第339話 研究コースの教室へ
短編で「元最強探索者、ダンジョン救助員になる(https://ncode.syosetu.com/n5300ml/)」を書きました。
昼休みが終わり、リオンはミラ、ヴィクトルと並んで研究棟へ向かっていた。
午前の授業で扱った課題が、まだ頭の中に残っている。
水。
噂。
商隊。
穀物。
どれか一つだけを見れば、答えは出せそうに思える。
だが、実際には一つを動かせば、別のものも動く。
アデライン先生の言葉は、静かなのに重かった。
「午前の授業、思ったより疲れたね」
ミラが隣で言った。
「うん。答えを出すだけじゃなくて、出した後のことまで考えないといけなかった」
「アデライン先生、そこで止めてくれないものね。『では、その後はどうしますか』って、すぐ聞いてきそう」
ミラが少し肩をすくめる。
ヴィクトルは前を向いたまま、小さく頷いた。
「実務に近い授業だな。判断だけでなく、伝え方まで問われる」
「ヴィクトルは、ああいうの得意そう」
「得意かどうかは分からない。ただ、商会では避けられない」
ヴィクトルはそう言ってから、ふと思い出したようにリオンを見た。
「そういえば、リバーシの件だが」
「リバーシ?」
ミラが反応する。
「まだ広がってるの?」
「まだ、というより、これから本格的に広がる」
ヴィクトルの言い方は、いつもより落ち着いていた。
だが、その内容は軽くなかった。
「ローデン商会とハル領都の間で、領外販売に関する専売契約がまとまった」
「もう正式に?」
リオンが聞くと、ヴィクトルは頷いた。
「ああ。三学期の間に話は進めていたらしい。
細かな条件の確認に時間はかかったが、大筋では問題なくまとまったようだ」
リオンは少し息を吐いた。
手紙で進捗は聞いていた。
だが、こうしてヴィクトルの口から改めて聞くと、思っていた以上に大きく動いているのだと感じる。
「領のレナードからも手紙が来ていたよ。西の森で、リバーシ専用工房の建設が始まったって」
「専用工房?」
ミラが目を丸くする。
「遊び道具のために、工房を作るの?」
「遊び道具だから作るんだ」
ヴィクトルが当然のように言った。
「難しい説明がいらない。見れば分かるし、一度遊べば覚えられる。
年齢もあまり選ばない。家の中でも、宿でも、待ち時間でも使える」
「言われてみれば、広がりやすいのかも」
ミラは納得したように頷いた。
「子どもだけじゃなくて、大人も遊べるしね」
「そこが重要だ」
ヴィクトルは続ける。
「子ども用の安い盤だけではない。貴族や裕福な商人向けの盤も作れる。
木材を変え、盤の仕上げを変え、駒の入れ物を整えれば、別の商品になる」
「高級版と普及版を分けるの?」
リオンが聞くと、ヴィクトルは少しだけ口元を緩めた。
「その予定だ。普及版は数を出す。高級版は贈答用にする。
ローデン商会としては、どちらも扱いやすい」
ミラが感心したように言った。
「同じ遊びなのに、そんなに変わるんだね」
「商品は、使い方だけで決まるわけじゃないぞ。誰に渡すか、どこで売るか、どの箱に入れるかでも価値が変わるんだ」
ヴィクトルらしい言葉だった。
リオンは、西の森の様子を思い浮かべる。
まだ整えなければならないことは多い。
だが、工房ができれば仕事が生まれる。
遊び道具一つでも、そこに人の手が入る。
「レナードは、工房の人員配置と材料の保管場所を整えているって書いていた」
リオンが言うと、ヴィクトルはすぐに反応した。
「保管場所は大事だな。木材の状態が悪ければ、盤も駒も歪む」
「うん。それで、乾いた場所を分ける必要があるって」
「さすがレナードさんだ。現場の見方が早い」
ヴィクトルは素直にそう言った。
リオンは少し嬉しくなる。
レナードは西の森を任せられる人だ。
「エリアスさんは?」
ミラが尋ねる。
「外部とのやり取りをしてくれている。
領都、ローデン商会、輸送の手配、材料の仕入れ先……俺が学院にいる間に、かなり動いてくれたみたいだ」
「リオンがいなくても、ちゃんと進んでるんだね」
ミラの言葉に、リオンは少しだけ黙った。
自分がいなくても進んでいる。
それは、寂しいことではない。
むしろ、そうでなければいけない。
西の森は、リオン一人の手で動く場所ではない。
レナードが現場を見て、エリアスが外との道を作る。
そこへローデン商会が加わり、職人や働く者たちが集まる。
少しずつ、場所そのものが動き始めている。
「うん。進んでる」
リオンは静かに言った。
「それは、すごくありがたいことだと思う」
ヴィクトルはリオンを横目で見た。
「お前が全部を抱えようとすると、商会としても困る」
「困る?」
「相手が一人で全部を決める取引は、早いが危うい。レナードさんやエリアス殿のように、それぞれの担当が見えている方が話を進めやすい」
「そういうものなんだ」
「そういうものだ」
ヴィクトルは淡々と答えた。
ミラが小さく笑う。
「ヴィクトル、もう完全に商会の人の顔になってる」
「元からだ」
「そうだけど、前より強くなった気がする」
「リバーシの件は、ローデン商会にとっても悪くない話だからな」
「悪くない、で済むの?」
ミラが首を傾げる。
ヴィクトルは少し考えてから答えた。
「かなり良い話だ」
「やっぱり」
ミラが笑う。
リオンもつられて笑った。
研究棟へ続く廊下は、五年生の教室がある棟とは空気が違っていた。
壁際には古い器具や、使われなくなった魔法道具の一部らしいものが置かれている。
棚には、分類札のついた箱がいくつも並んでいた。
「少し緊張してきた」
ミラがぽつりと言った。
「ミラでも?」
リオンが聞くと、ミラは少しだけ唇を尖らせた。
「するよ。見学と授業は違うもの」
「それはそうだね」
「でも、楽しみでもある」
ミラはそう言って、前を向いた。
「何を見るのか、何を触るのか、何を考えるのか。見学の時より、ちゃんと入っていく感じがする」
ヴィクトルも頷いた。
「研究コースは、商会にも必要な場所だ。見て終わりにはできない」
リオンは二人の言葉を聞きながら、廊下の先にある扉を見た。
研究コースの教室。
その前まで来ると、すでに何人かの生徒が集まっていた。
既存の五年生らしき生徒たちもいる。
彼らはリオンたちを見ると、少しだけ視線を向けた。
五年Sクラスの教室で受けた視線とは、少し違う。
家名や立場を見るというより、何をしに来たのかを確かめるような目だった。
リオンは扉の前で一度息を整えた。
ミラが隣に立つ。
ヴィクトルも、反対側で足を止めた。
「入ろうか」
リオンが言うと、ミラが頷いた。
「うん」
ヴィクトルも短く答える。
「ああ」
扉を開けると、薬品とも、木材とも、金属ともつかない独特の匂いがした。
教室の中には、机が整然と並んでいる。
だが、普通の教室とは違い、壁際には実験台があり、棚には魔法道具の部品や石材、金属片、古い書板が並べられていた。
黒板の前には、見学の時に会った女性教師が立っていた。
淡い灰色の髪を後ろでまとめた、穏やかな表情の教師。
クラリッサ・ヴェルナー先生。
先生は、入ってきたリオンたちを見て、静かに微笑んだ。
「来ましたね」
その声を聞いた瞬間、リオンは改めて思った。
今日は見学ではない。
ここから先は、研究コースの生徒として学ぶのだ。
クラリッサ先生は教室全体を見渡し、ゆっくりと言った。
「それでは、研究コースの初回授業を始めます」
リオンは席へ向かいながら、胸の奥で小さく息を吸った。
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