4.突然の訪問 前編
「新年早々、急に押しかけてきて申し訳ございません、ファントマジット魔法伯夫人」
「いえいえ。お久しぶりですこと、ジェルマーヌ公爵夫人。お元気でいらして?」
「おかげさまで」
年長者同士の無難な挨拶が終わると、屋敷の主人はおほんと咳払いをし、客人に家族を紹介する。
「こちらが、孫のエルフェミアですの。エルフェミア、ご挨拶を」
「お初にお目にかかります、ジェルマーヌ公爵夫人。エルフェミア=ファントマジットと申します。以後お見知りおきを……」
エルマは緊張しつつ、教わったとおりにスカートをつまんで頭を下げた。客人がじっと視線を注いでくるのを感じる。
「初めまして。私、当代ジェルマーヌ公爵が妻、マルグレータと申します」
相手が返事をしてくれたので、少しだけほっとする。
エルマはこっそりと、改めてジェルマーヌ公爵夫人――これが初対面になるユーグリークの母を観察した。
(お綺麗な人……)
年は確か四十を越えていただろうが、とてもそうは見えない。
姉と言われても信じてしまいそうに若々しい顔立ちは、そこかしこ魔性の男の面影がある。すらっとした手足に長身といい、ユーグリークの見た目は母親から受け継いでいる部分が多いのかもしれない。結い上げられたプラチナブロンドの髪からもっと金色要素を抜いたら、息子の見事な銀色になるのだろう。
落ち着いた雰囲気や服装、物腰には、重ねてきた時間や威厳を確かに感じさせる。
エルマの祖母とて淑女の貫禄があるが、公爵家の奥方は、まさにエルマが思い描いていた貴婦人そのものだった。
黙って微笑むだけで人を従わせることのできる風格がある。
(そんな方が、家族の顔合わせの予定の前に、わざわざお一人で訪ねていらっしゃったなんて……)
「お茶を濁していても無駄に時間が過ぎるだけかしら。ご用件を伺いましょう」
ファントマジット魔法伯夫人の言葉に、エルマは胸元を押さえたくなる衝動を堪える。
祖母は心強い味方であったが、エルマより思い切りがよく、孫が躊躇する場面でざっくり切り込んでいってしまう節がある。
今回なんかまさにそうだった。
(わたしはもう少し世間話で場を温めていただいてもよかったのですが……だってどう考えても、公爵夫人がいらっしゃったのは、わたしに不平不満を述べるためでしょうし……)
悪い結果なことは目に見えている。
エルマの祖母は、嫌なことはできるだけ早く済ませてしまおうという人物だった。
一拍二拍心の準備をしてから悪い状況を迎えたいエルマには、いささかことの進め方が心臓に悪いのだ。
「そう。あなたが、エルフェミア=ファントマジット……」
公爵夫人は青い顔でエルマを見つめ、血の気の薄い唇を震わせた。
エルマもぐっと唇を噛んで構える。
(泥棒猫、身の程知らず、腹黒……)
今までも何度かした、罵声の予習を改めて心の中で繰り返しておく。
あらかじめ何を言われるか予想して、当たった、外れた、と感想を抱ける余地を残しておけば、多少なりとも心を保っていられるのだ。
タルコーザ家で身につけた、悲しい気休めである。
まあ、ここにはエルマだけでなく魔法伯邸の主人もいるし、相手は上品な見た目のご婦人だ、ゼーデンやキャロリンほど酷い言葉選びではなかろう……そう期待したい。
さてエルマがすっかり心理的に殴られる準備をして待ち望んでいると、客人はすっと身を引き、足を折り、地面に手を突き、額を突き――。
「この度は宅の馬鹿息子がお嬢様にご迷惑をお掛けし、誠に――誠に、申し訳ございませんでした!!」
エルマは目が点になる。
あれ? おかしいな、見えてはいけない景色が見えている気がする、と祖母の方に目を移したら、老女はこめかみの辺りを揉んで、それから薄目を開けていた。祖母のこんな、なんとも形容しがたい表情、初めて見た。
つられてエルマももう一度自分の前を向く。
何度見てもそこには、誇り高く、気品ある、それはもう見事な土下座中の公爵夫人がいた。
エルマは驚愕と共に確信――というか直感した。
(この人間違いなくユーグリークさまのお母上だわ!!)
ああ懐かしいこの、絶叫すら出てこない感覚。
あれは指輪を握らされた時だったろうか、それとも振り返ったらそこに覆面の男が立っていた時だったろうか、あるいは天馬の上に引っ張り上げられた時だったろうか。
「君といると毎日が退屈しない」と言われ、(わたしの台詞なのですが)と思った、あの日の思い出がほんわかと流れていく。
(どうしてなの……? 地べたに這いつくばって許しを請うのはわたしだったはず……どうしてわたしが、先んじて頭を下げられ――なんて生やさしいものではないことになっているの……??)
状況は理解した。代わりに思考が完全停止する。
しかしユーグリークとあれこれあった時とは異なり、この場には第三者の救いがあった。
「顔をお上げになって、公爵夫人。わたくし、事情が飲み込めておりませんの。これは一体、どういった勘違いなのでございましょう。お聞かせいただけませんこと?」
誰よりも早く立ち直った屋敷の主人が、本来あり得ない姿勢になっている客人の傍らにそっと膝を突く。
さすがに年の功というものだろうか、ファントマジット魔法伯夫人は冷静だった。
顔だけ見たら、エルマと午後のお茶を楽しんでいる時と全く変わりない表情だ。先ほど一瞬怯んでいた場面が幻だったのかと思えてくるほどに、平常心。
(すごい。お祖母さま、すごい)
若輩の孫はただただ、祖母の偉大さにおののくばかりである。
しかし問題なのは未だ公爵夫人が低姿勢でいることだ。顔はなんとか上げてくれたが、未だ地面に膝と手を突いたままである。
「……その、確かに一時、エルフェミアはそちらのお宅にお世話になっていたと聞いています。ですが――」
「そうです、うちの馬鹿は一時の衝動に身を任せ、お宅のお嬢さんを力尽くで誘拐しました。恥ずべき行いです」
公爵夫人は重々しく言った。エルマはむせ、魔法伯夫人の穏やかだった空気がすうっと冷えた。
「……エルフェミア? どういうこと? わたくし、保護していただいたとしか、聞いていませんけれど」
「あの、お祖母さま。誤解です。違うんです。話せば長いことながら――」
「ユーグリークは我が家の天馬を悪用し、許可なくお嬢様を我が家に連れ帰ってきて閉じ込めたと」
「まあ」
「ちがっ――いえ、確かにそんなこともありましたが、でも――」
「それ以前にも、お嬢様に我が家の位置探知機能つき指輪をそうとは伝えず持たせ、居場所を監視しておりました。何なら今も見張っているでしょう」
「まあ」
「いえそれは――待ってください、あの、というかこの指輪、そんなことができるんですか!?」
「ほらやっぱり、ご存じなかった……!」
「まあ……」
どうしよう、ユーグリークをフォローしたいのに、いまいち援護がうまくいっていないどころか、さらに悪い方向に会話を誘導した気がする。
しかも今、何か聞いてはいけない新事実を耳にしてしまったような。ずっと右手に嵌めてる婚約者の証を、ちょっとだけ外したい気分になってきている。
それにしても、エルマの身分が低いことや、使用人同然の生活をしていたことを責められる心づもりならできていたが、まさかこんな風にピンチになるとは思ってもみなかった。
混乱しているエルマをよそに、どんより空気の保護者達は話を進めていく。
「わたくし、今まで、困っていたエルフェミアを善意で助けていただいた、ということしかお聞きしていなかったのですけれど……そうではなかった、ということになってしまうのかしら」
「援助していたことは確かなのですが、どうも一方的に想いを押しつけていたのではないか、と」
「でも、わたくしがお会いした時には、エルフェミアも好意を寄せていたように見えたのですけれど」
「ユーグリークは、力のある子です。我がジェルマーヌ家の嫡男ですし、何より……あの子の顔は人を魅了する。気に入った相手を思い通りに振る舞わせることなど、造作もないでしょう。……そんなことはしない子だと、思い込んでいたのが私の間違いでした」
その言葉を耳にした瞬間、散乱していたエルマの思考が一瞬でまとまり、今度ははっきりした言葉となって口から飛び出す。
「違います、わたし、ユーグリークさまのお顔、見られます! 見ても、ちゃんとわたしでいられます!!」
公爵夫人が弾かれたように顔を上げ、祖母は珍しく大声を上げている孫に驚いている。
エルマはぎゅっと両手を握り、先ほどまで詰まっていたのが嘘のように、すらすらと続きを連ねていく。
「ユーグリークさまは悪くありません! あの時のわたしは、タルコーザ家に仕えることが全てで……最初はユーグリークさまも、見守ってくださっていました。だけどわたしが、その……傷ついていた、から。だからあの人は、強引にでもわたしを連れて行くしかないと思って、そうなさったんです」
……確かに、行い自体は褒められたものではなかったかもしれない。
だけど彼は、エルマを助けてくれた。
エルマすら知らなかった彼女自身の救いを求める声を聞き取って、外に連れ出してくれた。
常識外れだと思うし、未だに言動は読めないし、エルマを恥ずかしがらせて喜んでいるようなところとかは、ちょっと反省してほしいと思う。
それでも好きなのだ。大好きなのだ。どうかと思う所もひっくるめて、全部。
この気持ちは、エルマ自身が育んだ、エルマだけのものだ。誰にも否定させない。
「ユーグリークさまは、悪くありません――! わたし、ちゃんと好きです。あの人に誘惑されたなんて言わないでください。わたしがあの人のことを、愛しているんです!!」
一通り胸の内を全部さらけ出したエルマは肩で息をしていた。
少し時間が経ってくると、(あれ、わたし、今何を……?)と弱気が顔を覗かせ始める。
「……見られる? あの子の顔を?」
呆然と、公爵夫人が呟く。
ふーっ、と大きく息を吐いた老女が立ち上がり、さりげなく客人のことも立たせる。
「お茶を入れましょうか。我々はもう一度、お互いに落ち着いて、事実を確かめるべきでしょうから」




