第53話 武具の綻び
公爵領での日課が決まってから、三週間ほどが過ぎていた。
朝はルークと剣の稽古。
昼まではセレナと勉強。
午後はユリウスか筆頭執事について、公爵領の運営や現場を見て回る。
忙しい。
だが、嫌ではない。
むしろ、ようやく身体と頭がこの流れに慣れてきたところだった。
朝の剣は、相変わらず得意とは言えない。
というより、はっきり苦手だ。
それでも最初の頃よりはましになった。
構えで笑われることは減ったし、木剣を振った時に自分で変なところへ力が入っているのも、前よりはわかるようになった。
ルークはそのあたりの変化にすぐ気づくらしく、よく言う。
「最初より全然いいよ」
「最初がひどすぎただけじゃない?」
「それはそう」
そこは否定しないのか、と毎回思う。
でもまあ、ルークが年相応に明るく笑いながらも、自分の修行はきっちり続けるやつなのは、この三週間でよくわかった。
剣も。
馬も。
領軍の人間とのやり取りも。
いずれこの大きな領を率いるつもりでいるからこそ、遊び半分で終わらせない。
そういうところは、素直にすごいと思う。
◇
その日も、朝の訓練場には冷たい空気が残っていた。
兵たちはすでに動き始めている。
槍を打ち込む音。
盾がぶつかる音。
号令。
土を踏む足音。
公爵領の軍は、ハル領の兵たちより明らかに層が厚い。
装備も良い。
動きも揃っている。
ルークに剣を教えている教官が、今日もこちらを見て軽く顎を引いた。
「始めましょう」
「お願いします」
木剣を握る。
足を開く。
重心を落とす。
――前よりは、少しだけまし。
少なくともそう思いたかったが、すぐに現実がそれを打ち消した。
「肩」
「はい」
「力が入っています」
「はい」
「今度は腰です」
「……はい」
やっぱり難しい。
隣ではルークが、きちんと打ち込みを返している。
まだ少年の剣だが、形は確実に整ってきていた。
「リオン、受ける時に腕だけで止めようとしすぎだよ」
「見てわかるんだけど、体がそうならないんだよ」
「不思議だなあ」
「こっちも不思議だよ」
そう言いながら息を整え、木剣を下ろした、その時だった。
武器台の方へ目が向く。
訓練用の木剣だけじゃない。
その横には、兵たちが使う剣や槍、予備の小盾、革と金属を合わせた簡易防具が整然と並べられていた。
一見して、どれも上質だった。
公爵領の兵が持つだけある。
だが、その中のいくつかに、妙な引っかかりがあった。
視界の端に、薄青い文字が浮かぶ。
《刃:概ね良》
《焼き:安定》
《綻び:弱》
その隣。
《外見:良》
《内部応力:偏在》
《綻び:中》
《衝撃時損耗率:高》
「……ん?」
思わず足を止めた。
「どうしたの?」
ルークが振り返る。
「いや」
武器台へ近づく。
一本の剣を手に取る。見た目は悪くない。重さも、釣り合いも、そこまで不自然じゃない。
でも、その横にある同じ型の剣と比べると、どうにも落ち着かない。
今度は盾を見る。
視界の文字がまた浮かぶ。
《表面:均質》
《留め:良》
《綻び:弱》
別の盾。
《表面:見かけ上良》
《縁金具:疲労》
《芯材:軽微脆化》
《綻び:中》
「……変だな」
小さく呟くと、教官がこちらへ来た。
「何かありましたか」
「これです」
俺は剣を一本差し出した。
「見た感じは悪くないんですけど、同じものの中に妙に弱そうなものが混じってます」
教官は受け取って、軽く振り、刃を見た。
「問題はありませんが」
「そっちも見てください」
別の一本を渡す。
教官は少しだけ眉をひそめた。
「……重さに、わずかですが差がありますね」
ルークも興味津々で覗き込む。
「でも、見た目じゃ全然わからないよ」
「うん」
そこが気持ち悪かった。
粗悪品、という顔をしていない。
むしろ、ちゃんと整って見える。
なのに綻びの目は、一部にだけ弱さを示している。
教官は武器台と俺を見比べた。
「根拠は?」
「うまく説明しにくいです」
正直に言う。
「でも、同じように作ってるはずなのに、出来にムラがある気がします」
教官は少し考えてから、すぐに兵へ指示を飛ばした。
「耐久確認の木杭を出せ。それと予備盾も」
反応が早い。
やっぱりこの人は話が通じる。
◇
簡単な確認は、すぐに始まった。
まずは普通に見える剣から。
教官が一定の角度と力で木杭へ打ち込む。
鈍い音。
刃こぼれはない。
反りも少ない。
「問題なし」
次に、俺が指摘した剣。
同じように打ち込む。
音が、少しだけ違った。
高くて、嫌な響きだ。
教官がすぐに刃を見て、目を細める。
「……浅い欠けが出ています」
ルークが息を呑んだ。
「ほんとだ」
さらに二本、盾も試す。
普通の盾は受けても留め具が耐える。
だが、俺が選んだ方は金具の一つが早く歪んだ。
派手に壊れるわけじゃない。
でも、確かに弱い。
教官の顔つきが変わった。
「誰がこれを?」
兵の一人が慌てて答える。
「今月入った補充分です」
「全部ではないな」
「はい」
その時だった。
「何やら面白いことになっているようだね」
振り向くと、ユリウスが訓練場へ入ってきていた。
その後ろに筆頭執事もいる。
「父上」
ルークが姿勢を正す。
教官もすぐに一礼した。
「閣下。少し気になることがありまして」
ユリウスは教官より先に、俺の手元の剣へ視線を落とした。
「リオン君かい?」
「はい」
「どう見えた?」
俺は正直に答えた。
「品質にムラがあります。全部じゃないです。でも、一見同じに見えるものの中に、脆いものが混じってます」
教官がすぐに付け足す。
「簡易確認でも、実際に差が出ました。通常品は問題ありませんでしたが、リオン様が指摘したものだけ刃の欠けと金具の歪みが早い」
ユリウスの目が少しだけ細くなった。
「軍の補充装備で、ですか」
「はい」
筆頭執事が低く言う。
「工房を見た方がよろしいでしょう」
「そうだね」
ユリウスは迷わなかった。
「鍛冶場へ行こう。今からだ」
◇
公爵領の鍛冶場は、城下の工房区画にあった。
熱い。
炉の熱気と鉄の匂いが、建物の外まで漏れている。
中では職人たちが忙しく動いていた。
槌の音。
火花。
革の手袋。
赤く焼けた鉄。
規模はハル領の鍛冶屋よりずっと大きい。
人も多い。
だが、見ているうちに少しずつわかってきた。
大きい。
でも、“揃っている”わけではない。
炉ごとに火の癖が違う。
打ち手によって力の入り方が違う。
冷まし方も微妙に異なる。
同じ剣を作っているように見えて、実際には一本ずつが少しずつ別物になっていた。
工房をまとめる親方が、困った顔で頭を下げる。
「粗悪品を納めるつもりは毛頭ありません」
「わかっています」
ユリウスは責める口調ではなかった。
「だが、差が出ている」
親方は悔しそうに眉を寄せる。
「……同じように打っているつもりでも、完全には揃いません。鉄の状態も違えば、炉の機嫌も違う。最後は職人の腕になります」
そこで、俺の中で何かが繋がった。
同じ形。
同じ用途。
同じ品質が求められる武具。
それを全部、職人の感覚と腕だけで揃えようとしている。
だから上手いものもできる。
でも、ムラも出る。
「職人の腕が悪いわけじゃない」
気づけば、口に出していた。
親方がこちらを見る。
「はい?」
「やり方の限界です」
親方は一瞬むっとした顔をしたが、ユリウスが口を挟まなかったので黙って続きを待った。
「一本ずつ打ってる限り、同じものを同じ質で揃えるのは難しいと思います」
親方の目が、少しだけ変わる。
「……坊ちゃんは、鍛冶を知ってるのかい」
「詳しくはないです。でも、揃わない理由は見えます」
ユリウスが横で静かに言った。
「その“揃わない理由”を、あとで聞かせてもらえるかな」
「はい」
◇
昼前、書庫へ向かうと、セレナはいつものように窓際で待っていた。
だが、俺の顔を見るなり眉をひそめる。
「何、その顔」
「どの顔?」
「考え事をしている時の顔」
そんなにわかりやすいのか。
「今日、工房を見てきたんだ」
「軍の訓練だけじゃなかったの?」
「武具の品質にムラがあって、それで鍛冶場まで」
セレナはすぐに興味を示した。
「ムラ?」
「一見同じでも、弱いものが混じる。職人の腕が悪いんじゃなくて、作り方が一本ずつ違いすぎるんだと思う」
セレナは少し考えてから本を開いた。
「今日は金属と熱の話もやる予定だったの」
「え?」
「学院の予習。素材と加工の基礎」
それはちょうどよかった。
彼女が本の一節を指す。
熱の入り方。
冷却。
金属の性質。
同じ素材でも、扱いで強さが変わる話。
読みながら、さっき見た鍛冶場の光景が頭の中で並び直される。
炉の違い。
火の違い。
打ち手の違い。
冷まし方の違い。
だから揃わない。
揃えたいなら、もっと根本から変えないといけない。
同じ形を。
同じ厚みで。
同じ基準で。
繰り返し作る方法。
その瞬間だった。
「……そうか」
セレナが顔を上げる。
「何?」
頭の中で、技術の知識と、さっき見た現場がぴたりと噛み合う。
職人の腕を増やすんじゃない。
腕の差が出にくい作り方へ寄せるんだ。
同じ形を、同じ質で、何度も作るには――
「そうだ、鋳造だ」
「ちゅうぞう?」
セレナが首をかしげる。
しまった。
この世界にはまだ、その言葉自体がない。
俺は紙を引き寄せ、急いで簡単な図を描いた。
「型を作るんだ。そこへ溶かした金属を流し込んで、形を揃える」
セレナの目が大きくなる。
「……そんなことができるの?」
「理屈の上では」
「理屈の上では、って顔じゃないわね」
彼女が少し呆れたように言う。
「もう頭の中では先まで見えてる顔よ、それ」
たぶん、その通りだった。
鍛冶場のムラ。
軍備の品質。
その先にある工房と量産。
全部が一本の線で繋がってしまった。
その時だった。
「……リオン君」
扉の近くから、穏やかな声がした。
振り向くと、ユリウスがそこに立っていた。
いつからいたのかわからない。
だが、口元にははっきりと笑みが浮かんでいる。
「また何か、面白いことを思いついたようだね」
俺は手元の図と、ユリウスの顔を見比べた。
否定する気は、あまり起きなかった。
「……たぶん」
「たぶん、か」
「まだ試してもいないので」
「それでも、君がそういう顔をする時はたいてい何かある」
そう言って、ユリウスは机の上の図へ視線を落とした。
セレナが小さく息を吐く。
「父上、これ、また厄介そうです」
「そうかな?」
「リオンがこういう顔をしてる時、だいたい周りが忙しくなるんです」
その言い方に、思わず少し笑ってしまった。
でも、たぶん間違っていない。
紙の上の簡単な図を見つめながら、俺は小さく息を吐く。
公爵領で学ぶ日々は、ただ知識を増やすだけじゃ終わらないらしい。
また一つ、次の形が見えてしまった。
それが面倒なのか、ありがたいのかは、たぶんまだ自分でもわからなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
続きが気になったら、ブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




