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3.新年の挨拶3

 しょぼんとしているユーグリークを見ると、エルマは自分が少し言いすぎただろうかと思いかけ、いやこれは悪い癖だとすぐに自省する。


 ユーグリークのことは大好きだが、だからといってなんでも受け入れて良い訳でない。はずだ。

 彼の底なしの好意にズブズブに嵌まったら、エルマは自分自身で立てなくなってしまう。

 そういうのは、エルマにとってだけでなく、ユーグリークにとってもよろしくないことであると思う。


(……喜んで貰えたのは、素直に嬉しいけれど)


 しかしこの、手袋を嵌めた両手で嬉しそうに頬等触っている様子、駄目と言っても本当に毎日つけるんだろうな、と容易に想像できる。


 ならばエルマにできることは、せめてなるべく早めに、もっといい手袋を用意することぐらいだろうか。


(だって、デザインが気に入らないわ……稚拙だわ。ユーグリークさまは体の線が完璧に整っているし、身につけている物が一流品ばかりだもの。手元だけ浮いている気がする)


 エルマのユーグリークに対する好意には、敬愛の他に憧憬辺りも混じっており、それが贈り物ハードルを自ら上げている節があった。

 自分だって相手にかなり入れ込んでいるのだが、何分本人に自覚はない。

 そして相手の過剰にも思える態度に注意喚起を行うエルマと違い、ユーグリークは余すことなくエルマの愛情を全て受け入れる心持ちである。


 つまり、この場にエルマの暴走を止める人間はいない。


 エルマがユーグリークの手元に熱い視線を注ぎながら手袋リベンジ計画を練っている間に、彼はハンカチを取り出している。これもエルマが前に贈ったものだ。


(そうか、同じ身につけると言っても、ハンカチは普段しまっているけれど、手袋は目立つ場所につけるのだもの……迂闊うかつだったわ、こんな初歩的なことを忘れるだなんて)


 エルマが自らを猛省している間に、ユーグリークはせっせと指先を拭っている。なぜそう爪先まで完璧なシルエットを描いているのか。


(機能性重視だったつもりだけど、やっぱり見た目も良くないと……作り直す? いいえ。革手袋がいいのだわ、きっと。お店ってどこにあるのかしら。というか、わたし一人で入っていいような場所なのかしら……)


 ユーグリークはハンカチをしまい、そっと彼女の手を取り、ひとまとめにして、片手で確保した。

 優しく自然で洗練された所作だったので気がつかなかったが、緩い拘束の完成である。


 ん? とエルマが不穏な気配に気がついた時にはもう遅い。

 彼のもう片方の手が――その指先が、エルマの顔に触れた。


「…………!?」


 声も上げられない。何しろ冷えた指が唇に触れたからだ。

 他の四本指を頬の辺りに這わせつつ、ユーグリークは冷たい親指でエルマの唇をなぞる。


「――! ――――!! ――っ、~~~~~!!!」


 喋れないし逃げられないエルマは全身で抗議を、というか、(なにをするんですか――っ!!)という心の絶叫を表明しているのだが、悲しいことに状況は変わらない。


 頼みの防波堤、天馬も未だゆで卵の制覇に忙しいらしく、こちらに目もくれずはぐはぐ籠を揺らしている。

 ユーグリークは気が済むまで、エルマの唇に愛撫を重ねる。


「……ん。腫れてはいなさそうだったが、これで一安心だな」


 油断していた。そうだこの男、有言実行の鬼だった。


 また会おう、と言った翌日に背後に立っていて、持ってくる、と宣言した高級食品を本当にその日中に持参する。大人しいように見えて、驚異的な実行力と遂行力の塊なのである。


 だからエルマ本人が手袋のことですっかり忘れていた唇のことも覚えていたし、エルマが気を取られている間にちゃっかり準備まで済ませてことに及んだのであった。


 ようやく解放されたエルマはわなわなと肩を震わせる。


「ユ、ユーグリークさまの……!」

「馬鹿?」

「う、うう……!」


 元はと言えば、祖母に逢い引き待機現場を見つかり、慌ててホットミルクを口に含んだエルマが悪い。

 ユーグリークはあくまで、婚約者の体を気遣っただけだ。


 ……が、なんだろう。この、一方的にこちらだけ何か色々失ったような気分になっているのは。

 余裕に満ち満ちた微笑みのなんと小憎らしいことか!


「エルマの火傷を治すためなら、俺は馬鹿にも阿呆にも喜んでなるけどな」

「ならないでください! 大体ですね、こういう恥ずかしいことはやめましょうって、前にお約束しませんでしたっけ……!?」

「俺はエルマを癒やしていただけのつもりだったが、エルマはそんなに恥ずかしかったのか?」


 そしてもう一つ忘れていた。

 この男、一見物静かで口下手に見えるが、喋る時は結構喋るのだ。

 たぶん彼の主人兼大親友(仮)である王太子殿下の悪影響だと思う。


 先に言葉が出てこなくなったエルマは、それでも黙って引き下がるのは悔しく、おもむろにがばっとユーグリークの顔に手を伸ばした。


 ……が、「あなたも同じ辱めを受けるがよいのだわ!」計画は頓挫した。

 いくら耐性のあるエルマでも、魔性の男の口元をどうこうする度胸はなかった。


 結果的に両手で頬を挟むだけにとどまった彼女を、完全に微笑ましい物を見る目でユーグリークが眺めている。


 が、彼はふうっと重ための息を吐き出した。


「こうしていられるのもあと少し、か……」


 雰囲気の変わった彼に、エルマは目を瞬かせる。


「……その。お屋敷にご両親がいらっしゃるから、でしょうか……?」

「うん。二人がいると、今までみたいに気軽に会いに来るわけには、どうしてもな……しかもどうやら、予定を前倒して来るつもりらしいんだ」


 ユーグリークは現在、使用人達と共に王都の屋敷で暮らしている。とは言え、彼はれっきとした貴族の嫡男だ。通常であれば、今頃はまだ公爵領にいる時期のはず。


 では何故ユーグリークだけ通年で王都に置かれているのかと言えば、息子ひきこもりにもう少し人脈を広げてほしい公爵家当主の意向と、王太子もんだいじのやんちゃに睨みを利かせておいてほしい現国王の意向辺りが、主な理由なのだそうだ。


 公爵夫妻は例年、年明け後、領地の祝祭を見届けてから王都にやってきて、夏頃まで滞在するらしい。


 ところが今年は領地の祝祭は他の人に任せ、早めに王都入りする、ということだ。


「……もしかしなくても、わたしのせいでしょうか」

「まあ、俺のせいでもあるな……」


 二人は互いにため息を落とす。


 ユーグリークとエルマは婚約者だが、出会ったのは三月ほど前――そう、期間にすればまだ四半期分しか互いを知らない。電撃婚約と言って差し支えない。


 しかも今まで縁談に目もくれず、舞踏会では壁の花上等、「息子や、いくら顔の事情があるからと言って、もうちょっと人間関係に本気出してもいいんじゃないの? というか、出そう?」と毎年父親に言い聞かされていた約束されし将来の行き遅れが、諸々の途中経過を全部すっ飛ばし、婚約報告をしてきたのである。


 その上、契約ではなく恋愛結婚(予定)。

 まあ、驚くだろう。そして先方のご両親は当然、相手の正体を確かめに来るだろう。それが自然だし、むしろ何も言われない方が怖い。エルマだって覚悟はしている。


 が、相手は大貴族夫婦。つい先日までほぼ使用人だったエルマにとっては、完全に未知の相手。いよいよその時が来ると告げられると、ずーんと胃が重くなる。


「わたし、きちんとご挨拶できるでしょうか」

「エルマは……………………。問題ない、と思う」

「本当ですか? 今、結構長い間がありませんでしたか?」

「いや、両親と会うことについては、エルマは本当に心配しなくていい。君は君のままで……まず大丈夫だと思う、うん」

「でもわたし、やっぱり一度は地面に頭を擦りつけて誠意をお見せした方がいいのでは――」

「そんな誠意はいらない。やめてくれ。本当に、普通にしていてくれて大丈夫だから」


 ユーグリークが焦るような素振りを見せたので、エルマは少し溜飲が下りた気持ちだった。


 それに、両親が早めにやってくるからこそ、ちょっと無理をして今夜会いたいと言い出したのかと、彼の事情も把握できた。


「まずはお互いの家族にご挨拶をして、社交界に出て、正式に婚約を発表して……」

「それでも結婚は最短半年後。長いな……」


 言葉が切れると、沈黙が落ちた。

 ややあってから、エルマがぱっと口元を押さえ、くしゅん! と小さく音を漏らす。さすがに冷えてきたのだろうか。


「ケープと屋根があるとは言え、ここも屋外だ。あまり君を長居させてもいけないな」


 ユーグリークが立ち上がると、エルマの手は自然と伸びて彼の手に触れていた。

 空になった籠の中を未だにつつき回しているフォルトラの所へ行こうとしていた彼が、足を止めて向き直る。


 銀の視線が降り注ぐと、エルマの平凡な焦げ茶色の目が、うっすら紫を帯びていく。


「……次に会えるのは、俺の両親を紹介するときになりそうだ」

「わたし……認めていただけるように、精一杯、頑張ります。あなたの隣にいたいから……」


 引かれるように近づいた二人は、互いの瞳に映り込んだ相手の姿を見る。

 ユーグリークが身を屈めた。

 今度こそ、エルマは瞼を下ろし、迎え入れる。


 軽いリップ音を立てて名残惜しげに離れたユーグリークがまた笑った。


「今年もよろしく、エルマ」


 エルマは返事の代わりに、彼の首に腕を回してぎゅっと抱きついた。




 ――さて、そのように若干の波乱を経過に挟みつつ、恋人同士の新年の挨拶はほぼ滞りなく済まされた。


 しかし嫌な予感ほど、的中するもの。


 一週間ほど後、ファントマジット邸に突如、ジェルマーヌ公爵家の奥方が鼻息荒く押しかけてきたのであった。

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