第66話 石の価値
第二実習洞の件が、完全に学院の課外活動の範囲を外れたと実感したのは、その翌々日の朝だった。
ホームルームの終わり際、ローヴェンが淡々と告げたのだ。
「第二実習洞は、王都管理側および軍の管理下に移った。
学院生の立ち入りは当面禁止とする」
教室の空気がわずかに張る。
当然だ。
あれだけのことがあって、何も変わらないわけがない。
ローヴェンはそのまま続けた。
「ただし、第一発見者として現場情報の提供が必要と判断された者については、例外的に聞き取りや同行を求められる場合がある」
そこで一瞬だけ、教室の何人かの視線が動いた。
ガイル。
そしてエドガー。
ローヴェンは名指ししなかったが、ほぼ確定だろう。
実際、昼休みに入ってすぐ、ガイルが露骨に機嫌の良い顔で言った。
「どうやら俺とエドガーは、調査隊に同行できるらしい」
「嬉しそうね」
セレナが言う。
「そりゃな。
あのまま終わるのは収まりが悪かった」
その横で、エドガー本人はいつも通りだった。
「同行と言っても、証言と現場確認が主だ。
好きに動けるわけではない」
「でも行くんだろ?」
俺が聞くと、エドガーは短く頷いた。
「第一発見者として必要なら行く。
それだけだ」
その返しはいかにもエドガーらしかった。
そのやり取りを聞いていたヴィクトルが、後ろで小さく笑う。
「第一発見者って理由だけでも十分通る。
でもまあ、第二王子に一つ現場の功績を積ませたいって話も、たぶん混じってるだろうな」
セレナがすぐに眉を寄せる。
「そういう言い方、好きじゃないわ」
「好き嫌いの話じゃない」
ヴィクトルは肩をすくめた。
「上に立つ人間には、そういう積み上げも必要ってことだよ」
ガイルはそのへんにはあまり興味がなさそうだったが、エドガーは少しも顔色を変えなかった。
「周囲が何を考えていようと、僕のすることは変わらん」
短いが、筋の通った言葉だった。
俺はそのやり取りを聞きながら、正直なところ洞窟の再調査そのものには、今あまり気持ちが向いていない自分に気づいていた。
もちろん気になる。
あの奥に何があるのかも、鉱脈がどこまで続いているのかも。
でも、それ以上に今は、目の前に出てきた青い鉱石の方が気になって仕方がなかった。
どう使えるのか。
何に向いているのか。
そして、ハル領の青輝石とどこまで繋がるのか。
そっちの方が、ずっと近くて、ずっと現実的だった。
「で、お前はどうするんだ?」
ガイルが聞く。
「洞窟調査に興味ないのか?」
「ないわけじゃないよ」
そう答えてから、少しだけ考える。
「でも今は、石の方かな」
ヴィクトルがすぐ反応した。
「やっぱりそっちか」
「うん。
洞窟の奥は軍が調べる。
でも、あの石の価値までは、軍はそこまで見ない気がする」
「見たとしても、“危険物”としてだろうな」
ヴィクトルはにやりと笑った。
「“使えばどう化けるか”は、別の頭がいる」
セレナが腕を組む。
「私もそっちの方がいいわ。
理論面の確認はまだ足りないもの」
ナディアも静かに頷いた。
「私も同行したいです。
魔鉱石の研究は、どの国にとっても価値があります。
自国の発展に役立つ知識なら、見落としたくありません」
こうして見ると、きれいに分かれた。
ガイルとエドガーは洞窟調査側。
俺、セレナ、ヴィクトル、ナディアは鉱石研究側。
◇
その日の放課後、俺たちは学院内の資料室と工房を行き来していた。
昨日の簡易検証だけでは、まだ足りない。
青い鉱石が何に近く、何と違うのか。
それを知るには、過去の記録と照らし合わせるしかない。
資料室の奥、鉱物と魔道具関連の棚から、何冊か分厚い本を机に運ぶ。
古い鉱物誌。
王国内の希少資源目録。
魔道具用素材の一覧。
そして、届け出必須鉱物の記録集。
ページをめくる音だけが、しばらく机の周りに続いた。
最初に口を開いたのはナディアだった。
「……ありました」
彼女が開いていた古い鉱物誌をこちらへ向ける。
「青輝石。
王国内では希少石扱い。結界補助材、上級魔道具の核の一部、光源補助材に用いられる場合あり、です」
「そこまでは前から知られてたやつだね」
俺が言うと、ナディアは頷く。
「ただ、その下に注記があります」
指先で一行を示す。
「“深部産出品ほど魔力反応が強い傾向あり。ただし不安定で加工難度高し”」
セレナがすぐに身を乗り出した。
「深部産出品……」
「やっぱり、そこか」
俺は小さく呟いた。
ヴィクトルが本を覗き込みながら言う。
「つまり、青輝石って名前で一括りにはされてるが、中身は全部同じじゃないってことだな」
「そう読める」
俺は頷く。
「地表に近いところで採れるものと、深いところで採れるものとで、性質が違うのかもしれない」
その瞬間、東の石切り場で見た青白い光が、頭の中にはっきりとよみがえった。
汗だくで石を抱えていた若者。
青く光る石。
青輝石。
届け出必須の希少石。
あの時は、違法採掘と違法流通の問題として見ていた。
それは間違っていない。
でも今は、別のものまで見えてくる。
もし、あの青輝石と今回の青い魔鉱石が同系統なら。
もし、東の石切り場のさらに深い場所に、高純度の層があるなら。
ハル領は石材の産地で終わらない。
魔道具素材の産地になれるかもしれない。
そして、その瞬間、思考がさらに飛んだ。
魔力を無駄なく通し、熱にも強い。
なら、できることは魔道具の核だけじゃない。
明かり。
送風。
加熱。
小さな動力。
前世なら当たり前だったものの“入口”くらいなら、この世界でも作れるかもしれない。
街の灯りが安定する。
夜の建物内でも作業がしやすくなる。
炉の温度管理が変わる。
風を安定して送れれば鍛冶も鋳造も一段変わる。
水を動かす仕組みまで届けば、採掘も農業も変わる。
ただの便利な石じゃない。
これは――
「……これ、この世界の常識が変わるぞ」
気づいた時には、また声に出ていた。
資料室の机を挟んで、セレナが呆れたように眉を寄せる。
「さっきから何を一人で飛んでるのよ」
ヴィクトルも半眼になる。
「その顔はまずいな。
お前、今“珍しい石”じゃなくて“世界の動かし方”まで考えただろ」
「いや、ちょっと……」
「ちょっとの目じゃないわ」
「目でわかるの?」
「わかる」
即答だった。
ヴィクトルが面白そうに笑う。
「で、今度は何を思いついた」
少しだけ迷ってから答える。
「明かりとか、送風とか、熱の扱いとか。
うまく使えたら、工房だけじゃなくて生活の前提が変わるかもしれない」
「ちょっと、じゃないわね」
セレナが言う。
「でしょうね」
ヴィクトルはむしろ楽しそうだった。
「やっぱりお前、変だな」
「どっちの意味だよ」
「褒めてる。
あと今の話、ハル領まで飛んだだろ」
ぎくりとした。
「なんでわかるんだよ」
「その手の顔は、“儲け話”じゃなくて“景色を変える算段”をしてる顔だ」
こいつ、やっぱり嫌なところまで見てるな。
ナディアは、そんなやり取りを聞いて小さく笑った。
「でも、わかります」
「何が?」
俺が聞くと、彼女は静かに答える。
「素材は、それ自体に価値があるだけでは足りません。
どう使うかが見えた時に、初めて国を動かします」
その言葉は、妙に重かった。
「自国でもそうでした。
塩も、薬草も、見つけただけでは変わらない。
使い道が広がった時に、初めて領や国の力になります」
ナディアの国の話を、彼女は普段あまり多くはしない。
だからこそ、その一言はよく響いた。
セレナも本から目を上げる。
「理論上できることと、実際に使えることは違う。
でも、理論の入口が見えたなら確認する価値はあるわ」
ヴィクトルが指を立てる。
「つまりまとめると、こうだな」
嫌な予感がする。
「今回の青い魔鉱石は、深部の高純度青輝石か、その近縁種かもしれない。
しかも使い方次第で、工房と魔道具と生活の常識が変わる。
で、もしハル領東の石切り場にも同じ系統の深い層があるなら――」
「ハル領が一気に化ける可能性がある」
自分で言っておいて、少しだけ息が詰まった。
言葉にすると、急に現実味が出る。
ヴィクトルは満足そうに頷いた。
「そういうことだ」
◇
そのあと俺たちは、工房担当の教師にも再び話を聞きに行った。
教師は、青輝石の資料と簡易検証の結果を見比べながら、低く唸る。
「完全に同じとまではまだ言えん」
「はい」
「だが、無関係とも言い切れん。
青輝石の深部産出品の記録と、今回の反応は近い」
そこで教師は俺を見た。
「ハル、お前のところの石切り場で青輝石が採れていたと言ったな」
「違法採掘ですけどね」
「それでも採れていたなら、地層のつながりを疑う価値はある。
ただし、石切り場がそのまま宝の山とは限らんぞ」
「わかってます」
そこは浮かれないように気をつけた。
「でも、調べる価値はある」
教師ははっきり言った。
「もし本当に深い層に高純度部分があるなら、石材の話では済まん。
工房でも魔道具でも、王都が放っておかんだろう」
その言葉は期待でもあり、警告でもあった。
ハル領が発展する可能性。
でも同時に、目立つということでもある。
ヴィクトルが腕を組む。
「やっぱり、価値があるものってのは面倒なんだな」
「面倒だ」
教師は即答した。
「だからこそ、扱う側の頭がいる」
◇
夕方近く、俺たちは学院長室にも呼ばれた。
内容自体は、昨日までに聞いていたことの整理に近い。
王都軍が正式調査に入ること。
第二実習洞は立入制限になること。
必要があれば、発見者として追加の聞き取りがあること。
ただ、一つだけ前よりはっきりしたことがあった。
「アルスレイン殿下とベイルンは、第一発見者として軍の現場確認に立ち会う」
学院長がそう言った時、セレナが少しだけ目を細めた。
「エドガーだけでなく、ガイルもですか」
「主との交戦当事者であり、空洞内部を直接見ている。妥当な判断だ」
それはその通りだった。
学院長はそこで一拍置き、続ける。
「また、アルスレイン殿下については、王都近郊の管理区域における想定外事案という性質上、早い段階から現場の把握を進めておくことに意味がある、という判断も入っている」
かなり言葉は選んでいた。
でも、十分伝わる。
第二王子としての経験。
功績。
そういう大人の事情も、たぶん少しはあるのだろう。
ヴィクトルがあとで言いそうだな、とその時すでに思った。
学院長は最後に、俺たち研究側を見る。
「ハル、ヴァレスト、ローデン、セルヴァン。
君たちは現時点では洞窟調査へは加えない」
そこは予想通りだった。
「だが、鉱石の性質に関する情報は、今後の判断材料になる。
調べるなら、勝手にではなく、学院の許可の下で進めなさい」
「はい」
俺たちは揃って答えた。
◇
その夜、洞窟メンバーにその話を共有すると、やはり最初に反応したのはガイルだった。
「じゃあ、俺とエドガーは明日からそっちか」
「聞き取りと立ち会いが中心だろうけどな」
俺が言うと、ガイルは鼻を鳴らす。
「それでも、行けるならいい」
エドガーは相変わらず落ち着いていた。
「必要なことをするだけだ」
「まあ、そう言うだろうね」
ヴィクトルが肩をすくめる。
「でも、お前の場合は“必要なこと”の中に、第二王子としての積み上げも多少は混じるんだろう」
セレナがすぐに睨む。
「そういう言い方、好きじゃないわ」
「知ってる」
ヴィクトルは平然としていた。
「でもゼロじゃない。
それだけの話だ」
エドガーは少しも表情を変えない。
「周囲が何を考えていようと、僕がやることは変わらん」
「ならいいんじゃないか」
俺が言うと、全員が少しだけこっちを見た。
「正直、今の俺は洞窟の奥そのものより、青い石の方が気になるし」
ガイルが笑う。
「お前らしいな」
「らしいわね」
セレナも小さく息を吐く。
ナディアは静かに言った。
「役割が分かれるのは悪いことではありません。
片方は現場を追う。もう片方は価値を追う。
どちらも必要です」
その通りだった。
◇
みんなと別れたあと、自室に戻る。
疲れていないわけじゃない。
でも、頭の中はまだ熱い。
机の上には、今日書き足した鉱石のスケッチと、青輝石の記述を写した紙が置かれていた。
熱を通したあとの反応。
魔力の通り。
深部産出品の記録。
そして、東の石切り場。
眺めているだけで、落ち着かなくなる。
「……ただの珍しい石じゃない」
小さく呟く。
洞窟の件は、もう軍が動く。
王都管理側も、学院も、王家も関わる話になり始めている。
でも、それとこれとは別だ。
あの石が何なのか。
どう使えるのか。
そして、ハル領にもその未来があるのか。
そこを誰か任せにする気にはなれなかった。
窓の外では、王都の夕暮れが静かに沈み始めている。
今日見えたのは、ただの鉱石の価値じゃない。
たぶん、領の景色が変わる可能性そのものだ。
そう思うと、不思議と疲れの奥で胸が熱くなった。
俺は机の上の紙をもう一度見て、静かに息を吐く。
「……よし」
明日は、青輝石の記録をもっと掘る。
ハル領の東の石切り場も、改めて調べ直さないといけない。
もしあの下に、本当に同じ系統の層が眠っているなら――
その先は、もう石切り場の話だけでは終わらない。
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