第341話 冷えていればいいわけじゃない
短編で「元最強探索者、ダンジョン救助員になる(https://ncode.syosetu.com/n5300ml/)」を書きました。
研究コースの二回目の授業で、リオンたちの班は低温保存箱を模擬荷車台に載せていた。
使用条件は、商隊用。
半日ほどかけて、隣町へ薬品を運ぶ小型商隊を想定する。
前回の授業で、ただ「商隊用」と書いただけでは広すぎると分かった。だから三人で話し合い、距離と中身を絞った。
薬品。
半日。
小型商隊。
冷却核はBを選んだ。
強く冷えすぎるAではなく、安価だがむらのあるCでもない。穏やかに長く冷えるBが、一番安全に見えたからだ。
「では、始めてください」
クラリッサ先生の声で、ヴィクトルが模擬荷車台を押した。
がたん。
がたん。
凹凸のある板の上を、小さな車輪が進む。
箱の中には、本物の薬ではなく、色水を入れた小瓶が入っている。
赤い札。
青い札。
黄色い札。
それぞれ、薬の種類を見分けるための札という想定だった。
リオンは測定具を確認しながら、記録用紙に数字を書き込んでいく。
「冷たさは保てている。魔力の減りも大きくない」
「Bで正解だったか」
ヴィクトルが頷いた。
リオンも、少しだけそう思った。
強く冷やすより、安定して冷やす方が薬品には向いている。今のところ、その判断は間違っていないように見えた。
その時だった。
「あ……待って」
ミラが箱の蓋を開け、中を覗き込んだ。
「札が濡れてる」
リオンは手を止めた。
箱の中を見る。
瓶は割れていない。
中身も凍っていない。
冷却も続いている。
だが、青い札の端が湿って、剥がれかけていた。
揺れで瓶が少しずつ動き、冷却核の近くへ寄っていたのだ。その周囲に結露が出て、札を濡らしていた。
「中身は無事だ」
リオンが言うと、ヴィクトルがすぐに首を振った。
「いや、これは失敗だ」
「失敗?」
「何の薬か分からなくなれば、届けられない。間違って使われる危険もある。商隊用としては事故だ」
ヴィクトルの声は低かった。
商会の人間としての言葉だった。
リオンは、濡れた札を見つめた。
冷えている。
瓶も割れていない。
薬も凍っていない。
なのに、失敗。
ミラが静かに言った。
「冷やせばいいだけじゃないんだね。運んだ後に、ちゃんと見て分かる状態じゃないと駄目なんだ」
その言葉で、リオンはようやく気づいた。
自分たちは、冷却核の性能ばかり見ていた。
だが、商隊用なら、運んでいる間に中身が動く。
札が濡れる。
受け取った人が間違える。
薬そのものが無事でも、管理が崩れれば意味がない。
クラリッサ先生が、箱の中を覗き込んだ。
「冷却はできていますね」
「はい」
リオンは小さく答えた。
「ですが、商隊用としては不十分です」
「……はい」
認めるしかなかった。
冷やすことには成功している。
けれど、運ぶ道具としては足りていない。
クラリッサ先生は、濡れた札を指した。
「失敗は悪いことではありません。机の上で見つかった失敗は、現場で起きる事故を一つ減らします」
教室が静かになる。
「問題は、失敗した後です。面倒だからと目を逸らすのか。
原因を分け、記録し、もう一度試すのか。研究で見ているのは、そこです」
リオンは、唇を結んだ。
失敗は悪いことではない。
リオンだって、これまで何度も失敗してきた。
前世でも、この世界でも。
帳面を整えたつもりで、現場に別の負担をかけたこともある。
良いと思った手順が、使う人には分かりにくかったこともある。
大事なのは、失敗しないことではない。
失敗した後、面倒くさがらずに向き合えるかどうかだ。
「ハル」
「はい」
「直すなら、何を見るべきですか」
リオンは記録用紙に目を落とした。
最初に書いていた測定項目は、冷たさ、魔力消費、箱の中の温度差が中心だった。
でも、それだけでは足りない。
「瓶が揺れでどれだけ動くか。冷却核との距離。結露が出る場所。札が濡れるかどうかを見ます」
ミラが続けた。
「箱の中に仕切りが必要かも。あと、札を瓶に貼るだけじゃなくて、箱の中にも印があった方がいいと思う」
ヴィクトルも頷く。
「誰が開けても分かるようにする必要がある。商隊では、作った者と運ぶ者と受け取る者が違う」
クラリッサ先生は、静かに頷いた。
「では、それを測定計画に加えなさい」
三人はすぐに紙へ書き込んだ。
揺れ。
瓶の位置。
結露。
札。
仕切り。
箱側の印。
書くことは増えた。
面倒でもある。
けれど、リオンは嫌だとは思わなかった。
この面倒な部分を飛ばせば、現場で誰かが困る。
冷却箱ではなく、輸送中に薬を守る箱。
そう考えると、見るべきものが変わった。
クラリッサ先生が教室の前へ戻る。
「次回は、修正した計画で改めて試します。ただし、中身は薬瓶ではありません。
傷みやすい食材に変えます」
教室の空気が、少し動いた。
薬と食材では、守るものが違う。
また、考え直さなければならない。
ミラが小さく呟いた。
「冷やすだけじゃ、全然足りないね」
ヴィクトルが濡れた札を見ながら言った。
「だが、今日よりは見る場所が分かった」
「うん」
リオンは頷いた。
失敗した。
けれど、失敗したから、次に見る場所が増えた。
研究コースの最初の壁は、派手な魔法でも、難しい術式でもなかった。
濡れて剥がれかけた、小さな札だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
続きが気になったら、ブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




