8.オーガ、町を出る
「財務担当、資金はどうだ?」
「これだけあれば十分だろう。どうせ城も壊れているだろうしな、修繕費も含めて賄えるはずだ。」
「そうか、長かったな。」
ダグラスは硬貨をしまっているガエンを見た。
「ギルドに挨拶をしてから、城に戻るか。」
「いや、城に戻る前にドワーフの里に行く。」
「ドワーフの里?なるほど、会場の建設か。」
「それもあるが城の補修や補強もしないとだからな。どうせ壊れてる。下手したら半壊してるんじゃないか?」
「下手しなくても半壊してるだろ。」
二人は苦笑いをしながら宿を出た。
朝のガナーノはすでに活気に満ちていた。荷馬車が石畳を鳴らし、露店からは焼きたてのパンの匂いが漂う。行き交う冒険者達も、どこか慌ただしい。
「……最初にここへ来た時を思い出すな。」
ダグラスが街並みを眺めながら言った。
「ああ。死神を仮装だと思われてたな。」
「苦い思い出だ。」
「また金に困った時は来るか。安心して稼げる。」
「そうだな。うるさいやつらも.....そんなにいないしな。」
ダグラスがそう言った瞬間だった。
「おーい!ガエンさん!」
通りの向こうから、パン籠を抱えた女将が大きく手を振った。
「今日も依頼帰りかい?」
「いや、今日は——」
ガエンが答えかけて、わずかに言葉を止める。
まだ誰にも言っていない。
今日、この街を発つことを。
「まあ、そんなところだ。」
曖昧に返すと、女将は満足そうに笑った。
「相変わらず稼いでるねぇ。あんた達が来てから街の依頼が片付くの早いんだよ。」
「偶然だ。」
ダグラスが淡々と答える。
「偶然で大型討伐が三回も成功するかい!」
女将は豪快に笑い、焼きたてのパンを二つ押し付けた。
「持ってきな。常連サービスだ。」
「……財務担当、受け取っていいか?」
「無料なら問題ない。」
ガエンは真顔で頷いた。
「そこは遠慮しな!」
女将の笑い声を背に、二人は歩き出す。
少し進むと、今度は武具屋の前から声が飛んだ。
「おっ、静寂の城コンビ!」
若い鍛冶師が手を拭きながら駆け寄ってくる。
「次の遠征いつだ? 新しい鎌、試作品できたぞ!」
「しばらく遠征になる。」
ダグラスが短く答える。
嘘ではない。
だが、本当の意味も言っていない。
「そっかそっか。戻ったら寄ってくれよ!」
「ああ。」
軽く手を上げる。
そのやり取りを見ながら、ガエンが小さく呟いた。
「……妙だな。」
「何がだ。」
「思ったより顔を覚えられている。」
「静寂の城の名は有名だからな。」
ダグラスは周囲を見渡した。
露店の商人。
子供達。
冒険者。
皆、二人を見ると自然に視線を向ける。
恐れでも警戒でもない。
知人を見る目だった。
「死神としては複雑だ。」
「オーガも似たようなものだ。」
その時、小さな子供が駆け寄ってきてダグラスに話しかける。
「ねえ!また魔物倒したの!?」
「倒した。」
「すげー!」
子供は目を輝かせる。
「今度はいつ出発するの?」
ダグラスは一瞬だけ答えに迷った。
ほんのわずかな沈黙。
「……近いうちだ。」
「じゃあまた帰ってくるよね!」
無邪気な問い。
ガエンが先に答えた。
「ああ。仕事があればな。」
子供は満足して走り去っていった。
二人はしばらく無言で歩いた。
石畳を踏む音だけが続く。
やがてダグラスが言った。
「……言わなくてよかったのか。」
「何を。」
「今日帰ることだ。」
ガエンは前を見たまま答える。
「別れの挨拶は面倒だ。」
「合理的だな。」
「財務的にも時間的にも非効率だ。」
少し間があってダグラスが小さく笑った。
「本音は?」
ガエンは少しだけ考え、
そして短く言った。
「……悪くない街だった。」
ダグラスは頷いた。
「同意する。」
朝のガナーノの喧騒が、二人の背中を押すように流れていく。
ギルドの看板が、通りの先に見えてきた。
二人はギルドの扉を押し開けた。
中では受付嬢アリサが書類の山と格闘していたが、顔を上げた瞬間、ぱっと表情が明るくなる。
「ガエンさん、ダグラスさん! ちょうど良かったです。次の依頼――」
「今日は依頼じゃない。」
ガエンは軽く手を振った。
「挨拶に来ただけだ。しばらく街を離れる。」
「……え?」
ギルド内の視線が一斉に集まる。
常連冒険者達が椅子を軋ませて立ち上がった。
「まさか引退か?」
「家出?」
「もしかして結婚?」
「自分探しの旅か?」
「違う。」
ダグラスが笑う。
「帰省みたいなものだ。」
「静寂の城へ戻る。」
その言葉に、何人かの冒険者が微妙な顔をした。
クセの強い魔族ばかりいる城。
そんな認識がこの街では定着している。
「城……まだ残ってるんですか?」
新人冒険者が恐る恐る聞く。
「多分な。」
「残ってなかったら建て直す。」
「軽く言うな。」
ダグラスが肩をすくめた。
アリサは少し寂しそうに笑った。
「また来てくれますよね?」
「大運動会を開く。」
一瞬、ギルド内の時が止まる。
「……はい?」
「何言ってんだ?」
「頭でも打った?」
「開催する時は招待する。」
ギルドが静まり返る。
「城で?」
「城でだ。」
「運動会を?」
「全種族参加型だ。」
沈黙の後――
「……絶対行きます!」
なぜか拍手が起きた。
ガエンは少しだけ困った顔をしながら頷く。
「世話になった。ガナーノは良い街だった。」
「こちらこそです!」
アリサが勢いよく頭を下げた。
その動きにつられるように、周囲の冒険者たちも次々と声を上げる。
「いやマジで助かったんだぞ! 南の湿地のワニ魔物!」
「報酬横取りしないしな!」
「静寂の城組、仕事が堅実すぎるんだよ!」
「褒め言葉として受け取っておく。」
ダグラスが椅子に軽く腰掛けながら答える。
すると、奥のテーブルから大柄な槍使いが立ち上がった。
「最初来た時さ、正直びびったんだよ。」
他の冒険者が続けて言う。
「死神とオーガだぞ?」
「そりゃ怖いだろ。」
別の冒険者が笑う。
「でもよ、依頼終わった後に必ずギルド報告して、被害額まで計算してくる冒険者初めて見た。」
全員の視線がガエンに集まる。
ガエンは真顔で答えた。
「損益管理は基本だ。」
「冒険者が言う言葉じゃねぇ!」
ギルド内に笑いが起きる。
アリサもくすっと笑いながら、カウンター越しに二人を見る。
「……少し寂しくなりますね。」
「静かになる。」
ダグラスが言う。
「それはそれで困ります!」
アリサが即座に否定した。
「大型依頼の成功率、明らかに下がりますから!」
「合理的な理由だな。」
ガエンが頷く。
すると新人冒険者の一人が恐る恐る近づいてきた。
「あ、あの……」
二人が視線を向けると、彼は背筋を伸ばした。
「俺、最初の講習の時、ダグラスさんに助言もらったんです。」
「……覚えていない。」
「ですよね!」
新人は苦笑した。
「でもあの後、生き残れました。だから……ありがとうございました。」
ほんの一瞬だけ、ダグラスが言葉に詰まる。
そして小さく頷いた。
「生き延びたなら、それでいい。」
それだけだった。
だが新人は嬉しそうに頭を下げる。
それを横で見ていた古参冒険者が腕を組む。
「こういうのが増えたんだよなぁ。」
「何がだ。」
「お前ら見て、無茶しなくなった若いやつ。」
「無茶は非効率だ。」
ガエンが即答する。
「冒険者としてどうなんだそれ。」
再び笑いが起きた。
アリサが書類をまとめながら言う。
「……でも、静寂の城ってどんな所なんですか?」
ギルド中が静かになる。
ガエンとダグラスは一瞬顔を見合わせた。
「凄くうるさい。」
ダグラスが言うと、
「壊れている。」
とガエンが続ける。
「あと魔族が自由すぎる。」
「不安しかない!」
誰かが叫び、また笑いが広がる。
ダグラスが立ち上がった。
「そろそろ行く。」
ガエンも頷く。
「ドワーフを捕まえねばならん。」
「捕まえるって言い方やめてください!」
アリサが慌てる。
二人が出口へ向かうと、自然と道が開いた。
誰かが手を振る。
別の誰かが杯を掲げる。
「また来いよ!」
「運動会ほんとに呼べよ!」
「優勝商品あるのか!?」
「検討する。」
ガエンが答える。
扉の前で、アリサがもう一度声をかけた。
「ガエンさん、ダグラスさん!」
二人が振り返る。
「……お気をつけて。」
ほんの少しの沈黙の後、ダグラスが静かに言った。
「ありがとう。」
ガエンも短く頷く。
「世話になった。」
ギルドの扉が開く。
朝の光と街の喧騒が流れ込んだ。
背後ではまだ冒険者たちの声が続いている。
二人は振り返らない。
石畳を踏みしめ、
静寂の城へ戻るための最初の一歩を進んだ。
――だが。
数歩歩いたところでダグラスが呟く。
「……財務担当。」
「なんだ。」
「運動会、本当にやるのか?」
少し間がありガエンは真顔で答えた。
「魔王がやるって言ってるんだ。やるしかないだろ。」
ダグラスは小さく笑った。
ガナーノの朝は変わらず賑やかで、
しかしどこか、少しだけ名残惜しかった。
「さて....」
ダグラスが背伸びする。
「帰るか、我らが静寂の城へ。」
「その前にドワーフの里だ。」
ガエンは街の西門へ視線を向けた。
「ドワーフ達を説得できれば、大運動会は成功する」
「競技場建設、城補修、防衛設備……全部まとめて頼む気だな?」
「どうせなら要塞級にする。」
「運動会の規模じゃないぞそれ。」
二人は笑いながら歩き出す。
門を抜けると、山岳地帯へ続く街道が広がっていた。
ドワーフの里――
鍛冶と石工の民が暮らす、頑固で誇り高い職人達の国。
「問題は。」
ダグラスが言う。
「素直に協力してくれるかだな。」
「酒を持っていく。」
「勝ったな。」
「勝ったな。」
二人は同時に頷いた。
こうして――
静寂の城・大運動会計画は、次の段階へ進む。
まずはドワーフの里。
城を直す者達に会いに行くために。
登場人物
バルグラム・・・ドワーフの石工頭、割と話が通じる。
ドワルゴ・・・ドワーフの里の長、鍛治師長。




