第490話 明日もここにいる
「代官はこちらで預かります」
監察官が言った。
「なっ……!」
中年男――西部地区の代官が目を見開く。
「私は被害者だぞ! なぜ私まで!」
「現時点で、あなたを罪人と判断したわけではありません」
監察官は冷静だった。
「ですが、具体的な告発があり、証拠もあるという話が出ています。
確認が終わるまで、こちらに同行していただきます」
「こんな女の言うことを信じるのか!」
「信じるかどうかを決めるために調べるのです」
「私は代官だぞ!」
「ですから、確認します」
代官が言葉に詰まった。
監察官がイレーナを見る。
「代官はこちらで預かります。それでよろしいですね?」
「ああ」
イレーナはあっさり答えた。
「いいんですか?」
思わず聞く。
イレーナが俺を見る。
「何が?」
「てっきり、自分たちで連れていくのかと」
「もうその必要はない」
「でも、さっきまで」
「目的はこいつを連れ回すことじゃない」
イレーナが代官へ視線を向けた。
「取ったものを返させることだ」
「私は何も取っていない!」
代官が叫ぶ。
イレーナは相手にしなかった。
監察官が視察団の護衛へ指示を出す。
「代官をお願いします」
「はい」
返事をした護衛の動きが少し鈍い。
さっきイレーナに倒された二人だ。
「ちょっと待ってください」
「リオン様?」
「先に怪我を見ます」
一人の護衛の横へしゃがむ。
「右腕、見せてもらえますか?」
「私は大丈夫です」
「確認するだけです」
腕へ意識を向ける。
《右腕:打撲》
《骨折:なし》
骨は大丈夫そうだ。
「骨は折れていません。少しだけ回復魔法を使いますね」
打たれた場所へ手を添え、回復魔法を使う。
深く治そうとはしない。
痛みを軽くする程度でいい。
「どうです?」
護衛が何度か腕を動かした。
「……少し楽になりました」
「応急処置だけです。あとでちゃんと診てもらってください」
「ありがとうございます」
もう一人も確認する。
こっちは腹をかなり強く打たれていた。
《腹部:打撲》
《深刻な損傷:なし》
とりあえず、大きな怪我ではなさそうだ。
同じように回復魔法を使う。
護衛の呼吸が少し落ち着いた。
「無理しないでくださいね」
「はい」
最後に自分の腹へ手を当てる。
「……痛っ」
さっき何度もやられた場所だ。
自分にも回復魔法を使う。
完全には治らない。
それでも、さっきより痛みは和らいだ。
「リオン」
エドガーが俺を見る。
「自分はいいのか?」
「今やったよ。エドガーも見せて」
「僕は大丈夫だ」
「駄目」
「本当に大したことないぞ?」
「王子なんだからちゃんと確認しなきゃだめだぞ」
「そういうものなのか?」
「そうそう」
エドガーの身体も確認する。
大きな怪我はない。
倒された時に少し打った程度だ。
念のため回復魔法を使う。
「これで大丈夫」
「ありがとう」
「ピー……」
ピコが俺の足元まで跳ねてきた。
「大丈夫だよ」
「ピー」
何度か脚へ身体をぶつけてくる。
心配しているらしい。
「回復魔法も使えるのか」
イレーナが言った。
「少しだけです」
「剣も使う。攻撃魔法も使う。回復もできる」
「さっきは何一つ通じませんでしたけどね」
「相性が悪いと言っただろ」
「……あれを相性で済ませるんですか?」
「ああ」
即答だった。
何なんだ、この人。
「リオン」
エドガーが小声で言う。
「何?」
「たぶん、聞いても教えてくれないぞ」
「分かってるよ」
◇
「では、本題に戻ります」
監察官が言った。
「先ほど、代官の不正を示す証拠があると仰いましたね」
「ああ」
「確認させていただけますか?」
「条件がある」
「伺います」
「領都の役人だけには預けない」
近くにいた西部の役人たちの表情が変わった。
「それは……」
「今まで何度、話が消えたと思ってる」
イレーナの声は淡々としていた。
「領都へ訴えた。役人にも話した。それでも何も変わらなかった」
「……」
「証拠を渡して、また無くなりましたでは話にならない」
監察官が少し考える。
「では、私が直接預かります」
「王都へ持って帰るのか?」
「はい。今回の視察記録と合わせ、私の管理下で扱います」
イレーナの視線がエドガーへ移った。
「王子も見るか?」
「ああ」
「ならいい」
「……エドガーなら信用するんですか?」
俺が聞く。
「してない」
「え?」
「信用してないから、証人を増やす」
「……なるほど」
ちょっと違う気もするけど、妙に納得してしまった。
イレーナが部下の一人を見る。
「持ってこい」
「はい」
男が路地の奥へ走っていった。
しばらくして、数冊の帳面と紙束を抱えて戻ってくる。
どれもかなり使い込まれていた。
「これだ」
イレーナが監察官へ渡す。
財政担当と記録官も集まり、一枚ずつ確認していく。
「これは……」
財政担当の表情が変わった。
「正規の徴税記録とは別ですね」
記録官も別の資料と照らす。
「同じ住民から、追加で金銭を受け取った記録があります」
「商人からもありますね」
「食料庫からの搬出も」
代官が叫ぶ。
「偽物だ!」
財政担当は相手にせず、資料を確認していく。
「この署名は?」
「代官の部下だ」
イレーナが答える。
「金を取られた商人の証言もある」
「農地については?」
「借金を理由に取り上げた土地だ。実際の借入額と、取り上げた土地の価値が合ってない」
財政担当が眉を寄せる。
「これだけで不正を確定することはできません」
「分かってる」
「ただ、正式に調べるには十分です」
代官の顔色がさらに悪くなった。
俺も資料へ視線を向ける。
《正規徴税:存在》
《追加徴収:反復》
《公的記録:欠落》
《綻び:非公式徴収》
「……やっぱり」
「何かありましたか?」
監察官が聞く。
「表の記録にない徴収が、何度も行われているみたいです」
「分かりました。こちらでも確認します」
俺の目だけで決めない。
それでいい。
疑いと証拠は別だ。
◇
「……あれ?」
帳面を見ていて、別の項目が目に入った。
「どうした?」
エドガーが横から覗き込む。
「これ」
道路補修。
共同倉庫の修繕。
食料輸送。
農具貸与。
荷運びの賃金。
どれも今日見たものばかりだった。
「イレーナさん」
「何だ」
「これ、あなたたちがやってるんですか?」
「ああ」
「全部?」
「全部じゃない」
「道路も?」
「必要な場所だけだ」
「倉庫は?」
「使えるものを直した」
「食料も?」
「足りない場所へ運んでる」
やっぱり。
今日見つけたものが、この帳面の中にある。
「なんで?」
思わず聞いた。
イレーナが俺を見る。
「壊れた道を放っておけばどうなる?」
「物流が止まります」
「食料が届かなければ?」
「暮らせなくなる」
「仕事がなければ?」
「人が出ていく」
「なら、やるしかないだろ」
「……」
あまりにも普通に言った。
「それだけですか?」
「他に何がある?」
「いや……」
もっと何か、立派な理由でもあるのかと思った。
でも、イレーナにとっては違うらしい。
必要だからやった。
ただ、それだけだ。
「一つ確認させてください」
財政担当が口を開く。
「これらの資金は、どこから?」
「稼いだ」
「どのような仕事で?」
「いろいろだ」
「……」
その答え。
今日何度聞いただろう。
「それ、便利ですね」
俺が言う。
「何が?」
「いろいろです、って」
イレーナが少しだけ笑った。
「便利な答えだろ」
「やっぱりわざと使ってたんですか」
「さあな」
監察官は笑わなかった。
「合法的な仕事だけですか?」
イレーナが監察官を見る。
「全部調べればいい」
「否定はしないのですね」
「してほしいのか?」
「いいえ」
「なら調べろ」
やっぱり。
この人たちが、全部きれいなことだけをしているわけじゃない。
何をしているのかは、まだ分からない。
でも少なくとも、今日見た道や倉庫を維持していたのは、この人たちらしい。
◇
いつの間にか、周囲にいた住民は少し減っていた。
それでも、まだ何人も残っている。
農具店の老人もいた。
昼間、俺たちへほとんど何も話さなかった男たちもいる。
俺はその人たちを見る。
「……一つ聞いていいですか?」
イレーナを見る。
「欲しがりだな」
「それはそうですけど」
「何だ」
「今日、俺たちが質問しても、みんなほとんど何も話してくれませんでした」
「ああ」
「でも、あなたが来てから、誰も逃げない」
「だから?」
「みんな、あなたのことは信用してるんですよね?」
イレーナが少しだけ黙った。
「信用してない奴もいる」
「じゃあ、なんで?」
イレーナが俺を見る。
「お前たちは帰るからだ」
「……え?」
「王都の人間は来る。話を聞く。紙に書く。そして帰る」
「……」
「私たちは明日もここにいる」
言葉が出なかった。
俺たちは帰る。
視察が終われば王都へ戻る。
報告書を作り、必要な対策を考える。
それ自体は間違っていない。
俺だってハル領では、現場を見ることの大切さを何度も学んできた。
でも、ここでは少し違う。
最初から帰ると分かっている相手に、この人たちはどこまで本音を話してくれるんだろう。
王都が何度支援しても、自分たちの生活が変わらなかった。
領都の役人に話しても、何も変わらなかった。
そんな経験を何年も繰り返した人たちに、今度は信用してくださいと言っても無理なのかもしれない。
仕組みを作る以前に。
まず、今度は見捨てられないと信じてもらう必要がある。
「だから、王都を信用しないのか?」
エドガーが聞いた。
「信用しろという方が難しいだろ」
「……」
「じゃあ」
エドガーが続ける。
「僕たちはどうすれば信用してもらえる?」
イレーナがエドガーを見る。
「知らん」
「知らない?」
「自分で考えろ、それがおまえらの仕事だろ?」
エドガーが黙った。
俺にも刺さる。
これは、誰かに答えを教えてもらう話じゃない。
俺たちがこれから何をするのか。
それを、この人たちは見ているんだ。
「今日は終わりだ」
イレーナが言った。
「行くぞ」
部下たちが動き始める。
「あ、待ってください」
イレーナが振り返った。
「何だ」
「明日も話せませんか?」
「嫌だ」
「……即答?」
「忙しい」
「俺たち、あと二日しかいないんです」
「だから?」
「西部のこと、もっと知りたいんです」
「勝手に調べろ」
「今日一日調べて、みんな何も話してくれなかったんですけど」
「それはお前たちの問題だ」
「そうですけど……」
イレーナが歩き出す。
「イレーナさん」
返事はない。
「……駄目か」
エドガーが言う。
「みたいだね」
「ピー……」
ピコまで残念そうな声を出した。
その時。
「朝七時」
イレーナが立ち止まった。
「え?」
「西門だ」
振り返らない。
「遅れたら置いていく」
そのまま歩いていった。
「……」
俺はエドガーを見る。
エドガーも俺を見る。
「話してくれるんじゃん」
「リオン」
「何?」
「余計なことを言うな」
「ピー!」
「ピコまで?」
イレーナたちの背中が、夕暮れの町へ消えていく。
視察六日目。
俺たちは王宮の資料ではなく、イレーナ・ヴァルガの案内で西部を見ることになった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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