第500話 リオンが見ているもの
翌朝。
朝食を終えると、俺たちは西の森へ向かうことにした。
俺とミラ。
ピコ。
ミア。
ミラに同行してきた侍女。
それからハーウェイ家の護衛騎士が数名。
馬車が屋敷を出る。
ミラは窓の外を眺めながら、時々身を乗り出すように街道の先を見ていた。
「昨日も思ったけど、ハル領って結構人がいるね」
「領都はかなり増えたよ。商人の出入りも多くなったし」
「荷車もよく見る」
道沿いには畑が広がっている。
領都へ向かう人もいれば、西の森へ向かう人もいる。
少し前までなら、こうして領内を走る馬車から外を見る時は、何か問題がないか探していた気がする。
今日は隣にミラがいる。
「西の森って、どんなところ?」
「今はかなり人が住んでる」
「今は?」
「俺が初めて来た時は、ここにこんなに人が暮らすようになるとは思ってなかったよ。少しずつ森を開いていったところだから」
「そこから、今みたいになったんだ」
「まだ足りないものも多いけどね」
「でも、人が住んで、働いてるんでしょ?」
「そうだよ」
「じゃあ、楽しみ」
ミラはまた窓の外へ目を向けた。
◇
西の森の開拓地へ入ると、建物が一気に増えた。
工房。
倉庫。
住宅。
小さな店。
道の端には荷車が止まり、人が資材を運んでいる。
「……すごい」
ミラが窓へ近づく。
「ここ、全部西の森?」
「そうだよ」
「もっと森の中に家が少しあるくらいだと思ってた」
「俺が最初に来た時は、今とは全然違ったよ」
馬車が止まる。
外へ出ると、レナードが待っていた。
「リオン様。ミラ様。ようこそお越しくださいました」
「おはよう、レナード」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
ミラが頭を下げる。
「こちらこそ。ご案内いたします」
「まず、学校を見せていただいてもいいですか?」
「もちろんでございます」
歩き始めても、ミラは周囲をよく見ていた。
「この辺りに住んでいる人は、みんな西の森で働いているんですか?」
「多くはそうでございます。工房や伐採、運搬に携わる者が中心ですが、最近は商いを始める者も増えております」
「家族で移ってくる人も?」
「増えております」
「子どもも増えますよね」
「はい」
ミラが頷く。
「だから学校が必要になったんですね」
「その通りでございます」
建物ではなく、そこで暮らす人のことを聞く。
昨日、父上たちがミラを褒めていた理由が、少し分かった気がした。
◇
学校へ着いた。
中へ入ると、三十人ほどの子どもたちが机に向かっていた。
文字を書いている子。
計算をしている子。
本を読んでいる子。
やっていることはそれぞれ違う。
「みんな同じことを勉強してるわけじゃないんだね」
「来られる日も、それまでに勉強してきたことも違うから。それぞれ自分の続きからやってる」
「休んでも置いていかれないんだ」
「そのためでもあるね」
「いいね、それ」
ミラが一人の子どもの帳面を覗く。
その子は慌てて背筋を伸ばした。
「ご、ごきげんよう」
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」
ミラが笑う。
「何を勉強してるの?」
「た、足し算です」
「難しい?」
「前より分かるようになりました」
「そっか。頑張ってね」
ミラは邪魔をしないように離れた。
教室の端では、小さな子どもが兄か姉を待っている。
「あの子は?」
「兄弟について来てる子だよ。弟や妹の面倒を見ないといけなくて学校へ来られない子もいるから、今は一緒に来てもいいことにしてる」
「給食も?」
「食べられるよ」
ミラが小さな子を見る。
「……フィーネが言ってたやつだ」
「そう」
その子と目が合う。
すぐに兄か姉の後ろへ隠れた。
「可愛い」
◇
しばらくすると、昼食の準備が始まった。
子どもたちが机を片付ける。
大きな鍋。
パン。
野菜と肉の入った温かいスープ。
料理を運ぶ大人たちを、年上の子どもも手伝っていた。
「給食は毎日なんですか?」
ミラがレナードへ聞く。
「現在は毎日ではございません。食材、人手、費用を記録しながら回数を調整しております」
「給食を始めて、学校へ来る子は増えた?」
「増えております」
俺も話に入る。
「最初は食べに来るだけでもいいと思ってるんだ」
「食べるためだけでも?」
「来れば、文字を一つ覚えるかもしれないから」
ミラが少し笑う。
「そういうところ、リオンらしいね」
「そうかな」
「うん」
配膳が始まり、子どもたちの前へ食事が運ばれていく。
「あっ」
小さな声がした。
幼い女の子が器を傾け、スープを机へこぼしてしまった。
女の子が固まる。
ミラがすぐにしゃがんだ。
「大丈夫?」
「……はい」
「熱くなかった?」
女の子の手を見る。
「ここ、痛くない?」
「だいじょうぶ」
「よかった」
ミラは侍女から布を受け取り、袖についたスープを拭く。
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。誰だってこぼすことくらいあるから」
新しい器を受け取って、女の子へ渡す。
「今度はゆっくりね」
「はい」
それを見ていた別の子がミラへ近づいた。
「お姉ちゃん」
「何?」
六歳くらいだろうか。
その子は俺とミラを交互に見る。
「お姉ちゃん、リオン様のお嫁さん?」
「えっ?」
ミラの動きが止まった。
俺も何も言えない。
周囲にいた子どもたちまでこちらを見る。
「違うの?」
「えっと……まだ違うよ」
「まだ?」
ミラの頬が赤くなる。
「……今はね」
「じゃあ、あとでお嫁さんになるの?」
「それは……」
ミラが俺を見る。
目が合った。
「どうだろうね」
そう答えると、ミラが少しだけ俺を睨んだ。
「リオン」
「何?」
「そこはもうちょっと言い方あるでしょ」
「ごめん」
子どもたちが笑う。
俺も笑ってしまった。
ミラも困ったように笑っている。
少し離れたところでは、ミアが口元を押さえていた。
レナードは聞こえているはずなのに、何事もなかったように給食の様子を確認している。
◇
昼食が終わったあとも、西の森を歩いた。
工房。
新しく建てている住宅。
井戸。
道。
ミラは何を見る時も、そこで働いている人に話を聞いた。
「この家には何人で住むんですか?」
「仕事は忙しいですか?」
「ここへ移ってきて、不便なことはありますか?」
答える側は最初こそ緊張していたけれど、しばらくすると普通に話していた。
「ミラって、そういうところ気になるんだ」
「そういうところ?」
「住んでる人のこと」
「気になるよ」
ミラは前を歩く家族を見る。
「人が住みやすくないと、結局続かないでしょ?」
「そうだね」
学院で研究している時もそうだった。
ミラは、実際に使う人がどう思うかをよく見ていた。
こうして領地を一緒に歩くと、それがもっとよく分かる。
◇
しばらく歩いたところで、ミラが遠くを指差した。
「あれ、温泉?」
「そう」
「入りたい」
「即答だね」
「だって、前から一度入ってみたかったんだもん」
「温泉の話も覚えてたんだ」
「いっぱい聞いたからね」
隣にいたレナードが少し考える。
「それでしたら、昼の利用が落ち着く時間ですので、一時間ほどでしたら貸し切りにできるかと」
「いいんですか?」
「夕方になりますと、仕事を終えた者たちで混み始めます。それまででしたら問題ございません」
「入りたいです!」
迷いがない。
「随分楽しみにしてたんだね」
「温泉だよ?」
「うん」
「温泉なんだよ?」
「分かったって」
ミラが嬉しそうに笑った。
◇
利用者が増えたことで、今では男女それぞれの浴場が整備されている。
ミラは侍女と女湯へ。
ハーウェイ家の護衛たちは浴場の外で待機することになった。
俺はレナードと男湯へ入る。
身体を洗い、湯に肩まで浸かる。
「……はあ」
やっぱり気持ちいい。
「久しぶりですな、リオン様とこうして湯に入るのも」
「そうだね」
「王都ではお忙しかったのでしょう」
「まあね」
「グレイヴ領にも行かれたと伺っております」
「うん」
湯気を見ていると、グレイヴ領のことが一瞬頭に浮かんだ。
「ミラ様は、よい方ですな」
レナードが言う。
「急だね」
「本日ご一緒して、そう思いました」
「どの辺が?」
「よく人を見ておられます。学校でも建物のことより子どもたちのことを聞き、住宅を見ても、建てた数ではなく、そこで誰が暮らすのかを気にされていました」
「そういうところはあると思う」
「昨日お会いした時にも感じましたが、身分だけで人を見る方でもないのでしょうな」
「うん」
レナードが少し笑う。
「リオン様には、よくお似合いかと」
「……急にそこへ行くんだ」
「違いましたかな?」
「違わないけど」
少し恥ずかしい。
「俺も、いい人だと思ってるよ」
「そうでしょうな」
「何、その顔」
「いえ。何も」
レナードはまた少し笑った。
◇
三十分ほどして浴場を出た。
着替えを済ませて外で待っていると、しばらくして女湯側からミラが出てきた。
頬が少し赤い。
髪は綺麗に整え直されているけれど、表情はかなり緩んでいる。
「どうだった?」
「すごく気持ちよかった」
「それはよかった」
「これ、ハーウェイ領にも欲しい」
「温泉は作れないよ」
「えー、残念だなあ」
「掘ったら出るかもしれないけど」
「じゃあ掘ろうかな」
「そんな簡単じゃないって」
ミラが笑う。
「でも、毎日入れる人はいいなあ」
「西の森に住む?」
「それもいいかも」
「え?」
「何?」
「いや」
ミラは楽しそうに笑っていた。
◇
夕方。
屋敷へ戻る前に、西の森を少し高い場所から眺めることにした。
工房から人が出てくる。
学校を終えた子どもたちが家へ帰る。
荷車が道を通る。
湯屋から白い湯気が上がっている。
家の煙突からも煙が出始めていた。
「……すごいね」
隣に立つミラが言った。
「西の森?」
「それもあるけど」
ミラは町を見たまま続ける。
「学院でリオンから聞いてた話って、私の中ではずっと『話』だったんだよね」
「どういうこと?」
「学校を作ったとか、工房を増やしたとか、家を建てたとか。聞いて、想像はしてた」
「うん」
「でも今日来てみたら、それが全部、誰かの暮らしになってた」
俺も西の森を見る。
「学校で勉強してる子がいて、工房で働いてる人がいて、家族で暮らしてる人がいる」
ミラが少し笑う。
「リオンが学院でずっと考えてきたことが、ここではちゃんと誰かの毎日になってるんだね」
「俺一人で作ったわけじゃないよ」
「知ってる」
すぐに返ってきた。
「レナードさんも、エリアスさんも、ノルさんも、ここで働いてる人たちもいる」
「そうだね」
「でも、リオンが考えたことをみんなで形にして、また誰かがそこから先を考えてるんでしょ?」
昨日聞いた話を思い出す。
俺がいない間にも、ハル領は動いていた。
「うん。今はそうなってきた」
「それって、すごいことだと思うよ」
「ありがとう」
夕方の風が吹く。
少し寒い。
でも温泉に入ったばかりだから、身体はまだ温かかった。
「私ね、ずっと見てみたかったんだ」
「西の森を?」
ミラが首を横に振る。
「リオンが見てるもの」
「俺が見てるもの?」
「うん」
以前にも似たことを言われた気がする。
学院で。
俺たちが付き合うより、ずっと前に。
「今日、少し分かった気がする」
「どうだった?」
ミラはもう一度、西の森へ目を向けた。
「好きだよ」
「え?」
「この場所」
「ああ」
一瞬、俺のことかと思った。
いや。
俺のことも好きなんだろうけど。
「何、その顔」
「何でもない」
「変なの」
ミラが笑う。
「私、もっと見たいな」
「何を?」
「リオンがこれから作るもの」
ミラがこちらを向く。
「学校も、町も、その先も」
そして、少し照れたように笑った。
「できれば、ずっと近くで見ていたい」
今度は、その意味がすぐに分かった。
「俺も」
「え?」
「ミラには、近くにいてほしい」
ミラが目を丸くする。
それから、嬉しそうに笑った。
「うん」
西の森へ目を戻す。
今日一日、ミラとハル領を歩いた。
学校で子どもたちと話す姿。
ここで暮らす人たちの話を聞く姿。
楽しそうに温泉の話をする姿。
そのどれもが、不思議なくらいこの場所に馴染んで見えた。
ミラがここにいる未来を、自然に想像できた。
明日、ちゃんと婚約の話をしよう。
今度は、俺自身の言葉で。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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