私は悪役令嬢になる
お話の最後に今後の更新についてのご連絡があります。
宜しくお願い致します。
マリーだった。私は目を見開いて彼女の姿を見た。その手には愛用のバイオリンケースが握られている。
「カタリナ、泣いてたよ? 何があったの?」
そう言って、周囲の空気を伺いながら私の方へ歩み寄ってくる。
「マリアベル様、ようこそおいてくださりました」
その場を取り繕おうと執事が頭を下げると、他の使用人たちも揃って頭を下げる。
「あ、どうもご機嫌よう。ねぇ、オフィーリア、今日の音楽コンクールなんだけど……」
「誰が……」
私は彼女に背を向ける。そして、奥歯をきつく噛みしめる。
「え?」
「誰が私の部屋に勝手に足を踏み入れてよいと言いました?」
振り返りマリーを睨みつける。彼女は困惑に満ちた顔で、私の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「え、だ、だって……。そ、そんな……オフィーリア……どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、ありませんわ。あなた、自分の身分を弁えているの? さも当然のようにこの屋敷の絨毯を汚さないでくださるかしら」
この部屋にいた全員の顔が引き攣った。
それまで当然のようにこの屋敷を訪れ、私の部屋を自由に行き来していたマリーに対し、そんな苛烈な暴言を言い放ったのだから。
「どうして……どうしてそんなこと言うの……オフィーリア……? 私たちお友達じゃなかったの……?」
マリーは華奢な肩を震わせ、目に涙を溜めながら言った。
「……お友達? 私と友達だと名乗れば、コンクールで少しは贔屓してもらえるとでも思ったのかしら?」
「……!?」
「お嬢様! さすがに、お言葉が過ぎますぞ!」
耐えかねた執事が声を荒げて制止に入る。
「黙りなさい! 私はマリアベルさんと話しているのです」
「そんなこと……」ぽつりとマリーが言った「そんなこと、思ってないよ……。私、ただ、オフィーリアに私のバイオリンを聴いてほしかっただけなの。友達として、親友として……」
「マリアベル様……」
「でも、友達と思ってたのは私だけだったんだね……。ごめん……勝手に舞い上がっちゃって……」
溢れる涙を片手で必死に拭うマリーの姿を、私は無感情に見つめる。使用人たちの軽蔑を含んだ視線が肌を刺す。
「ねぇ、オフィーリア……。もう、私のことマリーって呼んでくれないの?」
それは、泣きそうな彼女の最後の訴えだった。
二人の間にあったはずの、かけがえのない友情を確かめようとする、悲痛な問いかけだった。
「……見返したければせめて、音楽コンクールでそれなりの成果を上げるのですね。……マリアベルさん?」
「……っ!」
マリーの美しい顔が、絶望で酷く歪んだ。
何かを言い返そうと唇を震わせたけれど……結局、彼女は何も言わなかった。
マリーは勢いよく踵を返すと、涙を撒き散らしながらそのまま走り去っていった。
静まり返った部屋で、私はただ、開かれたままの扉の向こうの暗がりを、じっと見つめていた。
取り残された使用人たちはみな、居心地が悪そうに俯いていた。
「……みんな、この部屋から出ていきなさい」
彼らは不安げにそれぞれの顔を見合わせ、そして、何度も私の冷めた顔を伺いながら退室していった。
扉が閉まり静寂が訪れる。私は窓際に立ち、前庭を見下ろした。
そこには、バイオリンケースを抱え、肩を落として失意のまま歩くマリーの後ろ姿があった。
その背中は小さく遠ざかり……やがて、屋敷の大きな門の向こう側へと消えていく。
張り詰めていたものが、音を立てて崩れた。
「……っく……ううっ……」
膝から力が抜ける。私はその場にしゃがみ込み、両手で口元を覆った。
「ごめん……ごめんね……マリー……」
堪えていた涙が、一気に溢れ出した。
「マリー……マリー……」
何度呼んでも、返事はない。
さっきまでここにいたのに。いつもなら、笑いながら私の名前を呼んでくれていたのに。
もう、私のことを「オフィーリア」と呼んでくれることさえないのかもしれない。
「ごめん……ごめんなさい……!」
私は床に手をついた。涙がぽたぽたと絨毯を濡らしていく。胸の痛みが止まらなかった。
「本当は……そんなこと、言いたくなかった……っ!」
分かっている。あれが必要だった。
マリーを守るためには、私と距離を置かせなければならない。
これまでの人生で、それを何度も思い知らされた。
私の側にいる限り、マリーは死ぬ。私と一緒にいる限り、彼女は戦火に巻き込まれる。
だから、今度は違う。
私が嫌われればいい。私が憎まれればいい。私が、悪い人間になればいい。
そして何より、そんな私を彼女に見せたくない。
「……でも……」
涙で滲んだ視界の向こうに、さっきのマリーの顔が浮かぶ。
泣きそうな顔。震える声。そして――最後に聞いた言葉。
――もう、私のことマリーって呼んでくれないの?
「……ごめん……」
胸が締めつけられる。
「ごめんね……マリー……」
どれほど泣いたのか分からない。
やがて、涙が少しずつ枯れていった。
私はゆっくりと顔を上げる。赤く腫れた目元を袖で拭う。
立ち上がると、窓の外にはもうマリーの姿はない。
静かな庭だけが、いつものようにそこに広がっている。
私はしばらく、それを眺めていた。
十五年間。クローディアと過ごした日々を思い出す。
私は、あの子と生きることが幸せだった。あの世界で、私は初めて「その先」を生きた。
だから――。
「……自分も幸せになろうなんて」私は小さく呟いた「そんな甘い考えは、もう捨てよう」
私は窓から離れる。鏡に映った自分の顔を見る。
まだ十五歳の少女。
けれど、その中身はもう違う。
何度も人の死を見た。何度も失敗した。
だから、もう迷わない。
「マリー」
誰もいない部屋で、その名前だけを口にする。静かに目を伏せる。
「あなたが幸せになれるのなら――」
どれだけ嫌われてもいい。
どれだけ憎まれてもいい。
どれだけ、この手が汚れてもいい。
「私は、どんな悪にだってなってみせる」
そうして私は、もう一度だけ――運命に立ち向かう。
マリーも、クローディアも、マルティナも……カタリナも。
そこに私がいなくてもいい。
みんなが生きて、笑っていられる未来を。
そのためなら私は――悪役令嬢になる。
ここまで書ききって文字数は約10万文字になりました。文庫一巻分のサイズです。ようやくのタイトル回収となってしまいました。
さて、お話はここからオフィーリアの運命への逆襲へと展開していくのですが、ここまでこちらの手元が完結しないまま投稿を続けて参りました。ここからは特に話の前後の整合性が問われる流れとなります。
今日まで土日を除く毎日の更新を続けてまいりましたが、
お話全体の矛盾を回避するため、ここから先の続きは物語を書ききってからの更新が好ましいと判断しました。
もし、楽しみにしていてくれた読み手の方がいらしたら、大変申し訳ないのですが、しばらく更新が停止となります。
宜しくお願い致します。
もし、続きを楽しみにしてくださる方がおりましたら、大変励みになりますのでブクマなど何かしらのリアクションがあると嬉しいです。




