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東方凛理観  作者: のんの
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第一話 見知らぬ土地へ  上

第1□△季○月×日


 初めは何事か、と思った。突然、本当に突然だった。博麗大結界が何の前触れもなく破られたのだ。私はすぐに霊夢のもとに向かった。しかし、霊夢はすでに結界の応急措置を施していて、大事には至らなかった。私はそこで一先ず安堵の溜息を吐いた。そして石段の遥か下の方で見慣れぬ人間が倒れているのを見つけた。



――――――――八雲紫著『ゆかりんの日々』より――――


 暗い海底からゆっくりと浮上していく感じ。だんだんと光が差し込んできて、徐々に意識がはっきりしていく。

 まず初めに分かったのは、俺は布団の上に寝かされている。それだけ。

 もうほとんどはっきりしてきている意識の中、次に知覚できたのは――


「――――て――――ある――」

「――――あれ――――も――でも――」


 誰かが二人、話しているという事。聞こえてくる声から察するに、あまり明るい内容の話でないらしい。

 お互いの意見を交えながら相談するように話を進めていく。


「――――だから、それは私にも分からないわ。まずは現場の一番近くにいたこの子が起きないと」

「……それもそうね」


 そこで話に区切りがついたらしく。部屋は静寂に包まれる。

 “この子”とは自分の事なんだろう。何の話をしているのかはわからないが、まずは今の状況を把握しなければ。

 もう意識は完全に覚醒している。俺は目を開き、現状を確認することにした。


「……ん」


 光が眩しい。どうやらここは和室みたいだ。

 俺はその部屋の中央で布団の上に寝かされている。


「あら、起きたのね」


 部屋が静かだったためか、俺が眼を覚ましたことはすぐに悟られた。

 声をかけられたほうを見ると、隣に金髪の結構な美人が座っていて、にこやかな笑みでこっちを見ていた。


「あなたは……」


 声の聞こえ方からして近くにいるのは分かっていたが、まさかすぐ隣にいるとは思わず(というよりも声の主がこんなに美人だと思わず)少し驚いたが、一応平静を装う。

 とにかく今は自分が置かれている状況の把握に努めよう。

 俺の質問に対して、この人はゆっくりと落ち着いた声で答える。


「私は八雲 紫。そしてこっちは」

「博麗 霊夢、この神社の巫女やってるわ」


 俺とは少し離れた位置に座っていた少女が不愛想に答える。

 この娘が先ほど八雲さんと話していた人だろう。歳は……俺と同じか少し下くらいか。

 今は無表情だが、笑えばすごく絵になることだろうな。


「えっと、璃咲、凛です」


 寝ているため頭を下げることは出来なかったが、会釈するように頭を動かす。

 それに対して八雲さんは、よろしくね、と笑顔で返してくれた。

 ……やばい、女神だこの人。眩しい笑顔に後光が差して見える。


 自己紹介が終わったからだろう。八雲さんは話を区切るように手に持っていた扇をバッと開いた。


「……さて、あなたに聞きたいことがあるのだけれど」


 それを境に八雲さんの目が今までの優しいものとは打って変わって冷たい、何かを観察するようなものに変わった。


 思わず息を呑む。その急な変化に少し気圧されてしまう。


「あなたはここへ何のために来たのかしら?」

「……え?」


 ここへ何のために?

 ……まず、“ここ”ってどこだ?


 何故か責められるような口調に言い訳するように思考が働いていく。

 ……俺は何も悪い事はしていない。俺は“ここ”がどこだか知らないし、“ここ”に目的があって来たわけじゃない。

 ただ、俺は偶然見つけた石段を上って、そして……そして――――


「……そうだ! あの歪みは……ッ!?」


 あの鳥居で発生した歪みの事を思い出し、急に身体を起こす。その瞬間、身体中に激痛が走った。

 俺はあまりの痛みに動けず、身体を丸める。まるで身体中を鈍器で殴られているような……。


 じんじん、と身体中が痛む。しばらくして、それも徐々に収まっていく。


「……包帯?」


 身体を丸めた時に初めて気づいた。身体中に包帯が巻かれている。さっきの激痛にこの包帯。一体いつの間にこんな怪我をしたのだろう……。

 包帯を巻かれた自身の身体を眺めていると、八雲さんが溜息を吐いて言った。


「あなたは石段の上に倒れていたのよ。身体中傷だらけで。考えるまでもなく石段から転げ落ちたのでしょうね」

「……」


 ……そうか。八雲さんの助言があって合点がいった。

 あの歪みの先は石段だった。なら答えは単純。俺は歪みを通り抜けてあそこを転げ落ちたのだ。


「さて、傷の事はもういいでしょう。あなたが気を失うまでの経緯、それを教えてくれるかしら?

……そして、その“歪み”の事もね」


 含みのある笑みをこちらに向ける八雲さん。

 しかし、目は笑っていない。先ほどと同じように冷たい目をしている。俺の動作をすべて逃さず観察するような目。

 嘘はつけない(元よりそんなつもりはないが)。もしそうすれば取り返しのつかないことになる。俺は直感でそう悟った。


「……は、はい。

え……えっと、あの日俺は祖母の家にいました。あまり祖母の家には行くことはないのですが、その日は――――」


 俺は一言一言丁寧に言葉を紡ぎ出していった。あの日の出来事を一つも漏らさないように。







「――――そして、その歪みに飛び込みました。……そこから先は覚えていません」


 まぁ、頭でも打ったのだろう。歪みに飛び込んでからは本当に何も覚えていない。打ち所が悪かった、いや、こうして生きているのだから良かったと言うべきか。

 一応説明が終わったところで、八雲さんが手に持っていた扇子をパチッと閉じ、締めるように言った。


「それであんなところに転がっていた、と」

「はい。そうだと思います」


 八雲さんはまた扇をバッと開く。

 ……癖なんだろうか。


「霊夢、どう思う?」


 そこで八雲さんは博麗に意見を仰ぐ。

 この博麗、さっきからずっと俺の事を観察するように眺めていた。正直照れる。


「そうね、凛の(いきなり呼び捨てとは……)能力、とは考えられないかしら?」

「霊夢、私もその考えに至ったわ。この子博麗大結界をいとも簡単に素通りしてきたのだし。でも、それには問題があるのよ。それは――――」

「……それをなんとかしてきたんじゃない? 普通に考えて無理よ。私の力だって――――」


 …………。

 俺の思考は一瞬停止した。

 それもそのはず。さっきまで普通に話していた人たちが、いきなり“能力”とか“結界”とか“私の力”とか、あまりにも、あれ、ぶっ飛んだことを言い出したのだから。


「それなら――――で結界が――――じゃないかしら」

「いえこれは――――だから結界が――――で――――だったから」


 呆然としている俺に構わず、二人はどんどん話を進めていく。今は結界同士の干渉がなんとかかんとか言っている。


 な、何を言っているんだこいつらは。

 ……思えば、歪みの話が出たところからおかしかった。


 俺が思わず歪みという単語を口にした時にニヤリとして食いついて来たし、俺が歪みの事について話した時も素直に信じてそれについての議論を始めた。

 普通は熱中症からくる錯覚か何かだと思うだろうし、冷静になった今では自分でもそう思っている。


 それがなんだこいつらは……。


「だから、こいつの言う“歪み”ってのは博麗大結界に穴を開けられたことで出来たものなんだと思うのだけど……」

「えぇ、それについては異論はないわ。問題はその方法よ。だって――――」


 俺の話を疑うどころか、信じ切って話を進めている。

 しかも、話を聞く限りあたかも自らが不思議な力を持っているかのように話をしている。


 これは一体どう収拾をつけるべきか……。

 そう悩んでいた時、一つの単語が頭をよぎった。



 ……あぁ、そうか。これが、厨二病か。



 よく見れば格好も変。

 博麗はここの巫女らしいから巫女みたいな服を着ているのはわかるが、何故か脇を露出させてるし、八雲さんはなんだか変な服を着ている。コスプレか何かなんだろう。


 こんな歳になってもまだ………。

 憐みの念を抱いてしまい、思わず目を背けそうになった。

 だが命の恩人であるこの二人を見捨てることはできない。俺はある決意と共に重たい口を開いた。


「……まだ間に合います」


 俺は身体を労わるようにゆっくりと起こしながら二人に語りかける。少し身体が痛んだが、前の痛みに比べれば全くだ。


「……? 何の事かしら?」


 二人は顔を見合わせ、変人に向けるような目でこちらを見る。


 普段なら、こんな危ない奴はスルーに限る。

 だけど、この二人は命の恩人だ。そんな恩人を助けるためなら、変な奴に変な目で見られたってどうってことない。


「現実を見ましょう」


 さらに俺は二人に語りかける。二人が少しでも正気に戻ってくれるように祈りながら。

 すると、八雲さんは困ったように博麗を見た。


「……この子、頭を強く打ったらしいわ、霊夢」


 博麗は、そうかも、と肩をすくめる。


 ……まぁ、二人からしたら異端なのはこの俺。この扱いも分からなくはないが、少し心外だ。

 どうこの二人を説得しようか考えていると、博麗が思い出したように口を開いた。


「そういえば、ここが何処だか言ってなかったわね」


 ……あ、それは気になる話題。

 まずは自分がどこにいるのか把握しないと帰るにも帰れない。家族にも心配をかけているだろうし、出来れば早く帰りたい。


 俺が博麗の言葉を待っていると、博麗は少し考えてから口を開いた。


「ここは幻想郷。そうね、あなたがいたところとは別の世界よ」

「……」


 忘れていた。こいつ厨二病だった。


 まさかの博麗の別世界宣言に言葉を失くしていると、八雲さんが引き継ぐように続けた。


「信じられないかもしれないけれど、ここは別の世界。あなたこそ現実を見なきゃいけないわ」


 さっきの俺の、現実を見ましょう、ってのを上手く返したつもりなんだろう。八雲さんはニヤリとする。


 ……この二人、マジだ。本気の本気の本気で言ってる。

 これは重症どころの騒ぎじゃない。早く何とかしないと………。


 しかし、博麗の方は比較的軽症だ(あくまで比較的だが)。

 まだ若いからなんとかなるし、厨二病の症状が長引いているだけだと考えれば、まぁ、ギリギリで、納得は、なんとか、できる。


 そう、問題は八雲さん。


 八雲さんは20代後半くらい(もしかしたら、もう30代かも)だろう。もう結婚してもおかしくない歳だ。こんな事を言っていては誰も言い寄ってこないはず。

 このままじゃ八雲さんは婚期を逃してしまう。


 女性にとって売れ残ることがどれほど恐ろしい事なのかは(何故か妹から)よく聞かされている。ここで俺がなんとかしないと八雲さんは大変なことになってしまう。


「八雲さん、よく聞いてください。この世に結界や不思議な力、別の世界なんて存在しません。もっと現実を見ましょう。

そうしないと、このままじゃ婚期を逃してしまいますよ」


 女性にとっては結構、いや、かなりキツい言葉のはず。

 失礼極まりない言葉だが、この歳で厨二病である八雲さんにはこれくらい言わないと治らないだろう。


「……あら? なら私の頭がおかしいと言いたいのね?」


 俺の言葉を聞いた八雲さんは扇子を一回開いてから、バチッと閉じ、にっこりと笑った。

 先ほど質問された時とは別の、なんだかよくわからないが、ものすごいプレッシャーを感じる。

 な、なんか迫力があって怖いんですけど……。


「い、いやそういうわけじゃ……」


 八雲さんから離れようとするが、怪我していることを思い出し、身体を少しだけ八雲さんから遠ざけるのみに止める。

 そんな怯えている俺を見て、八雲さんは興が醒めたように一度だけ溜息を吐いた。


「……まぁ、いいわ。こういうのは見せた方が早いわね」


 何をするんですか? 俺がそう聞こうとする前に、八雲さんは持っている扇子を振った。

 すると、目の前に……なんて言ったらいいのか。

 空間の裂け目のようなものが現れた。

 その裂け目は何とも不気味で、中は光が通っていないのか真っ暗。しかし、その暗闇の中には無数の目玉がぎょろぎょろと蠢いている。

 う……吐き気が。


「これは私の“スキマ”よ。このスキマは色んなところに繋がっているわ」


 八雲さんが一つのスキマに腕を入れると、もう一つのスキマが現れ、その中から八雲さんの腕が出てきた。

 今度は驚きで言葉を失う。

 俺が目の前の出来事を脳で処理しきる前に八雲さんは次の行動に移した。


「それに、ほら。これが結界」


 八雲さんはスキマから腕を抜き、パチンッと指を鳴らす。

 すると何とも言えない奇妙な音とともにスキマは消え失せ、今度は透明で薄い黄色の壁のようなものに囲まれた。


「え? 一体どうなって……え?」

「ほら、空も飛べるわ」


 俺が突然現れた周りの壁に驚いていると、八雲さんが宙に浮いて俺の目の前をふよふよしだした。


 ただいま絶賛混乱中。


 ……訳が、訳が分からない。

 何もない空間に裂け目が出来たかと思うと腕が飛び出てきたり、急に壁に囲まれたり、目の前で人が飛んだり、ほんとにどうなっているんだ。

 これは、マジックで済ませられる話なんだろうか……。


 試しに結界とやらに触ってみようとしたが、触れる直前に消えた。これもスキマと同じように八雲さんが消したんだろうか。


「ど、どうなって……がッ!」


 俺が目の前で起こっていることに信じられない面持ちでいると、八雲さんが俺の足に落ちてきた!

 ……ッ、足がッ!


「これで分かったかしら?

ここはあなたがいた世界とは別世界、幻想郷。ここには人も妖怪も神もいる。摩訶不思議な力なんて山とあるわ。

それに、婚期がどうとか言っていたけれど私は何百年も生きた妖怪よ」


 俺があまりの激痛に苦しんでいるというのに、八雲さんはお構いなしに話を続ける。


「あなたは私たちの事をなんだと思っているのかは知らないけど、ここでは不思議な力なんてのは当たり前の事なの。

わかっていただけたかしら?」

「分かった! わかりましたからっ、どいてください!」

「あらごめんなさい。そういえば怪我してたわね」


 八雲さんはいかにも、今気づいた、と言う風に俺の足から“ゆっくりと”降りた。


「さて、これで凛くんもいくらかは私たちの事をわかってくれたことだろうし、夕飯にしましょうか。

ちゃんと凛にもご馳走するわ」


 八雲さんが扇で口元を隠しながら言う。

 絶対にこいつニヤニヤしてやがる。何が“わかってくれたことだろうし”だ。


 結構重かった八雲さんが乗っていた足をさする。

 ……もしかしたら、この二人が言っている別世界、というのは本当の事なのかもしれない。俄かに信じ難いが、目の前で起きたことを考えると強ち、嘘だ、とも言い切れない。


 それにあんなことされた後にまだ、『あなた厨二病です』なんて言う勇気は俺にはなかった。


「あ、はい。ありがとうございます」

「それじゃあ行きましょうか」


 八雲さんはにっこりと笑ってから立ち上がり、ん~、と伸びをする。

 うわっ、スタイル抜ぐ――いや、騙されるな! さっきされたことを思い出せ。

 こいつは俺の足にのしかかりを……こんな美女が俺の上に?

 ……あ、やばい。


「ご馳走するったって、どうせ作るのは藍でしょ」


 博麗の少し呆れたような声を聞いてハッとする。

 危ないところだった……。


 そういえば、八雲さんには黙っといてやるが、実はこの博麗。

 俺が婚期の事を言っていた時、八雲さんの後ろで必死に笑いを堪えていた。


「まぁまぁ、そう言わないの。あなたにもご馳走してあげるわよ」

「そういうことは早く言いなさい」


 八雲さんの言葉を聞いて博麗はすぐに嬉しそうに立ち上がる。

 ……現金なやつだな。


「早くしなさいよ」


 博麗に急かされた八雲さんは苦笑いしながらも扇子を縦に振る。

 すると、今度は縦長のスキマが姿を現した。ちょうど人が一人通り抜けられそうな大きさだ。


 ……まさか、これを通って移動するのか?


「ほら、凛。あんたもさっさと立ちなさいよ。行くわよ」

「あ、あぁ……悪い」


 博麗に急かされ、仕方なく身体に負担をかけないように(それと出来るだけ時間を稼ぐため)ゆっくりと立ち上がる。


 うぅ、気が向かない。あんな気味の悪いものの中に入るだなんて……。

 すると、俺が気後れしているのに気付いたのか、八雲さんが可愛らしく首を傾げて言った。


「あら、凛。もしかして怖いのかしら? スキマを通るのが」

「い、いや。そんなことは……ない、ですよ?」


 怖くないわけがない。

 こんな意味の分からないものに飛び込むなんて、恐怖以外の何ものでもない。

 だけど、俺にもささやかながら男の意地ってやつがある。女性(しかも綺麗な)の目の前で、怖い、なんて言うのは少し憚られた。

 八雲さんはそんな俺の強がりを見切ったのか、ニヤリとした。


「じゃあ早くいきましょ。あなたは初めてだから特別に一番最初に入れてあげる。ほら」


 俺の後ろに回り込んだ八雲さんは軽く背中を押してくる。


「いや、あの、えっと……」

「ほら早く」


 俺が嫌がる素振りを見せるのも気にせず、八雲さんはお構いなしに背中を押してくる。

 心なしかその力が強くなっているようにも感じる。


 ……こいつ絶対楽しんでる。この人絶対Sだ。顔がSだ。人が嫌がるの見て楽しむタイプだ、絶対。


「わ、わかりました」


 あまりのしつこさに仕方なく首を縦に振る。

 これ以上逆らったって、八雲さんを無駄に楽しめるだけだ。ここは素直に従っておこう。


 俺はせめてもの抵抗に溜息を吐いてから(抵抗にすらなってないが)スキマの目の前に立ち、一度深呼吸をしてから足を踏み出す。

 そして、目の前の、正体不明で気持ち悪いのスキマに飛び込むという、一世一代の英断を下した俺は――


「あだっ!」


 壁に激突した。


 ~~~~ッ! 鼻がッ!

 八雲さんが嫌がらせに、出口に壁を用意していたのかと思って後ろを見ると、八雲さんと博麗の二人が驚いたようにこっちを見ていた。

 場所は未だに博麗の家の和室。


「これ、どういうこと?」

「……」


 博麗が不思議そうに八雲さんに質問するが、八雲さんは考え事をしているのか、口元を扇で隠したまま答えない。


 ……これはどういう事なのだろう。

 まぁ、状況から考えてスキマをすり抜けて壁に当たってしまった、という事なのだろうが……。


「おかしいわね」


 反応のない八雲さんにこれ以上聞いても無駄だと思ったのか、返答を待たずに博麗はスキマに近づく。

 そして腕を試しに入れるが、俺のようにすり抜けず、スキマの中に入っている。


 人の身体がスキマに飲み込まれているのは、今見ても信じがたい光景だ。


「……まぁ、入れないなら仕方ないわ。行けないなら呼べばいい」


 しばらく何も言わなかった八雲さんだが、考え事が纏まったのか、扇をパチッと閉じて明るい声でそう言った。

 そして、八雲さんはスキマに向かって叫んだ。


「らーん! 橙が暴漢に襲われているわー!」


 いきなり何を言い出すんだろう。八雲さんを見つめる。


 すると、ドドドドドッとどこか――おそらくスキマの向こう側――からものすごい勢いで、何かが走ってきているような音が聞こえてきた。


 博麗はスキマの近くにいるのはマズイと思ったのか、スキマから数歩ほど距離を取る。もちろん俺も。


「や、八雲さん。この音は一体……」

「見てなさい」


 八雲さんはあの胡散臭い笑みを浮かべ、楽しそうにスキマを見つめる。俺が状況を理解できずに狼狽しているのを楽しんでいるのだろう。

 八雲さんと博麗の二人はスキマを見つめている。

 片や楽しそうに、片や興味なさげに。

 俺も二人を見習ってスキマを見つめることにした。


 スキマから聞こえてきているであろう音はだんだんと大きくなる。

 このスキマはどこに繋がっているのだろうか。それに、一体どれほど遠くからやって来ているのだろう。

 そう疑問に思っていると、そいつはやってきた。


 俺の真後ろにある、この部屋の襖がいきなりバタンと開き、切れ目の女性が現れる。

 そしてその女性は息を目一杯吸い込み、叫んだ。


「ちぇええええええんッ!!」

「そっちから来るのかよ!!」


 バシンッと突っ込み風に頭を小突く。

 ……ハッ、しまった! 初対面の人になんてことを……。


 俺が自責の念に駆られていると、その女性は俺に頭を小突かれたことなど全く意に介さず、血走った目で部屋を見渡す。


「橙っ! 橙ッ!? ちぇええええええんッ!!」


 女性は俺の事などまるで眼中にないようで、必死にその“橙”とやらを探す。

 その必死さが……なんか怖い。


 女性は未だに叫んでおり、俺が宥めようと声を掛けた瞬間、その女性と目があった。


「き、貴様かぁーーーッ!!」

「ごぶぅッ!!」


 腹に衝撃が走ったかと思うと、壁に叩きつけられる。


 ……な、殴られたのか?

 腹部と身体中を走り回る鈍痛に意識が暗くなっていく。

 段々と薄れていく意識の中見えたのは、俺に追撃を入れようとする女性を必死に抑えている博麗と、それを見て爆笑している八雲さんだった……。


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