16.孤児院視察 1
ジェルマーヌ公爵家の男性陣が屋敷で厳しい問題と直面していた頃、夫人達は公営の福祉施設を視察していた。
「さ、皆! 奥方様と若奥様にご挨拶をするんだよ!」
「ごきげんよー!」
院長が声をかければ、子ども達が元気よく挨拶する。
ここは身寄りのない児童の収容施設――一般的な呼び方で説明するなら孤児院だ。
王国の建国時、国には非道な魔女によって親を失った孤児が溢れていた。
慈悲深き王は未来を担う若者達が世に溢れていることを憂い、庇護者たる大人を集め、暮らしていける建物を建てた。
貴族達も持てる者がなすべき当然のこととして、王にならった。
そして孤児の数がかつてほどではなくなった今の時代になっても、貴き精神は受け継がれている。
――なお、これは一般的な話であり、エルマは関係筋からもう少し違った孤児院の歴史を共有されている。
最初に浮浪児達のための施設が作られたのは王国より前、つまりは無貌の魔女の時代だった。
絶大な力で世を支配した魔性の女は、人間に平等に恐怖と死を与えた。一方で、それまで誰にも顧みられなかっただろう存在を庇護もしたのだ。
だが、魔女はこの世の悪として討たれ、王国が興った。
顔のない女の記録は抹消され、悪いことはすべて旧いこととされた。
同時に、魔女が成した善いことは、すべて王家と貴族達のものとなった。
(……でも、それはきっと新しい世を維持していくのに必要なことでもあったのね)
子ども達に笑顔で応じながら、エルマの思考は巡る。
今日の訪問先が孤児院となったのは、まだ次期公爵夫人としての公務に慣れていないエルマへの配慮もあるが、それ以上に現公爵夫人が直々に施設の在り方を確かめるためでもある。
先日、エルマの実家、ファントマジット魔法伯領に魔女を騙る少女が現れた。事件自体は若夫婦によって解決しているが、その出自の元をたどれば孤児であったらしい。
救いの手から零れたのか、それとも救いに見せかけられたその手こそが地獄への誘いだったのか。
どちらにせよ、施設の運営状況を見直す理由には充分過ぎた。
『よろしいですか、エルフェミア。かの少女が魔女となったのは数十年前とのこと、既に発端の組織も壊滅している。とはいえ、かつて火種があったのなら、今続いていることも、また別の場で同じように問題がくすぶっていることも可能性として見過ごせない。子ども達の様子にも、それから大人の様子にもよく目を配るのですよ』
道行きの馬車の中で義母から言い聞かされた言葉である。
新参者のエルマはいかにも物珍しげな顔をして、あちこち見回してみている。
(建物は古いようだけど、手入れと掃除がされている。服装はお揃いの支給品……これも目に見えてぼろきれのようなものはないし、洗濯もされていそう。体つきは総じて、ちょっと痩せ気味の子が多いかしら。顔色はそこまで悪くないけれど)
大人達は貴族を迎えることにちょっと緊張が見られたし、子ども達は興奮しているようだったが、今の所は特に不審な点はないように感じられる。
「おくがたさま、ごきげんよう」
「まあ、ごきげんよう。私にくださるの?」
「うん!」
「その、奥様には珍しい花でもないでしょうが……」
「いいのよ。嬉しいわ。ありがとう」
その間に、公爵夫人は花束を贈られていた。あまり貴族同士ではやりとりしないだろうその辺で摘んできたものもありそうだが、夫人は心から喜ばしい顔で応じる。
彼女は既に何度かこの施設に顔を見せたことがあるらしく、見知った麗しの奥方様にわらわらと小さき者達が集ってくる。
「おくがたさま、ぼくも花!」
「おれも!」
「あたしがさきよ!」
「ホホ、皆元気がよくて何よりだこと。今日もご本を読み聞かせてあげましょうか」
群がってくる集団の相手をしながら、さりげなく公爵夫人の目がエルマの方に向けられた。
淑女は口元を扇で隠し目で意思疎通するもの。エルマは近くの大人の方に顔を向ける。
「あの、わたし、ここは初めてなので。色々見て回りたいのですけれど……」
「もちろんですとも、若奥様。ご案内します」
夫人につき、実際の彼女の立ち居振る舞いを見て学ぶのもエルマの仕事だが、無知である彼女だからこそ探れることもある。実際の生活空間の状況、そもそも立ち入り可能なのか、子ども達の反応……得るべき情報にはきりがない。
嫁がしっかり己の使命を心得ていそうなことを見て取った夫人は笑みを深める。
エルマの方は、
(お義母さまと離れるのだから一層観察しないと! あとわたしも見られているということを忘れない!)
等と自分に言い聞かせるのに忙しく、その様がまた良い初々しさを出している。
「先生。あたしが案内するわ」
歩み出そうとした職員に、すっと手を上げる者があった。
お下げ髪の少女だ。十三、四ぐらいだろうか。意志の強そうな鳶色の目が印象的である。
他の子達が見慣れぬエルマに臆すか遠慮するかといった様子を見せているのに比べ、積極的だ。もう少し下の年齢の子が多いためか、一段大人びているように見える。今までエルマが見回していた時には特に印象に残らなかったので、どこか物陰から様子を窺っていたのかもしれない。
「シャーロット! また、あんたって子は……」
「いいでしょ、先生。あたしが一番、勉強ができるんだし。適任だと思うけど」
職員が苦々しい顔になると、少女は舌でも出しそうな表情になり、お下げ髪を指でくるくる弄ぶ。その挑発的な面影を残したまま、エルマまで流し見した。
これはもう、明確に少女から試されている。
エルマ=タルコーザだった頃であれば、このような手合いには躊躇していたかもしれない。だがエルフェミア=ジェルマーヌは、少女の小生意気さを新鮮で興味深いと感じた。
親友のネリサリア=ヒーシュリンも行動的な女性だが、彼女はれっきとした令嬢である。野心を感じさせる跳ねっ返りの相手は、考えてみれば初めてかもしれない。
「彼女に案内役をお願いしても?」
「若奥様。その、ご覧の通りの跳ねっ返りでして。何かご無礼があるかも……」
「構わないわ」
「やった!」
こっそり視界の端で確認すれば、夫人も面白そうな目をちらっとこちらに向けたようだ。読み聞かせを既に始めていたから、すぐに本の方に戻ったが。
シャーロットという名の少女はエルマに駆け寄るとぱっと手を取り、歩き出す。
「これ、シャーロット! 手を引っ張るなど!」
「エスコートよ! 先生こそ勉強して! で、若奥様はどこが見たいの?」
エルマは急いでドレスの裾をさばき、少女の軽やかな足取りに続く。
「見てもいいなら、寝室はどう?」
「寝室? ……まあ、いいけど。面白いものなんてあるの?」
「どうかしら。見てみないとわからないかも」
少女は怪訝そうな顔をしたが、嫌がる様子はない。勝手知ったる顔でずんずん進んでいき、勢いよく扉を開ける。
「ちょっと何、今日は――えっ、お客様?」
「きゃあああっ!?」
室内には二段ベッドが二つと、机と椅子、それに小ぶりな棚が備え付けられているようだ。
いかにも寛いでいた少女達が迷惑そうに顔を上げ、次いでエルマに気がついて血相を変えた。
エルマも慌てるが、一人案内役だけは堂々としたままである。
「ほら、ここがあたし達の部屋。面白くもないでしょ?」
「あ、相部屋だったの。ごめんなさいね、お邪魔して……」
「で、出てって! いったんドアを閉めて!」
「きゃあ、きゃあ、きゃああ!」
かしましく追い立てられたエルマはいったん廊下に退避する。少女に目を向けると、相変わらず小生意気そうな顔をしていた。
「どう? 見慣れなくて面白かった?」
「ええ……見慣れなかったのは事実だけど。人がいるってわかっていたのでしょう? 開ける前に声をかけないと」
「どっきりって奴よ」
「親しき仲にも礼儀あり、と言うわ。他人にわざと損をさせることをなんとも思わないなら、考えものね」
同輩が慌てふためく姿を見たいのは年頃の少女がゆえなのかもしれないが、やられた方からすればたまったものではないはずだ。
エルマが諭すと、少女も真面目な顔になった。
「……やり過ぎたかも。ごめんなさい」
エルマは内心感心した。彼女の知識や経験では、あの手の悪戯をしてここですぐ反省できる人間は少ない。演技かも、という可能性も頭の片隅に置きつつ、やはり興味深い少女だと改めて認識する。
「偉いわ。そしてその言葉は、お友達に言ってあげて」
「はあい」
「いいわよ、入って!」
ドタバタしていた物音が一段落して、室内からお許しの声がかかる。
改めてエルマは、私室に失礼させてもらった。




