ずっとともだち3
病院へは自転車で十分ほどかかった。いつもなら、きゃあきゃあ良いながら俺の腰に掴まって後ろに乗っている優恵だが、今日は全くと言っていいほど喋らない。
「着いたぞ」俺はそう言うと、自転車を駐輪場へ止め、優恵と二人で総合受付へと向かった。番号札を取り、呼ばれるまで待つ俺たち。受付には人が多くいるのだが、嫌になるほど静かで穏やかな空気が流れている。
受付に呼ばれ、俺は事の次第を説明した。すると、受付の事務員は難しい顔をして頷く。
「その病棟へは、基本的に患者か、その家族の方しか入れません。外来は全くありませんから」そんな事務員の言葉に、軽い拒絶間を感じる。要するに、部外者は立ち入るな、さっさと帰れと言うことなんだろう。
「それはそうかも知れませんけど、私たちがネットワークを使っている間、誰かがこの病棟から接続していたんです。その真意を知りたいだけなんです」俺がしつこく食い下がり、何度も同じことを説明すると、事務員はあきれ顔で小児病棟へ内線電話をつないでくれた。
「…と言う方がいらっしゃってるんですけど。ええ、何でもそちらで端末を…」事務員はこちらをチラチラ見ながら、電話を続ける。どうやら、俺の隣にいる優恵が気になるらしい。俺は優恵の怯えた表情を見ると、そっと彼女の手を握った。
「医局員の中島がお会いするそうです。小児病棟の場所は…」
俺たちは病棟の場所を聞くと、半ば駆け出すように向かった。
その病棟は、他の建物より明るい色で統一されており、中庭には綺麗に手入れされた花壇がある。そして、子供たちが中庭で遊んでいた。俺たちの姿を見て、歩み寄ってくる子供たち。そんなに外部の人間が珍しいのか、興味津々と言う表情をしている。
「中島先生は、どこかな?」俺の質問に、ぱあっと表情を明るくする子供たち。
「中島せんせいに会いにきたの?」一人の少女が、俺を見上げて言う。非常に小柄な女の子だ。幼稚園児だろうか? それにしては、しっかりとしているような気もする。それに、なんで桜が散りつつある、この時期に毛糸の帽子なんか…
俺の不思議そうな視線に気づいたのか、少女は恥ずかしそうに微笑む。
「お母さん、まだ新しい帽子を持ってきてくれないの。ほら、わたし、髪の毛がないから…」俺と優恵は少女の言葉に衝撃を受けた。そして、そんな辛い現実をきわめて明るく話す少女。周りの子供たちも、気分を害したそぶりは見せず穏やかに笑っている。
恐らく抗癌剤かなにかで髪の毛を失った少女。それが、ここでは日常なんだ。
「えっと、如月さん?」ふと、背後から呼び止められる。振り向くとそこには、俺よる少しだけ歳が上の眼鏡をかけた白衣の男がいた。
「あ、はい。中島先生ですか?」
「ええ、そうです。何でしたら、私の部屋で話しましょう。こちらです」
俺と優恵は中島の後について行った。その途中で、子供たちがわらわらと集まってくる。はじめ、俺たちが珍しいからとも思ったが、どうやら中島に構ってもらいたくて来ているらしい。
「せんせい、きょうはあそんでくれないの?」
「せんせー、ほら、オリガミでつるをおったよ?」
中島は寄ってくる子供たち一人一人に優しく声をかけると、その頭を撫でた。
「今日は、お客さんが来たから、また後でね」中島がそう言うと、子供たちは俺が想像しなかった行動に出る。
「ん、わかった。じゃ、またねー」そう、子供たちは文句を言わずに、そのまま中島から離れ始めたのだ。ここの子供たちは、我がままさえ言わない。何故なら自分たちの我がままは、周りの大人の心を打ち砕くほどに壊すことを知っているのだ。
「物わかりの良い子供たちですね…」俺の言葉に、中島はそっと微笑む。
「ええ、彼らはそうなんですよ。明日がないことを知っているから、ああ言う行動できるんです」
「…」優恵は無言で下唇を噛み締めている。だが、その瞳には動揺が見え隠れしていた。
「さあ、ここです」中村は自室、と言うより研究室へ俺たちを招き入れた。そして、扉を閉めた瞬間、表情を強ばらせてこう言った。
「あなた方が来るのはわかってました。いつかは、こういう日が来ることを知っていたのです」
俺と優恵は椅子に座るように促されたが、座ることが出来ずに、ただ中島の話を聞くことにした。
「では、単刀直入に聞きます。『クレハ』をご存知ですか?」俺の質問を聞くと、中島は眼鏡を外し目頭を強く抑えた。
「ええ、もちろん知ってますよ」
「じゃあ、クレハが移動している時に、同じコンピュータへ接続していた人物のことは?」俺は中島の話が途切れるや否や、続いて質問をぶつけた。
「…どうしても、知りたいですか?」中島はそう言うと、俺と優恵の瞳を覗き込むように見比べる。優恵はそんな中島の問いに、真剣な表情で力強く頷いた。
「そうですか…。そうですね、これはもっと前に解決しておくべきことだったのでしょう。さあ、こちらへ…」中島は眼鏡をネクタイで拭くと、慎重にかけ直した。そして、研究室の奥の扉を開ける。
扉の向こうからは冷たく冷えた空気と微かな電子音、そして生き物の息吹が流れ込んで来た。その息吹は、今にも消えてしまいそうなほど小さかったが、信じられないほどの懸命さが感じられた。
「彼女が、クレハですよ。『伊集院 くれは』です」中島の肩越しにはベッドと機械しか見えない。俺はあまり目が良い方ではないので、懸命に目を細めこらしたが、どうみてもベッドと旧式のコンピュータ端末、それに何やら複雑な機材と人間の神経や血管のように絡み合っているワイヤとチューブしか見えないのだ。
俺がさらに良く見ようと近づくと、優恵が俺の袖を引っ張った。何事かと振り向くと、優恵は目を大きく見開きある一点を凝視している。俺はその視線の先を辿った。じっくりと見ると…、そこにはみすぼらしいほど小さく弱々しい人影があった。獣人の少女だ。
「あの子が、クレハちゃん?」優恵はゆっくりとその少女のもとへ近づく。そして、俺もその後に従う。その少女は四肢が完全に麻痺しているのか、まったく動くそぶりを見せず、時たま顎と目を少し動かすだけ。
「そうです。あなた方は気づいておられたようだが、『クレハ』なんてプログラムは存在しない。この子が、わずかに動く顎とまぶたを使ってコンピュータを操作して、あなた方と会話をしていただけなんです」中島の声が、嫌に遠くから聞こえて来た。俺のすぐ右隣にいるくせに。
「そうか、だから反応が人間臭いのか…」俺が呆然としていると、中島が端末のスイッチを入れた。すると画面上にいくつかのカーソルが高速移動し、くれはがまぶたと顎を動かすとカーソルの下にあるアイコンが決定される。そして、それを数回繰り返すだけで、文章が自動生成された。そうか、だから助詞がおかしかったんだ。助詞は、コンピュータが勝手に着けたものだったんだな。
クレハ「アナタタチ ハ ダレ? ナンデ ココ キタノ?」
俺と優恵が黙り込んでいると、不安そうなくれはの視線が向けられる。表情は全く動かないのに、その目は不安ではち切れそうに見えた。
「この子は、獣人特有の病気、退行症の第四期です…」中島が呟く。そして、俺は全てを悟った。この子は、もう長くない。そして、退行症に治療法はない。
「私は優恵、で、こっちが拓人さん…」優恵がかすれた声で言う。すると、くれはの瞳からは涙がこぼれ始めた。
クレハ「ナンデ キタ カエッテヨ! アンタ ナンカ トモダチ ナイ!」
画面にくれはの声にならない悲痛な叫びが表示されると、彼女は端末の電源を切ってしまった。そして、目を閉じて泣き続ける。これは、身体を動かすことが出来ない彼女の、精一杯の拒絶だった。
俺は、ボロボロと涙をこぼし始めた優恵の肩を抱き、取りあえず外へ出ることにした。
*
廊下に出ても優恵は涙を手で拭い続け、ずっと声にならない嗚咽を漏らしている。俺は彼女を廊下にある長椅子へ座らせると、自販機で買って来たココアを手渡した。
「ほら、飲めよ。好きだろ、この甘ったるいココア 」
「うん…」優恵は鼻をすすると、紙コップから少しずつココアを飲み始めた。
「クレハは、プログラムじゃなかったんだね」優恵の言葉に、頷く俺。確かに、自宅でログを追跡しようと思いついた頃から、この疑問と予想は頭に浮かんでいた。だが、実際のクレハの姿を見ると、何とも言えない気持ちになる。
「嫌われちゃった…。でも、何でクレハちゃんは、自分をプログラムだって嘘をついていたのかな…」
俺が返事に困り黙り込んでいると、ふと視界が暗くなるのを感じた。見上げるとそこには、中島がいた。
「それはね、ええと…」
「あ、神無月 優恵です」
「ああ、神無月さん。それは、あの子の希望なんです。いや、今までに『クレハシステム』を使って来た子供たちの最後の願いなんですよ…」中島は淋しそうに目を伏せると、俺から少し離れた場所に座った。
「他にも、ああ言う形で外部と連絡を取っていた子がいるんですか?」俺の質問に、中島はゆっくりと顔を上げた。
「ええ、その時々でシステムの名前は違いますけどね。一番最初は『ユイ』と言うシステムでした。今から二年前の話ですが、伊部由比と言う子が白血病で入院しましてね…。その子はお兄さんと二人暮らしで、歳の離れた兄妹でしたが、そりゃあ仲の良い兄妹でしたよ」
俺は伊部と言う名字に、引っかかりを覚えた。
「伊部って、まさか?」
「ええ、学園の電算機室管理者の伊部さんの妹さんですよ。どんどん弱って行く妹さんに、伊部さんが『何かしたいことは?』って聞いたら、『学園の友達と話したい』って言ったそうです。それで、初めは簡単なチャットシステムを彼が作ったんですけどね…」中島は遠い目で、廊下にかけられた労働組合のチラシを見つめる。いや、視線はそんな所にとどまらず、遥かな過去を眺めているようだった。
「だったら、何で人工知能プログラムだって、そんな嘘を?」優恵はココアの入った紙コップを持ちながら、中島に顔を向けた。可哀想に、自慢の黒髪が乱れ顔にかかってしまっている。
「それは、由比さんのアイデアなんです。彼女の提案なんですよ。もう、先の長くない一人の少女が思いついた、ちょっとしたアイデアなんです」中島はそう言うと、目尻を指で拭った。
「彼女は、何でそんな事を望んだんだろう?」俺の疑問に、中島は優しげな笑みを浮かべた。
「由比さんは優しい子でしたから。友達も由比さんと話しているのではなく、プログラムと話しているんだって思い込んでいれば、突然、プログラムが反応しなくなっても『ああ、壊れちゃったか』ぐらいにしか思わないでしょう?」
俺は脳天を鈍器で殴られたような衝撃を感じた。優恵も同じ気持ちなのか、表情を強ばらせたまま、涙を流すのをやめる。だが、徐々に優恵の涙腺は緩み始めた。
「うわああああああ!! そんな、そんなぁ! 友達のことを思って、一人で消えて行くの!? それが優しさなのっ!!!!?」
俺は泣き崩れる優恵を、しっかりと抱きしめた。肩に暖かい染みが広がるのがわかる。
「それが、ここにいる子たちの優しさなんですよ。私もそれを理解しているつもりです。ただただ、どうしても一人で去って行きたがる彼女たちを見ると…」中島が初めて涙を見せた。彼の眼鏡は涙で曇り、鼻は真っ赤になっている。それでも彼は涙を拭い、何とかいつもの笑顔を作った。
「そうか、だから俺たちを中へ入れてみたんだな。おい、優恵!」俺は泣き続ける優恵の肩を大きく揺すった。
「なに?」
「お前、クレハと友達になりたいか?」
「え??」
「だから、クレハと本当の友達になりたいか!?」俺が優恵の肩を強く握りしめると、彼女は不思議そうな顔をする。
「うん、もちろん…」優恵は自信なさげに言うので、俺はさらに声を大きくした。
「本当だな! 辛いが耐えられるか!?」俺の言葉の意味を理解したのか、優恵は真剣な表情になり力強く頷いた。
「うん!」
優恵の気持ちを確認した俺は、彼女の手を引き病室へと舞い戻った。
*
機械の埋もれる少女、クレハ。俺たちが病室へ戻ると、目だけを動かし視線をこちらへ向ける。だが、すぐに目を閉じ、拒絶を続けた。
「クレハちゃん、勝手に来ちゃってごめんね?」
優恵の言葉に、瞼をピクリと動かすクレハ。だが、依然として、目は閉じられたままだ。
「あのさ、勝手かも知れないけど、これだけは聞いてくれないかな…」優恵は沈痛な面持ちで、クレハを見つめる。そして、椅子を引き寄せるとベッドの脇に座った。
「私ね、昔は政府の研究所にいたの。生まれてからずっとね。でね、そこに大勢の友達がいたのだけど…」優恵は目を閉じ、穏やかな表情で話し始めた。俺はそんな優恵とクレハを、遠くから眺める。
ふと窓を見ると、既に沈みきってしまったかと思っていた太陽の残滓が、わずかに山の稜線に映る。この病室からは、臨海地区でなく山手地区が見えるようだ。微かに見える奥多摩の山々は、何故かとても懐かしく感じた。
「…でね、そのときの友達は、もう誰もいないんだ…」
優恵がゆっくりと目を開けると、クレハも瞼を開け不思議そうに彼女を見つめた。
「皆、実験に耐えられなかったみたい…。それに、病気の子ばっかりだったからね。でもね、そう言う子たちと最後まで友達でいれて、私は幸せだったな。だってさ、今でもここにいるんだよ?」優恵は微笑みながら胸に手を当てた。そして、何かを信じるようにクレハを優しげに見つめたのだ。
優恵の言葉に、クレハは目を閉じる。だが、その目尻からは涙が次から次へと溢れ出ていた。
「もしね、もし、クレハちゃんが淋しいなら、よかったら友達になってくれないかな? 私、もともとあまり友達がいないから、なってくれたら嬉しいな。てへへ、こんな変なコじゃダメだよね…?」優恵はそう言うと、涙をにじませながら無理矢理微笑んだ。彼女が本当に辛い時に見せる、あの微笑み。俺はそれを見て、心臓がすりつぶされるような感覚を覚えた。
クレハはそれからずっと目を閉じていた。ただ、目を閉じて涙を流し続けるだけ。
「如月さん、神無月さん、そろそろ夕飯なので…」いつの間にか中島も病室へ戻り、俺たちに外へ出るように促した。
「そう、ですか…」優恵は、あの微笑みを浮かべながら、そっと椅子から立った。
そのとき、端末が微かな唸りをあげて起動する。そして、画面には文字が表示され始めた。
クレハ「ウン ズット トモダチ」
優恵はそのままベッドにすがるように伏せて、大声で涙を流し始める。クレハは、そんな優恵をそっと優しく見つめた。




