第89話 冒険者ギルドへ
翌朝は、まだ空が白みきる前に目が覚めた。
せっかくハル領に戻ってきたのだから、休暇だからといってのんびりしているつもりはない。
特に今の俺には、はっきりした課題がある。
剣技だ。
王立学院の実技試験では、総合では上位に入れた。
だが、点数の内訳を見れば、まだまだ足りない部分もはっきりしていた。
工夫や判断で補えているだけで、純粋な剣技の積み上げでは遅れている。
だから今朝は、ハル領騎士団の朝稽古に参加させてもらうことになっていた。
中庭を抜け、騎士団の訓練場へ向かう。
朝の空気は冷たく、肺に入るたび頭が澄んでいくようだった。
訓練場では、すでに何人もの騎士たちが身体を動かしていた。
掛け声。
足音。
木剣がぶつかる乾いた音。
王立学院の訓練場とも似ているが、こっちはもっと実務に近い空気がある。
「おはようございます、リオン様」
そう声をかけてきたのはノルだった。
騎士団長になったとはいえ、こうして訓練場に立っている姿は昔とあまり変わらない。
ただ、周囲が自然に彼を中心として動いているのを見ると、やはり立場は変わったのだと感じる。
「おはよう、ノル」
「今日は容赦しませんぞ」
「そのつもりで来たよ」
ノルは小さく笑ってから、すぐに団員たちへ指示を飛ばした。
朝の訓練は思った以上にきつかった。
走る。
振る。
受ける。
踏み込む。
構えを直され、重心を直され、足の置き方を直される。
学院での実技訓練も決してぬるくはない。
だが、こちらはもっと泥臭い。
実際に領地を守る人間たちの動きだからだろう。
見栄えよりも、続けられること、崩れないこと、疲れても動けることを重視しているのがわかる。
ひと通りの基礎訓練が終わる頃には、額に汗が滲んでいた。
「だいぶ体つきが変わりましたな」
木剣を肩に乗せながら、ノルが言う。
「学院で鍛えられてるからね」
「それだけではありますまい」
ノルの目が少しだけ鋭くなる。
「自主練もしている顔です」
そう言われると、少しだけむず痒い。
「まあ、やってるよ」
「結構」
そこでノルは訓練用の木剣を一本、こちらへ差し出した。
「では、最後に一本やりますか」
「お願いします」
向かい合う。
朝日が差し込み始めた訓練場。
団員たちが少し距離を取って見ている気配があった。
「始め」
誰かが短く言って、すぐにノルが動いた。
速い。
いや、速いだけじゃない。
無駄がない。
王立学院でエドガーやガイルとやり合った時とはまた違う。
ノルの剣は、派手さはないのに崩せる感じがしない。
受けて、返して、間合いをずらす。
その一つ一つが正確だった。
俺も前よりは動けている感覚がある。
以前なら踏み込みで遅れていた場面でも、今は一応形にはなる。
だが、剣技だけに限ればまだ差は大きい。
ノルは見てから動いているというより、こちらが嫌がる場所に自然と剣を置いてくる。
押し込まれはしない。
でも、押し切れもしない。
こちらが崩しに行けば、その一手先で受けられる。
無理に前へ出れば、逆に体勢を乱される。
俺は一度大きく左へ流れ、次の瞬間に踏み込み直した。
木剣を下から跳ね上げ、間合いの中へ入り込む。
悪くない。
タイミングも前よりずっと良い。
だが――
「そこです」
ノルの声と同時に、木剣の軌道が変わった。
俺の剣筋をいなされ、そのまま喉元へ寸止めが来る。
負けだ。
息を吐きながら木剣を下ろすと、周囲から小さく感嘆の声が漏れた。
たぶん俺にじゃない。ノルにだ。
「……やっぱり強いな」
「剣だけなら、まだこちらの方が上ですな」
ノルはあっさり言った。
悔しいが、その通りだった。
「ですが」
そこで少しだけ声が柔らかくなる。
「しばらく見ないうちに、かなり成長されました。以前はもっと“見えているのに形にできない”感じがありましたが、今はずいぶん繋がってきている」
その言い方に、少しだけ救われる。
「本当?」
「お世辞は言いません」
「それは知ってる」
「なら信じてください」
木剣を返しながら、思う。
やっぱり、足りない。
でも、伸びていないわけじゃない。
その感覚があるだけでも、やる意味は十分あった。
◇
訓練のあと、急いで汗を流し、邸へ戻って朝食を取った。
父上はすでに執務へ向かっていて、母上が「朝からずいぶん動いていたのね」と少し呆れたように言った。
ミアは嬉しそうに朝食を運びながらも、「無理はなさらないでくださいね」と小さく釘を刺してきた。
そのあと、予定通りノルを伴って領都の冒険者ギルドへ向かう。
外へ出ると、朝の領都はもうかなり動いていた。
荷車が行き交い、商人が声を張り上げ、冒険者が武器や道具を背負って西門の方へ歩いていく。
学院のある王都とはまた違う活気だ。
こっちはもっと生活と仕事がむき出しに近い。
西へ行く者。
西から戻る者。
それを相手に商売する者。
人の流れが、確かにできている。
「前より賑やかだね」
俺が言うと、横を歩くノルが頷いた。
「西の森が動き始めてから、一気に変わりましたな。森へ入る者だけでなく、その者たち相手の商売も増えました」
その途中、通りの一角に見覚えのある看板が見えた。
ローデン商会。
以前はなかったはずの場所に、小ぶりだがきちんとした店構えができている。
荷運びの男たちが箱を運び込み、店先には旅人向けらしい道具や携帯食が並んでいた。
ヴィクトルの家も、やっぱり早いな。
こんな場所を取って、流れができる前から押さえていたんだろう。
あいつ、今ごろ元気にやってるかな、と思って少しだけ口元が緩んだ。
「知り合いの商会でしたかな」
ノルが聞く。
「うん。学院の友達の実家」
「なるほど。目の付け所がいい」
「だろうね」
たぶんヴィクトル本人も、ここがどう伸びるか面白がっているはずだ。
冒険者ギルドへ着くと、中はすでにかなり賑わっていた。
朝だというのに人が多い。
依頼票の前には冒険者たちが群がり、受付は目まぐるしく動いている。
武具の軋む音、紙を剥がす音、誰かの笑い声、怒鳴り声。
雑然としているのに、ちゃんと機能している。
「思った以上だな……」
「今は朝一番が特に混みます」
ノルが言う。
「森へ入る連中は、明るいうちに動きたいので」
受付の職員に軽く挨拶をすると、向こうもすぐにこちらへ気づいた。
ノルが騎士団長として顔が利くのだろう。
「今日は視察だけですか?」
受付の女性が聞く。
「西の森の様子も見たいけど、ただ行くだけじゃつまらないからね」
俺は依頼掲示の方を見る。
採集。
護衛。
調査。
簡単な魔物討伐。
素材運搬。
西の森周辺の仕事が、思った以上に幅広い。
「採集系か軽い調査依頼をひとつ受けてもいいですか」
「リオン様ご自身が?」
「その方が現場を見やすいから」
受付は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに慣れたように依頼票を二、三枚抜き出した。
最終的に受けたのは、森の手前に群生している薬草の採集と、その周辺の安全確認を兼ねた軽い依頼だった。
視察ついでとしてはちょうどいい。
「では、これで手続きを」
「お願いします」
ノルが横で少しだけ呆れたように言う。
「本当にただ見て回るだけでは終わりませんな」
「その方がわかること多いだろ」
「それはその通りです」
西の森方面へは、乗合馬車で行くことにした。
以前よりも頻繁に行き来している様だ。
森へ向かうための定期の足がある時点で、もうかなり人の流れが定着している。
俺たちはその馬車へ乗り込み、他の冒険者たちと一緒に西へ向かった。
車内では、今日の依頼の話をしている者もいれば、昨日の討伐の愚痴をこぼしている者もいる。
その雑多な空気が、逆に今の西側の勢いを表している気がした。
やがて馬車が止まり、俺たちは森の手前の拠点へ降り立った。
木材の仮置き場。
荷を運ぶ人足。
簡易の売店。
詰め所らしい建物。
思っていたより、ずっと“前線基地”に近い。
――と、その時だった。
「大変だーっ!」
切羽詰まった声が、拠点の奥から響いた。
周囲の空気が一瞬で変わる。
冒険者たちが振り向き、荷運びの男たちが動きを止める。
俺とノルも、反射的にそちらを見た。
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