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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FirstGame
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第022話

「ねぇ、武。これから暇?」


 誰もいない教室。窓の外を眺めていた武の背中からかけられた言葉。

 半袖のワイシャツという夏服に身を包まれた下にはこれから始まる休みへの期待が詰まっていた。そんな思いを抱きつつ夏の色に染まっている木々を見ていた武は、その言葉が持つ意味を勘ぐってしまった。

 振り向いた先には、由奈。暑さにあわせて女子もしばらく前から夏服へと変わっている。白地の半袖。スカートは紺。ショートカットの彼女だけに、更に年相応の爽やかさが見えて武は頬が熱くなる。


「な、なに?」


 思ったよりも心臓が高鳴っていることに、武は気後れしてしまった。由奈に対して恋心、というものは抱いていないと思っていても何か意識するものがあった。


「ちょっと付き合ってほしい場所があるんだけど……」


 少しだけ俯き、躊躇を見せる由奈。武の中で徐々に甘い期待が広がっていく。

 小学校時代からの親しい付き合いの女の子。

 中学に入り、制服を身につけて一気に大人びてきた友達。

 何度か胸が高鳴ることもあったが、その都度甘い幻想として否定してきた。一つ先に進むには仲が良すぎた、と。


(でも……向こうから来てくれるとは……)

「あのね。ラケットのガットが切れちゃって」


 言葉一つで一気にテンションが下がった。次に来るのは激しい後悔。一人で舞い上がっていた自分に武は恥ずかしくなる。顔が紅潮し、いても立ってもいられないその様子を見て、由奈が首を傾げて尋ねてきた。


「どうしたの?」

「い、いいいいや。なんでもないよ。じゃあ、行くか」

「うん」


 武は動揺を収めようと制服の胸元を少し開けて風を入れる。内側からの熱が冷める代わりに、外の暖かい空気が感じられた。思考が別のほうへと向き、恥ずかしさが消えていく。


(夏か……)


 武はこれから訪れる夏休みを思った。

 たとえ暑さに倒れそうでも、風はシャトルにとって害でしかないからと扉が締め切られた体育館。その中で汗を流し、あるいは廊下で足腰を鍛える。きっと濃い夏になるに違いない。


(少し潤いがほしいかもな)

「どうしたの?」


 由奈の声に我に返ると、武は首を振って鞄を持った。今日は終業式であり、部活はない。今までほとんどの日を教科書が詰まった鞄とラケットが入ったバッグを持って自転車をこいできた。

 その生活がこれからしばらくは、ラケットバックだけに変わる。少しだけ変わる、夏。


「行こうぜ。明日の部活には……間に合うかもしれないし」

「うん!」


 甘い関係というわけでもなかったが、今、二人の間に流れている空気を感じるのが武は楽しかった。もしかしたら何かが変わるかもしれないという、淡い思いのくすぐったさを含めて。





 スポーツショップに入ると違う学校の生徒達も多く見えた。背中に背負っているバッグはテニスなのかバドミントンなのか分からない。武達の学校とは違って部活があるのかもしれない。

 また、違う競技の選手たちが何人も靴を品定めしていた。


「どこも夏休みに入るからかなー?」

「そうだな」


 武と由奈は一直線にバドミントンのコーナーへと向かった。ラケットのガットを探す目的ではあったが、新しいラケットを眺めることは武も由奈も好きである。いくつもかけられたそれらを眺めつつ、由奈はため息を付く。


「はー、このラケットほしい」


 由奈が見たのは黒色が主体のラケット。黒の中に緑色のラインが流れていて、女子が持つには少し硬いイメージがある。

 それは、武が持っているラケットでもあった。


「なんで欲しいの?」


 自分の持っている物と同じとあって、思ったことを口にする。由奈は「へへ」と顔をほころばせ、両手を顔の前で合わせた。心なしか頬が赤い。


「ほら。前に休みの日、体育館でガット切れてさ、武のラケット使わせてもらったことあったでしょ? その時使いやすかったから」

「あーあー。そんなことあったね」


 武は何回かある休みの日の自主練習を思い返す。確か、早坂との試合をした二週間後にまた体育館で練習した時だったと、記憶していた。


「でも、俺のスマッシュ型だから由奈には合わないだろ。どっちかっていうと早坂が使ってるようなのじゃないか?」

「でも私ドロップ下手なんだよねー。スマッシュ打つほうが好きかも」

(……なんか嬉しいな)


 自分とプレイスタイルが似る、というだけで胸が躍る自分にまた恥ずかしくなり、表に出さないように気を使う。

 結局はガットがあるコーナーへと向かい、目的のものを買うと店員に頼み張ってもらおうとする。


「強さは女性ですから十八で?」

「えーと……」


 由奈は武へと助けを求める視線を送った。まだどれくらいの強さでガットを張れば良いのかを自分で記憶していなかった。


「前は十九で張ってもらってたぞ」

「あ、じゃあ十九で」


 武の言葉をそのままに由奈は伝え、次の日の受け取りを確認すると店を出ようとした。そこに、声がかけられる。


「お。相沢じゃんー。それに川崎も」


 陽気な声をかけてきたのは西村だった。


「何々? デート? 暑いねー。夏だし」


 西村が武達に向けてくるのは、あからさまなひやかしの感情だった。武はそれを少しだけ不快に思い、すぐに去ろうと「違うって」と軽く言って歩き出そうとする。

 だが由奈はその場に留まって西村に説明していた。


「違うよ。ラケットにガット張ってもらいに来たの」

「へー。二人で。いいねぇ」

「もう。違うのに」


 由奈は武が理解してから遅れて西村に構うことの無意味さを知ったのか、頬を少し膨らませて離れる。


「二人お幸せにー」


 西村の笑いを背に受けて二人は店から出ていた。





「ああいうのは苦手」

「うーん、確かに」


 武の嫌悪がこもった言葉に由奈が躊躇しつつも頷いた。

 最初は大人しく吉田と共に指導側にいた西村も、時が経つほどにその本性を表していった。

 悪意はないのだろうが、お調子者でさっきのように冷やかしをすることが多い。それでも彼が嫌われないのは、本人が冗談とそれ以上の境目が分かっているからか対象の人が不快になる前に止めるからだ。

 二人はしばらく歩いた後でバーガーショップに入り、シェイクを飲む。武はバニラ。由奈はストロベリーを。小学生の時からの定番。

 武は外を見ながら西村のことを思い出して、首をひねった。


「でも、いつもよりも絡んできたな」


 境目を分かっているはずの西村。だが、今回はそれ以上に踏み込んできたと武はどこかで感じたのだろう。だからこそ、不快になった。それは由奈も同じだったようで、頷きながら呟く。


「微妙にいつもと違うよね」

「由奈も気づいたか」

「そりゃね」


 女子にもたびたびちょっかいを出していた西村だけあって、由奈も彼の境界線を感じていたらしい。今回のショップでは一気に踏み越えてきたように思えた。


「なんかあったのかな?」

「うーん」


 考えても答えの出ない問題だとは武にも分かっていた。そして、次の日に分かることは更に思いつかなかった。


 * * * * *


 夏休みの初日。午後一時からの部活に間に合うように店員がしてくれたらしく、由奈と武は共に店へと向かっていた。自転車をこいで進む空気は夏特有の湿り気を帯びた物。二人はそんなに急いでいないにも関わらず、徐々に汗が出てきていた。


「夏本番なのかな」

「暑いの苦手だから嫌だ」


 由奈は額を拭きながら武へと尋ね、当人はげんなりした顔で答える。二人の中に生まれるのは夏を乗り切れるのかと言う不安。

 しかしそれも、一度吹いた風に消えていった。


「ま、なんとかなるか」


 暑い中でも吹く風。けして暑いままではない。夏を乗り切る頃にはまた一つ成長しているだろうという予感があった。

 自転車を早めるとすぐにスポーツ店が見え、二人は自然と競争する形になる。


(お互いどれだけ成長できるかな)


 まだ並んで進む自転車を思いつつ、武はペダルを押し込んだ。由奈よりも少しだけ早く自転車置き場にたどり着いて止める。


「待ってよー」

「待ってるよ」


 こみ上げる笑いを抑えずに武は微笑む。その顔を見た由奈が驚いたような顔をして横に向ける。動作の意味が分からず、顔を覗き込もうとするも由奈は慌てたようにショップの入り口へと走っていった。


(変なの)


 口には出さずに、武は後に続いた。由奈は軽い足取りのまま先に建物の中へと消えていく。慌てずについていって入ると、すでに由奈はカウンターでラケットを受け取っている。


「じゃあ、このような仕上がりでよろしいですか?」


 店員が差し出してきたラケットを手にとり、由奈は満足そうに眺めた。ガットも自分で押し込んでその弾力を確かめる。由奈の笑みの意味を武は歩きながら悟っていた。

 武も彼女と同じように、ガットを押した時の感触が気にいっていたからだ。


「ありがとうございますー」


 武が由奈の傍についた頃にはラケットバックに入れて嬉しそうに抱きしめている。新たなラケットというのはいつでも嬉しいのだ。


「あ、あなたたちは西村君のお友達だよね?」


 その時、武達に話し掛けてきたのは店員の女性だった。歳は若く、おそらく二十代半ばだろう。髪の毛を首の後ろで結び、邪魔にならないようにしている様子は早坂に少し似ていると武は思う。胸には「新人」というプレートが見えた。


「これ、渡しておいてくれるかな? 昨日来たときに渡し忘れたの」


 ラケットバックを手渡してくる店員。武は特に気にすることなく手にとった。そして、次の言葉を聞いて硬直する。


「あの子、転校しちゃうんだよね。寂しくなる?」


 武も由奈も、動きを止めた。


「あ……もしかして知らされてなかった?」


 店員はしまった、という顔で口を抑えたが時すでに遅かった。武と由奈の視線に耐え切れず、ゆっくりと口を追っていた右手を離して言葉を発する。


「あーうー。もしかして私、大失態?」

「そういうわけでもないとは思うんですけど……どういうことです?」


 武が尋ねると店員は言いづらそうに親指を唇に当てる。これ以上の情報を武達に与えることに躊躇しているのは明らかだった。


(ここまで言っておいて躊躇するって言うのもなぁ……)


 武からすれば西村が転校する、ということを言った時点でもう手遅れだ。そんなことを思っていると由奈が武の思考そのままに言葉を紡ぐ。


「もう手遅れだと思いますよ?」


 同じ女性の由奈が言ったことで罪悪感が薄れたのだろう。店員は武達をラケットが並ぶコーナーへと誘った。カウンターの前では他の客に邪魔だったから。ラケットを眺めながら店員は最初に言う言葉を探しているらしく、かかっているそれらに触れながら歩を進める。


「えっと……店員さんってなんて名前なんです?」


 気まずい雰囲気を和ませるかのように由奈が口を開いた。それだけで店員は顔をほころばせる。

 武はとりあえず由奈に任せて様子を見ようと後ろに下がった。内心で由奈に感心しながら。


(由奈って話し上手だったんだな)


 相手の緊張感をほぐして話題を引き出そうとするのは、おそらく無意識だろうが武にはない技能だった。

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