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②はじめての買い物


 琥珀が椅子でこう言った。


「……これ、

夢じゃないよな」


「夢じゃないね」


 向かいで璃子が普通に味噌汁を飲む。


「……だよな」


 視線を落とす。


 細い指。


 小さな手。


 どう見ても、

男のそれじゃない。


「……はぁ」


 小さく息をつく。


「そのうち慣れるよ」


「慣れたくねぇよ」


 即答だった。


 璃子は気にした様子もなく、

ご飯を一口食べる。


「でさ」


「……なんだよ」


「ご飯食べたら、

服買いに行こ」


「……マジで言ってる?」


 琥珀は顔を上げる。


「うん」


「いや、

ハードル高すぎだろ。外とか」


「なんで?」


「人いるだろ、普通に」


「いるね」


「だからきついんだって」


 璃子は少しだけ首をかしげる。


「でもそのままじゃ困るでしょ」


「……それはそうだけど」


 琥珀は視線をそらす。


「……見られるじゃん」


「見られるね」


「“ね”じゃなくて」


 思わず声が強くなる。


「俺、

これで外歩くんだろ?」


「うん」


「精神的に無理なんだが……」


 少し間が空く。


「誰も琥珀くんだなんて思わないよ」


「……それは、

そうかもしれないけど」


「じゃあ大丈夫」


「お前さ」


「なに?」


「……楽しんでるだろ」


 一瞬だけ、

璃子の口元が緩む。


「さあね」


「否定しろよ……」


 額に手を当てる。


「……はぁ」


 深く息を吐く。


「……行くしかないのかよ」


「うん」


「……マジか」


 ショッピングモール。


 人が多い。


「……帰りたい」


「まだ入ったばっかだよ?」


「もう十分」


 すれ違う人を見るたび、

変な感じがした。


(……見られてる気がする)


 もちろん、

実際はそんなに見られていない。


 でも気になる。


 自分が女として歩いていることが。


「琥珀ちゃん?」


「……その呼び方やめろ」


「え〜、かわいいのに」


「そういう問題じゃない……」


 璃子が少し笑う。


「ほら、

あそこ」


 璃子が指差す。


 服屋の前。


 そこには、

春っぽい服を着たマネキンが並んでいた。


 白いカーディガン。


 淡い色のスカート。


 普通に可愛い。


「……いや無理」


「なんで?」


「入るのがまず無理」


「大丈夫だって」


「大丈夫じゃねぇよ……」


 璃子は気にせず中へ入っていく。


「ほら〜」


「いや待てって……!」


 結局、

そのまま引っ張られる。


 店内。


 可愛い服ばっかりだった。


 フリル。


 スカート。


 明るい色。


「……場違い感すごい」


「琥珀ちゃん女の子だからね」


「昨日まで男だったんだよ俺は……」


 璃子は気にせず服を見て回る。


「これ似合いそう」


「いや待て」


「これもかわいい」


「増やすなって」


「これも」


「聞けよ!」


 気づけば、

璃子の腕には大量の服。


 白系。


 黒系。


 パーカー。


 スカート。


 ワンピース。


「……多すぎだろ」


「女の子は服いるんだよ」


「限度があるだろ……」


 璃子はさらに服を取る。


「部屋着もいるし」


「まだ増えるの!?」


「春服も必要」


「怖い怖い怖い」


 次々増えていく。


 もう逃げられない。


「ほら、これとか絶対似合う」


 璃子が、

淡い色のトップスを当ててくる。


「ちょ、近いって」


「じっとして」


「無理だって」


「かわいい」


「聞いてねぇ……」


 試着室。


 着替え終わる。


 鏡を見る。


 可愛い服を着た自分が、

映っている。


「……これ、

俺なのか」


 長い髪。


 華奢な肩。


 昨日までの自分とは、

まるで別人だった。


「……いや、

ちょっと可愛くないか……?」


 数秒後。


「……何言ってんだ俺」


 反射的に顔を覆う。


「まだー?」


「……急かすなって」


 カーテンを開ける。


 璃子が振り向く。


 一瞬止まる。


「……めちゃくちゃ可愛いじゃん」


「っ……」


 反射的に顔をそらす。


「……そういうの、

普通に言うなって」


「なんで?」


「……心臓に悪い」


「え、

そこまで?」


「……慣れてねぇんだよ」


 璃子は少し楽しそうに笑う。


「これ買お」


「え?」


「これも」


「待て」


「あとこれ」


「待てって!」


 気づけば、

買う予定の山ができていた。


「いやいやいや、

こんな買わねぇって!」


「必要だよー」


「必要の量じゃない!」


「琥珀ちゃん着回し少なそうだし」


「今その話してねぇ!」


 店員まで来る。


「こちらおまとめしますね〜」


「待ってください!?」


 止める間もなく、

服がどんどん積まれていく。


「あ、そういえば」


「……なんだよ」


「ブラとか下着も結構買ったんだった」


「っ……!?」


 一瞬で顔が熱くなる。


「今言うなって……!」


「え、なんで?」


「なんでじゃねぇよ……!」


 店員が少し笑いを堪えている。


「サイズ測ってたし、

替え必要でしょ?」


「そういう問題じゃなくて……!」


 璃子は普通に続ける。


「あと可愛いやつ多かったから、

つい何着か」


「何着も買ったのかよ!?」


「全部琥珀ちゃんのだよ?」


「うぅ……」


 顔を覆う。


 さっき選ばれていた服を思い出す。


 ということは。


 あの下着も。


 あのブラも。


 全部。


(……俺のなのかよ……!)


 一気に恥ずかしくなる。


「顔真っ赤」


「……見るな」


 璃子は楽しそうに笑っていた。


「——二十五万九百二十五円になります」


「……は?」


 一瞬止まる。


「いや、待て」


 並べられた服を見る。


「……これ全部?」


「全部」


「俺が?」


「琥珀ちゃんが」


「嘘だろ……」


 紙袋の山を見る。


 白。


 黒。


 パーカー。


 スカート。


 ワンピース。


 明らかに量がおかしい。


「いや、

まだ一時間も経ってないよな!?」


「たぶん?」


「“たぶん”じゃねぇ!」


「でも全部似合ってたよ?」


「そういう問題じゃない!」


 璃子は楽しそうに服を見る。


「これとか特にかわいかった」


「それ以上増やすな……」


「絶対途中から楽しくなってただろ!」


 璃子は少し笑う。


「バレた?」


「隠す気あったのかよ……」


 店員がにこにこしている。


「お支払い方法はいかがされますか?」


「待ってください、

まだ心の準備が——」


「一括で」


「早い早い早い!」


 止める間もなく、

璃子がカードを差し出す。


「……お支払い完了です」


「終わった……」


 琥珀は呆然と紙袋を見る。


「……これ、

全部俺の服なのか」


「うん」


「……二十五万九百二十五円分……?」


「そうだね」


「意味分かんねぇ……」


 店を出る。


 外はもう、

少し夕焼けになっていた。


 帰り道。


「なんの目的で、

俺を女にしたんだよ」


 璃子は少しだけ考える。


「……半分は実験かな」


「半分なんだ」


 琥珀は呆れたように言う。


「じゃあ、

後の半分は?」


 少しだけ間が空く。


「琥珀ちゃんって、

まだ一年ちょいしか一緒に住んでないけど、

ずっとつまんなそうだったから」


「……は?」


「なんか毎日、

同じ感じだったし」


 璃子は前を向いたまま続ける。


「だから、

環境変えたら少しは変わるかなーって」


「……いや、

それで性別変える必要あるのかよ」


「面白そうだったし」


「実験感隠す気ないだろお前……」


 璃子は少し笑う。


「でも今日、

前より楽しそうだったじゃん」


「……気のせいだって」


「服見てる時とか」


「……あれは別に」


 璃子は少し笑う。


「ツンデレだなー」


「は?」


「楽しいなら、

楽しいって認めればいいじゃん」


 視線をそらす。


 夕焼けが、

やけに眩しかった。


「昨日まで男だったんだぞ、俺」


「うん」


「頭追いつくわけないだろ……」


「でも、

ちょっとは悪くなかったんでしょ?」


「……」


 すぐには答えられない。


 紙袋が揺れる。


 二十五万九百二十五円分の、

女物の服。


 ブラも。


 下着も。


 全部、

自分のもの。


 意味が分からない。


 なのに。


 鏡の前で、

少しだけ見惚れたのも本当だった。


「……まぁ」


 小さく息を吐く。


「……少しだけなら」


 璃子が嬉しそうに笑った。


「……というか、

親になんて説明すればいいんだよ」


「ん?」


「俺、

完全に別人なんだけど」


「大丈夫だよ〜」


 璃子は軽い調子で言う。


「もう話してあるし」


「……は?」


 思わず足が止まる。


「いや待て、

なんて言ったんだよ」


「琥珀ちゃん女の子になったって」


「そのまま!?」


「うん」


「……否定されなかったのか?」


 普通、

信じるわけがない。


 でも璃子は平然としていた。


「全然」


「は?」


「お母さんは

『怪我だけはさせないでね』って」


「そこ心配されてんのかよ……」


「お父さんは——」


 璃子が少し真似するように言う。


『これが琥珀の新しい人生か!

頑張れ!』


「名言みたいに言うなよ……」


「あと、

『青春楽しめ!』って」


「ノリ軽すぎるだろ……」


 璃子は少し笑う。


「まぁ、

あの人たちも研究者だし」


「納得したくないけど、

ちょっと納得した……」


 夕焼けの光が、

二人の影を長く伸ばしていた。


 紙袋が揺れる。


 その中には、

女物の服。


 数日前まで、

絶対に縁がないと思っていたもの。


(……ほんと、

意味分かんねぇ)


 女になって。


 外を歩いて。


 可愛いって言われて。


 頭はまだ、

全然追いついていない。


 でも。


 今日一日を思い返して。


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 前より息がしやすい気がした。


「琥珀ちゃん?」


「……なんだよ」


「明日も出かける?」


「……は?」


 璃子は楽しそうに笑う。


 琥珀は少しだけ困った顔をして。


「……考えとく」


 そう答えた。

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