第76話 公爵の答え
数日後の放課後。
俺はセレナと並んで、ヴァレスト公爵家の王都屋敷の前に立っていた。
高い門。
手入れの行き届いた前庭。
王都の貴族街の中でも、この屋敷はやっぱり格が違う。
前に来た時も立派だとは思った。
でも今日は、見え方が少し違う。
これから俺は、ただの挨拶じゃなく、国を巻き込む話をしに来ている。
「顔、硬いわよ」
隣でセレナが小さく言った。
「そう?」
「そう。珍しく、少し緊張してる?」
「そりゃするよ」
そう返すと、セレナは少しだけ笑った。
「安心しなさい。
今日のお父様は、少なくとも最初から怒ってはいないわ」
「最初から、って言い方が怖いな」
「大丈夫。話の中身次第よ」
全然安心できない。
そんなことを話していると、屋敷の扉が静かに開いた。
中から出てきたのは、年配の男だった。
背筋は真っ直ぐで、動きに無駄がない。
ヴァレスト公爵家の筆頭執事だ。
「お待ちしておりました。セレナ様、リオン様」
柔らかな口調だった。
けれど、その目は一瞬でこちらを測っていた。
やっぱり、ただの来客扱いじゃない。
「お父様は?」
セレナが聞く。
「まもなく応接室へ。
お二人は先に中へどうぞ」
◇
通された応接室は、落ち着いた色合いの部屋だった。
華美ではない。
けれど、置かれている家具も、壁に掛かった絵も、すべてが質の高いもので揃えられている。
いかにもヴァレスト公爵家らしい。
見せびらかすためじゃなく、当然の水準として整っている感じだ。
俺とセレナが席につくと、執事が静かに茶を置いた。
「リオン様」
「はい」
「旦那様は、今日の話を楽しみにしておられます」
その言い方は穏やかだったが、含みは十分だった。
――楽しみに、か。
値踏みの間違いじゃないといいんだけどな。
セレナが横目でこちらを見る。
「今さら逃げないでよ」
「逃げないよ」
「顔は少し逃げたいって言ってるわ」
「言ってない」
小声でそう返したところで、応接室の扉が開いた。
入ってきたのは、ヴァレスト公爵ユリウスだった。
長身。
落ち着いた足取り。
目元は穏やかだが、その穏やかさの奥に、簡単には測れないものがある。
セレナの父で、公爵家当主で、そしてこの国の中央で重みを持つ男。
「待たせたかな」
「いえ」
俺たちは立ち上がる。
公爵は軽く手で制した。
「今日は堅い挨拶はいい。座ってくれ。
実演会のあと、ずいぶん大きな話をしたそうじゃないか」
やっぱり、もうそこまで話は通っているらしい。
公爵が向かいの席に腰を下ろす。
執事は後ろへ下がったが、部屋を出てはいかなかった。
それも当然か。
今日の話は、たぶん家の中でも軽くは扱っていない。
「さて」
公爵は指を組んだ。
「リオン君。君の案を、改めて君の口から聞こう」
短い一言だった。
でも、それで十分だった。
話せ。
そして、その価値を示せ。
そういうことだ。
俺は一つ息を整えた。
「今回の青輝石と灯具の話を、ラウグレン公家とこちら側の取り合いにしたくありません」
公爵の目が、わずかに細くなる。
先を促すように、何も言わず待っている。
「王家を中心に据えて、国営事業として扱うべきだと思っています。
その上で、高級灯具と普及灯具に分けて、役割を切る」
そこで、公爵はようやく口を開いた。
「高級と普及、か」
「はい」
「続けてくれ」
「実習洞由来の上級青輝石は数が少ない。
でも、高品質で高出力です。
だから、王都向け、軍向け、貴族向けの高級灯具に回すのが自然だと思います」
「そして、その部分をラウグレン公家に受託させる」
先回りするように、公爵が言った。
「……はい」
「旧敷地由来の経緯と、資源管理への関与を主張している向こうの顔を立てるために」
「はい」
俺が頷くと、公爵は小さく笑った。
「そこは理解しているらしい」
からかわれているわけではない。
ただ、見えているか確認された感じだった。
「では、普及灯具は?」
「ハル領産の中級青輝石を主原料にします」
そこは迷いなく答えた。
「上級は少ない。
でもハル領産は、中級がある程度まとまって出る可能性が高い。
平民向けや工房向けに価格を抑えて、品質を安定させて流すなら、あっちの方が向いています」
公爵はそこで初めて、はっきりと興味を見せた。
「安定供給を優先するわけだね」
「はい」
「派手な上級石より、揃う中級石を取る」
「その方が広がります」
少しだけ、部屋が静かになった。
公爵は視線を外さずに言う。
「君は、自領の利益を言っているようでいて、実際には“どうすれば広がるか”を軸にしている」
「……そうですね」
「そこが普通の地方領主の息子と違うところだ」
褒めているのか、怖がっているのか、少しわからない。
公爵はそこで椅子の背に体を預けた。
「ヴァレスト家には何を求める?」
「製造です」
そこも即答した。
「外枠、受け具、導線溝付き部品。
それらを一定品質で揃えるには、公爵領側の鋳造技術が一番現実的です。
高級灯具でも普及灯具でも、結局部品精度がぶれたら終わる」
「流通は?」
「普及灯具側はローデン商会が最適だと思っています。
南の商圏に強いですし、広く回すなら一番速い」
「学院は?」
「研究継続です。
灯具の改良、等級基準の見直し、規格化、測定法の改善。
学院がそこを握るべきです」
公爵は一度だけ頷いた。
その頷きで、少なくとも話の骨格は通っているとわかった。
だが、当然それで終わる相手ではない。
「では、ヴァレスト家の建前を述べよう」
来た。
公爵は声色を変えないまま、淡々と言う。
「我が家が製造を受けるのは結構。
だが、それは“下請け”とは違う。
技術を預かるということは、将来の主導権の一端を預かるということでもある。
こちらにも、それ相応の立場と発言権は必要だ」
「はい」
「もう一つ。
王家を中心とした国営事業にするなら、成功した時の功も、失敗した時の責も大きい。
簡単に“正しいからやりましょう”とは言えない」
「そうだと思います」
「それでも君は、その案が一番いいと言うのか」
「はい」
俺が答えると、公爵はじっとこちらを見た。
「理由は?」
「争うと遅れるからです」
少しも飾らず、そう言った。
「皆が自分の取り分だけを考えて取り合えば、研究も製造も流通も全部止まる。
でも役割を切れば、前へ進む」
「綺麗だね」
公爵は静かに言った。
「綺麗すぎる理屈は、たいてい途中で壊れる」
「だから、綺麗さじゃなく、損得で組みます」
公爵の眉が、ほんの少しだけ上がる。
「損得?」
「王家には、国全体を統括する名分があります。
ラウグレン公家には、高級路線と歴史的正統性を与えられる。
ヴァレスト家には、普及路線の製造中核を任せられる。
ローデン商会は継続的な流通と修理網を持てる。
学院は研究の中心でいられる。
ハル領は安定供給の原料拠点になれる」
俺はそこで一度息を置いた。
「誰も全部は取れない。
でも、誰も負けない形にはできると思っています」
そこまで言った時だった。
公爵が、ふっと小さく笑った。
「……なるほど」
「何が、ですか?」
「君は最初から、私に王家への橋渡しをさせるつもりだったんだろう」
一瞬、言葉が止まった。
やっぱり、来たか。
公爵はそのまま続ける。
「十二歳の子どもが直接王家へ“国営でやりましょう”と持ち込んでも、重すぎて弾かれる。
だが、公爵家が“技術的にも政治的にも筋がある”と認めた案なら、話は変わる」
見抜かれている。
「君は先に私を説得し、その上で、私に王家を説得させるつもりでここへ来た」
……まいったな。
そこまで言い当てられると、変にごまかす方が失礼だ。
「そのつもりでした」
俺が正直に答えると、公爵は少しだけ目を細めた。
「やはりか」
その一言に、感心と警戒が半分ずつ混じっていた。
「君は一体何者なんだろうね」
公爵は本気とも冗談ともつかない調子で言う。
「本当は五十歳くらいの、どこかの国の王なのではないかと疑いたくなるよ」
「買いかぶりすぎです」
「そうかな」
公爵は楽しそうだった。
「少なくとも、普通の十二歳が考える順番ではない」
それは、否定しにくい。
公爵はしばらく黙っていたが、やがて背筋を伸ばし、はっきりと言った。
「いいだろう」
その一言で、空気が変わった。
「君の案に、ヴァレスト家は乗ろう」
セレナが小さく息を吐く気配がした。
俺も、心の中で同じことをしていたと思う。
「加えて、王家への橋渡しも私が引き受ける」
やっぱり、そこまで言ってくれるか。
ありがたい。
ありがたいけど、同時にそれだけこの人が本気になったということでもある。
「ありがとうございます」
頭を下げると、公爵は軽く手を振った。
「礼はまだ早い。
王家が乗るとは限らないし、ラウグレン公家が高級路線だけで満足するとも限らない。
ここから先の方が面倒だ」
「……はい」
「ただ、筋は良い。
そして何より、止めるには惜しい」
その言葉は、思っていたよりずっと重かった。
セレナが横から言う。
「お父様、それってかなり褒めてるわよね」
「そう聞こえるなら、そう受け取っていい」
珍しく、少しだけ柔らかい言い方だった。
そして公爵はふと表情を緩めた。
「さて。重い話はここまでにしよう。
久しぶりに一緒に夕食でもどうだ、リオン君」
「え?」
「嫌かい?」
「いえ、嫌では……」
「では決まりだ」
決断が早いな、この人。
セレナが少し呆れたように笑う。
「最初からそのつもりだったでしょう」
「どうだろうね」
絶対そうだろ。
◇
公爵が少し席を外したあと、応接室の扉がまた開いた。
「終わったか?」
入ってきたのはルークだった。
セレナの弟で、公爵家の嫡男。
俺を見るなり、どこか面白そうな顔になる。
「リオンさん、また面倒なことを持ち込んだみたいだね」
「またって何だよ」
「前からそうじゃん」
否定しにくいのが嫌だ。
ルークは向かいの椅子にどかっと座った。
「父上、珍しく機嫌が良かったよ」
「それはよかった」
「よかった、で済む内容だったの?」
「たぶん」
「たぶん、なのがすでに怪しいな」
そう言いながらも、ルークはどこか楽しそうだった。
少しの間、実演会の話や工房の話をしているうちに、部屋の空気はだいぶ軽くなった。
セレナが途中で、
「ルーク、さっきから楽しみすぎじゃない?」
と言うと、ルークはあっさり返した。
「そりゃあ気になるよ。
俺は剣の話も好きだけど、リオンさんの話の方が面白いじゃん」
ああ、この家の人たち、やっぱり普通じゃないな。
◇
夕食は、公爵家の家族と一緒だった。
豪華すぎるというほどではない。
でも一品一品が丁寧で、屋敷の格がそのまま食卓に出ている感じがした。
話題も重くなりすぎなかった。
工房実演会の他の出品のこと。
王都の最近の空気。
ルークの話。
セレナが学校と違い、今日はよく笑っている。
公爵は、会談の時ほど言葉を尖らせなかった。
でも、時々こちらへ向ける視線だけは鋭いままだった。
たぶん、食事の場ですら見ているのだろう。
俺がどう話すか、どう返すか、どこまで考えているかを。
食後、帰る時間になると、公爵家の馬車が寮まで送ることになった。
「今日は助かりました」
馬車へ乗る前にそう言うと、公爵は静かに頷いた。
「こちらこそ、面白い話を聞けた。
次はもっと面倒な場になるだろう。覚悟しておきなさい」
「はい」
「でも」
公爵はそこで少しだけ笑った。
「君なら、たぶん逃げないんだろうね」
「逃げません」
「だろうと思ったよ」
◇
馬車が夜の王都を進む。
窓の外には、暗いが疎らに蝋燭や魔道具灯の揺れる明かりが点々と見える。
そこへ、俺たちの灯りが入ったらどう変わるだろう。
そんなことを考えているうちに、寮へ着いた。
セレナは馬車から降りる直前、小さく言った。
「今日はよくやったわ」
「珍しいな。素直だ」
「何よそれ」
「いや、嬉しいけど」
セレナは少しだけ視線を逸らした。
「でも、ここから先はもっと大変よ」
「わかってる」
「ならいいわ」
それだけ言って、彼女は先に寮の方へ歩いていく。
その背中を見ながら、少しだけ息を吐いた。
今日は、一手目としては上出来だった。
◇
その頃。
ヴァレスト公爵家の執務室では、公爵と筆頭執事が向かい合っていた。
机の上には、まださっきの会談で使った紙が置かれている。
王家。
高級灯具。
普及灯具。
研究継続。
リオンが引いた線は、そのまま残っていた。
執事が静かに言う。
「いかがでしたか」
公爵はしばらく黙っていたが、やがて答えた。
「以前から、優秀だとは思っていたよ」
「はい」
「工房での発想も、石の見方も、規格化の考え方も、あの年齢にしては異様だった。
だが、今日見せられたのはそれだけじゃない」
公爵は椅子にもたれ、細く息を吐いた。
「利害の違う家々を、争わせるのではなく役割で組み直そうとした。
しかも、自分の立場の弱さまで織り込んで、最初に私を説得に来た」
執事は黙って聞いている。
「十二歳の子どもがやることじゃない」
「同感です」
「底が見えないな」
公爵は机の上の“王家”の文字を見た。
「技術の才だけでも厄介なのに、政治の駆け引きまで見せられると、さすがに恐ろしくなる」
執事が問う。
「危うい、と?」
「いや」
公爵は静かに首を振った。
「危ういというより……底知れない」
窓の外では、王都の夜が深まりつつあった。
だが、公爵の目には別のものが映っていた。
一つの灯り。
そして、その灯りの先にある王国の形。
その変化の中心に、あの少年が立っている。
「面白い時代になるかもしれんな」
公爵はそう呟き、机の上の紙にもう一度目を落とした。
「リオン・ハルか・・・」
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