第234話 西の森役場の人選
西の森町づくり計画に、期限が入った。
第一段階は十日以内。
第二段階は一か月以内。
第三段階は二か月以内。
第四段階は冬までに試験開始。
第五段階は来年夏を目標。
木板の上に並んだ文字を見ると、ようやく計画らしくなってきた気がする。
ただ、そこまで決めても、まだ足りないものがあった。
人だ。
役場を置くと決めても、そこで動く人がいなければ、ただの小屋で終わる。
帳面を置いても、書く人がいなければ意味がない。
相談窓口を作っても、話を聞ける人がいなければ誰も来ない。
俺は木板から顔を上げ、レナードを見た。
「レナード」
「はい」
「西の森役場の最初の責任者は、レナードにお願いしたい」
レナードは少しだけ目を伏せた。
驚いた様子はなかった。
おそらく、自分でもそうなると分かっていたのだろう。
「承知いたしました」
「重い仕事になると思う」
「はい」
「西の森役場は、ただ帳面を置くだけの場所じゃない。
人が困った時に行く場所にする。現場、食事小屋、湯屋、夜間学校、見回り。
その全部とつながる場所になる」
「そのつもりで務めます」
レナードの返事は静かだった。
だが、すぐに続けて言った。
「ただし、若様」
「うん」
「私一人では回りません」
「分かってる」
俺はすぐに頷いた。
「そこを間違えたら、俺がいないと止まる町じゃなくて、レナードがいないと止まる役場になるだけだ」
「その通りです」
レナードは炭筆を手に取った。
「役場を動かすには、最初から役割を分ける必要があります」
「うん。まず、どんな役割が必要かを整理しよう」
俺は新しい木板を引き寄せた。
西の森役場。
その下に、役割と書く。
「一つ目は、責任者」
「そこは私が務めます」
「うん。役場全体を見る。父上や俺への報告をまとめる。
現場判断と領主判断を分ける」
「はい」
レナードが帳面へ書き写す。
「二つ目は、帳面と札の担当」
「滞在帳、宿札、役場に来た相談の記録ですな」
「うん。ここは細かい作業ができる人がいい」
そこで、自然と一人の名が浮かんだ。
「エルムはどうかな」
「工房の帳面係ですな」
「うん。夜間学校の札作りも手伝ってくれたし、木札の扱いにも慣れている」
エルムは、目立つ人物ではない。
話し方も控えめで、最初に夜間学校の話をした時も少し不安そうだった。
だが、手元の作業は丁寧だった。
木札を束ねる時の揃え方。
文字と絵印を入れる時の慎重さ。
派手さはないが、間違えないように進める力がある。
「ただ、エルムを工房から抜いて大丈夫かな」
「完全に抜く必要はありません」
レナードが答えた。
「最初は役場の帳面と札作りを兼ねる形でよいでしょう。
工房との連絡役にもなります」
「なるほど」
「ただし、本人の負担は見なければなりません。工房の帳面が崩れては意味がありませんので」
「それもそうだね」
俺は木板に書いた。
帳面・札担当候補。
エルム。
三つ目に移る。
「次は、現場との連絡役」
「作業員や出稼ぎ者に直接声をかけられる者が必要ですな」
「うん。役場に座っているだけじゃ、現場の困りごとは拾えない」
俺は少し考えた。
現場を歩ける。
作業員と話せる。
完璧でなくても、現場の言葉で話せる。
「マルクはどうかな」
「現場補助のマルクですか」
「うん。夜間学校で数字を教えるのを手伝ってくれた。
荷車や木材の数え方も分かってる。作業員にも声をかけやすそうだった」
マルクは、読み書きも計算も完璧ではない。
でも、それがかえってよかった。
できない人の気持ちが少し分かる。
そして、現場の人間に近い。
役場に必要なのは、きれいな文字を書ける人だけではない。
話しかけられても構えられない人だ。
「マルクは、役場の中で帳面を見るより、現場を回る方が向いているかもしれません」
レナードが言った。
「寝床の割り当て、食事小屋への人数確認、作業班からの相談。
そういうものを拾う役です」
「それがいい」
俺は木板に書いた。
現場連絡担当候補。
マルク。
ミアが、少しだけ考え込むように木板を見ていた。
「ミア、何か気になる?」
「はい。少しだけ」
「言って」
ミアは遠慮がちに口を開いた。
「エルムさんとマルクさんは、役場に向いていると思います。
でも、食事小屋や湯屋のことは、男の人だけでは気づきにくいこともあるかもしれません」
「たとえば?」
「食事の量が足りない時、強く言える人はよいのですが、言えない人もいます。
あと、女の人が手伝いに来るようになった時、寝床や湯屋の時間のことを相談しにくいかもしれません」
それは、昨日からミアが何度も出してくれている視点だった。
俺とレナードだけだと、どうしても帳面や現場配置を先に考える。
だが、実際に困る人は、必ずしも役場に堂々と来られるわけではない。
「生活側の連絡役が必要ってことか」
「はい。私が偉そうに言うことではないのですが……食事小屋にいる人は、誰がよく食べるか、誰が食べに来なくなったか、そういうことに気づきやすいと思います」
レナードが頷いた。
「確かに、食事小屋は人の変化が見えますな」
「湯屋もそうだね」
「はい。疲れている人、怪我を隠している人、他の人と揉めている人。
そういう気配は、食事や湯屋の場で先に出ることもあるでしょう」
俺は木板に書いた。
生活連絡担当。
食事小屋、湯屋側から候補を探す。
「誰か具体的にいるかな」
ミアは少し考えた。
「食事小屋で手伝っているリタさんは、人の顔をよく覚えています」
「リタ?」
「はい。まだ正式に何かを任されているわけではありませんが、食事の数が合わない時に、誰が来ていないかすぐ気づくことがあります」
レナードが少し目を細めた。
「リタですか。名前は聞いたことがあります。食事小屋の手伝いですね」
「うん。候補に入れよう」
俺は木板に書き足した。
生活連絡担当候補。
リタ。
「ただ、いきなり役人と言われたら驚くかもしれない」
「はい。本人にも、食事小屋の責任者にも確認が必要です」
「役人というより、最初は連絡役だね」
「その方がよいかと」
役人。
言葉だけ聞くと、どうしても固い。
偉い人。
命じる人。
許可を出す人。
でも、西の森役場に最初に必要なのは、そういう人ではない。
人の話を聞いて、困りごとを拾い、記録し、必要な相手へつなぐ人だ。
「役人の条件を決めよう」
俺はそう言った。
「条件、でございますか」
「うん。字が書けるだけでは足りないと思う」
レナードが炭筆を止め、俺を見た。
「若様は、どのような者がよいとお考えですか」
俺は少し考えてから答えた。
「まず、威張らない人」
ミアが少しだけ目を丸くした。
レナードは真面目な顔のまま頷く。
「大事ですな」
「西の森役場は、人を呼びつけて叱る場所じゃない。
困った人が行く場所にしたい。だから、最初の役人が偉そうにしていたら駄目だと思う」
「はい」
「次に、人の話を聞ける人」
俺は指を折りながら続ける。
「困っている人は、最初からきれいに説明できるわけじゃない。
何が問題か分からないまま来る人もいる。だから、話を急かさず聞ける人がいい」
「記録する力も必要です」
「うん。それが三つ目。聞いたことを、ちゃんと残せる人」
俺は木板に書く。
威張らない。
話を聞ける。
記録を残せる。
現場に嫌がられない。
困りごとを抱え込まない。
「最後のは?」
ミアが聞いた。
「困りごとを抱え込まない、ですか」
「うん。自分だけで解決しようとしない人。役場の仕事は、全部を一人で片づけることじゃないと思う。
食事の問題なら食事小屋へ。安全の問題ならノルへ。帳面の問題ならレナードへ。
そうやってつなげる人が必要」
レナードが深く頷いた。
「まさに、役場の役割ですな」
「うん。役場は、全部を飲み込む場所じゃない。人と問題を、正しい場所へつなぐ場所にしたい」
そう言ってから、自分でも少し納得した。
役場という言葉を使うと、そこにすべての答えがあるように思ってしまう。
でも、違う。
役場は、西の森の中心になる。
だからこそ、全部を抱えてはいけない。
中心とは、すべてを自分で持つ場所ではなく、必要な場所へ流れをつなぐ場所なのだ。
「ノルは役人に入れますか」
レナードが聞いた。
俺は少し考えてから首を振った。
「ノルは役人じゃなくて、安全側の責任者としてつなぐ方がいいと思う」
「見回り、火元、夜道、危険札、退避場所ですな」
「うん。役場からノルへ連絡する。ノルからも、見回りで気づいたことを役場に上げてもらう」
「その方が役割が明確になります」
俺は木板に書いた。
ノル。
役人ではなく、安全連携。
これで、少し形が見えてきた。
責任者はレナード。
帳面と札はエルム。
現場との連絡はマルク。
生活側の連絡はリタ。
安全面はノルと連携。
まだ決定ではない。
本人たちの意向もある。
それぞれの今の仕事との兼ね合いもある。
けれど、最初の候補としては悪くない。
「若様」
レナードが静かに言った。
「この人選であれば、役場は最初から現場と切り離されずに済みます」
「そこが大事だと思う」
俺は頷いた。
「屋敷の文官だけで役場を作ったら、現場から遠くなる。逆に現場の人だけで回そうとしたら、帳面や報告が弱くなる。だから両方必要だよね」
「はい」
「レナードが全体を見る。エルムが札と記録を整える。マルクが現場を歩く。リタが食事や暮らしの変化を拾う。ノルが安全を見る」
言いながら、俺は少しだけ胸が熱くなった。
役場というものが、ただの小屋ではなくなっていく。
そこに誰がいるのか。
誰が何を見るのか。
誰が誰につなぐのか。
それを決めて初めて、役場は形を持つ。
「ただ、候補者たちには、いきなり役人になれとは言わない」
「試しに役割を担ってもらう形ですか」
「うん。まず十日間。仮役場を置く間に、一緒に動いてもらう。その上で、続けられるか確認する」
「よいと思います」
ミアが少し安心したように言った。
「急に役人と言われるより、その方が受け入れやすいと思います」
「だよね」
俺は木板の端に書き足した。
十日間のお試し。
仮役場。
役割を確認する。
本人の意向を見る。
「では、次は候補者を呼びましょう」
レナードが言った。
「うん。まずはエルムとマルク。それからリタは、食事小屋の責任者にも話を通してからかな」
「その方がよいでしょう」
「ノルにも、安全連携の話をする」
「はい」
やることはまた増えた。
だが、昨日までとは違う。
今は、何をするために人を呼ぶのかが見えている。
ただ手伝ってほしいのではない。
西の森役場を、人が困った時に行ける場所にするために必要なのだ。
「レナード」
「はい」
「最初の役場は、小さく始めよう」
「承知しました」
「でも、雑にはしない」
レナードは静かに頭を下げた。
「そのための人選です」
俺は頷いた。
町長がいなくても回る役場。
その最初の形は、ようやく見え始めた。
次は、この名前の横にいる人たちと、直接話をしなければならない。
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