第494話 持ち帰ったもの
翌朝、俺たちはグレイヴ領を発った。
王都までは馬車で四日。
来た時と同じ道を戻っていく。
畑や街道、小さな集落が窓の外を流れていった。
「ピー」
「ん?」
隣にいたピコが、俺の腕へ身体を寄せてきた。
「大丈夫だよ」
「ピー!」
今度は元気よく跳ねる。
向かいに座っていたエドガーが笑った。
「お前、ピコには心配されっぱなしだな」
「今回はちょっとね」
「まだ考えてる?」
「うん」
グレイヴ領をどうすればいいのか。
結局、答えは出なかった。
でも、今はそれでいい。
まずは、見たものを王都へ持ち帰る。
それが今の俺たちにできることだ。
◇
四日後の夕方、ようやく王都へ戻った。
「やっと着いた……」
馬車を降りて、大きく身体を伸ばす。
「ピー!」
ピコも俺の肩の上で弾んでいる。
「じゃあ、リオン。明日な」
「うん」
エドガーはそのまま王宮へ戻る。
俺は学院の寮へ向かった。
久しぶりの自分の部屋へ入り、荷物を置く。
ベッドへ腰を下ろしたところで、一つ思い出した。
「……そうだ」
「ピー?」
「ミラの予定も確認しないと」
冬休みの後半に、ミラがハル領へ三、四日ほど来る予定になっている。
グレイヴ領へ行くことになって、長く王都を離れていた。
日程をちゃんと確認しておいた方がいい。
「明日の報告が終わってからだな」
「ピー!」
まずは王宮への報告。
それが終わったら、ハル領へ戻ろう。
◇
翌朝。
ピコには寮で待っていてもらい、俺は王宮へ向かった。
案内された部屋には、すでにエドガーがいる。
その奥にはレオンハルト国王。
そしてラウグレン公。
今回の視察に同行した監察官や、財政、農政の担当者たちもそろっていた。
「全員そろったな」
国王が言う。
「始めてくれ」
「はい」
監察官が資料を開いた。
「結論から申し上げます。グレイヴ領の現状は、王宮へ提出されていた資料から受ける印象よりも深刻です」
部屋が静かになる。
「まず徴税についてですが、複数の地域において、現在の生産力に対して負担が重いことが確認されました」
農業も商業も、職人の仕事も以前より縮小している。
一方で、王宮からの支援そのものは実施されていた。
水路も直されている。
道路も整備されている。
物資が送られた記録もある。
「しかし、維持管理や継続的な支出が不足している事業が複数確認されています。また、支援事業同士の連携も十分ではありません」
「つまり」
ラウグレン公が言った。
「金を出して、作って終わりになっていたものがあるということか」
「はい」
監察官が頷く。
「人口流出については、今回の視察では、人口減少が領地衰退の出発点だったとは認められませんでした」
国王が俺を見る。
「現地でも、リオンの見方が裏付けられたか」
「はい」
監察官が答える。
「先に産業や生活基盤が弱り、その結果として住民が領外へ流出したと考える方が自然です」
「ただし現在は、人口減少そのものが、生産や商業、維持管理をさらに弱らせています」
「悪循環になっているわけだな」
「はい」
監察官が資料を一枚めくる。
「また、一部地域について王宮へ提出されていた『回復傾向』という評価にも問題がありました」
国王の眉が僅かに動いた。
「回復傾向とされていた地域があったな」
「はい」
「数字が偽られていたのか?」
「数値そのものに、明確な虚偽は確認されていません」
「どういうことだ?」
ラウグレン公が聞く。
「例えば耕作面積です。前年より増えていること自体は事実でした」
「だが、以前の水準には戻っていない」
「はい。前年の状態が極端に悪かったため、そこから僅かに増加したことを回復と評価していました」
「人口も同じか?」
「人口減少幅は小さくなっています。ただし、若い住民そのものがすでに大きく減少している地域がありました」
国王がしばらく資料を見る。
「数字は間違っていない」
「はい」
「だが、その数字の見方を間違えた」
「その可能性が高いと考えます」
「……なるほどな」
国王が椅子へ背を預けた。
◇
「父上」
エドガーが口を開いた。
「何だ」
「今回のことは、グレイヴ伯爵を処罰して終わらせるべきではないと思います」
国王がエドガーを見る。
「理由は?」
「王宮は何度もグレイヴ領へ支援を出していました」
「ああ」
「でも、その支援によって実際に住民の暮らしが良くなったのかを、十分に見ていませんでした」
エドガーが少し言葉を選ぶ。
「西部で言われました。王都はグレイヴを見て、そこで生きる人間を見なかったと」
イレーナの言葉だ。
「それを聞いて、私も気づきました」
エドガーが国王を見る。
「金を出したことと、助けたことは同じじゃないんだと」
「……」
「王宮側にも、支援を出したことで役目を果たしたと考えていた部分があったと思います」
国王は何も言わず、しばらく息子を見ていた。
「よく見てきたな、エドガー」
「……はい」
「お前を行かせた意味はあった」
エドガーが僅かに目を見開く。
「ありがとうございます」
「今回見たものは忘れるな」
「はい」
エドガーは真っ直ぐ答えた。
◇
「では、今後の確認についてだ」
国王が担当者たちを見る。
「徴税については?」
財政担当者が答える。
「過去数年の徴税実績と、地域ごとの生産状況を改めて照合します」
「負担が大きすぎる地域を洗い出せ」
「はい」
「その後の扱いは、グレイヴ領を今後どうするかと合わせて決める」
「承知しました」
「支援事業は?」
「過去に完了とされた事業についても、現在機能しているかを確認します」
農政担当者も続ける。
「水路や農地については、整備後の維持状況も含めて改めて調査します」
国王が頷く。
「金を出して終わりにはするな」
「はい」
「何を作ったかだけではなく、その後、住民の生活がどう変わったかまで確認できる方法を考えろ」
「承知しました」
俺は黙って聞いていた。
グレイヴ領で、自分には何もできないと思った。
でも、こうして専門の人たちが動き始めると、それぞれの立場から確認できることがあるのだと分かる。
「もう一点、ご報告があります」
監察官が言った。
「西部についてです」
「何があった?」
「イレーナ・ヴァルガという女性を中心とする集団が活動していました」
「集団?」
「はい」
監察官が少し間を置いた。
「彼女たちは物流、貸付、仕事の斡旋などを行っています。その一方で、債権回収や住民同士の紛争へ介入し、独自の裁定を行っている事例も確認しました」
「それは領主側が担うべきことだろう」
「はい」
「他には?」
「代官を拘束していた際、我々の護衛とも衝突しています」
国王の表情が変わった。
「何?」
「護衛二名に加え、リオン様、エドガー殿下も交戦しました」
国王の視線がすぐにエドガーへ向く。
「エドガー」
「もう何ともありません」
「怪我をしたのか?」
「軽いものです。リオンに回復魔法もかけてもらいました」
国王が今度は俺を見る。
「リオンもか?」
「はい。でも、自分ももう大丈夫です」
「……そうか」
国王の表情はまだ険しい。
「事情があったとしても、王宮の護衛を倒していい理由にはならん」
「はい」
監察官が頷く。
「ただし、彼女たちが拘束していた代官については、追加徴収などに関する具体的な資料が提出されています。現在、別途確認を進めています」
「だからといって、イレーナ・ヴァルガの行為まで正当化されるわけではない」
「その通りです」
「違法行為については調べろ」
「はい」
「ですが」
監察官が続ける。
「彼女たちを急に排除した場合、西部の物流や住民生活に大きな混乱が生じる可能性があります」
「……厄介だな」
国王が呟く。
ラウグレン公も腕を組んだ。
「領主の代わりまでやっているということか」
「一部については、そのような状態です」
国王がしばらく考える。
「だが、勝手にそこまで大きくなったわけではないのだろう」
監察官が顔を上げる。
「必要とされたから、そこまで大きくなった」
「私も、そのように考えます」
「領主が果たすべき役割に穴が空き、そこへ別の者が入ったということか」
「はい」
昨日まで見てきた西部を思い出す。
仕事を回し、金を貸し、揉め事を裁き、借金を取り立てる。
住民たちは、イレーナたちを頼っていた。
でも、それで何をしてもいいわけじゃない。
「必要とされていることと、違法行為を認めることは別だ」
国王が言った。
「調査は続けろ」
「はい」
◇
「リオン」
国王に呼ばれた。
「はい」
「お前には、何が見えた?」
「……」
少し考える。
「人口流出は、最初の原因ではありませんでした」
「それは報告で聞いた」
国王が俺を見る。
「それだけか?」
「……いいえ」
今回の視察で見てきたものを思い返す。
「支援金が領民の生活に十分つながっていないことは、視察へ行く前から疑っていました。」
「うむ」
「でも、原因は金が抜かれていたことだけじゃありませんでした。
実際に水路や道路が整備された場所でも、その後の維持や他の支援とのつながりが足りなくて、暮らしが良くなっていない地域がありました」
国王は黙って聞いている。
「数字が正しくても、現地を正しく表しているとは限らないことです」
「他には?」
「西部です」
イレーナの顔を思い出す。
「領主側がやるべきことをしなくなった場所で、イレーナさんたちが代わりに人や金を動かしていました」
「お前は、それをどう思う?」
「正しいとは思いません」
「なぜだ?」
「正式な権限もないのに、揉め事を裁いたり、暴力を使ったりしています」
「なら排除すべきか?」
「……それも違うと思います」
「理由は?」
「住民から必要とされていたからです」
国王が僅かに目を細める。
「領主側よりも、彼女たちを頼っている人がいました」
「……」
「そこまでしないと生活が回らなくなっていた。それ自体が、グレイヴ伯爵領の問題なんだと思います」
王宮へ提出された資料だけでは分からなかった。
俺だって、現地へ行くまでは知らなかった。
「なるほどな」
国王が小さく頷いた。
「では、お前ならグレイヴ領をどう立て直す?」
「……」
答えられなかった。
王都へ戻る道中から何度も考えた。
それでも答えは出ていない。
「……分かりません」
国王の眉が僅かに上がる。
「今の自分には、まだ答えられません」
「……そうか」
「何から手をつければいいのかも、まだ見えていません」
言葉にすると、やっぱり悔しい。
「珍しいな」
「え?」
「お前が、分からないと言うのは」
「……自分でも悔しいです」
「リオン」
ラウグレン公が口を開いた。
「はい」
「七日で答えが出るなら、ここまで悪化していない」
「……はい」
「現地を見て、簡単には答えが出ないと分かった。それも今回分かったことの一つだ」
「はい」
そうなのかもしれない。
でも、まだ素直にそう思えない自分もいた。
「リオン」
国王がもう一度俺を呼ぶ。
「はい」
「私は、お前に再建策を持ち帰れとは命じていない」
「……はい」
「ハル領を立て直してきたお前なら、王宮の人間とは違うものを見るかもしれないと思った」
俺は国王を見る。
「人が出ていった理由」
「はい」
「支援を続けても、暮らしが良くならなかった理由」
「……はい」
「正しい数字から、間違った評価が作られていたこと」
さらに。
「領主が役割を果たさなくなった場所で、別の秩序が必要とされていたこと」
イレーナたちのことだ。
「お前は、それを見てきた」
「……」
「それだけで全てが解決するわけではない」
国王が担当者たちへ視線を向ける。
「だから、その先を考えるのはこちらの仕事だ」
「……はい」
胸の奥にあったものが、ほんの少しだけ軽くなった。
グレイヴ領をどう直せばいいのか。
今も分からない。
でも、何も持ち帰れなかったわけじゃない。
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
◇
報告が終わった。
「エドガー」
国王が呼ぶ。
「はい」
「お前もよく務めた」
「ありがとうございます」
「王宮で資料を読んでいるだけでは、分からないことがあっただろう」
「はい」
エドガーが迷わず答える。
「たくさんありました」
「忘れるな」
「忘れません」
国王が頷いた。
「エドガーは残れ。確認したいことがある」
「はい」
俺はエドガーを見る。
「じゃあ、また」
「ああ。また学院でな」
「うん」
エドガーを王宮に残し、俺は一人で部屋を出た。
外へ出ると、冬の冷たい空気が頬に当たる。
グレイヴ領をどう立て直せばいいのか。
今の俺には、まだ分からない。
それでも、俺たちが見たものは王都まで届いた。
答えは出なかった。
でも、王宮はようやく本当のグレイヴ領を見始めた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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