15.お披露目とダンス4
「ファントマジット魔法伯家ご令嬢――エルフェミア様」
エルマはヒュッと息を呑んだ。すかさずユーグリークが小声で囁きかけてくる。
(大丈夫。俺がついてる)
ごくりと喉を鳴らしたエルマが振り返ると、祖母が促すように頷いてみせた。
大きく深呼吸をして、ユーグリークと共に前に進み出る。
赤と金で彩られた空間の中、大きな椅子に腰掛ける男女があった。
――意外にも、国王の第一印象として一番ふさわしかろう言葉は、『普通』だ。
ユーグリークの両親、ジェルマーヌ公爵夫妻は、いずれも長身であることも手伝ってか、(黙っていれば)見るからに厳格な貴族、という風情であった。
しかし、大勢に取り囲まれ、ゆったりと腰掛けている男は、肩から斜めに掛けている金色のサッシュがなければ、その辺りの一般人と見間違ってしまいそうだ。
隣に座っている王妃にはそれなりの雰囲気というものが見られたが、国の頂点に立つと言われる当人はなんとも凡庸な雰囲気をしていた。
傍らに控えている王太子ヴァーリスが、この場では一番目立ってるように感じる。
相変わらず華のある人だ。そしていつものうさんくさい微笑みを消すと、なかなかに迫力がある。
視力がないはずなのに、その目が真っ直ぐ見つめる先に自分がいると思うと、どうも落ち着かない気分にさせられた。
(見知った方がいればその分少しは緊張が和らぐかと思ったけど、いつも砕けた雰囲気の方がきりりとご公務をこなしていると、こちらまでピリピリしてしまいそうになるのね……!)
この人も喋り出すと天上人への幻想を打ち砕くタイプの人間なのだが、黙って真面目な顔をしていると文句のつけようがない王子様っぷりではないか。
雰囲気に呑まれそうになったエルマだが、その時ぎゅっとユーグリークが握る手に力を込めた。エルマははっと意識を取り戻す。
(そうだ、大丈夫……ユーグリークさまがいる。お祖母さまもついてくださっている。挨拶を、するだけ……)
ユーグリークが手を離した。エルマは教えられた通りに膝を折る。
「お初にお目にかかります、国王陛下……」
「うむ。苦しうない。楽にせよ」
なんとかよろけずに済んだし、声が裏返るようなこともなかった。
立ち上がったエルマはほっと胸をなで下ろしかけたが、すぐにまた緊張を深める。
座ったままの男が祖母に向かって顔を向け、言葉を続けたためだ。
「先代魔法伯夫人。これが噂のファントマジット家の秘宝に相違ないか?」
「はい、陛下」
エルマの心臓が早鐘を打つ。
祖父と母が不仲だったため、長い間エルマが行方不明だったことを言っているのだろうか。
それとも、ファントマジット家固有の力、“加護戻し”を受け継いでいることを言っているのだろうか。
いずれにせよ、恐縮して下方に目線を落としたまま、ハラハラやりとりを見守るしかない。
「公のご婚約者であると聞いているが」
「その通りでございます、陛下」
「既に成人はお済みのようだが、社交界お披露目前にご婚約を決めていた、と?」
すると今度はユーグリークが動いた。
「私から無理を言ってお願いしました。どうしてもすぐに約束が欲しいと」
彼の掠れた低い声は、そこまで張り上げているわけではないのに妙に耳に引っかかる。
心なしか、ユーグリークが喋り出すと周囲の人間達にさざめきが走った。
国王もいったん沈黙を挟んでから、再度口を開く。
「それはまた、随分と――。ところで、珍しい経歴をお持ちだとか。こちらに来られる前は市井にて働いておられた、と」
「その通りです。ですが彼女はその経験を生かし、人心をつかむのが非常にうまい。人のことがわからぬ私はいつも新たな気づきを貰っています」
「なるほど。とは言え、異なる世界に居た者同士が添おうとすれば、何かと問題はつきものだろう。とにかく話が早すぎる、貴殿にふさわしくない、釣り合わない――という声もあるようだが」
「私にとってこれ以上の女性はいないのですが、目に光のない人間が想像以上に多いようだ」
これ以上ないほど空気が冷えた。
(ユーグリークさま、ユーグリークさま!!)
エルマは最初、ぎゅっと胸の辺りで手を握ったまま下を向いていた。
ユーグリークの答えを聞いているうちに、だんだん嫌な汗がびっしり浮かんでくる心持ちだった。
そして最終的には「どうしてそんなに強気なの!」と悲鳴を上げたい気分で、必死に、必死にチラチラ横目を流して念を送っているのだが、たぶん覆面で遮断されている。
――と、何か吹き出すような音がした。
エルマが思わずぱっと顔を上げると、ヴァーリスが杖を突いていない方の手を口元に当てている。
すぐに咳払いして元の姿勢に戻るが、先ほどまでの公務の仮面が剥がれた。あれは見慣れた愉快犯予備軍の顔――特にユーグリークの暴走を面白がっている時の目である。
と同時に、国王陛下が深く息を吐き出してひらひら手を振った。
「うん。ま、余個人としては何も文句ないのだが、一応儀式としてな、言っておかねばならぬのだ。許せよ、ユーグ」
「――は」
ユーグリークは一瞬の間を置いてから短く答えた。
……エルマの気のせいでなければ、国王相手に、覆面の下から据わった目をしていたように思う。
あらゆる意味で生きた心地がしなかったが、なんとか死地は乗り越えられたらしい。
「先代魔法伯夫人も――ひとまずこの件についてはご安心なされるが良い。エルフェミア=ファントマジットは本日、淑女としての一歩を踏み出された。淑女が紳士と添うのはごく自然なこと。末永く二人の道を歩まれるがよかろう」
「ありがたき幸せでございます、陛下……!」
祖母が深々頭を下げるのが目に入り、慌ててエルマもそれにならった。
うんうん、と頷いた国王は、不意に傍らに顔を向ける。
「時に王太子」
「は、何でございましょうか、陛下」
「かの令嬢は、ジェルマーヌ公爵子息の婚約者である」
「ええ、そうですね。というか、今し方ご自分で確認なされたばかりですね。それが何か」
「公はご婚約されたのだ、王太子」
「どうされました、陛下。急速にボケられましたか。もうお年ですか」
「お前の右腕はな、きちんと公務をこなしつつも、半年後に恋愛結婚するそうだが、何か思う所はないのか。二十三歳独身の王太子よ」
「まだまだ僕は若いなあ!」
……先ほどとはまた別方向に空気が冷めだし、居並ぶ人々がそっと目を逸らし始めた。渦中の王太子本人は、のほほんとしたものだったが。
居心地の悪さにおろおろ見回すエルマだが、祖母は貫禄の社交辞令的微笑を浮かべたまま立ち、ユーグリークに至ってはもう興味をなくしてさっさと帰りたい、という風情だった。
その時、耳慣れない声がすっと会話の切れ間に上がる。
「ボケたくだってなるでしょう。兄上はいつまでもこうなのだもの」
「――ガリュース」
音はどうやら、今の今まで静寂を保っていた王妃から発せられたらしい。
正確には、彼女の横に立つ青年が最初口を開き、王妃はそれを窘めたようだ。
華のあるヴァーリスはどこにいても目立つ太陽のような所があるが、王妃側に佇む青年はその正反対、影のような雰囲気だった。
緑がかった髪はくしゃくしゃとくせっ毛があり、瞳の色は濃く茶色に近いようだ。
立ち位置や格好からして王族の一員なのだろうが――胸に白い薔薇をつけているのが目に留まった。
「無駄に引き止めてしまったな。大義であった。下がって良いぞ」
しかし退出の許可が出ると、それ以上観察はできない。
エルマは慌ててユーグリークの手を取る。
彼はすぐ応じてくれたが――出て行く前、ちらりと振り返り、誰かを思いきり睨み付けていたような気がした。




