3. 二人目の婚約者ブレッド
ライラが王都にやってきたばかりのことです。贅沢な食事にも飽きてしまい「田舎の食事が恋しくなった」と漏らすと「エイブリーのパン屋にいってみるといい」と勧められました。誰から聞いたのかも思い出せませんが、あの日の感動はまだ鮮明に思い出せます。
棚に並んだ色とりどりのパンは、どれも直感的に美味しそうだと思える物でした。口に運ぶまで味が想像できない上流階級の料理とはまったく違います。かといって村のパン屋とも違うのです。近くの街まで出かけたとき、たまに立ち寄るパン屋さんに似ています。街のパン屋の商品をそのままグレードアップしたような、まさに理想のパン屋でした。
ただひとつ難点をあげるとすれば、パン・ド・セーグルが無かったことです。たっぷりのライ麦に少量の小麦を混ぜて焼く、黒くて硬くてぺしゃんこでボソボソしたパンです。ライ麦の香りが強いので好き嫌いが分かれますが、ヤギのチーズやハチミツと一緒に食べると最高なのです。そういえば、村のパン屋にはありましたが、街のパン屋にはありませんでした。おそらく本当の田舎のパンなのでしょう。
あれもこれもと食べきれないほど買い込んで、馬車に荷物を積みこんでいると「おい」と話しかけられました。大きな作業靴、デニムズボンにボタンシャツ、厚手のジャケットを羽織った男性が立っています。良くある服装ですが、体格の良さと顔面の迫力が普通ではありません。ライラは「人さらい」か「殺し屋」かと思いました。
「ん」
男から紙包みを押しつけられます。ライラは違法な物品を売買するブローカーだと確信しました。
「やる」
それだけ告げると、男は路地の方へ早足で歩き去りました。このままでは犯罪の共犯にされてしまいます。ライラは走って、男を追いかけました。
「あの、いただけません」
男は頭をポリポリとかくと、また「やるよ」と言いました。
「そういうわけにはいきません。こんな……」
ライラはそう言いながら紙包みを開きます。中から黒くて不格好なパンが現れました。
「こんな…… え? パン・ド・セーグル? ええっ? パン・ド・セーグル?」
「ん」
男がうなずきます。あたりを見れば、そこパン屋の裏手にある工房でした。凶暴そうな男はパン職人のようです。
これがライラとブレッドの出会いでした。
「えっと、こんな美味しそうなもの、ただではいただけません。お金払います」
「金はいらねえ。やるよ」
「どうして?」
「こっちの都合だ。気にするな」
「ちゃんと説明してください」
ブレッドは頭をポリポリとかくと、恥ずかしそうにこう言いました。
「苦手なんだ。その、オンナと喋るのが」
ライラはブレッドのことを、見た目と違ってかわいい人だと思いました。
しかし、女性と話すのが苦手というのも相当で「ライ麦パンは酒場に卸すために焼いているもので、注文の数に余裕をもって焼くので余りが出る」という事情を聞くだけでかなり苦労させられました。
それからライラはエイブリーのパン屋の常連になり、買い物するたびに工房のブレッドに会いに行きました。普通に会話できるようになったのは、つい最近のことです。ブレッドという名前も、他人から呼ばれているのを聞いて知りました。おかげでエイブリーというのは、いつも店番をしている元気な女性のことだと思いこんでいたくらいです。
ライラは中央行政府でロアと会ったあと、エイブリーのパン屋に向かいました。表通りに面した店舗の脇にある小道に入って、裏側の工房へとまわります。
「ブレッド。いるの? 入るよ」
工房の中に入ると、ブレッドは椅子に腰かけて寝ていました。近くのテーブルに酒瓶があります。
「ブレッド起きて。大切な話があるの」
「……うん ライラか?」
目覚めたブレッドが大きくあくびをすると、酒くさい臭いがしました。ライラは顔をしかめます。昼間からだいぶ飲んだようです。
「ごめんなさい。ブレッド起きて。話があるの」
「……ああ。わかった。……ん」
ブレッドは頭を押さえながら立ち上がり、ウーンと伸びをして「いてて」と腕をさすりました。
「大丈夫? 怪我してるの?」
「ちょっとな。まあ、なんでもねえよ」
ライラは地下神殿での戦いを思い出して心配になりました。ブレッドが善人なのは間違いないのですが、どうにも喧嘩っ早いというか、危険をかえりみない性格が危なっかしく思えるのです。
「なんの怪我? 危ないことしてない?」
「こっちの都合だ。気にするな」
ブレッドはライラに心配かけまいとしているのでしょう。それは理解できますが、よけいに嫌な感じがしました。
「ねえ、前にも言ったでしょ。ちゃんと説明して」
ライラがそう言いましたが、ブレッドは首を横にふります。
「オレの個人的な問題だ。それより、ライラの要件を聞かせてくれ」
話すつもりはないようです。
「首輪のこと、それから婚約のこと。どうしても四人全員を集めて話さないといけなくなったから、これからウチに来てくれる?」
「ああ。わかったよ」




