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教室の隅のヒペリカム  作者: 滋賀ヒロアキ
9/13

初デート

 未来に予定を抱えた日々は過ぎるのが早い。

 体感的には一回しかぐっすり眠っていない気分なのに、もう日曜日になっていた。

 珍しく───本当に珍しく、目覚まし時計よりも早く起きた。

 いつもは畳んであるのを適当に引っ掴むだけの服も、今日は前日の内に選んでおいた「ぼくのかんがえたさいきょうのファッション」に着替える。

 青のジーンズと、まだ首元がピシッとしているシャツ。その上からグレーのダウンコートを羽織れば……よし、なんかそれっぽくはなっただろう。

 髭も入念に剃ったし、手荷物の確認(財布ぐらいだが)も終えた。もう準備は万端だ。


「じゃ、行ってきます」


 余裕こいて遅れるぐらいなら早めに行って待つ方がマシ。その心情に基づき、『二十分前にたどり着ける時間』として設定していた時刻の更に十分前に家を出ることにする。


「はい。いってらっしゃい」


 母には、ただ「出かけるから」だけで話が終わった。誰と出かけるのかとか、何時に帰ってくるのかさえ無しである。

 まぁ、どうせ聞かれても面倒だったから良いんだけど。




 水族館は僕にとっても久しぶりだ。

 水は見てて心が落ち着くし、陸の生き物よりは海の生き物の方が好きなタチなので、嫌いな場所ではない。

 しかし、かといって特別好きな場所でもない。ただ海の生き物を見たいだけなら、今時はテレビの特集とかネットの動画でも事足りる。

 だから自分から積極的に行くほどでは無かった。最後に行ったのは……小学校の頃の社会見学か何かでだっただろうか?


(小学校か……)


 自転車の上で足を回しながら遠い目になる。

 あの頃はよかったなぁ……何もかもに希望を見出だせて。まさか当時の僕も、中高になってから日々がこんなにも地獄になるとは思っていなかっただろう。

 当時の僕は母の断片的な語り曰く、『公園の見知らぬ子供グループに突撃して、そのまま毎日遊ぶ仲になる』ぐらいにはお化け陽キャだったらしい。僕の人生の全盛期は、間違いなくあの頃だろう。

 それに連られて思い出すと、確か件の社会見学のときも、僕は結構友達を引き連れていたような気がする。

 アイツら今頃何してんのかな……。自由帳にオリジナル漫画(という名の既存作品のツギハギ)を描いていたミー君は、今も絵を描いてるのかな。アホキャラとしてクラスを笑わせていたロッ君は、ちゃんと高校まで進めているのだろうか……。


 回想している内に水族館が見えてきた。

 ……小学生の時と今とで、変わってしまった点が二つある。

 一つは、僕が今や別の意味でのお化けみたいなキャラになったこと。

 もう一つは、今はその友達の代わりに清咲さんがいることだった。


「おはようございます、落城さん」


「……え。お、おはようございます」


 入り口の前に見知った女子、清咲時瀬さんが立っていた。

 思わず面食らう。スマホで時間を見ると、本来の集合時刻よりまだ二十二分も前だった。絶対僕が待つことになると思っていたのに。


「こ、こんな早くから来てくれてたんですか……ひ、ひょっとして待たせちゃいましたか!?」


「いえいえ。私も今来たところですので、大丈夫ですよ」


 微笑する清崎さん。

 ベタなカップルみたいなやり取り。まさかリアルでする日が来るとは思わなかった。

 とりあえず早急に自転車置き場まで走る。見たところ、清咲さんの自転車は無いようだった。元々暗寧高校も家から近いという理由で徒歩通学してるらしいので、その延長線である水族館も徒歩で済む範疇なのだろう。

 鍵をかけてから彼女と合流する。

 彼女は水色のカーディガンに、白のフレアスカートとくるぶしソックス、そして淡いベージュのポシェットを斜め掛けしていた。

 ……僕自身に女性への免疫が無いというのもあるかもしれないが。その姿はとても綺麗で、お世辞なしに見惚れてしまいそうになった。


「落城さん?」


 無言のままの僕に清崎さんが小首をかしげる。

 そんな仕草にすら、心臓が跳ね上がった。

 どうしよう。「綺麗ですね」とかなにか言った方がいいんだろうか。でもまだこの距離感でそれを言うのは気持ち悪いんじゃないのか。

 生憎ながら僕は『プライベートで女子がどんな感じの服を着るのか』を知らないので、清崎さんの服の気合いの入り用がどれぐらいに位置するのかがわからない。『単なる一般的な私服』とかだったら、綺麗だとか褒めても変な感じになるし……。


「あの、落城さん」


 再び清咲さんが呼び掛け、再び僕の心臓が跳ねた。

 見ると清咲さんは僕から少し離れた位置に立っていた。

 ヤバい。まさかグダグダと考え事をしている僕に引いてしまったのかと汗が流れたが、


「入らないんですか?」


「えっ?」


 彼女は館内を指差している。自動ドアが開いて閉じてを繰り返していた。

 我に帰り、僕は慌てて彼女の方へ向かった。


「すっ、すいません!行きますっ!入りますっ!」


「もしかして、割引券忘れちゃったんですか?」


「いやいや、それ忘れちゃったら今回の趣旨が無くなっちゃうじゃないですか」


「ですね」


 ……ダメだな僕は。何を意識をしているんだろう。

 僕と清咲さんは恋人同士じゃない。彼女の方はどう思ってるか知らないが、所詮は戸塚に強制されて築いただけの関係。

 だったらどうでもいいじゃないか。清咲さんがオシャレ(?)をしたから、なんだっていうんだ。

 そうだ。どうせいつかネタ晴らしという名の終わりが来る。それまでにどのような清咲さんとどうなろうが、結局は無意味なんだから。

 そう考えていき、僕はなんとか動悸を落ち着かせた。

 なにはともあれ、結果として僕たちは想定していた時間より二十分早く入館することになった。




 ちゃんと持ってきていた割引券込みで料金を払い、「それでは楽しんでください」と生暖かい目をする女性職員を尻目に、僕たちは水族館内へ足を踏み入れた。


「今日は誘ってくれてありがとうございます」


 ポシェットに財布をしまいながら言う清咲さん。


「NINEでも言いましたけど水族館なんて本当に久しぶりですので、楽しみです」


「僕も、こんな機会が無いと行くことなんてないんで、ちょうど良かったですよ」


 サラリと揺れる黒髪をなるべく意識しないようにする。


「それにしてもこの割引券、落城さんはどこで手に入れたんですか?」


「あー……母さんが、福引きで当てたみたいで」


「なるほど福引きですか。では落城さんのお母さんに感謝ですね」


「そ、そっすねー……」


 話している内に一つの部屋へとついた。

 瞬間。

 天井が暗くなった中、虚空に浮き上がるように照らされた水槽が現れた。

 視界の端から端までの青と青と青。その中を大小問わず四十ほどの魚が泳いでいる。

 どこの水族館も最初は必ずこれと決まっている、お決まりの大水槽である。

 急に世界が広がったような感覚に陥り、僕は目を奪われてしまった。

 清咲さんも同じなようで、今までに見たことがないぐらい目を輝かせている。


「うわぁ……!」


 早歩きになって水槽に近づく。

 驚いたのか、一塊になっていた魚の群れが四方に散っていった。それに追従するように二匹のサメがガラスのすぐ前を横切っていく。

 目がばっちり合った。


「すごっ……」


「すごいですね……!」


 顔を見合わせる。

 再び水槽へ視線を戻すと、今度は奥の方から巨大なエイがやってきた。ガラスの真ん前まで近づくと、まるで熟練のパフォーマーのようにヒレを大きく羽ばたかせ口まで丁寧に見せてから去っていく。

 その動きを思わずスマホのカメラで二、三枚写真に納めてしまった。


「エイってあんなデカかったんだ……」


 当たり前の話だが、間近で見るサメやエイの迫力は段違いだった。やはり画面越しに大きさはナンセンチで~とか説明されるよりも、実物を前に自分の体と比べた方がわかりやすく圧倒される。


「あっ見てください、下の方にもいます」


 いつもより上擦った清咲さんの声。

 彼女に言われるがまま見てみると、確かに底の方に、置物のようにへばりついて身動きしない魚が何匹かいた。

 ああいるよなぁ、あんな魚。どんな種類なのか、なぜあんなことをしているのかも知らないけど。そんなベタな魚もついつい写真に撮ってしまう。

 写真を確認してから一息つくと、ようやく当初の興奮が落ち着いてくる。

 さっきまで飛び回るように視線を動かしていたのを、今度は落ち着いて一点ずつ向けていく。

 またエイが僕らの前を通っていった。


「この水槽、エイが四種類いるらしいですよ」


「えっマジですか?全部同じに見えるんですけど……」


 清咲さんの視線を追っていくと、展示生物の紹介パネルがあった。確かに『マダラエイ』とか『ホシエイ』とか色んな名前が並んでいたが、さっぱり違いがわからない。

 ……どうやらサメも二種類いるらしい。小魚の間を縫うように泳いでいくサメを見ていると、ふと小学校以来の疑問が蘇ってきた。


「前から思ってたんですけど、こういう水槽でなんでサメって他の魚を食べたりしないんですかね?」


「無駄だから、らしいですよ」


 調べたことがあったのか、答えはすぐに返ってきた。


「無駄?」


「水族館にいる魚は、別に狩りをしなくても決まった時間に餌をもらえることを理解しているんです。サメは……というか生き物は、お腹が満たされていたり餌が確保されているときは余計な狩りはしませんから。だから同じ水槽にいても襲わないんです」


「へぇ、なるほど」


 つまり、親から金がもらえるのが確定しているニートがわざわざバイトを始めようとしないのと同じことか。

 長年の疑問に納得がいきスッキリしていると、あることに気づいた。

 二人して水槽に近づきキャッキャしていたうちに、僕と清咲さんの距離が肩が触れ合いそうなほど近くになっていたのだ。香水らしき甘い匂いが不意討ちのように鼻腔に届く。

 慌てて僕は間に人が入れるぐらいの距離を取った。

 ……ああクソ。心臓がまたバクバクとうるさくなり始める。

 そんな僕の不調も知らず、しばらく魚を眺めていた清咲さんは「あのっ、落城さん」と半歩距離を詰めてきた。


「早く次のコーナーに行きませんか?」


「えっ?あ、はい。そうしましょうか」


 半歩下がりながら答える。

 再び間近で見た清咲さんの目は、おもちゃ売場に来た子供のように輝いていた。今の水槽の魚に飽きたというよりも、早く新しい魚に出会いたい、というような顔だった。

 その顔を見ていると、次第に心臓の動きが収まってきた。ドキドキの代わりに、純粋に新鮮な気持ちになってくる。


(……清咲さん、こんな顔できたんだ)


 今まで僕が見てきた清咲さんは、『高嶺の花』というか磨き上げられた彫刻のような……悪く言えばどこか無機質な雰囲気ばかりを漂わせていた。

 それが今は、良い意味で子供っぽいというか、年相応らしいバイタリティに満ちた表情になっている。

 その表情は、とても綺麗に思えた。





 次に到着したエリアは、自然にある地形を再現したエリアのようだった。

 岩場だとか沖合だとか潮だまりだとか。

 それの一つ一つを、僕と清咲さんはたっぷり時間をかけて鑑賞していく。


「魚、好きなんですか?」


 あまりに清咲さんの食い付きが良いので尋ねてみる。サンゴ礁をまるで宝石を見るように眺めていた清咲さんは、そこでようやく我に返って若干顔を赤くした。


「は、はい。魚というか……森とか海とか空みたいな、自然の光景とそこにいる生き物が好きなんです」


 まぁこれはあくまで自然を再現したものなんですけど、と水槽に目を戻す。


「綺麗で、汚れてなくて……なんというか、『悪意』がないというか」


「はぁ」


「見てて心が疲れないというか……どの生物もただ自然のままに生きて流れているだけであって……『こいつがムカつくから食ってやろう』みたいな、どす黒い感情があまり無いような世界と言いますか……えっと、こう……」


「いや、何となく言いたいことはわかりますから、大丈夫ですよ」


 微苦笑しながら止める。僕としてはそれなりに共感できる内容であった。

 確かに自然界で行われるやり取りは綺麗だと思う。いや自然界でもエグい生態があったりするし、別に自然の生物が皆ピュアで悪意が無いと言うわけではない。

 それでも人間界の思想のどす黒さに比べれば、自然界でのやり取りなんてただ各々が生き残りを模索しただけの、ピュアなものである。

 そんな感傷に浸っていると、清咲さんが顔にかかる赤色を濃くし始めた。


「ていうかあの、すいません……私、ここにきてから急に喋るようになってしまって……つい、楽しくて」


「え?あぁ、いえいえ全然」


 そこはあまり気にしてなかった。

 楽しいことや得意なことを前にすれば誰だって饒舌になる。僕だってアニメやゲームの話になったらそこそこ早口になってしまうだろう。


「少し意外だなとは思いましたけど」


 ……むしろ清咲さんも僕と同じ『人間』だったんだな、と失礼な感想を抱いてしまったぐらいだ。

 それに、僕と清咲さんはまだお互いのパーソナリティーをロクに知らない段階。だからこういうのは『キャラが変わった』ではなく『素が出た』というのだ。


「何はともあれ清咲さんが楽しんでいるんなら、よかったですよ」


 本心からの言葉を言うと、清咲さんはまだ照れながらも「……ありがとうございます」と返してくれた。

 ……というかつい僕も流しかけたけど、清咲さん、ちゃんと楽しんでくれてるんだな。

 よかったよかった。

 まぁもっとも、その楽しさの源はあくまで水族館によるものであって、僕の存在はあまり関係ないんだけど。

 その後も僕たちは順調に通路を進んでいった。


「潮が引いた後の泥地である干潟って、餌はたくさんあるけど、温度や塩分濃度の変化が激しくて生物が生きるには厳しい場所らしいですよ」


「なるほど、だからこの水槽には二種類しか生き物がいないんですね」


「こんな過酷な環境で過ごすぐらいなら、普通に海の中で生きた方がよさそうだけどなぁ……」


「それでも、この生物にとってはここで生きたいと思わせるほどの何かが、干潟にはあるのかもしれませんね」


「餌が多いだけじゃ割に合わない気もしますけど……」


「もしくは、本当は後悔してるけどもう干潟に適応しきっちゃったから元の場所には戻れない、とか」


「悲しすぎませんかそれ」


 久しぶりに魚を見て気づいたが、魚って正面から見ると割と怖い。目はギョロリとしてるし、種によっては結構デカイし、また種によっては歯もしっかり生えている。

 だが隣に清咲さんを置いて見ていると不思議と気にならず、むしろ観賞のスパイスになった。


「あ、イソギンチャクとクマノミです。ニモだ、ニモがいますよ」


「ふふっ」


 僕がそう言うと清咲さんは吹き出す。どうやら彼女は「ニモ」で通じる人らしい。

 自分のネタがある程度ウケたことにホッとする。


 ……始まる前はウダウダ言っていた水族館へのお出掛けだが。なかなかどうして、僕の気分は晴れやかになり始めていた。

 単純に水族館自体が存外悪くないというのもある。だがなにより、清咲さんと一緒にいるというのが大きい……と思う。

 俗っぽい話になってしまうが、清咲さんのような美人と並んで出掛けられるというのは、悪い気がしない。

 男なら一度は夢見る光景というか。すれ違う他の男がたまに振り返ってくるというのは、なんとも言いがたい優越感のようなものなある。

 たが、確実にそれだけでなかった。


「うおっウツボか……いざ近くで見ると結構気持ち悪い見た目してますね」


「そういえばウツボって、獲物を食べるときには喉から第二の顎が伸びてくるらしいですね」


「第二の顎!?」


「元は咽頭顎(いんとうがく)っていう部位で……私もテレビで少し聞いただけなので詳しくはわかりませんけど、それで獲物を細かく刻むらしいですよ」


「あ、後でスマホで調べてみましょうか」


 魚を見る度に二言三言ぐらいトークを交わす。

 他の人にとっては普通の光景で───むしろまだ距離があるやり取りかもしれない。

 だけど僕にとってはなんだか、ひどく久しぶりな気がした。


(見下されたりせず、ちゃんと目を合わせて対等に誰かと会話をするのなんて)


 心がザワザワとする。

 ガラスに薄く反射した自分の顔を見て、僕は驚いた。

 その顔が、笑っていたからだ。


 ……自然に笑みが浮かんだのなんて、いつぶりだろう?


 ずっと心から失くしていたナニかが、不意に手元に戻ってきたような気がした。


「落城さん?どうしたんですか?」


 先に歩き始めていた清咲さんが振り返る。

 戸惑いを悟られたくなくて、僕は慌てて近くの水槽へ声をかけた。


「あっほら清咲さんアレ。針のある生き物のコーナーのとこ。ハリセンボンが膨らんでます」


 事前に誰かが驚かせていたのか、ハリセンボンが膨らみボディビルダーのように針を誇示していた。名前通りの無数の針がこちらを向いており、威嚇としては充分である。

 それに清咲さんの意識を向けさせようとしたのだが───どうやら彼女の興味は既に別の物へとあったらしい。


「落城さん、こっち、クラゲがいますよ」


 タタッとハリセンボンを素通りし、ブルーライトに照らされた水槽へ僕を呼び寄せる。

 自分の言葉を無視されたことに若干傷ついたが、まぁ目的自体は果たせていたので良しとした。







「……なぁ、アイツらいつになったら来るんだ?」


 ボヤきというよりも不満の色の方が濃い声。

 水族館の外にある駐車場の影で、暗寧高校バスケ部の二大強豪選手である戸塚と今宮は立ち尽くしていた。

 彼らは、今日ここへデートに来るはずの落城と清咲を待ち構えていた。彼らの後を追って、そのぎこちないデートの様子を嘲笑うつもりでいた。

 そのためにわざわざ割引チケットを用意したり、休日にこうして興味もない水族館前へやって来ていたのだが……。


「あいつ……集合は十時だつってただろうが……!」


 スマホの時計は十時十五分を指している。

 戸塚の口から舌打ちがもれた。

 落城のNINEを開き一応確認してみたが、確かに落城は十時に集合と言っていた。だから彼らはその時刻の十分前にここへやって来て予め隠れていた。

 にもかかわらず、落城も清咲も一向に現れず今に至る。

 時間が変更になったら連絡しろとも言っていたのだが、今のところそのようなNINEは届いていない。

 というか、さっきから五通ほど追いNINEをしているのだが、一向に既読が付く様子がない。


「デート中は常に電源付けとけつったのにコレってことは、ナメてんな落城の奴」


 横から覗き込んだ今宮がイラ立ちに顔を歪ませる。ちなみに、彼らの三人目の取り巻きである本山は、急遽サッカー部の練習が入ったようでここにはいない。

 ともかく。

 未読無視か、本当に気づいていないだけか。前者なら迷うことなく極刑だし、後者も後者で処罰すべき案件。


「チッ!」


 吸い終えた二本目のタバコを踏み潰す。

 これは、落城の裏切り行為と取って良いだろう。

 今宮がタバコに火をつけるのを尻目に、手の平のスマホに目を落とす。

 本来の彼らの計画では、デート(仮)をする二人を追いながら隙を見て『肩を抱け』とか『もう一度告白しろ』とNINE越しに落城に指令を出していた。そして泣く泣く落城が従った様を写真に撮って更にネタにしてやるつもりだった。

 そんな極上の遊び時間を目の前で取り上げられた喪失感は大きい。

 どうしたものか。どうしてやろうか。


「どうするよ、戸塚?」


 今宮は完全に戸塚に任せる方針のようだ。

 戸塚はタバコの箱を懐にしまう。

 落城は間違いなく水族館にいる。先ほど見つけ、蹴り倒した自転車の存在からもそれは確定。

 ならば。

 当初の計画が曲がった状態で続行するのは屈辱だが、このまま引き下がって『してやられた感』を落城ごときに感じるのはもっと癪。

 だとすれば、やることは一つだ。


「アイツら追うぞ。中で」





 頬に一筋汗が流れる。

 暑いからではない。むしろ背筋は冷たくなっている。


「落城さん?」


「え、はい?」


「どうしたんですか?さっきスマホを見たときから、顔色が悪くなっていますけど」


「……あはは、いやぁ」


 適当に誤魔化そうとするが、汗は止まらない。体もまるで凍ったように冷たいままだ。


「……ひょっとして、何か急ぎの用事でも入りましたか?でしたら……」


「い、いえいえ!それは違います!」


 清咲さんの表情が曇りかけたので慌てて否定する。


「大丈夫です。大丈夫ですから、早く次の魚を見に行きましょう」


「はぁ……」


 一階の魚を見尽くしたらしいので、階段を上り二階へと向かう僕ら。

 だが今は水槽の中の魚よりも、ポケットの中のスマホへと意識が向いていた。


 ……全然まったく良いわけがない。


 そうだ、戸塚も来るんだった。彼への連絡を、僕は完全に忘れていた。

 当初の時間よりも早めに水族館へと向かっていた結果、僕と清咲さんは二十分早く水族館へ入ることになっていた。だったら、それをちゃんと戸塚に伝えなければいけなかったのだ。

 スマホに届いていた合計六通ほどの彼からのNINE通知を見たとき、僕は比喩抜きに心臓が止まりそうになった。


(あー……)


 場所と状況が許すなら、今すぐしゃがみこみたかった。

 苦虫を噛み潰したようなイラついた戸塚の表情が手に取るように想像できる。


 このレベルの失態は……恐らく彼の思考がどう転んだとしても、後の制裁は避けられないだろう。


(やっちまったー……)


 どう挽回しようかと思考を巡らせるが、この期に及んで妙案が都合良く浮かんでくるわけもない。何より戸塚は格下に見た存在から反抗されたりナメられるのが大嫌いな性格。

 有り体に言えば、この状況はほぼ『詰み』である。

 首まで流れた汗が蒸発して乾いていく。

 太陽が差し込み始めた心に再び雲が立ち込め始めた。

 だがそんな時。


「あっ、落城さん見てください!」


 声に誘われて横を向く。

 そこでは清咲さんが二階の最初の水槽を指差していた。


「イワシの群れですよ!すごい数ですね!」


 具体的な事情は知らないが『落城の気分がダダ下がり』ということはわかったらしい。

 さっきよりもやや大きな声で騒ぐように言っている。

 もちろんそこには本来の興奮もあるようで、しきりに目を輝かせていたが。


「群れ……」


 件の水槽には、彼女が言った通りイワシの群れが展示されていた。テレビでしか見たことがないようなおびただしい数のイワシが、台風みたいに水槽内を回っている。

 それを見ていると、思わずため息が出た。


「すごいですよねぇ、イワシの群れって」


「『すごい』とは、具体的にどういうところがですか?」


「これだけの数なのに、和が乱れることもなくケンカもせず、一緒に行動し続けることができている点ですよ」


「配偶者やエサが少ないとイワシ間でも争いが起きてしまうことがあるそうですが……でも確かにすごいですよね。多くの目で天敵を真っ先に見つけ、的を増やすことで誰かが食べられる確率を減らす……まさに群にして個の存在というか、各々がきっちりと役目を果たしているからこそですよね」


「人間の群れとはえらい違いです」


 人間の場合はクラスや会社はおろか、たったの四人家族でも機能不全を起こすことがあるのに。人間と魚、一体どこで差がついたのだろうか。


「落城さん!こっちにはタツノオトシゴがいますよ!」


 社会派っぽいことを思いながらイワシの群れを見ていると、また清咲さんが別の水槽を見て声をあげた。

 今回のも、きっと何割かは僕の不調を誤魔化させようという意図があっての大声だろう。

 それを見ていると、申し訳なくなると同時に、不思議と先の懸念がちっぽけなことに思えてきた。

 やっぱり、生き物を前にした彼女は本当に楽しそうにも笑っていて。


(まぁいいか……彼女のこの顔を、心置きなく、一人で見ることができたと考えれば)


 なんとなく、気持ちは和らいでいた。

 それぐらい綺麗な顔だった。戸塚には絶対見せたくなかったぐらい。

 そう考えたら、むしろ戸塚に殴られることなんて安いことのようにさえ思えてくる。

 ……そうだな。もうやってしまったものは仕方がない。


(……数十発は覚悟するか)


 嘘告白を今さら嘘だと言えないように、戸塚への伝達ミスも今さら誤魔化すことはできない。制裁は大人しく受けよう。

 だからとりあえず今はそんな確定事項なんてパッと忘れて、ここからはそれまでの、せめてもの思い出作りへとシフトしよう。

 今は……まぁ、楽しいんだし。


 なんだか感覚的には、憂鬱な月曜日を控えた日曜日のようである。

 前向きな後ろ向きに決意を新たにして、僕は清咲さんの隣へと立った。


「ほら、こっちも何匹もいますよ」


「タツノオトシゴですか……。相変わらずなんともいえない姿をしてますよねぇ。こんなのが自然界で過ごしてる様が想像ができないです」


「一体ナニを先祖にもって、どんな進化をすればこうなるんでしょうか……」


「餌とかなに食べてるんですかね?」


「プランクトンとか、小型のエビを吸い込むようにして食べてるらしいですよ」


「へぇ」


 そこまで話したあたりで、清咲さんは安心したような顔をした。どうやら、僕の調子が戻るか気にしていたらしい。

 再び申し訳なくなった。なんだかここのところ、彼女には気を遣われてばかりな気がする。たまには僕の方から、彼女を楽しませてあげたい。

 そう思って話のネタが転がってないかとあたりを見回すと、


「…………?」


 なにやらおかしなものを見つけた。

 視線の先にあるのは売店。海の生き物が映ったカレンダーやら、(この水族館にいるわけでもない)ジンベエザメのぬいぐるみが置いてある。

 それ自体はさほどおかしな光景ではない。僕の興味を惹いたのは、売店を示す看板に描かれていた謎の生物だった。


(なんだアレ……)


 後から知ったが、僕が見つけたのはこの水族館のイメージキャラクターで、エイをモチーフにした『イェイ君』というキャラだったらしい。

 名前だけ聞けば可愛く思えるのだが……その姿は上から見たエイの姿をデフォルメして、尻尾の代わりに足を生やしたようなものだった。足があるのに腕が見当たらないが、恐らく横に伸びたヒレをそのまま腕に見立てているのだろう。

 なんというか……二秒で考えたようなアホっぽいデザインだった。

 パッと見ではあの有名妖怪ぬりかべや、雨の日にレインコートを着てテンションが上がってる子供のようにも見える。

 仮にあの姿で生活しているのだとしたら、うっかり転んだときにはたして独力で立ち上がることができるのか?そんな風にあれこれと突っ込み所が浮かぶ珍妙な姿に、僕は思わず吹き出してしまった。

 それを見た清崎さんが首をかしげる。


「どうしたんですか?落城さん」


「え?あ、いや」


 単なる話題転換のつもりだったのが予想より面白い題材だったので、是非とも彼女にも見て欲しかった。


「あの清咲さんの後ろに描かれてる───」



 描かれているキャラクターがおかしくて───と言おうとしながら、僕は清咲さんの顔越しに彼女の後ろを指差した。


 それは友達相手にするような、単なる日常動作だった。



 だが。



「っ───」



 それを受けた清崎さんは突然体を強張らせた。さっきまでそれなりに浮かべてくれていた笑顔をひきつらせ、反射的に目を地面に伏せる。

 なぜか彼女は、ナイフでも向けられたようにビクリと体を震わせていた。


「……えっ?」


 あまりに突然のことで、僕は反応が遅れてしまった。体勢はそのままで声をかけるが、清咲さんは相変わらず動かない。


「あの、清咲さん?大丈夫ですか?」


 僕は慌てて彼女へ駆け寄る。もしかして熱でも出たのかと、彼女の顔に手を向けた時───


「っ、いやっ!」


 パン、と音がした。

 その音が、僕の手が彼女に払われた音なのだと気づいたのは数秒後だった。

 咄嗟の行動で手加減がされていなかったようで、指の背中側がジンジンと痛んだ。

 痛っ、と呟いてしまったが、清咲さんは謝る余裕もないらしくまた目を伏せる。


「ゆ、ゆびっ……コッチに向けないでっ……」


「指?」


 どうにか絞り出したように彼女は呟いた。

 自分の伸ばした指を見つめてみる。

 どういうことだ?僕の指に何かついているのか?

 意味はわからないが、息が荒くなっていく清咲さんを見ていると、とにかく今が彼女にとって非常事態なのだということはわかった。

 周りを見回してみると、いつの間にやら人の目が大量に僕らへと向いている。

 ……とりあえず、早急にここを離れた方が良いだろう。


「清咲さん、確かあっちの方にベンチがあったはずです。ちょっと、そこで休みましょう」


 返事の代わりに頷いたのを確認してから、僕はなるべく驚かさないように背中の方から彼女の体に手を添えた。

 これはセーフな行動なのか不安だったが、清咲さんは何も言わず素直にエスコートされてくれた。

 非常事態だから多めに見てくれたのか、単に反応する余裕が無かったのか。

 たぶん後者だろう。




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