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それは はたから見れば、姫の首筋に口づけているようにしか見えない光景であったが、実際のところイードは、フェリチェの首に添えた自らの手の甲に唇を寄せていた。
皮膚を少し食むようにして吸い付き、しばししてから唇を離す。紅々と小さな痕ができているのを確認すると、腕の中で硬直しているフェリチェに示し見せた。
「要は、こういうことなんだけど」
「うぅ……、お……おお、まさにこれだ! ええと、見えなかったがどうやったんだ?」
おさらいのように再度、手に口づけるイードの仕草をフェリチェは真似る。
「そうか、なるほど。口づけて吸……はっっ!?」
ようやく合点がいって、フェリチェの頰に火が灯った。
「つ、つまり、それをする意味とは……」
「意味……、意味かぁ。皮膚への接触で性感を引き出すのが直接的な目的かな。或いは視覚的、聴覚的に扇情するものかもしれないね。ーーここまでで、理解できたかな?」
「う、うむ……。ねっ、閨事の類ということだな」
「そういうことだね」
なんということを聞いてしまったのだろうと、フェリチェは穴にも潜りたい思いだ。
「それで? チェリはどうしてほしいんだっけ?」
「ちちちちがう! そういうことがしたいんではなくっ……知らなかったから、少しいいなと思っただけだ!」
どこか秘めやかで特別な証に理想を抱きすぎたのだと弁明する。
「そう。俺は嫌だけどなぁ。健康な肌に、わざわざ鬱血を作るっていうのが好きになれない。それに、その痕を見たら、周りは君をどんな目で見るのかな」
「どんな?」
「さっき君が言った通り、これはほとんど情事の証だよ。そんな痕を残したチェリを見たら、皆は頭に思い描くんだろうね。一糸纏わぬ君の姿を、情交に耽るその姿を。その場合、相手は誰だろう? やっぱり俺かな?」
『わああああああああ!! もう結構です、わかりましたわ! わたくしが浅薄でした! もう頼んだりしませんから、このことは忘れてくださいませ!』
まったくもってその通りだと、どっと疲れを覚えながらルタは甕の欠片を集める。
姫の純朴さに輪をかけて、婿のこの性格ーー心臓がいくつあっても足りなかった。
* * *
今更ながらに恥じ入って、熱い頬を冷やすため水を使いに来たフェリチェに、ギュンターは柔和に微笑みかける。
「目に見える愛の証が欲しいと仰るのなら、輪結びは如何ですかな」
「輪、結び?」
「オーウェンの古い求婚の儀式でしてーー」
好きな色や香りを調合し、夫婦となる二人だけの特別な墨を作る。夫妻のどちらからでもいい、輪っかにした両手を潜らせ、たっぷり墨を付けたら手を引き抜く。そうしたら片割れは、墨の付いた手の輪の中へ、腕や足を差し入れるのだ。そして肌に触れるまで輪を窄め、ぎゅっと手型を付けてもらうーーそれが輪結びという古の婚約だという。
「墨は洗えば落ちてしまうし、罪人や奴隷に墨を入れる慣習との差別化も図って、今では身につけられる輪っか状の贈り物を交換するようになっているよ。例えば指輪だとかね」
「どうです、フェリチェ殿。婚約の証に、坊ちゃんに何かおねだりしてみては」
「指輪か……」
「輪っかなら何でも、欲しいものでいいんだよ。今度、街に下りて店を見てみようか?」
フェリチェはしばし考え込む。
繊細な彫金の指輪、宝玉を連ねた首飾りーー人間の店に並ぶキラキラしたアクセサリーに憧れはある。だが、それらを買い与えてもらって愛の証とするのは、何か違うように思えた。
そして気付いた。
「そうだ。輪っかなら、もう貰っている」
フェリチェは真っ白で、すらりと優美な尻尾を撫でる。
そこに揺れる橙色のリボンを、一番初めに結んでくれたのは他ならぬイードだと、はにかんだ。
「だけどそれは、お菓子についていたものだろう。リボンがいいなら、きちんとしたものを贈るよ」
「いや、これはずっと縁を結び続けてくれていた特別なものだ。今更金で買えるものではない。フェリチェはこれがいい」
もしひとつだけ願えるなら、とフェリチェは尻尾を一振りする。
「輪結びの……婚約の印として、もう一度結び直してくれないか」
欲をかかず、純粋にそう願うフェリチェの笑顔が眩しい。微笑み返すイードの頬にも珍しく、夕陽の赤がよく映えた。
誓いを新たに、丁寧に結び直されたリボンをフェリチェは翻す。大切なリボンがさらに素敵なものに生まれ変わったようだ。これは確かに、二人だけの特別な証だ。
「なぁ、輪結びは互いに交換するものなのだろう? ならばイードにも、フェリチェから輪を結びたいんだが……」
「こういう時は揃いのものを贈るものだと思いますが。イェディェル殿にリボン……ですか?」
「うーむ……身につけられる輪っかか……」
指輪にチョーカー、イヤリング、ブレスレットにアンクレット。どれも似合いそうだが、馴染みがない。普段から家事や散策の邪魔になるものは身につけることのないイードに、何を贈るべきかは悩ましいところだ。
捨て置かれては意味がない。せっかくなら、普段使いしていられるものが理想だ。
「そうだ。腰帯の飾り紐はどうだ?」
ローブの足捌きをよくするために、腰で丈を調節するため、イードは腰帯を締めている。服によって合わせる色や柄は様々で、洗い替える必要も考慮すれば帯自体より飾り紐が無難であると言えた。
「イードの……邪魔にならなければ、だが」
「大切に使うよ」
「本当か? 喜んでくれるか? ならば今夜から早速作るぞ!」
フェネットの最上の想いを込めた贈り物、それは自らの被毛を用いた編み飾りや刺繍だ。兄の結婚祝いに作った以来で腕が鳴るとフェリチェは張り切る。
「胴回りを確かめてもいいか? 兄様より少し細いくらいだろうか」
採寸用の巻尺を置いてきてしまったため、イードの腰に腕を回し、一先ずの目算を立てた。うきうきとするあまり、自ら抱きつく格好になっていることには気付いていない。
腰帯の上に回されたフェリチェの腕こそ、結ばれた輪であるとイードは僥倖に身を任せた。
〈おしまい〉
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この後、一旦ユーバインに戻り、引っ越し等の準備を調えてから、本格的にアンシアで暮らすことになります
ユーバインでも住民の皆さんが、プレ結婚式みたいなことをやってくれそうだなぁと想像できる幸せな二人です
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