カオスの果てに
「おい!! 命運を握る者が現れたぞ!!」
誰かがそう叫ぶと、人々が一斉にこちらを注目した。
そして何やら騒ついている。
俺の正体が見破られた!?
「……うん。バレちゃったみたいだね」
「なぜだ!?」
「恐らくこの中に、あんたが命運を握る者であることを知っている人物がいたんだ」
知っている人なんて数える程しかいないと思うが……一体だれだ?
だがこうなってしまった以上、仕方ない。
見破られているなら逆に好都合だ。
「みんな、聞いてくれ。彼が言った通り、俺はこの世界の命運を握る者だ」
「お願いだ、故郷へ帰らせてくれ!! 妻と息子に会いたいんだ!! 頼む!!」
「何言ってやがる!! それよりこの理想郷を無限にしてくれ!! 現実の世界なんてもううんざりだ!! 絶対に帰らないからな!!」
俺の話を聞くこともなく、故郷へ帰りたい人々と理想郷に留まりたい人々の派閥ができて、言い争いが始まった。
その口論は過激に飛び交っていて、今にも乱闘が始まりそうだ。
争いの勢いが増すことを覚悟した上で、俺は火種となる発言をした。
「俺はこの理想郷を破壊して、故郷へ帰ることにした!! そして今後この選択は、絶対に変わらない!!」
俺が叫ぶと場は静寂に包まれる。
しかし、それは束の間だった。
誰かの剣を引き抜く音を引き金に、怒号が響き渡る。
「野郎、今すぐにこの剣をお前の心臓にブッ刺してやる!!」
「ぶっ潰されるのはテメェのほうだ!! 首切り落とすから覚悟しろ!!」
とうとう始まってしまった。
早くもあちこちから剣の刃がぶつかる音が聞こえてくる。
既に怪我をしている者もいるようだ。
悠長にしていられる状況ではなくなった。
「ねえ、幸一君。一つ聞いてもいいかしら?」
「何だ? 呑気に話している場合じゃないぞ」
「世珠に何もしないのは駄目なの? そうすれば結論を先延ばしにできるわよ」
一瞬よい考えかと思ったが、すぐに回答は導き出された。
「駄目だ。そうするとまた砂時計が現れて、大勢の人が命を失うことになる。本末転倒だ」
「そうね……。砂時計のことをすっかり忘れていたわ」
「おい、あれ何だ?」
レオが真上を指差していたから見てみると、黒い何かが落下してきている。
何かは分からないが、何だか嫌な予感がする。
あれによく似たものを、どこかで見た気が……。
「あれは……!!」
それは球体の天井を突き破って中に入ると、宙に停滞した。
特徴的な黒いフレームにガラスの容器、そしてその中にある砂。
紛れもなくそれは、俺たちを絶望に陥れた砂時計だ。
「嘘だろ……。こんな時に砂時計のおでましかよ」
俺も信じられない。
単体でも苦戦したあの砂時計を、この危機的な状況で対処しなければならないのか?
俺が必死に策を考えていると、さらに追い討ちをかけるような出来事が起きる。
「幸一さん!! 人が、人がモンスターに……」
結愛の視線の先を見ると、そこには悪に囚われて化け物へと変貌する人々の姿があった。
俺の選択に納得がいかない人々の心に、悪意が芽生えてしまったのだ。
呆然としている内に、モンスターは息をつく暇もないまま増えていく。
もはや、手の施しようがない。
俺はただ、この惨憺たる地獄を眺めていることしかできなかった。
「幸一!!」
レオに呼びかけられて我に返る。
振り返ると、剣を片手に惨状を見つめる彼の姿があった。
「やるしかない。俺はモンスター共の相手をするから、幸一は世珠を取りに行け」
「分かった。任せたぞ……」
レオは返事をすると、戦場の中へ駆けていった。
彼に続いてシャルロットも、魔法少女になって加勢する。
「わたくしたちも行きましょう。幸一様をお守りしなければ」
「そうだね。久々にうちの魔法捌きを見せる時が来たよ!」
ガブリエルとにゃてんも、戦火の中へ身を投げた。
仲間たちが戦場の中で、身の危険を顧みずに戦っている。
残されたのは俺と結愛だけだ。
「結愛。世珠を割るぞ。一緒に来てくれるか?」
「はい!」
俺と結愛は世珠の飾られた中央へ向かった。
着いたら俺は、世珠を守っているダイヤモンドの障壁に触れる。
するとにゃてんの言っていた通り、金剛石に亀裂ができて、それが広がると割れて破片が落ちた。
無防備になった世珠に、俺は腕を伸ばして手に取る。
「後はこれを割るだけだ」
最後に俺は、今まで旅をしてきた仲間たちのことを思い浮かべた。
にゃてん、ガブリエル、シャルロット、レオ、そして結愛。
彼女たちは俺にとってかけがえのない仲間だ。
別れるのは寂しい。
だが思い出はいつまでも、俺たちの心の中に残り続ける。
そしてこの世界と決別すれば、みんなの大切な人を守ることができるんだ。
俺の決断に迷いはない。
これでみんな幸せになれるんだ。
「結愛、割るぞ。……結愛?」
呼びかけるが返事はない。
辺りを見回すと結愛の顔が目に入る。
しかし、その表情は酷く怯えていた。
なぜなら老女に肩を掴まれて、頭に銃口を突きつけられていたからだ。
「結愛!!」
「幸一さん……」
「この娘の頭ぶち抜かれたくなかったら、世珠の魔法を宿しな」
そう脅してくる彼女には見覚えがある。
そうだ、この人は俺に創造の魔法を与えてくれた老女だ。
「お婆さん。どうしてこんなことを……」
「あんた、この世界を見捨てる気らしいね?」
やはり、俺が下したこの選択と関係があるのか。
「あたしはね、この理想郷で魔法の研究をしてきたんだ。そして今、不老不死の魔法が完成間近なんだ! これがあれば、若き頃の美貌を取り戻すことだって可能さ!」
不老不死……その野望を長い年月をかけて叶えようとしていたのか。
どれだけ努力してきたのか、この短い時間で想像することはできない。
しかしどんな理由があろうとも、結愛を人質にすることは絶対に許せない。
「それをあんたの選択ひとつで台なしにされちゃあ堪んないのさ! だから大人しく世珠の魔法を宿しな! さもないとこうだよ!!」
老女は拳銃を結愛の足へ向けて、躊躇なく発砲した。
同時に結愛の痛々しい叫び声が響く。
目的のためなら手段を選ばない気か。
「早くしな!! 次はこの娘の頭にお見舞いするよ!!」
銃口が再び結愛の頭へ向けられる。
すると突然、老女の靴先がバイオレットの塵となり、素足があらわになった。
しかし、その足は生気に満ちた人間のものとは思えない。
なぜなら明らかに腐敗しているからだ。
衣服の所々も塵となって舞い上がり、下半身から順に上半身へ腐っていくのが分かる。
それはまるで、悪意に満ちた老女の心を表しているようだ。
頭まで腐りきると、人を食い散らかすゾンビがそこにいた。
モンスターへの変貌が、彼女の言葉が本気であることを物語っている。
どうすればいい……。
その時、ゾンビは拳銃を手放し地面に落ちた。
それに気づいた結愛は、すぐさま腐敗臭の元から離れる。
すると、ゾンビの胸に刃が突き刺さっているのが見えた。
一体、誰が……?
刃を背後にいる誰かが抜き取ると、ゾンビは静かに倒れた。
そこに立っていたのは、刀を片手に握ったスケルだった。
「スケル!!」
「スケルではない」
骸骨である彼の体に、足元から人間らしい皮膚が覆い始める。
本来の姿を取り戻していくその光景は、スケルが人の心を取り戻していることを表していた。
全身に皮膚が付き終わると、そこには見る者を魅了する美青年の姿があった。
「俺の名はジャックだ」
「ジャック……」
俺は彼の名を聞くと、急いで負傷した結愛の元へ駆けつけた。
大腿を撃ち抜かれてしまったようだ。
痛みに苦しんでいる彼女に、俺は何もできないのか……?
「幸一」
ジャックに呼ばれて視線を彼に向ける。
「君の体には俺が習得した回復の魔法が宿っている。それを使えば彼女を治せるはずだ」
俺は試しに、結愛の傷の上に手をかざしてみる。
するとその傷は徐々に塞がり、最後には跡形もなく消えた。
結愛の顔を見てみると、痛みもすっかりなくなっているようだ。
「治った……。助かったよ。ありがとう、ジャック」
「礼を言いたいのは俺のほうだ。あんな仕打ちをしてしまった俺のことを見逃してくれて、ありがとう。これはせめてもの恩返しだ」
ジャックはそう言うと、俺たちに近づいてきたモンスターたちを次々と斬り裂いていく。
何者も太刀打ちできないその圧倒的な強さを見るに、モンスターのことは彼に任せていいだろう。
俺は横目に倒れているゾンビを見る。
アイツは結愛の命を奪おうとした悪い奴だ。
しかし、放ってはおけない理由がある。
俺は奴の元へ走って、胸にある傷を治した。
「どうしてあたしを助けた? 死なせておくれよ……」
「お婆さんが魔法を与えてくれたおかげで、結愛を守ることができたんだ。見捨てられないよ」
「あれはあたしの孤独な研究成果を、誰かに見てもらいたいから渡したんだ。あんたのためじゃない」
「理由は関係ない。結果的に結愛を守れた。それだけでいいんだ」
俺はそう言い終えると、立ち上がろうとした。
「幸一君、危ない!!」
不意にシャルロットが叫んで、自分の背後に誰かがいることに気づく。
振り返るとそれは若い女性で、俺の首の横にナイフを構えている。
それを見て、俺は直感でこう思った。
この状況は、俺がこの世界に来るきっかけとなった、あの場面と同じだと。
俺は通り魔に襲われて、首をナイフで斬られて死んだ。
そして、その時のことがここで再現されて、俺はまた死ぬ。
走馬灯のように、そんな予感が一瞬で駆け巡る。
……しかし、銃声が鳴り響き若き死神が倒れたことで、俺の命日が今日ではないと分かった。
その女性は側頭を撃ち抜かれて即死のようだ。
銃声のほうを向くと、そこには硝煙を噴く拳銃を構えた結愛の姿があった。
「……やっと幸一さんを守ることができました」
結愛はモンスターたちのほうを向いて、拳銃を使って戦い始めた。
仲間たちが俺を守るために戦ってくれている。
当の本人は誰の命も奪いたくないから、戦うことを避けているのに。
真上から絶望を知らせる重低音が轟く。
砂時計は反転し、この星は輪郭を失い始めた。
「幸一!! 早く世珠を割れ!!」
「幸一君!! もう限界よ!!」
レオとシャルロットが、事態の深刻さを訴えている。
すると星が揺れ出し、俺たちはバランスを崩した。
床に生じた裂け目は、もうすぐそこまで迫っている。
この黒い砂時計は、どうやら前に見たものよりも迅速にこの星を滅ぼしたいらしい。
俺はみんなを守るために、手に持った世珠を床に叩きつけた。
世珠は割れて破片が辺りに飛び散る。
そして純白の世界にも亀裂が入り、この理想郷を覆っていた壁の崩壊が始まる。
割れた白妙の断片は粉々に砕け散り、世界は一瞬にして暗黒となり、闇が星々を覆う。
遠くにある星も世珠のように破裂して、次々と星が消滅していく。
そんな世界の終焉の中、仲間たちから温かい言葉が届く。
「幸一。故郷を選んでくれてありがとう。うちの願いが叶ったよ」
「お姉さんからも。ルイとレオが改心するきっかけをつくってくれてありがとう」
「そうだな。大切なものが何か気づけたのは幸一のおかげだ。ありがとう」
「幸一様。今まで旅のお供をさせて下さったこと、感謝しております」
「幸一さん。この理想郷で何度も守ってくれて、ありがとうございます。あなたのおかげで、私は人を守る勇気を持てるようになりました。だからもし、故郷で再会することができたら、そしたら……」
「結愛!! みんな!! 幸……」
話している途中で浮遊感が襲う。
崩壊の領域がこの星にも及んで、足場を失った俺たちは闇の中へと落ちていった。




