医務室と満月
目を開けると、真っ白な天井が俺を迎え入れてくれた。
とても静かで、無音とでも言ってもおかしくないと思うほどだった。
俺は身体を起こそうとする。
しかし、身体が全く動かない。
「はは、参ったな。身体が動かねぇよ」
身体が動かないことに苦笑してしまう。
俺自身はなんで動かないか心当たりがない。
そこに、扉が開いて誰かが入ってくる。
「あ、起きた?ウミ君」
扉の前には、寧子が立っている。
手には、水が入った桶とタオルを持っていた。
「寧子か。ここはどこなんだ?大きな兎はどうしたんだ?」
「そんなに聞かれても一気には答えられないよ。答えてあげるから少し待ってて」
寧子は、持っていた桶とタオルを俺の寝ているベッドの横にあった台の上に載せて、丸椅子を持って来て俺の隣に置いて座った。
「ここは医務室だよ。ウミ君、その場で倒れちゃうんだもん。ちなみに、美羽ちゃんも今医務室にいるよ」
「そうか。美羽は無事なんだよな」
「うん。獣化もしてないし、進行度も前と変わらないって」
「兎たちはどうなったんだ?」
「兎たちは全滅。ボスも死んだよ」
「そうか」
俺は安心をした。
しかし、俺には一番気になることがあった。
それを聞きたいが、それを話していいか迷う。
それを見た寧子は、俺の手の上に手を置いた。
「なんでも聞いていいんだよ」
「俺は、どうしてここで寝てたんだ?」
「そうだね。まあ、嘘を言ってもすぐにばれちゃうか」
諦めたように言って、寧子は俺に今まであったことを話す。
寧子の話しでは、俺は狼になり、ボスの兎を滅多打ちにしてから美沙紀を襲いかけたみたいだった。
しかし、月が雲で隠れると俺は制御が効かなくなって、美沙紀によって倒され、医務室に運ばれたみたいだった。
「そうだったのか。だから身体が動かないのか」
「ここに運んできたときには、ほとんど力がなくなってたからね。動かないのも仕方ないよ」
苦笑する寧子。
俺は、寧子の顔を見て少し安堵した。
「他に聞きたいことはない?」
「そうだな。美沙紀と紫園は大丈夫なのか?」
「うん。二人とも無事だよ。でも、シノちゃんは精神室で経過観察中なんだけどね」
「そう……なのか」
紫園が経過観察中ってことは、俺が何かをやってしまったってことか。
それを聞いて、俺はまだ自分自身の弱さを思い知らされた。
寧子は、俺の手の上に置いている手を握った。
「大丈夫だよ。今は安定してきて明日からは普通に登校するみたいだから。だから、あまり変に考えないで普通にしてればいいんだよ」
寧子が微笑みながら俺の手を握ってくれる。
その手の温もりがとても温かく感じた。
「そうだ。折角だから身体を洗ってあげるよ」
そう言って、タオルを持って桶の水で濡らして絞る。
「大丈夫だよ。一人でできるから」
「身体が動かないのにどうやって洗うのかな」
痛いところを付かれて言い返せなくなる。
そういえば、俺は動けないんだった。
「わかったならうつ伏せになって」
「仕方ないか」
俺は諦めて、寧子に言われたようにうつ伏せになる。
寧子は俺が着ていた服を捲って、背中にタオルを当てて拭く。
ゆっくりと拭いてくれるので、とても気持ちいい。
「どうかな。力加減とか大丈夫かな?」
「ああ、大丈夫だ。気持ちいいぞ」
「それはよかった」
暫く会話がなく、無言で俺の背中を拭いてくれる寧子。
何かもどかしさを感じた俺は、もう一つ気になったことを聞いてみる。
「なあ、お前は美羽と仲直りできたのか」
「……っ!」
俺の背中を拭いていた寧子は、その質問を聞いて動きが止まってしまった。
冷たい感触が背中から伝わってくる。
「ね、寧子?どうしたんだ」
「え、い、いや。ごめんね、何もないの」
「そ、そうか」
まずいことを聞いてしまったようだ。
重かった雰囲気がさらに悪くなった気がした。
しかし、その雰囲気を壊したのは、寧子だった。
「実はね、さっきまで美羽ちゃんの部屋に居たんだ」
「起きてたのか?」
「うん。だから、他の皆が帰ってから話しを切り出したんだよね」
「仲直りはできたのか?」
「私が謝ったら、同時に美羽ちゃんも謝ってね。タイミングも同じだったから二人で笑っちゃったんだよね」
「そうか。じゃあ、仲直りしたんだな」
「そうだね。というか、美羽ちゃんはあんまり気にしてなかったみたいだったんだ。看病してもらってるのに変なことを聞いちゃったって」
寧子の話しを聞いて、どうやら喧嘩になる前の仲に戻ったようだった。
自然と笑みがこぼれる。
「何笑ってるのよ」
「え、いや、仲良くなれてよかったな、て思って」
「そう、ならいいけど」
寧子は背中を拭き終わってタオルを桶の水で洗う。
そして、タオルを絞ってもう一度俺の前に立つ。
「次は前を拭いてあげるよ、ウミ君」
「あ、いや、背中だけでいいよ。気持ちだけでも……」
「前も拭いてあげるよ」
そういうと、うつ伏せになっている俺を無理やり仰向けにさせられる。
なぜかわからないが、身体中が痛いことに気付く。
「さて、それじゃあ、前を捲るよ」
俺の服を掴んで少しずつ捲り上げる寧子。
俺は止めたいが、身体が全く動かない。
とうとう俺の服がすべて捲られる。
「すごい……私が見ない間に結構筋肉がついてる」
俺の腹筋を擦りながら、目をトロンとさせている寧子。
というか、こいつは俺の身体を見たことがあるのか。
「それじゃあ、失礼して……」
「よせ、止めろ、止めてくれええええぇぇぇぇ!!」
俺がそう叫んだ時、タイミングよく扉が開いた。
「海斗さん!大丈夫……です……か……」
部屋に入ってきたのは美沙紀だった。
美沙紀は、俺と寧子の状況を見て扉の前で固まってしまう。
俺も一瞬だけ頭の中が真っ白になってしまう。
「な、なななな何してるんですか!?」
「何って身体を拭いてあげてるだけだけど?」
「だ、だったらそ、そにょ手はにゃんにゃのですか」
「美沙紀、呂律が回ってないぞ」
さらに玲奈と紫園が俺の部屋に入ってくる。
「海斗、お見舞いに来てやったぞ……って起きて早々面白いことになってんじゃん」
「女の子に上半身を見せてる……ね。相当の自信家みたいだね」
入ってくるなり変なことを言ってくる玲奈と紫園。
「じ、自信!?いや、全くないって!」
「ホントかな?それにしては結構な腹筋だよ。寧子ちゃん、私も触っていいかな?」
「触って触って。触った瞬間、ゾクゾクしちゃうから」
俺が抵抗できないことを理由に好き勝手やるつもりだな。
俺のことはお構いなしに紫園が俺の腹筋を触ろうとする。
「ちょっと待てよ紫園!俺はまだ何も……」
「それじゃあ、失礼しまーす」
とても嬉しそうに俺の腹筋を触ってくる。
「ホントだ。すごい筋肉だぁ。私この筋肉好きかもぉ」
「ちょ、待ってくれ!一回手を離せ!!」
俺は紫園に手を離すように言う。
しかし、俺の言葉を聞き入れてくれず好き勝手に弄ばれる。
「紫園、うちにも触らせてくれよ。ついでに美沙紀も触りなよ」
「はあ!?わ、私は別に海斗さんの身体なんか全く……興味……なんてない……です」
チラチラと俺の身体を見て、言葉が途切れ途切れになる美沙紀。
俺は何か嫌な予感がした。
「み、美沙紀さん?触るのが嫌なら触らなくても……」
「……やっぱり……触るです」
「なんでだよ!」
俺は美沙紀以外のやつらが帰るまで、好き勝手に弄ばれられたのだった。
寧子たちが帰ってから数時間後、俺はベットの上に座って月を眺めていた。
そこに扉が開いて、小さな土鍋を持った美沙紀が入ってきた。
「もう身体を動かしても大丈夫なのですか」
「ああ、力も半分くらい回復したしな」
「そうですか。それならいいですが」
土鍋を台の上に置いて蓋を開ける。
いい匂いが部屋を充満にする。
これはお粥だな。
「その……病人だからお粥を作ってしまったのですが……」
「ありがとな。あんまりお腹が空いてなかったからお粥でよかったよ」
気を失ってから結構時間が経っていて、この時間まで何も食べてなかったが、空腹になっているわけではなかったので、あまり食べる気にはならなかった。
「そうですか。それはよかったです」
美沙紀はお碗に土鍋の中身を入れて蓮華を持つ。
そして、蓮華にお碗の中のお粥をすくって俺の前に差し出す。
「な、何してんだよ」
「そ、その、男の子はこうされたら嬉しいからって玲奈さんに……」
あいつ、最後の最後に要らん置き土産を残してくれてったな。
全く、あいつはいったい何がしたいんだ。
「ほら、あーんしてくださいです」
「だ、大丈夫だ。お碗と蓮華を持つくらいの力は回復してるから」
「だったら、せめて一回だけでいいのでその……あ、あーんをさせてほしいです」
上目使いで俺を覗いてくる美沙紀。
俺は美沙紀の目をあまり見ないようにした。
しかし、美沙紀は俺にしてほしいと目で訴えてくる。
俺はついに観念して口を開けることにした。
「あ、あーー……」
「え、えと、あ、あーーーん」
美沙紀が俺の口へ蓮華を近づける。
蓮華からお粥の匂いが少しずつ近づいてくる。
蓮華が俺の口元に近づいた時、俺の下唇に当たる。
「あっつ!!!下唇あっつ!!!」
あまりの熱さについ大声を出してしまう。
というか、冷ましてなかったことに気付くの遅かった。
「ご、ごめんなさいです!大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。それよりももういいよな。今みたいなことがまたあったら今度こそ火傷じゃ済まないぞ」
「そうですね。流石にこれ以上の我が儘はだめですよね」
美沙紀は持っていたお碗と蓮華を渡してくる。
俺はそれを受け取って食べる。
火傷をしないように息を吹きかけて冷ましてから食べる。
「うん、美味いよ。美沙紀って料理も上手いんだな」
「そ、それほどでもないですよ」
顔を赤くして恥ずかしそうに俯いてしまう。
その行動がとても可愛らしかった。
俺が食べきると、美沙紀は俺が使った食器を片付ける。
「さて、私はこれを片付けたら帰りますけど、他にやってほしいこととかあるですか」
「いや、何もない。こんな時間まで悪いな。できれば、寮まで送っていきたいところだけどな」
「もう、ここは街じゃないですし医務室から寮まではそんなに距離があるわけじゃないんですから」
「そうだな。悪かったよ、変なことを言って」
「いえ、私を心配して言ってくれたんですよね。それだったら……」
そう言い残して、部屋を出て行った。
俺は窓のそばに行って扉を開ける。
そして、空を見上げる。
夜空には月が輝いている。
「今日は満月か。次に満月になるのは、一か月後か」
俺は無意味にそう呟いた。
月の光は、太陽よりも眩しく輝いているように見えた。
冷たい風が俺の身体を冷やしていく。
俺は身体が冷える前に窓の扉を閉めた。
そして、早く学園に復帰できるように俺は早めに就寝したのだった。




