2. 一人目の婚約者ロア
仔竜の孵化から一週間以上が経過したある日のこと。
ここは中央行政府。王宮からほど近い地区にあるベラムール国の政治の中心です。扉の左右に古代風の柱が並ぶ壮大なファサードをもつ、堅牢な石造りの建物です。開け放たれた正門からは、つねに官僚たちが出入りしています。
ライラは乗ってきた馬を馬丁に預けると、正門をくぐりました。
「ノヴァスの従兄弟のライラです。ローリン・アシュトン宰相に面会をお願いします」
「宰相はただいま会議中です。終わりしだいお呼びしますので、奥の執務室でお待ちください」
ここはロアの職場です。ライラも訪れるのは初めてのことでした。今日は急ぎの要件があったのです。
ライラにとって行政府は驚きに満ちていました。装飾的な王宮と違って、無駄のないシンプルな内装。床のタイル、書類の棚、等間隔に並んだデスク。あらゆるものが幾何学的に配置され、官僚たちがせわしなく働いています。まるでミツバチの巣のようです。
しかしライラをもっとも驚かせたのは、宰相ロアの執務室でした。廊下の奥にある扉を開けると、そこにはなんと、全裸の女性がいたのです。部屋の奥には宰相のデスク、手前にはローテーブルとソファがあります。そしてそのソファの上に、全裸の女性が横たわっていたのです。
燃えさかる炎のような豊かな髪。オオカミを思わせる高い鼻と大きな口。獲物を狙うようなギラギラした瞳でライラを見ています。身体を隠すような素振りはありません。羞恥心など存在しないようです。
「あなた、誰?」
「おぬしはアンネリーゼの姪っ子じゃな」
ライラの質問にオンナは答えませんでした。
「どうして裸なんです?」
「おぬしの首輪からオネイロスの魔力を感じる。強い強い魔力を」
やっぱり質問に答えてくれません。何者かわかりませんが、向こうはライラを知っているようです。
「首輪をご存知なんですか?」
ライラは臆せず、部屋に一歩踏み込みました。
「アモに近寄るな! その首輪は嫌いじゃ!」
アモと名乗ったオンナが吠えました。
ライラが気圧されて一歩下がると、バタンと扉が閉まります。廊下に追い出されてしまいました。
ライラはすぐにドアノブを掴むと、ふたたび扉を開けます。しかし、そこにはアモの姿はありませんでした。デスクとソファがあるだけです。
アモと名乗ったオンナはどこかに消えてしまったようです。しかし幻ではありません。ソファの近くの床に、女物の下着が落ちていました。
「何者だろう?」
そう考えていると「ライラ」と呼ばれました。
扉のところにスリーピースのスーツを着た長身の男性が立っています。ロアでした。いつも通り、シャツにはシワひとつなく、髪型にも乱れはありません。
ライラはアモのことを聞こうと思いましたが、先に口を開いたのはロアでした。
「ここには来ないでくれと言ったろ? 用件は? 手短に頼むよ。忙しいんだ」
「ベラはどこ?」
仔竜ベラの面倒は、怪盗団のメンバーが順番にみています。今日はロアの番でした。
「ジュリアンに代わってもらった」
「前回もジュリアンにやらせてなかった?」
「そうだよ。仕方ないだろ? ボクはこの国の宰相だ。外せない仕事があるんだよ。用事はそれだけ?」
ライラは首を横にふります。
「さっき、ここにいた女性はだれ?」
「女性? さあ? 知らないな。秘書官の誰かだろう?」
ライラはロアの目を見つめました。ロアが苦笑いします。
「本当に知らない。疑ってるの? 弁解が必要ならまた今度、時間があるときにゆっくりさせて欲しい。早く仕事に戻りたいんだ」
アモの話を聞くのは無理そうです。こんなときロアに魔法の首輪をはめてしまえたら、変な疑いをせずにすむのに。ライラはそんなことを考えましたが、あきらめて行政府を訪れた目的を話すことにしました。
「仕事はあきらめて。わたしと一緒に来て。とても重要な話があるの」
ロアが大げさな身振りでヤレヤレと首をふりました。
「言わなかった? ボクは忙しいんだ。今聞くよ。ここで話して」
「ダメ。話せない。とても重要な話なの。お願い」
ライラが頼みこむと、ロアは大きなため息をつきました。
「ごめんなさい。でも本当に大事な話なの。首輪のこと、それから婚約のこと。どうしても四人全員を集めて話さないといけないの。お願い」
「そんなこと言われても…… 急すぎるよ」
「こんなにお願いしてもダメ? わたしは嘘がつけない。そのわたしが本当に大事な話だから来てって言ってるの。お願い」
ロアはふたたび大きなため息をつくと「わかったよ」と力なく微笑みました。




