第65話 青い鉱石
翌日の授業は、いつもより長く感じた。
実際に長かったわけじゃない。
ただ、頭のどこかがずっと昨日の実習でのできごとに心を引っ張られていた。
未記録の空洞。
洞窟の主。
そして、あの青い鉱石。
座学を受けていても、魔法理論の板書を写していても、ふとした瞬間に思い出す。
火を通し、魔力を引き、しかもまだ使い道の全貌が見えない石。
これまでの魔道具の在り方にも影響が出る。
昨日、教師たちは確かにそう言った。
その日の授業の終わりを告げる鐘が鳴った時には、半分立ち上がりかけていた。
その瞬間、横から声が飛ぶ。
「急ぎすぎよ」
セレナだった。
いつものように整った顔で本を閉じているが、その目の奥は明らかにこっちと同じ方向を向いていた。
「そっちもだいぶ早かったと思うけど」
「私は落ち着いているわ」
「落ち着いてる人は、鐘が鳴る前に荷物を持たない」
「それは効率よ」
言い切るあたりがセレナらしい。
教室の後ろでは、ヴィクトルが椅子を引きながら笑っていた。
「仲がいいな、お前ら」
「違うわ」
「違うよ」
ほぼ同時に返すと、ヴィクトルはますます面白そうな顔になる。
「はいはい。
で、工房だろ?」
「わかってるなら聞くなよ」
「聞きたいんじゃない。確認したいんだ」
ヴィクトルはそう言って、鞄を肩にかけた。
「俺も行く」
「商人の勘?」
「半分はな。
もう半分は、昨日の教師の顔を見たら、見ておく価値があるとわかる」
それはたしかにその通りだった。
◇
学院工房は、校舎群から少し離れた石造りの建物だった。
王立学院の名前に似合わず、飾り気は少ない。
煙抜きの高い屋根。
金属と油の匂い。
中から聞こえてくる、打つ音、擦る音、熱を扱う音。
いかにも“作る場所”だ。
扉を開けると、昨日呼ばれていた工房担当の教師が、すでにこちらに気づいていた。
「来たか」
焦げ茶の作業着に革の前掛け。
無精髭が少し伸びていて、いかにも工房の人間という雰囲気だ。
「昨日の件で?」
「はい」
俺が答えると、教師は短く頷いた。
「だろうな。
ハル、お前は来ると思っていた」
「わかりやすいですか」
「顔がそういう顔だ」
どういう顔だ、それ。
その横で、眼鏡をかけた魔道具研究の教師も顔を上げる。
「ヴァレスト嬢にローデンも一緒か」
「当然です」
セレナが言う。
「昨日あの場にいた以上、結果だけあとで聞かされるのはつまらないので」
「つまらない、ね」
ヴィクトルが笑う。
「俺は価値の確認だ。
面白いかどうかは、そのあとだよ」
二人とも、言っていることは違うのに目の色が似ていた。
工房担当の教師が作業台の上を軽く叩く。
「いい。
どうせお前たちは来ると思って、少しだけ準備しておいた」
そこには、昨日の青い鉱石の小片と、比較用らしい普通の洞壁鉱粉、それに小さな銅の板、細い線材、簡易な魔力測定具が並んでいた。
魔道具研究の教師が淡々と説明する。
「大げさなことはしない。
今日は“入口”だけだ。
この石が何に向くか、完全に断定するには全然足りない。
だが、少なくとも普通ではないことくらいは確認できる」
「十分です」
俺が言うと、工房担当が少しだけ口元を上げた。
「そういう返事をするあたり、やっぱりお前は工房向きだな」
「まだ決まってませんよ」
「いや、だいぶ向いてる」
◇
最初の検証は単純だった。
普通の補助石と、青い鉱石の小片。
それぞれを簡易魔力回路へ組み込み、同じ量の魔力を流す。
魔道具研究の教師が、細い銀色の棒で回路を示す。
「魔道具は、王都でもまだ一部の工房や研究者が扱う程度だ」
教師の声は静かだった。
「便利だから広まらないわけではない。
高く、扱いが難しく、壊れやすい。
だから広く普及するところまで届いていない」
ヴィクトルがすぐに反応する。
「未普及なんじゃない。高すぎて広められないだけか」
「言い方は荒いが、概ね合っている」
教師は淡々と返した。
普通の補助石を組み込んだ回路へ、魔力を流す。
銅板の端の小さな灯りが、ぼんやりと点いた。
弱くはない。
だが、特別でもない。
「これが標準だ」
次に、青い鉱石の小片を削って同じ位置へ入れる。
「同じ量でいくぞ」
教師が魔力を流した瞬間、灯りが明らかに一段強く点いた。
しかも、反応が速い。
セレナがすぐに身を乗り出す。
「……速い」
「ええ」
眼鏡の教師も小さく頷いた。
「立ち上がりが違う。
同じ魔力量なのに、散る前に先まで通っている」
ヴィクトルが眉を上げる。
「つまり?」
「効率がいい」
セレナが先に言った。
「今までなら途中で落ちていた魔力が、ちゃんと先まで届いてる」
工房担当が腕を組む。
「部材に使えるなら厄介だぞ、これは。
今の魔道具は、流す前に削れ、流したあとに熱で歪む」
「熱……」
その言葉に、俺は昨日の空洞を思い出した。
主の熱息。
青い鉱石のぬるさ。
あの場所そのものが、熱と魔力に晒されていた。
「次だ」
工房担当が言う。
「軽く熱を入れる」
今度は青い鉱石の小片を小さな金属皿の上で熱する。
真っ赤にするほどではない。
だが、加工前の試験としては十分らしかった。
普通の補助石なら、ここで性質が不安定になりやすいという。
熱を止めたあと、再び簡易回路へ組み込む。
教師が魔力を流す。
灯りは、ほとんど落ちなかった。
工房担当の顔が完全に変わる。
「……おいおい」
珍しく、その声に本気の驚きが混じった。
「普通なら、もう少し鈍るぞ」
眼鏡の教師も測定具の針を見ながら言う。
「減衰が少なすぎる」
セレナが小さく息を呑む。
「熱を通したあとでも、ここまで保つの……?」
「教材用の石とは比較にならん」
工房担当が青い鉱石の小片を見つめたまま言った。
「これが安定して採れて、加工法まで見つかるなら……部材の前提が変わる」
その一言で、作業台の上の小さな石が急に別物に見えた。
魔道具研究の教師も続ける。
「今の魔道具は、一部の者しか扱えない。
だが、伝導がここまで安定して、熱への耐性もあるなら――設計思想そのものが変わるかもしれない」
ヴィクトルが低く言う。
「売れる、じゃないな」
「ええ」
セレナも同じ方を見ていた。
「持った側が先に進む素材だわ」
俺は作業台の上の青い小片を見つめた。
昨日は、ただ“価値がある”と思った。
でも今は違う。
魔力を通しやすく、熱にも強い。
それだけで、できることが一気に増える。
明かり。
送風。
加熱。
小さな動力。
前世なら当たり前だったものの入口が、この石で作れるかもしれない。
工房の景色だけじゃない。
生活そのものが変わる。
しかも――
頭の中に、もう一つの青い光がよみがえった。
ハル領の東の石切り場。
違法に掘られていた、青く光る石。
青輝石。
あの時は、届け出必須の希少石としてしか見ていなかった。
でも今ならわかる。
光り方。
魔力の引き方。
熱への反応。
完全に同じとはまだ言えない。
けれど、根っこのところで同じ種類の石だという感覚があった。
もし、東の石切り場の青輝石と今回の青い魔鉱石が同系統なら。
もし、石切り場のもっと深い場所に、高純度の層があるなら。
ハル領は石材の産地で終わらない。
魔道具に繋がる素材の産地になれるかもしれない。
それだけじゃない。
この石を使えるようになれば――
「……これ、この世界の常識が変わるぞ」
気づいた時には、声に出ていた。
作業台の向こうで、セレナが眉を寄せる。
「さっきから何を一人で飛んでるのよ」
ヴィクトルも半眼になる。
「その顔はまずいな。
お前、今“珍しい石”じゃなくて“世界の動かし方”まで考えただろ」
「いや、ちょっと……」
「ちょっとの目じゃないわ」
「目でわかるの?」
「わかる」
即答だった。
ヴィクトルが面白そうに笑う。
「で、何を思いついた」
少しだけ迷ってから答える。
「明かりとか、送風とか、熱の扱いとか。
うまく使えたら、工房だけじゃなくて生活の前提が変わるかもしれない」
「ちょっと、じゃないわね」
セレナが呆れたように言う。
「でしょうね」
ヴィクトルはむしろ楽しそうだった。
「やっぱりお前、変だな」
「どっちの意味だよ」
「褒めてる。
あと今の話、ハル領まで飛んだだろ」
ぎくりとした。
「なんでわかるんだよ」
「その手の顔は、儲け話じゃなく“常識を変える算段”をしてる顔だ」
こいつ、やっぱり嫌なところまで見てるな。
工房担当は腕を組んだまま、少しだけ考えるような顔をした。
「……そうだな」
ぽつりと呟く。
「素材ってのは、見つけた時点じゃ半分だ。
使い道まで届いて、ようやく残り半分だ」
その言葉は、妙に胸に残った。
◇
工房から出る時には、空はもう夕方に近かった。
外へ出ると、さっきまでの熱と金属の匂いが急に遠くなる。
「思ったより、ずっとやばかったわね」
セレナが言う。
「うん」
「“珍しい石”で終わらないのは、ほぼ確定だ」
ヴィクトルも珍しく真面目だった。
「学院の教師の顔があそこまで変わるなら、十分だろ」
「でも、まだ使い方はわからない」
「そこはこれからだな」
その時、廊下の向こうから学院職員が早足でやってきた。
「ハル、ヴァレスト、ローデン」
少し息を切らしている。
「学院長がお呼びです。今すぐ」
三人で顔を見合わせた。
来たか、と思った。
◇
学院長室は静かだった。
広い部屋だが、無駄に豪華という感じではない。
重い机。
書棚。
地図。
壁に掲げられた王立学院の紋章。
学院長は年配の男だった。
入学式で壇上に立っていた時と同じ、よく通る声の人だ。
だが今は式典ではなく、管理者の顔をしていた。
「座りなさい」
言われるまま席につく。
学院長は最初に、三人を順に見た。
「まず、昨日と今日の行動について礼を言う」
少し意外だった。
「第二実習洞での異変を発見し、生きて戻り、証拠を揃えて報告した。
その点については、学院として評価する」
やわらかい言い方ではない。
でも、軽くもなかった。
「本題に入ろう」
学院長は机の上の書類に手を置いた。
「君たちの報告を受け、学院から王都管理側へ正式報告を行った。
王都軍も動く。第二実習洞は一時的に立入制限となり、近く正式な調査が入る」
やっぱり来た。
セレナが静かに聞く。
「軍が、ですか」
「そうだ。管理区域内に想定外の個体がいた以上、学院だけで済ませる話ではない」
学院長は淡々と続ける。
「また、洞窟内で発見された鉱石についても、工房および魔道具系の教師から報告を受けている。
現時点で結論は出せない。
だが、価値の有無を軽く判断すべき素材ではない、という点では一致した」
ヴィクトルが小さく言う。
「十分重いですね」
「重い」
学院長は否定しなかった。
「だからこそ、今後の調査は学院の課外活動の延長として扱わない。
必要があれば、発見者として追加の聞き取りや現地確認を頼むことはある。
だが、勝手な接触や独自調査は認めない」
そこははっきりしていた。
「君たちが当事者であることは事実だ。
だが、当事者であることと、好きに動いてよいことは違う」
正しい。
少し窮屈だけど、正しい。
学院長は最後に、少しだけ声を落とした。
「もう一つ。
アルスレイン殿下からも、今回の件については国王陛下へ早期再調査を進言したいとの話を受けている。
学院としても、その判断は妥当と考えている」
そこで初めて、セレナとヴィクトルがちらっとエドガーの席の方を見るような顔をした。
あいつ本人はいない。
でも、ちゃんと動いていたらしい。
「以上だ」
学院長が言う。
「君たちは今日はもう下がっていい。
ただし、呼ばれたらすぐ動けるようにしておきなさい」
◇
部屋を出たあと、三人で少しだけ立ち止まる。
「……本当に、もう課外活動の範囲じゃないわね」
セレナがぽつりと言った。
「最初からそうだった気もするけどな」
ヴィクトルが肩をすくめる。
「でもこれで、洞窟の価値が学院の中だけで埋もれることはない」
「それはそうだね」
ただ、そのぶん話は大きくなった。
面白がっているだけじゃ済まない領域へ、少しずつ入っている。
その日の夜、洞窟メンバーに学院長の話を伝えた。
ガイルは腕を組んで、いかにも不満そうに言う。
「じゃあ、しばらくは勝手に潜れないってことか」
「そりゃそうでしょ」
セレナが呆れたように返す。
「むしろ当たり前よ」
「わかってる。
でも、あのまま終わるのも落ち着かないんだよ」
「それはみんな同じです」
ナディアが静かに言った。
「ただ、今は待つ時間なのだと思います」
エドガーは短く頷く。
「父上にも話は通る。王都軍は早く動くはずだ」
やっぱり、この人はこういう時に強い。
ヴィクトルは壁にもたれながら言う。
「面白い話じゃなくなってきたな」
「嫌か?」
俺が聞くと、ヴィクトルは少しだけ笑う。
「逆だよ。
本当に価値があるものは、だいたい面倒なんだ」
それは妙に納得できた。
みんなと別れたあと、自室に戻る。
疲れていないわけじゃない。
でも、頭の中はまだ熱い。
机の上には、今日工房で書き足した鉱石のスケッチがあった。
熱を通したあとの反応。
魔力の通り。
普通の素材との違い。
眺めているだけで、落ち着かなくなる。
「……ただの珍しい石じゃない」
小さく呟く。
王都管理側が動く。
軍も入る。
王家にまで話は届き始めている。
でも、それとこれとは別だ。
あの鉱石が何なのか。
どう使えるのか。
工房で扱えるのか。
鋳造に回せるのか。
魔道具に組み込めるのか。
そこを誰か任せにする気にはなれなかった。
窓の外では、王都の夕暮れが静かに沈み始めている。
今日持ち帰ったのは、主の討伐証明だけじゃない。
たぶん、もっと面倒で、もっと面白いものだ。
そう思うと、不思議と疲れの奥で胸が熱くなった。
俺は机の上のスケッチをもう一度見て、静かに息を吐く。
「……よし」
明日は、この鉱石をちゃんと調べるぞ。
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