その5 一年前~恋色手前の空白期間~(中編)
★永遠福音コンフェッティーナ!
第二話『大馬鹿はいつも、ヒーローのとなりに』
その5 一年前~恋色手前の空白期間~(中編)
teller:ダムバニー=ストレイキラー
◆
「バニーさん……! こ、こんにちは……!」
「あ、ああ……こんにちは。…………ターニャ」
偶然、というわけではないけど。
ターニャ=ベルモンドという少女と出会ったあの日から、俺は街外れに良く足を運ぶようになっていた。
ターニャは俺より三つも年下だった。
でも、まだ13歳の子どもだと言うのに、彼女はこんな街外れで一人喫茶店を営んでいた。
身寄りはないらしく、諸々の事情で引き取ってくれた老夫婦が経営していた喫茶店をそのまま継いだ……とかなんとか。
とても繁盛している様子ではなかったけど、何人か常連客は居るらしく。
ターニャ本人も、贅沢さえしなければ細々と生きていけるだけのお金はある……と自分では言っていた。
あまり信じられなかったし安心もできなかったし、心配だったけど。
そんなターニャと、あの助けた……と言ってもいいのかどうかわからない日から、俺は知り合いになった。もう何度か雑談を交わす仲だ。
ターニャの店は、俺がこれまでこのリングアベルの街で生きてきた中でも寄ったことがないくらい外れの方だから、知り合いに会う確率が極端に低い。
だから色々ドロップアウト気味の俺にとってはこの辺りで時間を潰すのは、だいぶ気持ちが楽で……それで、良く街外れを訪れるようになったんだ。
今だって、喫茶店近くのベンチにターニャと二人並んで座っている。
最近は本当に頻繁に、ここでターニャと他愛のない話をしてばかりだ。
ここに来る理由はターニャが心配だからと言うより、自分が息をしやすいから、という理由の方がきっと大きかった。最低なことに。
だけど。
「え、えと、あの………きょ、今日も……バニーさんは、素敵……ですね……」
「……え。……あ、あー…………ありがと、う……」
――どうやらこのターニャという年下の女の子は、俺なんかを慕ってくれているらしい。
恥ずかしそうに俯いて、でも口元は嬉しそうに微笑んでいて。
俺と一緒にいる時のターニャはいつも、全身から『幸せです』とでも言いたげなオーラを出している気がする。
さっきだってターニャは店の前の落ち葉をを箒で掃除中だったのに、俺の姿を見るなりぱたぱたと嬉しそうに駆け寄ってきたくらいだ。
相当俺に懐いて、憧れてくれているんだろう。
……憧れられてるって言うのは、正直悪くない感覚だった。
あまり好きじゃない大馬鹿者なんて名前も、この子のか細い声で『バニーさん』と愛称で呼ばれてしまえば、別に嫌じゃないと言うか、ちょっとくすぐったいと言うか。
愛称で呼んでほしいとは、周りにはずっと言ってきたことではあるけど。
ちら、と横目でターニャを見る。
ぱち、と一瞬目が合うなりターニャはぴゃっと真っ赤になって、やっぱり恥ずかしそうな嬉しそうな、そんな不思議な顔のまんま俯いて。
……まあ、かわいいと思う。
いい子だとも思う。
ただこの子は、度が過ぎてるんじゃないかってくらいにおとなしくて恥ずかしがり屋だ。
気が弱い相手とどう接すればいいのか、俺は良くわからない。
気が弱い、内向的……と言うのは、自分の父親がそうだから、ぼんやり思い出してしまって微妙な気持ちにもなる。
そう言えば、男って結局は愛する人に母と似た女性を求めるもんなんだっけ。
……それはそれで微妙な気持ちだ。うちの母さんちょっとおっかないし。
ただ、色々どうしたらいいのかわからないくせに、今の俺はこの子の傍を逃げ場にしている。
自分が楽になる為に、このか弱い女の子を利用してしまっている。
自分は現金なやつだと思う。
ずっと好きだった子にフラれたばかりなのに、今はその好きだった子とはまるで正反対の女の子に慕われて必要とされることに、いい気になっている。
慕うとか懐くとか憧れとか、ぼかした言葉ばかりでターニャが俺に向けてくれる気持ちを表現するのだって、俺にこの子の気持ちと向き合う勇気がないからだ。
だいたい、俺はこの子が思ってるようなやつじゃない。
たまたま年上で、たまたま助けただけで、きっとターニャは俺のことを自分の中で美化しすぎている。
そもそも3歳差って、結構な差じゃないか?
いやそんなことすら俺は真剣に考慮する資格なんてないんだろうけど。
まあ、とにかく。
――また俺は、逃げてるんだ。
いつになったら俺は、逃げない生き方を見つけられるんだろう。
前を、向けるんだろう。
「あ、あの……バニーさん……? 顔色が、よくないです……もしかして、お身体の具合が……」
「……え……あ、ああ、大丈夫だよ。たぶん最近寝不足だから、うん、そのせいだ」
しまった。ぼーっとしすぎた。
真面目に体調を心配されてしまった。
なんか、気まずい。
でも、ひどい話だけど。
今、少し――嬉しいと思ってしまった。
ターニャの心配そうな、悲しそうな表情を見て考えてしまったんだ。
俺が傷ついたら、苦しんだら、この子は本気で心を痛めてくれるんだなって。
それを嬉しいと思ってしまったんだ。
誰かの悲しみで幸せを感じてしまった。
俺、こんな人間だったんだ。嫌だ。嫌だな。
……知り合って間もないけど、ターニャはいつもこうだった。
とてもおとなしいけど、でも、とても優しい。
その優しさを、弱り切った俺はついつい求めてしまう。
ターニャのまっすぐな思慕が気恥ずかしい時もある。
だけど結局のところ、俺は誰かに肯定されたかったんだ。
必要とされるのが心地いいんだ。
良く考えたら、俺個人をこんなに慕われるのって生まれて初めてのことで。
嬉しい、んだ。
ごめんって気持ちと、ありがとうって気持ち。
二つの気持ちを、俺はこの小さな女の子にずっと抱き続けている。
「……寝不足…………ぁ、バニーさんっ……すみません、少しお待ちください……!」
突然ターニャがベンチから立ち上がり、慌てたように駆け出してしまう。
彼女が向かった先は彼女が営む喫茶店で――ターニャは、すぐに戻ってきた。
細っこく小さな両手には、取手付きのシンプルな柄の紙袋が握られている。
その紙袋が、どういうわけか俺へと差し出された。
「あ、あの……これ、ハーブティーの茶葉……です……あ、安眠に、良いので……え、えと、飲みやすいように蜂蜜の小瓶も中に入ってます……め、迷惑でなければ、どうぞ……ぁ、う、に、苦手、でしたら……申し訳ございません……」
耳まで真っ赤にして、途切れ途切れの言葉で、それでも俺を心配して気遣ってくれるこの子の献身を、この子の勇気を見た時。
俺は、どんな顔をしていただろうか。
気まずさを寝不足だなんて安っぽい嘘で誤魔化した、こんなちっぽけな俺は。
何に対しても誰に対してもまっすぐに向き合おうとするのであろうこの子の本気に、この時は何を思ったのだろうか。
――不思議と、あまり思い出せない。
ただ、お礼は言ったと思う。
当たり障りのない、俺にぴったりの安っぽくてちっぽけな言葉で。
それでも、そんな言葉でも、ターニャは幸せとして受け止めて、笑ってくれて。
ターニャから受け取った紙袋が重く感じたのは、俺の弱さの問題だ。絶対に。
それから俺はまた、誤魔化した。
話題を変えることでまた、逃げようとしたんだ。
この少女から感じる、重いくらいの思いやりから。
「……ターニャ、本当にありがとう。あのさ、お礼と言っちゃなんだけど、なんでも言って。なんでも俺に聞いてよ。俺に答えられることなら……俺にできることなら、なんでも君の力になりたいんだ」
いい人ぶった、薄っぺらい言葉だと我ながら思った。
だけどターニャは、それすらもまたまっすぐに受け止めて。
俺の想像なんか平気で越えるくらい、まっすぐな気持ちを俺にぶつけてきたんだ。
「ぁ、あの……では……す、すみません……ぶ、不躾な質問になってしまう、んですけど……」
「うん。なに?」
「…………ば、バニーさんは…………じょ、女性の、好みのタイプ…………とか……あ、あったり、し、します、でしょうか……?」
――数秒、俺は固まった気がする。
だけど俺の喉は、気付けば勝手に震えて。
ひどく勝手な言葉を、この子相手に紡いでいた。
「…………髪が長い子、かなあ……」
ターニャが、また赤くなった気がする。
癖のように俯く彼女のサラサラの茶髪は、そうだ、腰まで届きそうなくらい長かった。
綺麗な長い髪だった。
だけど、俺は。こんな俺は。
好みのタイプの話をターニャにしている時、ずっと好きだった幼馴染のことを思い出していたんだ。
ターニャより髪の色が明るい子だった。
今日みたいな晴れの日は特にきらきら陽の光を浴びて煌めいて、綺麗だった。
ターニャみたいにサラサラじゃなくて、ふわふわした髪質で。
――あれ。
――俺は。
俺は、何を――。
「あとは……勇気がある子、かな。向こう見ずなくらいお人好しで……誰かの為にどこまでも一生懸命に頑張れる、そんな子が…………俺は……好き、だよ……」
――なに、言ってんだ。
好きだった子の話だろ、過去形のはずだろ、もうフラれたんだろ、終わったんだろ、いつまで引きずってんだよ。
なんでそれを、他の女の子に話してるんだよ。
しかも、俺なんかに憧れてくれる子相手に。
何やってんだ。何言ってんだ。馬鹿だろ。馬鹿だ。
俺は、なんで、こんな。
「そう……ですか…………ぇ、えと………………がんばり、ます……」
なのに、聴こえた。
とても小さな声だけど、聴こえてしまった。
頑張るって、それってつまり。
思わず勢い良く、隣のターニャに身体ごと向けてしまい――俺は、息を呑んだ。
ターニャは俺の知らない表情をしていた。
真面目な顔、だった。
恥ずかしそうでも嬉しそうでも悲しそうでもない表情。
人が、本気で努力すべきものを見つけた時の顔だった。
夢を見つけた時の顔だった。
決意の、表情だった。
その顔を見た時、俺の中の何かが決壊してしまった。
取り繕っていたものが、『年上なんだから』なんてかっこつけていたものが、ガラガラと壊れてしまった。
この子のひたむきな想いに、ついに耐えられなくなってしまったんだ。
「……ターニャ……」
「……はい……?」
「……俺、違う」
「……? 何が、ですか……」
「俺は……君が思ってくれているような奴じゃ……ない……」
そうだ。
俺なんて。
俺なんか、俺なんか、俺なんか。
「俺は……君が言ってくれるような、素敵な人なんかじゃない……俺なんか、平凡で……ううん、平凡以下なんだ……逃げてばかりで、何かを頑張ることもできないから、何もできやしない……」
「……え……? あ、あの……バ、ニー……さん……?」
「……俺はさ、ただの……からっぽで、すっからかんの大馬鹿者なんだ。……俺なんか、だめだ。……俺なんか……たかが、知れてる」
そうだよ。そうだろ。
俺なんか、その程度の――。
「っ……バニーさんは、素敵な人です……!!」
「……え」
大声、だった。
初めて聴いた、ターニャの大声。
「バニーさんはあの日……私を助けてくれた時 ……! 飛び出してくれた時! なんの迷いも躊躇いもなく、来てくれました……! 私、凄いなと思ったんです……! 凄い人だって、勇気ある人だって、優しい人だって……!」
「た、ターニャ……? ちょ、ちょっと落ち着いて――」
「いつも、私とお話だってしてくれます……! 大切な時間を、私と過ごしてくださいます! いつもバニーさんは……言葉の選び方、すごく穏やかで、空気、優しくて……! 私、口下手なのに……バニーさんとお喋りできると嬉しくて、楽しくて、安心、して……!」
――ターニャは、泣いていた。
ぽろぽろと透明な涙を流しながら、それでも俺を肯定し続けてくれていた。
涙を見てしまった途端、俺は声が奪われたように何も言えなくなってしまって、身体だって急に動かなくなって。
ただ、目の前の女の子の温かい言葉を、縋るように聴いていた。
「バニーさんは……平凡なんかじゃ、ありません……からっぽでも、ばかでも、だめでも、ないです……私にとっては、いちばん、素敵な人………なんです……俺なんか、なんて……たかが知れてるなんて、言わないでください……悲しい、です……だって、絶対そんなことないん、です……」
彼女の涙で濡れた瞳が、俺を映す。
こんな時でも、この子は俺をまっすぐに見てくれた。
「私、バニーさんと出会えて、お話できて、すごく、すごく……幸せです……。バニーさんは……こんな私なんかに、幸せをくれた人……なんです……素敵なんです、ずっと……」
ずきり、と胸を刃物か何かで刺された気分だった。
痛い。苦しい。泣きたいくらい。
泣けないけど。
でも、そのくらい辛くなった。
だって、ターニャの『私なんか』という言葉に、なんだか凄く悲しくなったんだ。
ターニャも俺が自分を『俺なんか』と卑下した時、こんな気持ちになったんだろうか。
……俺は心のどこかでずっと、ターニャとは分かり合えないと思っていた。
俺にとって家族の存在は、結構重荷だ。
でもターニャには家族が居ない。
時間が空いた時は街の施設を手伝って身寄りのない子どもの世話もしている……みたいな話も本人から聞いたことがある。
だから俺がずっと抱えてきた悩みも苦しみも、ターニャからすれば贅沢なんだと思っていた。
気持ちを本当の意味では共有できないとばかり思っていた。
俺の苦しみとこの子の苦しみは違う場所にあるんだって、勝手に決めつけてた。
なのに、この子は。
この子はこんな風に、俺の苦しみを想って泣くんだ。
……俺のことでこんなに、心を動かしてくれるんだ。
それから。
泣き止むまで彼女の傍にいた俺を、ターニャは優しいと言ってくれた。
違う。
俺はやっぱり優しくない。
俺はまた、君の悲しみで幸せを感じてたんだ。
君の悲しい涙で、救われてしまっていた。
そんな自分が嫌なのに、帰り道、手に持った紙袋の重さが心地良くなっていた。
ターニャが俺を気遣って贈ってくれたハーブティーの茶葉と蜂蜜が入っているだけだから、そんなに重くないはずなのに、俺にとってほすごく重い。
でも、今は。
しんどいとすら思ってしまっていたあの子の想いの重さが、今なら心地良いんだ。
「……あ……そう、か……」
今更、気付いた。
あの子に俺が必要とされていたんじゃない。
俺の方が、あの子を必要としていたんだ。
そっか。
……そっか。やっぱり俺、大馬鹿だ。
勝手に口元が、呆れ笑いを作る。
情けない。みっともない。
だけど俺は明日も、あの子の隣を求めてしまうんだろう。
この情けなさもみっともなさすらも、ターニャには知ってほしいと思った。
俺をもっと、あの子に知ってほしい。
俺だってもっともっと、あの子のことを知りたい。
そうやって、本当の意味であの子に優しくなりたい。
あの子と悲しみでも苦しみでもなく、喜びを分かち合いたい。
今はもしかしたらあの子の俺への想いは、一過性の年上への憧れかもしれないけど――俺は今、それだけで終わらせたくないと思ってしまう。
いつかあの子の気持ちに向き合えたら、じゃない。
いつかちゃんと、俺自身のあの子への気持ちのかたちに自信を持って、それをあの子に伝えられたら。
きっといつか。
きっと明日は、もっと――。
「……ダムバニー……か?」
――それは突然のことだった。
浮ついた今の気分に似つかわしくない重々しい声で名前を呼ばれ、一瞬で身が強張る。
「……カイジン……さん……」
目の前に居たのは祖父の友人、カイジン=グリズリーだった。
自称ヒーロー。自称正義の味方。
……なんとなく、気まずい。
俺の緊張なんて気にも留めず、カイジンは無表情のまま淡々と訊ねてきた。
「……自分は現在、連続髪切り事件の犯人を追っている。この辺りで怪しい男を見なかったか」
「……? いえ……特に、見てません」
「……そうか。時間を取らせてすまない」
数分にも満たないやり取りだった。
カイジンは俺から情報を得られないことがわかるとさっさと歩き出してしまう。
きっと誰の為でもない、自分の正義の為のパトロールなんだろう。
カイジンとすれ違う形で俺も歩き出し、ふとターニャの言葉を思い出した。
ターニャは俺を、勇気ある優しい人だと言ってくれた。
なんの迷いも躊躇いもなく人を助けられる人だと。
ああ、そういえば。
幼年期憧れたフィクションの中の『ヒーロー』は、確かそういう存在だった。
「……俺には、似合わない、よな……」
似合わない。
今の俺には、絶対。
大切にしたいと思い始めている女の子の涙で喜んでしまった、今の俺には。
きっとカイジンと会ったから、ターニャの言葉で『ヒーロー』なんてものを連想したんだろう。
気まずさが加速する心が嫌で、足早に帰路につく。
――だけどこの時、俺はもっと真面目にカイジンの話を聞くべきだった んだ。
連続髪切り事件について、関心を持つべきだった。
きっといつか?
きっと明日は、もっと?
馬鹿言え、ダムバニー。大馬鹿者。
――約束されたいつかなんて、どこにもないんだ。
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