君を思い出にした物語
あれから、そう経っていないけれど、これまでの変化は大きかった。
とりあえず、カノンの身辺は軍で監視警護することになった。
とはいえ、がっちり監視というわけではない。
場所を移して、
大学の寮ではなく、なっちゃんの住むマンションの一室に引っ越すことになり、カノンは友達と荷造りをしている。
ボクの姿は当然友達に見えないので、眺めているだけ。
「いやいや、カノンが引っ越すなんてねー。
数字にしか基本興味ないって感じだったのに。安心したよー」
「仕方なくよ。色々事情があって、お世話になるだけ」
「その色々ってのに、妄想が膨らむなー」
華と呼ばれている女と話しながらも、着々と片付けられていく部屋。
ボクはベランダにもたれかかる。二人の邪魔にならないためでもあるし、少し物思いにふけりたかった。
雲が流れるのをただ眺めて、心の中にいるササラを思い出す。
「…リステム?」
我に返ったら日が傾いていた。友達の華もいない。帰ったんだろうか。いくらなんでもぼうっとしすぎた。
傍らでボクの顔を不思議そうに見つめるカノン。
「どしたの?
もう荷物も華たちに持ってってもらったから出るよ」
『カノンにさ』
別に話さなくても彼女は気にしないだろう。
さっきの女が言っていたように、カノンは周囲に驚くほど関心がない。
よく言えば、あるがままをとらえるという所がある。
それでも。
『聞いてもらいたい話があるんだよ』
「なに?」
人に話すのは初めてだ。
なっちゃんにも愛ちゃんにも、今まで誰にも言ったことはない。
うまくまとめられるだろうか。自信はないけど。
『それはね、昔の約束の話だよ』
———心の整理はついたから、大丈夫。
……あれはイギリスの王立研究所で起こった事件。
あの場に同席していたのは研究員たちと、ボク、そして研究員の一人の娘…ササラだった。
ボクを認識したのは、『呼び玉』という…宝玉を触った職員とササラ。
一度触るとボクの姿を見つけることができるらしい。
研究員ばかりに囲まれて実験や解析などを行う傍らで、ササラはずっとボクに話しかけていた。
研究員はボクが言葉を持たないただの映像だと思っていたらしいけど、ササラの言葉を聞いているうちに、ボクは言葉を理解するようになっていく。
でも、それをひけらかす気はなかった。
ササラに話しかけた時は彼女が一人の時だけ。
…彼女はとても嬉しそうに笑ったから。
「きみのことをパパたちは『RE:system』ってよぶけど、なまえはなんていうの?」
『なまえ?』
「ないんだね。じゃ、ぼくはリステムってよぶよ」
頼んでもいないのにボクに名前をつけて勝手に呼んでくる、ササラと名乗る彼女。
最初は不思議に思った。でも、それだけ。
ボクにはその頃何もない、ただそうあるがままだった。
『呼び玉』と言う宝玉を触った人間や神の望むがままに、力をふるう。なにも感じない日々。
でもササラは毎日、
ボクだけに会いに来て、
ボクのためだけに話してくれた。
いつしか、それが嬉しいと感じるようになったのは、彼女がボク以外の職員と話しているのを見てから。
ボクの中にモヤモヤしたキモチが生まれていて、ササラが笑うとそれが晴れていくのが自分で分かった。
「リステム、あそぼうよ」
嬉しい。
そして同時に淋しさ。もう今までのように独りで、あるがままに過ごすことはできない。
ボクの心の変化は当然すぐに研究員達に感じ取られた。
観察のために、ササラと会う回数は増えたし、皆の前で話すこともできた。ササラを通して、たくさんの知識を分けてもらう日々。
絵本から人間の道徳を、
遊具から人間の脆さを、
会話から人間の価値観を。
楽しい日々だった。笑うことも覚えた。
まるで人間のようになっていく。
「兵器に人格など余計ではないのかね」
それが滅びのはじまり。
どこからかやって来た偉い老人が、ボクを見る。
いや、彼はボク自身を見ていたわけではない。ボクの持つ力を狙っていた。
「すまない、リステム」
すべて忘れるなんて出来るわけない。
でも、それから周りの研究員の態度は一変した。
まるで冷たい鏡のように、ボクを見ない。
頑丈な檻に入れて、ササラと会うことを許さなかった。
「君の声は本来誰にも聞こえてはならないはずなんだ。
だからこの研究室からスピーカーを外した。
もう私の娘に会うことはできない」
「許してくれ」
「君は人間のモノではない。
たまたま我々が見つけただけで、本当はこんなところにいるべき存在じゃなかったんだ」
扉の閉まる音と共に、暗闇と静寂。自分の体さえ見えない。闇に溶けてしまったかのよう。
『…ササラ』
呼ぶだけで、切なくなる。
こんな檻、出ようと思えば簡単だ。でも、ササラがボクを求めてないのなら…そう思うと動けなかった。
でも、
『会いたいよ…』
暗闇なので日にちの感覚もつかめない。
それからずっとずっと暗く……
急に扉のロックが開いて、灯りもつけられた。
思わず眩しくて目をつむる。
「リステム!」
声が聞こえた。変わらないけれど、どこか幼さの抜けたササラの声。
目を開けると、髪の長い女の子がいた。
「わた…ぼくだよ、やっと会えた…!」
『ササラ…?』
抱き締められるまで、実感が湧かなかった。
こんなに人間の成長は早いんだ。彼女の香りですぐにあのササラなんだと分かった。
「逃げて、リステム」
彼女の左手には透き通った水晶のような玉。
ササラはボクを引っ張るように檻から出す。
『逃げる?どうして?』
「パパの研究所が軍に買い取られたの。
リステムをいよいよ兵器として手にいれようとしてるんだわ。
そんなことしたら、この世界が滅びちゃう…!」
物陰に隠れながら、明るい廊下を走る。
ササラに手を引かれるままに、ボク達はどんどん階段を上がっていった。
「貴方の事、パパから教えてもらったの。
貴方は神様が使う妖精なんだって言ってたわ。
この世界に有る『風の神話』は総てリステムがやってきたことなんだって」
『妖精…?』
大きな音を立てて、最後の扉が開く。
鼻をつく、魚みたいな匂い。目の前は暗い夜の海。
肩で息をしながら、ササラはボクの手を離さず歩く。
静かな波の音が規則的に響いていた。
「…やっぱり、これしかない」
建物の外に広がる海を見つめながら、何か呟いている。
ボクにはまだ状況がのみ込めなかったけど、ササラの顔が笑ってないので嫌な気分だった。
ようやく一緒にいられるのに、どうしてそんな泣きそうな顔をしているんだろう。
「いたぞ!」
階段を上がってくるたくさんの足音。金属がこすれ合う音。
誰だろう。
「リステム、私、決めたわ」
握っていたボクの手を、両手で包みながらようやくササラは笑った。
「私の体は、この玉と一緒に海に沈む。
でも私の心は巡りめぐって、ちゃんと君に会いに行くから。
形を変えてても…私は貴方に会いに行く。
だからリステム、
…私をちゃんと見つけてね」
———今から考えれば。
ササラはボクを悲しませないようにそう言って、海に身を投げたんだ。
でもその時のボクには、ササラしかなかったから。
混乱する頭を、整理する気持ちにもなれなかった。
目を伏せて、見ないように、考えないようにしてただけ。
そうやって、何千年も…ササラとの『約束』を無理矢理支えにして過ごしてきた。
そんな幽かな嘘を、今までボクは大切に胸の奥にしまい込んでいたんだ。
『たぶん、ギリギリだったんだよね』
ササラと似た匂いを持つ人間を探しては、望み通りに力を使う。
やりがいを感じていたのは最初だけ。
救うつもりが絶望させて、
助けるつもりが絶滅させて、
手伝うつもりが破滅させていた。
もう惰性でやけくそになっていく。
やればやるほど、ササラに似た人間を何度も殺していった。
そんな絶望感も麻痺しきった頃、カノンと出会った。
何度目かの淡い期待をそっと胸に潜ませて。
でも間違えた。
『カノンはね、ササラに似ても似つかなかったんだよ』
今まで見つけた人間はどこかササラを思い出させる雰囲気があったのに、カノンにはそれが全くなかった。
真っ直ぐで、シンプルで、不器用。
友達も少ないし、自分の視野が狭い。
…でも、優しくて繊細。
『間違えたのは初めてだった。でも面白かったんだ』
ああ、こんな考えもあるんだ。
こんな人間もいるんだって、面白かった。
『だから気づいたんだよね』
…ササラは、いない。
もう、ボクの心の中にしかいない。
「そりゃ…人違いで、ごめんなさいね」
カノンが仏頂面のまま言った。
皮肉なのか謝罪なのか読めない。呆れてるのかも。
「でも私は私だから。
あなたのササラさんという人と繋がりはないし…残念だけど。
それで? 勘違いなら、貴方はこの先どうするの?」
溜めていた思いを、吐き出すように。
『そうだねー、好きなようにする、かな』
ボクは笑った。笑うことができた。
『だからしばらくは、カノンのとこにいてあげるよ』
「…ありがとう」
意外にも、カノンは嬉しそうに笑った。
何度も言われた感謝の言葉より、ボクにとってカノンの笑顔は清々しく感じる。
ボクが自分で決めたことだからか。
ササラのことを忘れることはない。
でも、これからササラの事はボクの大事な思い出にしよう。
重い『約束』じゃなく、
ボクのために全てを捧げてくれた彼女を…ただ、大事にしよう。
『それにしてもさぁ、カノン…』
答えてくれなくてもいい。
ボクを解放してくれた、二人目の女の子。
…君に会えたから、ボクは変わることができた。
『ボクのこと、なんだと思ってんの?』
ボクの言葉に、カノンは意地悪そうに笑った。
…それでいい。
ボクの方こそ、
ありがとう。




