その6 一年前~恋色手前の空白期間~(後編)
★永遠福音コンフェッティーナ!
第二話『大馬鹿はいつも、ヒーローのとなりに』
その6 一年前~恋色手前の空白期間~(後編)
teller:ダムバニー=ストレイキラー
◆
たまたま会ったカイジンから連続髪切り事件について聞いた翌日。
俺が拠り所にしていたターニャとの日常は、唐突に壊されてしまった。
いつものようにターニャに会いに喫茶店の近くまで赴いたら、不自然な人だかりができていた。
話し声が、いやに騒がしい。
不快なタイプの騒がしさだった。
――なんだろう。
胸の辺りがざわざわする。
嫌な予感が、びりびりと両脚に纏わりついている。
不思議と人だかりの近くに進む勇気が持てない。
立ち尽くして、遠くから人だかりの様子を恐る恐ると窺って――。
――人だかりの中心に居る存在を見つけた、その瞬間。
固まっていたのが嘘のように、俺は弾かれたように駆け出していた。
「――ターニャッ!!」
駆け出して、人だかりを無理くり掻き分けて、中心地に飛び込む。
そこには、二人の女性が居た。
一人は、すすり泣いている髪の長い女性。
もう一人は――傷だらけで倒れている、小柄な少女。
ターニャ=ベルモンドが、変わり果てた姿でそこに居た。
昨日までは背中を覆うくらい長かった綺麗な茶髪が、今は肩に付かないくらいにバッサリと切られてしまっている。
――『連続髪切り事件』。
昨日カイジンから聞いた単語が脳裏を過ぎり、背筋の辺りが急激に冷え込む。
「ターニャ! しっかり……!」
傷ついたターニャの身体を、なるべく揺すらないようにゆっくりと抱き起こす。
俺の声に反応したのか、閉じられていたターニャの目がゆっくりと開く。
視線が、合う。
殴打や切り傷の痕があるターニャの顔を見た瞬間、あまりの痛々しさに目を逸らしたくなる自分を、その時の俺は必死で律していた。
「……バニー、さん……ごめんなさい、私……がんばれ、ませんでした……」
「何を言って……どう見ても君は被害者だろ!? 頑張るなんて、そんな……!」
「あ、あの……ち、ちが、違うんです……! その子は……!」
すすり泣いていた女性が、俺の言葉を遮るように勢い良く顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔のまま女性はターニャの顔を見て、また泣き出して。
それでも、俺に教えてくれた。
「そ、その子……わたしを庇ってくれたんです……。わたし、裁ち鋏を持った男に急に追いかけられて……外れの方まで逃げ、てきて……そ、そしたら、通りがかったこの子が……わたしを、わたしを守ろうとして、こんな……!」
嗚咽混じりの女性の証言は、こうだった。
買い物帰りに近道をしようと路地裏を歩いていたら、大きな裁ち鋏を持った男と出くわしてしまった。
男は女性の長い髪を見た途端に恍惚とした笑みを浮かべ、鋏を振り回しながら女性を追ってきて、当然女性は必死に逃げて、しかしなんとか路地裏を抜け出した矢先に男に追いつかれてしまった。
だけどその現場をたまたま目撃したターニャが、の躊躇いもなく女性と男の間に飛び込むように割って入って――必死に女性を守ろうとしたターニャは男に散々殴られて、そして。
男がターニャの長い髪を裁ち鋏でバッサリ切った頃、ちょうど人が集まり出して……逃げ出した男は、正義の味方として巡回中だったカイジン=グリズリーが現在追跡中らしい。
リングアベルの街を脅かす連続髪切り事件の犯人であろう男は、今までだと夜にしか出現しなかったはずなのに、今回から活動時間や活動範囲を広げているようだ。
周りに集まった野次馬からは次々と不安そうな声が聞こえる。
だけど俺は、いま。そんなことより。
「……っ、ターニャ……どうして……そんな無茶を……?」
俺は腕の中のターニャに、震える声で問いかける。
だって君は、か弱い女の子じゃないか。
自分に必要な荷物も満足に箱べないくらい力が弱くて、腕なんて折れそうなくらい細っこくて、体だってとても小さいのに。
性格だって、本当に喫茶店でやっていけるのか心配なくらいおとなしくて恥ずかしがり屋で、気が弱くて怖がりで。
そんな君がどうしてこんな、身を呈してまで見ず知らずの他人を庇って、ボロボロにならなくちゃいけないんだ。
なんでここまでしたんだ。
絶対こんなの、君じゃなくても良かったはずなのに。
納得できない混乱のせいで、頭の中がぐるぐるしてくる。
だけど、そんないっぱいいっぱいの俺の脳みそにすら、ターニャのか細い声は届いてしまった。
「…………私……バニーさんみたいな、すてきなひと、に……なりたかった、んです……ううん……ほんと、は……」
――ターニャの本音は、俺に、届きすぎてしまった。
「……勇気、ある人、に……なりたかった……向こう見ずでも……それでも、誰かの、為に……どこまでも、一生懸命……頑張りたかった、です……そう、なりたかったのに……失敗、しちゃいました…………」
ターニャの、その言葉に。
俺は思い出す。思い出してしまう。
昨日の俺が、この子に言い放ってしまった言葉を。
昨日は、ターニャに女の子の好みを聞かれたんだ。
それで俺は、言ってしまった。
――『勇気がある子、かな。向こう見ずなくらいお人好しで……誰かの為にどこまでも一生懸命に頑張れる、そんな子が…………俺は……好き、だよ……』
……ターニャじゃない女の子のことを思い浮かべて、言ってしまったんだ。
昨日俺と話してくれたのはターニャなのに、とっくに自分がフラレた女の子の特徴を、未練がましく語ったんだ。
俺のことを慕ってくれる女の子に、とても残酷な話を、して。
それで今日、この子は。
「ごめ、んなさい……もっとちゃんと、できるよう……頑張り、ます……髪も……きっと、いつかまた、伸びますよね……」
ターニャはこんな時だと言うのに、あからさまな作り笑いを浮かべ、隠し切れない悲しみを瞳に纏わせたまま、自分の髪を片手で軽く弄ぶ。
昨日までは長かった茶髪。
腰まで伸びててサラサラで、小さな背中を覆い尽くすほどの長くて髪だった。
裁ち鋏で切られた今は、毛先も切り揃えられておらずバラバラで、肩まであるかどうかも怪しいくらい、短くなっている。
俺はまた、昨日のことを思い出す。
ターニャに好みのタイプを聞かれた時、俺は、髪の長い子だって言ったんだ。
これもターニャのことじゃなくて、ずっと好きだった女の子のことを、ずるずる引きずったまま口に出してしまっただけで。
でも、俺は覚えている。
俺が髪の長い女の子が好きだって言った時、ターニャは顔を赤らめていた。
嬉しそうに、照れていたんだ。
俺の言葉なんかで、この子は確かに一瞬、幸せになってたんだ。
――足元の地面がガラガラと崩れ落ちたような気分だった。
俺は。
俺、は。
なんて、ことを――。
この子の想いを、俺は甘く見ていた。
俺が身勝手に心配してたターニャの小さな身体には、とっくに大きな勇気が宿り始めている。
こんな俺をきっかけに、この子の中で勇気がどんどん育っている。
こんな俺を。
俺なんかを。
……なんで君は、こんな俺なんかを君の世界のまんなかに置くんだ。
そう思うのに。
困惑しているくらいなのに。
俺はターニャを抱き留めたまま、この子を手放せない。
抱き締めたまま、身体が固まってしまっていた。
ターニャが俺に向けてくれる想いは、重い。
しんどいとすら思ったくらい。
なのにその重さが、昨日は不思議と心地良かった。
今日はその重さに、心をとても柔らかい力で抉り潰されている気分だった。
ターニャの重いくらいの純粋さが、一途さが。
いくら俺が俺を『俺なんか』と卑下しても、それでもターニャが頑なに俺だけに向ける想いの、まっすぐさが、蕩けるような温かさが。
ひたむきな鋭利さが、熱を帯びた思慕が。
俺の心に届きすぎて、ぐちゃぐちゃにして。
直接の傷を負ったのはターニャなのに、俺は今、確かにこの――小さな体にいっぱいの愛を抱えた女の子に、致命傷を負わされている。
昨日から。
いや、この子の元に通うようになってから、きっとこうなることは決まっていた。
君の重い想いは、弱りすぎた俺には効きすぎてしまうんだ。
「ターニャ……」
ターニャの髪を、片手でゆっくりと掬う。
サラサラした髪質はそのままの短い髪を、指先で静かにくしけずる。
こんなにボロボロになっているのに、きっと今のこの子が一番気に病んでいるのは、髪が切られてしまったこと。
じゃないと、髪を触りながらあんな悲しそうな表情はしないだろ。
――俺の好みから遠ざかってしまったことに、この子は自分の経験した恐怖や痛みより、苦しんでいる。
違う。
違うよ、ターニャ。
君は何も、遠くなってない。
「…………綺麗だ」
「…………え」
ようやっと口をついて出た言葉は情けないことに、謝罪でも労りでもなかった。
でも、本心だった。
今のターニャには顔の痣、傷、流れる血、殴られた際のものだろう涙や唾液の跡、色々ある。
だけど、それがなんだ。
君の存在は、俺にとって。
「……世界一、綺麗だ…… 」
この子は、綺麗だ。
本当に、そう思ったんだ。
その時、それしか思えなかった。
事件に怯えるざわめきの中、俺はずっとターニャから目を離せなかった。
俺の生涯目にするものの中で、君が一番綺麗――くらい言えたら良かった。
なんて、俺は今でも思っている。
◆
ターニャが、俺の父さんが働く病院に運ばれて。
面会時間が過ぎて、でもこの辺りはしばらく記憶が曖昧だ。
ただターニャの姿と言葉をきっかけに俺が心に負った傷は、確実に何らかの致命傷になっていた。
その痛みに突き動かされるままに、俺は夜の街を走っていた。
そうして、見つけた。
ヒーローを。
カイジン=グリズリーを。
日がとっぷり暮れた頃。
連続髪切り事件の犯人を追跡していたはずのカイジンは、その日は犯人を取り逃がしてしまったらしく。
カイジンはリングアベルの住民たちに囲まれて、なじられていた。
カイジンにぶつけられる攻撃的な言葉の数々に耳を澄ます。
カイジンを責める人々の中には、ターニャが庇い守った女性の家族も居るらしい。
この光景を見るのは、何度目だろう。
いつだって俺にとってカイジン=グリズリーは、完全無欠なヒーローなんかじゃなかった。
いつもこの男は、喝采の中じゃなく罵声の中に居た。
誰よりも自分の中の正義に従って生きてるだろうに、この男にはまだ、助けられないものもある。
取りこぼしてしまうものもある。
それが今だと、直接狙われ追いかけられた女性だったり、傷つけられたターニャだったり、カイジンが犯人を取り逃がしたことで今後狙われるかもしれない多くの人々だったり。
でもきっと、この街にはカイジンに助けられた人も居るはずなんだ。
だってカイジンは、ずっとブレなかった。
俺が子どもの頃には、もうこの男はヒーローとして生きていた。
いくら罵声の中に居ても、この男の正義は今に至るまで一度も折れていないんだ。
ヒーローであることに、この男に迷いはないんだ。
たった一人で戦い続けて、強く優しく在り続けているんだ。
……俺とは、違う。
ぐだぐだなモラトリアムに浸って、失恋ごときで全部に挫けて、悩んで迷って逃げ場ばかり探している、16のガキの俺とは、何もかも違う。
俺は、カイジンを責める側には一生回れないだろう。
俺は平穏に暮らしたい民衆のままにはなれないだろう。
だって俺は今日、ターニャを守れなかった。
この事実は一生俺に付き纏う。
もう平穏には生きれない。
この心の傷は、癒えない。
俺にはヒーローを責める資格はないし、責めようとも思えない。
だって俺は、自分の無力さと軽率さを今更思い知ってしまった。
俺が居るべき場所は、ヒーローにただ守られる側じゃない、ヒーローに過度に期待するだけの側じゃない。
――なら。
ターニャの在り方を見て負った心の致命傷が、疼く。
ちがうだろ。
心の痛みにばかり酔うな。
痛みや苦しみや罪悪感の程度や種類を、詩的じみた表現で並べて諳んじて浸るだけで満足するな。
そんなもんからは早く醒めろ。
俺の言葉も、ここまで走ってきた脚も、ターニャを抱き締めることしかできなかった腕も。
傷を負って高鳴る心も、感じた痛みも苦しみも、もっと別の物の為にあるはずだ。
醒めろ。
前を見ろ。現実を見ろ。
生きろ。
今の俺を。
そうして俺は、ヒーローをもう一度見つめる。
なんでか、強く確信した。
俺が居たい場所は、あそこだ。
だから俺は、俺のヒーローの元へ走り出した。
罵声と糾弾の中に、自ら飛び込んで行った。
大勢に驚かれたけど、頭に血が上った人々は俺のことも同様に怒鳴って責めて、次々に俺とカイジンに言葉の暴力を投げつけた。
そんな始まりでも、俺にとってはヒーローへの第一歩だった。
責められる側でも、それでも折れずに正義を信じて努力する側に居たい。
そこに居られる自分に、俺はなりたい。
その日のカイジンを見て、ようやく思ったんだ。
一人で完全無欠のヒーローは無理でも、二人なら、より多くを助けられるはずだって。
俺はその、二人目になりたかった。
まだ俺の正義は未熟だ。
カイジンみたいに立派なヒーローにはまだなれない。
なにしろヒーローをまともに志したのは、ターニャを、女の子を守れなかったことがきっかけだ。
それで正義を騙るなんて、情けないしかっこ悪いし、間違っても子どもの憧れの対象にはならない。
フィクションの中のヒーローに憧れていた子どもの頃の俺が今の俺を見てしまったら、とんでもなく落胆してしまうだろう。
でも、カイジンに駆け寄ったその時。
記憶が薄かった筈の祖父の言葉を、少しだけ思い出した。
祖父・シリービリー=ストレイキラーはカイジンのことをこう言ってた。
助けを求める声を聴き逃したくないやつだって。
その為にはじっとしていられないやつだって。
ターニャのフィルターを通した俺は。
勇気があって優しくて、なんの迷いも躊躇いもなく人を助けられる人だそうだ。
――まだ未熟なヒーローでも、誰かにそう見られる俺がもう居るとしたら、今はそれで十分だ。
カイジンに駆け寄った時の俺はきっと、大切な細胞のいくつかを心の致命傷に殺されていた。
でも失った細胞をカバーしようとして新たに生まれようとしている俺の一部は、今までの俺とは少し違った。
俺の心身が、変化を目指していく。
それはずっと続いていく。
俺はもう、この変化を恐れたくない。
俺は痛みを糧に前に進みたい。
約束された明日や未来を創る側へと、俺は進みたかったんだ。
初めて自分がこの目で直接見たヒーロー・カイジン=グリズリーと一緒に。
こうして俺は、カイジンの押しかけ相棒みたいな存在になった。
失敗しても、非難を浴びても、完全には報われなくても。
子どもの頃の理想とは違っても、ヒーローでありたい。
正義に生きたい。
そうだ。
――その日から俺はカイジンの、正義の共犯者になったんだ。
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