5.突然の訪問 後編
祖母が呼び鈴を慣らすと、すぐにメイドがやってきて、お客様とお茶を楽しむための準備を整えていく。
きびきび動く無口な使用人が一礼して部屋を出て行く頃には、客人も屋敷の主人もエルマも、皆大分頭が冷えてきていた。
(それにしても、お客さまがやってきてすぐ、お祖母さまが人払いしてくれて本当に良かったわ……あのお姿は、たぶん階下の人に見せてはいけないものだと思うし)
入れてもらったのはハーブティーだ。特に、すーっと鼻を通る清涼感を与える味が彼女のお気に入りである。頭をすっきりさせる効能があるのだとかで、ごちゃごちゃとした雑念が洗い流されていくような気分になった。
鬼気迫る勢いだった公爵夫人も、どうやら冷静さを取り戻してくれたらしい。
カップ捌きには迷いがなく、一口含んでほっと息を吐き出す様は一枚の絵のようだ。
とても先ほど地面に這いつくばっていたのと同じ人物とは思えない。むしろ思いたくない。記憶から消したい。
重ための話題になりそうだからと、早めに使用人を下がらせておいて本当によかった、とたぶん祖母もエルマも思っている。
三人がカップを置くタイミングを見計らい、エルマは改めて、タルコーザ家で自分がどんな生活をしていたのか、という経緯から語り出した。
ユーグリークと偶然出会ったこと。彼の顔を見ても、エルマはなんともならなかったこと。それに興味を抱いた彼が会いに来るようになったこと。彼に対する不信感が興味に変わっていったこと。友達として家族に紹介しようとして失敗し、見かねた彼が家から連れ出してくれたこと。
屋敷でどれほど大切にしてもらったか。危うい目に遭った時どれほど心強かったか。距離を取られてどれほど辛くて、想いが同じであると確かめ合えてどれほど嬉しくて……。
エルマが語る言葉に、公爵夫人はじっと聞き入っていた。祖母にも、大まかなことであれば今まで何度か話す機会があったが、ここまで詳しく話すのは初めてになるだろうか。
カッとなった状態でなく、いったん冷えた頭で彼への想いを語るのは、気恥ずかしくもある。
それでも、誤解を解きたい想いの方が強かった。自分がちゃんとユーグリークを好きなのだと、納得して婚約しているのだと、そこだけは絶対に間違ってほしくなかった。
まあ、指輪に居場所探知機能があるという話については、夫人の暴露で今回初めて知ったのだが。
道理であの時もあの時も、まるでこちらの所在を知っているかのように迅速な動きをするな、と思ってはいたのだ。
別件として後日問い詰めなければと、こっそり心に決めておく。
「……大体の経緯は、理解したつもりです。でも、にわかには信じられない。あの子の顔を見られる人が、私達以外にもいた、だなんて」
エルマが言葉を切ると、まずそんなことを公爵夫人は述べる。
――予想の範疇だ。エルマは微笑みを浮かべた。
「ユーグリークさまは銀色の髪に銀色の目をしていらっしゃって、右目の下……ここに黒子がありますよね?」
人差し指で自分の目元を指して言えば、公爵夫人は大きく目を見開いた。
「――――! ええ、そうよ、そうなの。ああ、本当に……!」
言葉が途切れた彼女は口元を押さえる。
安堵しかけたエルマは、すぐにびくっと体を震わせた。
夫人が落ち着いたと思ったら、今度は祖母が潤んだ目で手を重ねてきたのだ。
「エルフェミア……けして裕福ではない家で苦労してきた、とは聞いていたけれど。まさかそこまで、むごいことを」
「お、お祖母さま。もう終わったことですから……」
タルコーザ家のことは、エルマ自身はもうほとんど決着をつけている。
けれど孫が具体的にどう苦労してきたのか知ることになった祖母は、罪悪感を抱いているらしい。
老女を宥めていると、感情の高ぶりが収まったらしい公爵夫人が姿勢を正し、こちらに向き直る。
「改めまして、エルフェミア=ファントマジット様、それに魔法伯夫人。私の早とちりで押しかけて、大変お見苦しい所をお見せ致しました。誠に、申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる姿もやっぱり美しい。今度は普通の謝罪体勢だった。
「いえ、いいんですよ、誤解が解けたのならそれで。お帰りになったらもう一度、ユーグリークさまとお話しをしてみてくださいな。きっとうまく説明ができなかったと、落ち込んでいらっしゃるでしょうから」
「そうですね……本人の意思と関係なくトラブルを引き寄せてしまう所もあるようですが、基本的には大人しくていい子です。だからこそ、よそのお嬢さんにご無体を働いたと聞いて頭に血が上ってしまったのですけれど――悪いことをしました」
祖母がそっとフォローし、夫人も頷く。
エルマもほっと胸をなで下ろしたが、目元を軽く押さえた夫人がきりっとした目で老女の方を見た。
「ただ、やはり細かい点ではとても紳士的とは言えない部分もありますし、出会って三月で婚約を決め、半年後に結婚というのも、いささか早計に感じます。というか、心変わりされる前にさっさと囲ってしまおうという魂胆が丸見えです」
「それはそうね」
「エルフェミアさまも、息子が愛を疑わずに済む、得がたいお嬢さんでいらっしゃることは、とてもよくわかりました。私個人としてはもちろんすぐにでもお迎えする心づもりではありますが、一生ごとですから……」
「大事なことを焦って決めるのはよくないですものね。時に勢いというのも、重要ではあると思いますが」
「その通りです、魔法伯夫人。それに、息子はトラブルメーカーです。武芸と魔法については右に並ぶ者なしと胸を張っておすすめできるやもしれませんが、対人関係については……お恥ずかしながら、妻となる方にはそれなりにご負担を強いることになるかと」
「そうねえ。若い恋の邪魔をするようなのは気が引けるけれど、ユーグリークさまもエルフェミアも、わたくしの思っていた以上に危なっかしいところがあるようですから。少し、今までのお付き合いの仕方から、考えないとね?」
あれ、話は落ち着いたはずなのになんだかまた不穏な空気――と固まっていたエルマは、祖母の顔を見てぞわっと背筋が寒くなるのを感じた。
見間違いでなければ、老女は目で「だからあなたもこれからはもうちょっと自重なさいね?」と語っている。
(年が明けたら今までのように気軽に会えなくなるかも、と話してはいたけれど……)
これは当分、保護者同伴でないと会えそうにない。
次にユーグリークと顔を合わせる時が少し怖いかも、と目を遠くするエルマなのだった。
最も恐れていたジェルマーヌ公爵夫人との対面は、波乱を残しつつもとりあえずは穏便にまとまった。
まだ公爵家当主が残ってはいるが、夫人がエルマの味方になることを宣言してくれたのは実に心強い。
ユーグリークとの付き合い方については釘を刺される形となってしまったが、このところお互い前のめりすぎたかもしれない。
指輪の新事実といい、まだまだ彼については知らないこと、聞かせてもらっていないことも多いのだ。
見つめ直す機会ができたと、前向きに考えることにする。
ファントマジット家で迎えたエルマの初めての新年は、順調に滑り出したかのように見えていた。
懸念されていた新しい家族、親族との付き合いについても、一番の難所は乗り越えた――自然とそう、思い込んでいた。
「――父上。ボクは疑問です。なぜ泥棒が我々の一員のような顔をして、そこにヘラヘラ突っ立っているのです?」
だから、その言葉を――公爵夫人の時には心の準備をしていたのに、もう大丈夫だとすっかり油断した所で不意に投げかけられた時。
自分がいかに浅慮だったかを、思い知らされた気分になった。