9 林田 / 菊池守(公園)
「編集長はお前にできるだけ早く戻って来て欲しそうだったけど、そんなのガン無視して、しばらくはずっと休んでいいと思うよ」
菊池守の自宅近くにある公園まで来ると、林田は自動販売機でコーヒーを二本買った。
「つめた〜い」と書かれたボタンを押したはずなのに、微妙にぬるい。もしかしたら補充したばかりなのかもしれない。
いつものことだ。何をやってもツイてない。
面白いぐらいに嫌なことしか発生しない毎日に林田はうんざりしていた。
きっと自分の行動する先々に残念な出来事を発生させるために奔走している闇の組織でもいるのかもしれないとか、どうでもいいことを考えながら林田はため息をついた。
振り向いて菊池を見ると、瞳の奥はずっと何かに怒っているかのような異様な目をしたままだった。
何もしゃべらず突っ立っている菊池を無理矢理ベンチに座らせると、コーヒーの片方を菊池に手渡した。
「いくら仕事が溜まってるって言われたって、無理に復帰とかしないほうがいいぞ。お前が完全に潰れたら、新しくて活きのいいだけがウリの微妙に使えない奴が補充されて、また一から仕事教えたりとかクソ面倒臭いことが発生して、俺らみたいな窓際が尻拭いする羽目になってかえって困るからさ。とりあえず今は休め、わかったか」
いつまでたっても自分で缶を開けて飲もうとしないので、わざわざプルタブを開けてやってもう一度渡してみるが菊池は受け取らない。
仕方なく林田は二本とも続けて飲み干した。ぬるい上にマズくて甘ったるいコーヒーを二本も消費する羽目になるとか、本当にツイてない。
「いろいろ大変だと思うけどさ、しばらくゆっくりしたら、また元気になるよ。俺も同じような時期があったから。復帰したら編集長の言うことなんか話半分で聞いてさ、適当に仕事すればいいよ。期待してるとか、お前のことを思って任せるとか、綺麗な言葉を使って人のことをこき使うような人間のことなんか相手にしなくていいよ。自分を大事にしてくれない相手なんか、こっちだって大事にしなくていいんだからな」
精神的に疲弊しきっている菊池の姿を見ていると、まるで昔の自分を見ているようだと林田は思っていた。
最初のうちは林田も、「誰かを救いたい」「ペンの力でなにかを変えてみたい」そんな使命感にあふれていた。
だが、悲惨な事件や嫌な事件を調べてPVを稼ぐために煽るような記事を書き連ねるうちに心も荒み、周りの期待に押しつぶされて精神的に追い込まれるようになった。
デイリーや週間ランキング、ツイッターなどのSNSの反応に一喜一憂し、バカみたいに振り回されていた。
同じような内容でも自分が書いた記事だけPVが悪ければ、なにが悪かったのか自問自答しすぎてわけがわからなくなり、自分よりPVを稼ぐ同僚を妬み、やがて誰も信じられなくなって疑心暗鬼になり、職場で孤立していった。
そんなタイミングで恋人にも逃げられ、家族にも不幸が続くといった、たたみ掛けるような最悪な出来事に耐えきれなくなり、やがてぷっつりと心の糸が切れて会社に行かなくなった時期が林田にもあったのだ。
「確かにプロポーズに失敗したってのもキツいし、好きだった女の家族がいろいろやらかしたってのもアレだけどさ、このタイミングでフラれたなら、ある意味ちょうどよかったじゃねーか。女は世界に一人じゃないんだから、この機会に新しく代わりの……」
林田が衝撃と風圧を感じた瞬間に、持っていた空き缶が菊池の手で払われて、遠くに転がっていた。
菊池は憎しみと悲しみと後悔と様々な感情がないまぜになった表情で、林田を睨みつけている。
「代わりなんて……どこにもいない」
そう言い残して、菊池は公園を出て行った。
「なんだよ、人がせっかく親切で言ってやってるのに」
林田は転がっている空き缶を拾うと、苛立ちまぎれにゴミ箱に向かって投げ捨てたが、カゴの角にはじかれて草むらの中に缶が消えた。
「くそっ。どいつもこいつも俺のことをバカにしやがって」
意地になって空き缶を探して、拾っては投げ入れてを繰り返し、何度も失敗する。ようやく二本ともゴミ箱に入れてから、ふと我に返る。
心が折れた後輩一人を慰めることすらできずに、こんなどうでもいいことでしか自分を満足させられないなんて、どれだけ哀れで惨めなんだと、林田は自分で自分を嘲笑う。
菊池の姿はもうどこにもない。
世の中のありとあらゆるものに拒絶されたような気分を味わいながら、林田は力なく会社へ戻って行った。




