らなかったもの。その気のない相手には誘わせないのが一番よ」
ホホホ、と老女は上品に笑った。エルマも笑い顔を作ってみせるが、なんとなく引きつってしまう。
(お祖母さま、若い頃はさぞ引く手あまただったのでしょうね……)
「おお、スファル。お帰り」
「と、父さん、ただいま……」
魔法伯が、飲み物のお代わりを貰いに行っていた従兄弟を出迎える声に、エルマは顔を上げた。
「ちょうどよかった。スファルバーンさま、次の曲ですが――」
「オ、オレは、べべ別に……! エ、エルフェミアも、つ、疲れてるだろうし、無理、しなくても。ほ、ほら、ああ相手なら、とと父さんも、いる、し……」
途端に、スファルバーンはヒエッと息を呑み、目を逸らしたまま早口に続けた。
ダンスの相手に推薦された魔法伯は苦笑いしてから、祖母の方を向いて何か話し出している。
エルマはむ、と口を閉じてから、ここまで従兄弟を怯えさせることになった元凶にじとっと目を流した。
最初は素知らぬ顔をしようとしていたユーグリークだったが、無言の圧力に負けたらしい。
彼が渋い雰囲気を纏いつつ、一応こちらに顔を向けたのを見計らい、エルマは体を寄せて背伸びした。何か耳打ちしたがっているのだと察したユーグリークは、高い背を屈める。
(他の知らない方よりは、スファルバーンさまの方がいいと思いませんか?)
(まあ、それは……ただ、本人も言っていたが、別に踊るだけなら魔法伯でも構わないじゃないか? あらゆる意味で一番安全そうだ)
(スファルバーンさま、ダンスはお嫌いではないんですって。なかなか本音を話してくださらない方のようですけど、ちゃんと教えてくださったんですよ。それにね――)
(わかった、わかったよ、エルマ)
ユーグリークは体を起こすと、咳払いした。ビクッ、とそれだけでスファルバーンが体を震わせる。
「せっかく舞踏会に来ているんだ。突っ立っているだけじゃつまらないだろう。私は次、エルマと踊れないし、君も楽しんできたらどうだ?」
「――え。あ、あの、閣下」
「ただし――」
すっ、とユーグリークは長い足を一歩踏み出し、スファルバーンの肩に手を置いた。お互いにだけ聞こえるように低い声を出す。
「口説かない、口説かせない、いざとなったら盾になれ。私はエルフェミアのことだけは譲れないんだ。誰にもな」
掠れた声には凄みがあった。息が止まったらしいスファルバーンから、今度は少し体を離し、おそらく布の下で魔性の男は微笑みを浮かべる。
「期待しているよ、卿」
「き、ききき肝にめ、銘じますっ、閣下!!」
ピシッと敬礼したスファルバーンだが、その後エルマに差し出そうとした手はゴチゴチで、歩くのさえぎこちない。
するとその背を眺めていたユーグリークが一度引き止めた。
「スファルバーン=ファントマジット」
「ひゃ、ひゃいっ!」
うわずった声を上げ、真っ青になって振り返った魔法伯子息のことを、公爵子息は布越しにじっと眺める。
しばらくそのまま時が過ぎた。スファルバーンは今度は目を逸らすことも許されず、冷や汗をびっしり浮かべたままユーグリークと向かい合っている。
「あ、あの、閣下……」
「“氷冷の魔性”たる私が恐ろしいか?」
「いえ、あ、あの、こ、これは、」
「咎めているわけじゃない。君は何に対しても怯えているようだが――」
一度言葉を切り、ユーグリークはぐるりと大勢の集う大広間を見回した。
彼と目が合った貴族達は軒並みさっと視線を逸らし、こそこそ隅に逃げていく。
「――たぶんこの場で一番怖いのは私だから、他のものは気にしなくていい。私が笑うなと言ったら誰も笑わない。違うかな」
スファルバーン=ファントマジットは目を見開いたまま立ち尽くす。ユーグリークは相手の瞳から雑踏が消えたのを確認してから、行け、と追い払うように手を振った。
「ほら、もう次の曲が始まるぞ。早く済ませて、私にエルマを返してくれ」
「は、はいっ……!」
慌ててフロアに向かう青年は依然緊張していたが、先ほどよりはきちんと歩けている。
エルマが一度こちらを向いて、とびきりの笑顔をユーグリークに向けた。
咄嗟に手を伸ばしてしまったユーグリークは、手持ち無沙汰に空をさまよわせてからぱたりと落とす。
その隣にそっと保護者達が立ち、恭しく頭を下げた。
「閣下。ご厚情に感謝いたします」
「わたくしからも御礼を。本当に、ありがとうございます……」
「……大袈裟です。別に、親切にはしていない」
「いいえ。去年は結局、一人も誘えないままでしたのよ」
「それにふがいない父親は、あの子への嘲笑をやめさせることもできなかった……」
曲が始まると、自然と視線がフロアに向かう。
ユーグリークはエルマに向き直り、強ばった顔で最初の礼をする青年を見つめた。
エルマは集中すると鼻歌を歌い出す癖のせいなのか、音に合わせて気持ちよく体を動かすことを知っているらしく、一緒に踊っていてとても心地いい。踊る相手が変わっても、スムーズに曲に乗った。たまにこちらに顔が向くとにっこり笑う。
……可愛い。白くて羽があって天使なのではなかろうか。なんで自分はここにいるんだろうと哲学したくなってくる。
スファルバーンの動きも最初は固さが取れなかったが、エルマが楽しそうにしているおかげだろうか、徐々に固さが取れてきた。
目を引かれる、という程ではないが、充分及第点の動きだ。
まだ若いし、会話は苦手そうだが、体は充分健康の範疇だろう。ダンスが嫌いでないとのことなら、後は適当な令嬢にお辞儀さえできれば時間つぶしはできそうな気がした。
おそらくあの従兄弟に今、明確に足りていないただ一つのものは、自信だ。
――普通のことを当たり前にできているのに、自分なんか、と下を向いている。
(……なるほど。何故エルマがあんな男に優しくしているのか疑問だったが、少しだけわかった気がする。あの覇気のなさは……兄との比較か。ベレルバーン=ファントマジットは、そつなくなんでもこなす優等生だったはず。しかも確か……)
この場には長男の姿は見えない。あえて触れることでもないか、とユーグリークはそっと心中に疑問をとどめる。
保護者達は子ども達の様子に目を潤ませて魅入っていた。この温かい雰囲気を台無しにするのも野暮だろう。
「――ユーグ。ユーグリーク!」
が、別のものが水を差した。気分的には頭から冷水をびしゃっとぶちまけられた心持ちである。
ユーグリークは一瞬聞かなかったことにしようとしたが、そうも行かず、失礼、と小声で魔法伯親子に声を掛けてから近くの柱の暗がりに近づく。
「来ちゃった♡」
金髪碧眼の男がひょいと片手を上げ、魔性の騎士はこめかみをひくつかせた。
「ふざけるな。いやふざけているな? いつものことだが」
「心の友よ、ガリュースの隣に何時間も立つ罰ゲームをこなしてきた後なんだから、いつもより多目の慈悲を見せてほしい」




