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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第5章 ヴァレスト公爵領

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第52話 公爵領での日々

 公爵領に滞在することが決まってから、俺は一つ、はっきり感じていたことがある。


 ここは、学ぶことが多すぎる。


 人の数。

 物の流れ。

 金の動き。

 報告の上がり方。

 領主家と現場の距離。


 ハル領を立て直したいと思っている今の俺にとって、公爵領はただ大きいだけの場所じゃなかった。


 現場を見るにも、運営を見るにも、何もかもが一段階上にある。


 同じ「領地」でも、ここまで規模が違うと、抱える問題の形まで変わるのだと実感する。


 だからこそ、この滞在はありがたかった。


 合格の報告と礼を伝えるだけで終わるには、あまりにも惜しい。


 そんなことを考えていた朝だった。


 ◇


「リオン!」


 中庭へ出る前に声をかけてきたのは、ルークだった。


 朝の空気はまだ少し冷たい。

 その中で、ルークはすでに動きやすい服に着替えていて、木剣を肩に担いでいる。


「おはよう」


「おはようじゃないよ。ちょうど良かった。今から修行なんだ」


「修行?」


「うん。領軍の人に剣を見てもらう日なんだ。リオンも来ない?」


 いかにも年相応の明るい誘い方だった。

 けれど、ただ遊び半分で言っているわけでもないのはわかる。


 ルークはまだ少年だ。

 でも、自分がいずれこの大きな領を率いる立場にあることは、きちんと自覚している。


 だから勉強もするし、こうして剣の修行にも出る。


 俺は少しだけ考えた。


 ハル領も、西の森をひらけば、いずれ護衛や軍備のことをちゃんと考えないといけない。

 魔物だっている。

 全部を人任せにしていい話でもない。


「……いい機会かも」


「じゃあ来る?」


「うん。行く」


 そう答えると、ルークはぱっと顔を明るくした。


「よし!」


 ◇


 領軍の訓練場は、城の外れに近い広い場所にあった。


 朝の光の中で、兵たちがすでに身体を動かしている。

 槍を振る者。

 走る者。

 盾を持って組む者。


 ハル領で見る兵よりも人数が多い。

 動きも揃っている。

 公爵領の厚みは、こういうところにも出るのだとすぐにわかった。


 ルークに剣を教えているのは、三十代半ばくらいの男だった。

 無駄のない体つきで、声がよく通る。


「おや、今日はお連れがいる」


「はい。リオンです。ハル領の」


「噂は聞いておりますよ」


 男はそう言ってから、俺の方を見た。


「剣は?」


「……ほとんど初めてです」


「ほう」


 笑いもしない。

 ただ、その返事をそのまま受け取っただけだった。


「では、まず構えから参りましょう」


 素直に従う。


 木剣を握る。

 足を開く。

 重心を意識する。


 ――難しい。


 いや、難しいどころじゃない。

 ぎこちない。

 自分でも驚くくらい、身体が言うことを聞かない。


「力が入りすぎです」


「はい」


「肩を上げない」


「はい」


「腰が浮いています」


「……はい」


 隣ではルークが、年齢のわりにずいぶんまともに動いている。

 もちろん完璧ではないが、少なくとも俺みたいに全部がちぐはぐ、という感じではない。


 木剣を打ち込む動きも、それなりに形になっていた。


「リオン、もっとこうだよ」


「見ればわかるんだけど、できないんだよ」


「なんで?」


「こっちが知りたい」


 思わずそう返すと、ルークが笑った。


 だが、笑い事ではない。


 身体強化や魔法の制御とは、また別の難しさがある。

 むしろ変に頭で考えすぎるぶん、余計に身体が固まる気すらした。


 こんなことになるなら、前世で学校の剣道をもう少し真面目に受けておけばよかった。


 いや、あれは竹刀だし、今は木剣だし、そもそも全然別物かもしれないけど。

 それでも「こういう時に少しは役立ったのかもな」と思わずにはいられなかった。


「……これはひどいな」


 気づけば、小さくそんな声が漏れていたらしい。


 訓練を見ていた男が、口元だけ少し動かした。


「初めてにしては、そこまで悪くありません」


「慰めが下手ですね」


「剣は、すぐ上手くなるものではありませんので」


 その言い方は案外嫌いじゃなかった。


 できないことを、できないまま言ってくれる人の方が信用できる。


 ◇


 一通り身体を動かしたあと、訓練場の端で息を整えていると、ユリウスがこちらへ歩いてきた。


「おや。朝から頑張っているね」


「見てましたか」


「少しだけ」


 少しだけ、という顔ではない。

 たぶん最初から結構見ていた。


 ユリウスは俺の手元の木剣を見て、やわらかく笑った。


「どうだったかな」


「剣術が得意じゃないことは、よくわかりました」


「それも大事な発見だ」


 からかう感じではなく、本気でそう言っているのがこの人らしい。


 それからユリウスは少しだけ真顔になった。


「でも、学んでおいて損はないと思うよ」


「西の森、ですか」


「そうだ」


 やっぱりそこに繋がる。


「ハル領の西をひらいていけば、いずれ魔物と向き合う機会も増えるだろう。

 常に自分で戦う必要はない。だが、わかっているのとまったく知らないのでは違う」


「……はい」


「ルークと一緒に、朝だけでも見てもらってはどうかな」


 それは、かなりありがたい提案だった。

 ありがたい、というより、またここでも世話になってしまうな、という気持ちの方が先に来る。


 王都での家庭教師。

 学院への準備。

 公爵領への招待。

 そして今度は剣術まで。


「本当に、お世話になってばかりですね」


 思わずそう言うと、ユリウスは軽く首を振った。


「なに、礼はいらないよ」


「でも」


「昨日、君にはうちの領のことを色々と見てもらった」


 そう言って、いつもの穏やかな目でこちらを見る。


「その返礼だと思ってくれればいい」


 その言い方が、この人らしかった。


 助けてやっている、ではない。

 貸し借りを重くするでもない。

 ちゃんと釣り合うように言葉を置いてくれる。


 だから、こちらも素直に受け取りやすい。


「……ありがとうございます」


「うん」


 ユリウスは一つ頷くと、少しだけ困ったように笑った。


「それと、ついでと言ってはなんだけど」


「はい?」


「ルークばかりに付き合っていると、セレナが少し機嫌を悪くするかもしれない」


「え?」


 その言葉に、ちょうど水を飲んでいたルークが吹き出しかけた。


「姉上、そんなにわかりやすいかな」


「君が思うよりは、ね」


 ユリウスはまったく悪びれずに続ける。


「だから、朝の剣のあと、昼まではセレナの勉強にも付き合ってやってほしい」


「勉強、ですか」


「学院へ入る前に、あの子も仕上げておきたいところがあるらしい」


 それは要するに、勉強を見てほしいということだろう。

 そしてたぶん、セレナの方もそれを完全には嫌がらない。


 むしろ嫌なら、ユリウスはこんな言い方をしないはずだ。


「わかりました」


 そう答えると、ユリウスは満足そうに頷いた。


「助かるよ」


 ◇


 その日の昼前、言われた通り俺は書庫へ向かった。


 窓際の席には、すでにセレナが座っていた。

 開かれた本。

 横に積まれたノート。

 きっちりしている。


 でも、俺の顔を見た瞬間、ほんの少しだけ眉が動いた。


「来たのね」


「来てって言われたから」


「父上に?」


「うん」


「……そう」


 その返事が妙に短い。


 席に着くと、俺は軽く肩を回した。

 剣術で変なところに力が入っていたらしく、少しだけ腕が重い。


 その様子を見て、セレナが言った。


「朝からルークと剣の修行だったんですって?」


「そう」


「どうだったの?」


 聞き方は平静だった。

 でも、少しだけ気になっているのがわかる。


「全然だめだった」


 素直にそう答えると、セレナは一瞬黙って、それからふっと笑った。


「そう」


「嬉しそうだね」


「少し安心しただけよ」


「何に?」


「あなたにも、ちゃんと苦手なものがあるんだと思って」


 その言い方が妙に正直で、こっちも少し笑ってしまった。


「あるよ。かなりね」


「それなら良かったわ」


 彼女はそう言って本を閉じる。


「今日は歴史と制度、それから少し計算を確認したいの」


「了解」


「それと、もし余裕があれば、学院の上級課程で扱うらしい経済の基礎も」


「ずいぶん欲張るね」


「あなたに言われたくないわ」


 それもそうだった。


 ◇


 午後はユリウスか筆頭執事のどちらかが時間を取ってくれて、公爵領の運営について見せてもらうことになった。


 城内の執務区画。

 報告の上がり方。

 領内の主要な街道。

 どこに人と物が集中しているか。

 どこに金が落ちるか。


 小領地では見えにくいものが、ここでは形になって見える。


 人。

 もの。

 金。


 それらがどう動くかを、現場側と運営側の両方から学べる。


 これがどれだけありがたいことか、今の俺にはよくわかった。


 剣術では全然敵わない。

 勉強ではセレナに付き合う形になっているけれど、結局こっちも学ぶことが多い。

 そして午後は、大領地の仕組みそのものを見せてもらえる。


 忙しい。

 でも、嫌じゃない。


 むしろ、こういう時間が欲しかったのだと思う。


 朝はルークと剣。

 昼まではセレナと勉強。

 午後は公爵領の運営を学ぶ。


 そういう日課が、その日から自然に決まった。


 夕方、客室へ戻る廊下を歩きながら、俺は小さく息を吐いた。


 公爵領に来てから、ただ圧倒されるだけの時間はもう終わった気がする。

 ここからは、ちゃんと吸収して持ち帰る時間だ。


 学べることが多い場所に身を置ける。

 それだけで、十分ありがたかった。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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