169.財務担当、最終調整をする 前編
そして、時は進む。
運動会開催まで、あと二週間。
魔王城では朝から多くの者達が慌ただしく動いていた。
各国から届く最終確認の書類。
宿泊者名簿。
出店の申請。
競技場の整備状況。
警備体制。
食料の搬入予定。
大会そのものはまだ二週間先。
だが、準備する側にとっては、すでに本番直前だった。
そんな中。
「……よし。」
運動会会場の一角にある宿泊施設の前で、ガエンが書類を片手に立っていた。
「ここから最終点検だ。」
隣には、数人の魔族の職員達。
「まず宿泊施設。」
ガエンは建物を見上げる。
各国からやって来る参加者や関係者が滞在するために用意された宿泊施設だ。
部屋数は十分。
寝具も問題なし。
水道も魔導具も正常。
そして何より。
「水は出るか?」
「はい。問題ありません。」
「風呂は?」
「すべて稼働しています。」
「トイレは?」
「全室問題ありません。」
「暖房と冷房は?」
「こちらも正常です。」
ガエンは一つずつ確認していく。
「火災対策の魔法陣は?」
「設置済みです。」
「避難経路は?」
「各所に表示しています。」
「夜間照明は?」
「こちらです。」
職員が魔導具を操作すると、建物の廊下に設置された照明が一斉に灯った。
ガエンは頷いた。
「よし。」
そのまま廊下を歩きながら、壁や床まで確認していく。
職員が苦笑する。
「ガエンさん……そこまで確認する必要がありますか?」
「必要だ。」
「床まで?」
「転んだら怪我するだろ。」
「……なるほど。」
ガエンはしゃがみ込み、床を手で軽く触る。
「……ここ、少し浮いてるな。」
「え?」
職員達が慌てて近寄る。
「本当だ……。」
「修繕しておけ。」
「はい!」
ガエンは立ち上がった。
「大会に来るのは戦士だけじゃない。子供も老人もいる。『たぶん大丈夫』は無しだ。」
「承知しました。」
ガエンは再び書類に目を落とす。
「次。出店区画。」
宿泊施設を出ると、今度は大会会場の出店エリアへ向かう。
そこにはすでに大量の仮設店舗が並んでいた。
屋台。
飲食店。
物販店。
各国の名産品を扱う店。
運動会というより、もはや小さな街が一つ出来上がっている。
「……随分増えたな。」
ガエンが周囲を見渡す。
「はい。最終的には、さらに増える予定です。」
「通路幅は?」
「基準以上を確保しています。」
「人が集中した場合は?」
「こちらの誘導員を配置します。」
「救護室への経路は?」
「この通路を使います。」
「……よし。」
ガエンは歩きながら、屋台を一軒ずつ確認していく。
「火を使う店は?」
「こちらの区画です。」
「消火用の魔道具は?」
「設置済みです。」
「食材の保管場所は?」
「冷却魔導庫を各区画に。」
「温度管理は?」
「……」
職員が一瞬黙った。
ガエンがじっと見る。
「……まだ確認していません。」
「今すぐ確認。」
「はい!」
職員達が一斉に走り出した。
ガエンは小さく息を吐く。
「二週間前で気付けてよかった。」
さらに進むと、巨大なテントが見えてきた。
「ここは?」
「各国から来た商人達の共同休憩所です。」
「椅子は?」
「十分あります。」
「水は?」
「常備します。」
「ゴミ箱は?」
「各所に設置済みです。」
「分別は?」
「燃える物、燃えない物、食品廃棄物で分けます。」
「よし。」
ガエンは満足そうに頷いた。
すると遠くから声が飛んできた。
「ガエンさーん!」
振り返る。
そこには、運動会準備を手伝っている魔族達がいた。
「こっちの出店区画、確認お願いします!」
「今行く!」
ガエンは書類を閉じる。
そして歩き出す。
「……忙しくなってきたな。」
職員が苦笑する。
「大会まであと二週間ですからね。」
「まだ二週間ある。」
ガエンはそう言って、会場を見渡した。
競技場。
観客席。
宿泊施設。
出店区画。
救護室。
実況室。
そして、世界各国から訪れる人々を迎えるための設備。
すべてが少しずつ、本番へ近づいている。
ガエンは書類を抱え直した。
「……あと二週間。」
そして、静かに呟く。
「ここからが一番大事だ。」
大会当日に誰も困らないように。
誰も怪我をしないように。
誰も「準備不足だった」と言わなくて済むように。
財務担当として。
そして、出店区画の確認を終えたガエン達は、そのまま競技場へ向かった。
「次は競技場だ。」
「はい。観客席、競技用設備、魔法陣などを確認します。」
「それと、競技用具もだ。」
「承知しました。」
競技場へ続く門をくぐる。
そこには、広大なグラウンドが広がっていた。
本番ではここで様々な競技が行われる。
走る者。
跳ぶ者。
投げる者。
戦う者。
各国から集まった参加者達が、この場所で競い合うことになる。
ガエンはグラウンドを見渡しながら、頷いた。
「……整備状態は良さそうだな。」
「はい。昨日も整備班が…」
その時だった。
「…………」
ガエンの視界に、何かが入った。
競技場のど真ん中。
そこに、一人の男が立っている。
ハイオークのマルド。
筋骨隆々の身体。
整えられた髪。
やたらと自信に満ちた表情。
そして。
「…………」
片腕を斜め上に突き出し。
もう片方の腕を腰に当て。
片足を少し前に出し。
胸を張って。
何故か空を見上げている。
完全に意味の分からないポーズだった。
ガエンは無言で見つめる。
職員達も黙る。
数秒。
さらに数秒。
マルドは微動だにしない。
「……何してるんだ、あれ。」
ガエンが呟いた。
「……マルドさんです。」
「それは見れば分かる。」
「はい……。」
職員も困った顔をする。
するとマルドが、ゆっくりと顔をこちらへ向けた。
「……来たか。」
妙に低い声。
そして、ニヤリと笑う。
「俺の美しき姿を確認しに来たんだね。」
「違う。」
即答だった。
「違うのか!?」
マルドが驚く。
「競技場の最終点検だ。」
「……なるほど。」
マルドは腕を組む。
「つまり、この俺が競技場の中央に立つことで、会場全体の美しさを確認していたわけだ。」
「どういう理屈だ。」
「見れば分かる。」
「分からん。」
マルドは満足そうに頷いた。
「ふっ……俺ほどの男になると、立っているだけで会場が完成する。」
「完成してない。」
「何だと!?」
マルドが大げさに胸を押さえる。
ガエンはため息をつきながらグラウンドへ入っていく。
「とりあえず、そこから退いてくれ。」
「なぜだ。」
「邪魔だからだ。」
「…………」
マルドが固まる。
職員達が顔を伏せる。
「……ガエン。」
「なんだ。」
「お前は、もう少し俺に敬意を――」
「グラウンドの中央に立って変なポーズをしてる奴に払う敬意はない。」
「変なポーズではない!」
マルドが叫ぶ。
そして、さらに別のポーズを取った。
今度は両腕を広げ、胸を張り、片足を浮かせている。
「これは『天空を支配する美しき覇者』のポーズだ!」
「知らん。」
「ならば、こちらはどうだ!」
さらにポーズを変える。
「『大地に愛されし孤高の美』!」
「知らん。」
「『漆黒の――』」
「もういい。」
ガエンが手を上げる。
マルドは不満そうに口を尖らせた。
「……まったく。芸術を理解できないなんて。」
「俺は芸術を見に来たんじゃない。」
ガエンはグラウンドの地面を確認する。
靴で軽く踏み。
しゃがんで土の状態を見る。
「……問題ないな。」
「どうですか?」
職員が尋ねる。
「固さも均一だ。走る競技には問題ない。」
さらにガエンは白線を確認する。
「線は?」
「本番前日に引き直します。」
「雨が降った場合は?」
「予備の石灰を用意しています。」
「よし。」
そのまま視線を上げる。
「競技用具は?」
「こちらです。」
職員が案内すると、槍投げ用の道具や玉入れの籠、綱引き用の綱などが並べられていた。
ガエンは一つずつ確認していく。
「破損は?」
「ありません。」
「数は?」
「予備を含めて十分です。」
「綱引きの綱は?」
「新品を用意しています。」
「よし。」
すると背後から声がする。
「ならば俺も確認してあげるよ。」
マルドだった。
「お前は何を確認するんだ。」
「もちろん、俺が参加した場合の美しさだ。」
「競技の安全性を確認しろ。」
「…………」
マルドが少し考える。
そして突然、綱引き用の綱を持ち上げた。
「ほう。」
ぐっと引っ張る。
「これは良い。」
「何がだ?」
「俺の美しさを引き立てる。」
「綱一本でどうやって美しさを引き立てるんだ。」
「こうだ!」
マルドは綱を肩に担ぐ。
そして再び、謎のポーズ。
「…………」
ガエンは無言で書類に何かを書き込んだ。
「おい。」
「なんだ。」
「何を書いた?」
「『競技場中央にナルシストが出現。大会当日は注意』。」
「注意書きにするな!」
競技場に、職員達の笑い声が響いた。
ガエンは呆れながらも、最後に観客席を見上げる。
その広大な客席には、すでに各国の旗を掲げるための設備も整えられていた。
二週間後。
ここには世界中から人が集まる。
その光景を想像しながら、ガエンは小さく笑った。
「……いよいよだな。」
その隣で、マルドが再びポーズを決める。
「ふっ……そして、その中心には俺がいる。」
「いない。」
「なぜだ!」
「競技に参加しろ。」
「それならば話は別だ!」
マルドの目が輝いた。
ガエンは嫌な予感がした。
「……何に出る気だ?」
「すべてだ。」
「やめろ。」
運動会まで、あと二週間。
競技場の最終点検は順調に進んでいた。




